蓄積する疲労 少ない水で辛抱する高齢者
山口県周防大島町と柳井市大畠を結ぶ大島大橋に10月22日、ドイツの海運会社オルデンドルフ・キャリアーズが所有する貨物船エルナ・オルデンドルフが衝突してから3週間以上が経過した。貨物船のクレーンとマストが橋桁に接触したことによって、島に水道水を供給していた送水管が破断し、今なお全島9000世帯(1万6000人以上)が断水に見舞われている。さらに橋の安全が担保されていないことから通行規制がかかるなど、その後も大変な事態は続いている。世界三大用船会社による前代未聞の事故であり、まぎれもなく人災にほかならないが、今後、この損害賠償をはじめとした対応がどうなっていくのか、前例がない事態だけに関心は高まっている。取材を重ねてきた記者たちで現地の実情を出し合いながら論議した。
A 事故発生から既に3週間以上が経過した。島では依然として断水が続いている。大島大橋では通行規制が敷かれ、風速5㍍以上で通行止めになる。橋の付近は連日大渋滞だ。住民生活にとって大きな障害になっており、農漁業や観光業、飲食業などへの打撃も計り知れない。周防大島にかかわるすべての人人が混乱に巻き込まれている。
蛇口をひねれば当たり前に出ていた水が得られず、炊事、洗濯、風呂、トイレなど日常生活が突然不自由になったことで、事故直後は島全体がパニックになった。島内の給水所では長蛇の列ができ、4時間待ちの日もあった。柳井など島外のコインランドリーには人人が列をなし、スーパーの食材や飲料水もすべて空になった。水を求めて島外へ出る車が、橋のたもとで渋滞する日日が続いていた。
B 県内全域の自治体から人員や給水車が派遣され、ようやく大島大橋にも仮設送水管が通った。おかげで給水量は増えている。給水箇所も当初は4カ所だったが、現在は14カ所に増えている。島民が水を得るために長距離移動する必要もなくなり、多少負担が軽くなった印象だ。とはいえ、周防大島町は瀬戸内海で3番目に大きい島で、車を持たない高齢者は給水所に水を汲みに行くことすら困難がある。80代や90代もざらにいるなかで、20㍑(20㌔)のタンクなど運べない。せいぜい数本のペットボトルが限界だ。
C 古くから井戸水を利用している家もあり、その水を住民同士で分け合うなど、助け合いながら急場をしのいできた。だが、各家庭への送水が再開されるのは12月上旬で、今後1カ月は断水状態が続く。隣近所や親戚が毎日通って乗り切るには限界がある。みんなが一番心配しているのは高齢者の生活だ。周防大島町は高齢化率が50%をこえ、そのうちの6割が75歳以上だ。こうした高齢者のなかには、自力で給水所まで通い、水を運んで持ち帰ることができない人が多い。地域ごとに住民同士のネットワークを駆使して、声を掛け合いながら水を運んでいる地域もあるが、十分な水量を得られず困っている人人が多い。
D 3週間が経過するが、現地がどのような状況に置かれているのか、山口県内だけでなく、全国的にも知ってもらいたい。既に報道も下火になり、忘れ去られそうになっているが、とんでもない事態が続いている。全県、全国の手助けが必要なレベルだ。
A 旧東和町は周防大島のなかでもとくに高齢化が深刻な地域だ。「ボランティアで来てもらえるなら、東和町に行ってもらえないか」と行政関係者とも話になっていたので、10日に十数人で水汲みボランティアに行き、給水所から高齢者の家に手当たり次第に水を運んでみた。90代のお婆さんが一人暮らしで、既に20本のペットボトル(2㍑)が空になって困っていたり、「民生委員が運んでくれる」ことにはなっているが、その民生委員自身も高齢者なので頼みづらかったり、みんなが気を遣いながら過ごしていることがわかった。涙を浮かべて感謝する高齢者も少なくなかった。たくさん水が欲しいけど、あまり欲張ったこともいえないという雰囲気で辛抱している。
「溜まった服や下着を手洗いで洗濯してみたが、すすぎの水を満足に確保できず、匂いがとれずに困っていた…」(80代)とか、60代でも「オール電化にしたばっかりにトイレも流せず、風呂も炊けず、毎日の給水所通いが腰にきて困っている」とか、状況はさまざまだ。同じ地区のなかでも山から水を引っ張っている西側に対して、東側は何もなく、断水によって格差がうまれていたり、状況は千差万別だった。
B 奥地になると、家にストックするための20㍑タンクを持っていない(買いに行けない)80~90代の高齢者もいて、バケツや桶など、水を溜めておける容器を家中からかき集めて「入れておくれ」という人もいた。伊保田地区などは住宅数が多いように見えて空き屋も多く、「一日中誰とも会わない日もあるくらい人がいない。テレビが寂しさを紛らわす唯一の友だち」なのだと90代のお婆さんが話していた。そのお婆さんも18本のペットボトルがみな空っぽで、知り合いが持ってきたという20㍑の灯油缶に水を蓄えていたが、「重すぎて動かせない…」と困っていた。持ち上げて茶碗に移そうにも、そのような腕力がない。20㍑入りのウォータークーラーを2~3個支給して、縦に置くことで蛇口をひねれば高齢者でも簡単に使えるようにするとか、対応が必要だと思った。
D どの地域でも昔から使ってきた井戸水を最大限活用している。広域水道に切り替わって以後も、井戸を残している家庭が多かったことが不幸中の幸いだった。しかし必要とする水の量はまだまだ足りていない。井戸水が使えない家庭だってある。風呂、トイレ、炊事など、これまで同様の暮らしにはほど遠いのが実際だ。
とくに風呂やトイレに困っている住民が多い。井戸水を使うか、車で大量に水を運ばなければ風呂桶に水を張ることもできない。柳井市や上関町、岩国市などで温浴施設が無料開放されているが、そこへ行くまでに時間がかかるし、橋がいつ通行止めになるかもわからないため、島を出ることをためらう。車を持っていなければそのような選択肢もない。大きな鍋などで水を湧かし、水で割って冷まし、その湯を風呂まで運んで体にかけたり、蒸しタオルで拭くくらいのことしかできないので、余計に体が冷えるという。また、トイレの水を流すためにはタンクに水をためなければならないが、水を持ち上げてタンクへ移し替えるのも一苦労だ。用を足すたびに水を抱えなければならず、肩や腰を痛めている人もいる。精神的、肉体的な疲労が蓄積している。
C 2週間目の後半頃から、島内各地の消防団が車を持たない高齢者の自宅まで生活用水を運び始めた。島内に消防団は59分団あり、887人が所属している。一分団に20㍑のポリタンクや300㍑入りのタンクなどが与えられ、それを軽トラに積んで島内を走り回っている。東和町で消防団の給水活動をおこなった男性は「1日に17軒の家を回った。風呂だけでも20㍑のタンク7杯が必要となるため、高齢者1人ではどうにもならない。あれこれ考えるよりも直接家まで運ぶのが一番喜ばれる」と話していた。
その他にも島内に約110人いる民生委員が、給水に行けない高齢者宅へ500㍉㍑×24本を1ケース1週間分として配布している。消防団員は普段仕事をしている人もいるため、仕事終わりに軽トラを走らせたり、休日返上で給水作業を買って出ている人もいる。しかし高齢化の島だけに、20~30代が在籍しているわけではない。年齢層はかなり高めだ。
B 島内の実情を見ても、「給水所にとりに来て下さい」式よりも、困っている人へ直接水を届けることがもっとも求められている。住民の横の繋がりは強く、誰がどのような生活をしているのかお互いに知っている。だから、水汲みボランティアに行った際も、「あそこに婆さんが1人で暮らしているから声をかけてやっておくれ」とか、近所の高齢者宅に案内してくれる人が大勢いた。「あの人は遠慮して民生委員さんにいえないでいるから…」などといって、互いに気遣っていた。
C 東和町のなかでもとくに高齢化が進んでいるといわれる沖家室島にも足を運んだ。この島には給水所がなく、橋を渡って対岸まで行かなければ水を得ることができない。とり残された住民もいるのではないかと心配していたが、地域を回ってみるとどんな年配者でも不思議なほど疲弊感がない様子だった。よくよく聞いてみると、島にある寺が行政と協力して地域に大きな貯水タンクを設置したり、数日おきに20㍑タンクを独居老人宅へ運び、井戸水を配るなどして機動力を発揮していた。わずか100人あまりの狭い集落のなかで、核となる人や組織が知恵と機動力を駆使して、事故後の早い段階からとりこぼしがないよう対策をとっていた。
A 組織よりも先に個人がどんどん動いている。給水車の補水ポイントには給水車以外にもポリタンクを積んだ軽トラ、大型トラックなどが連日長蛇の列をなしている。ある漁師は朝方から昼まで漁に出て、帰ってきてから知人や近所の困っている人人に水を配っていた。300㍑入りのタンクを実費で購入して軽トラに積み、風呂に直接ホースを突っ込んで給水したり、給水所を2往復して最後に自宅用の水を積んで帰っていた。別の男性は同じく軽トラにタンクを積んでいた。知り合いの家を回って水を配っているそうだが「1回家まで水を運ぶとたいへん喜ばれた。こういうときだからこそ助け合わなければと思って始めたが、これほど頼りにされるともっとやる気が出てやめられなくなった」と笑っていた。そのほか島内の学校や事業所へ水を運ぶ人などもいた。みんなが助け合って難局を乗り切っている。こうした行動力を組織的に束ねて、より広範囲に支援の輪を充実させていく必要性があるように思う。島内だけでは限界があるなかで、島外からのマンパワーが加わると、さらに充実するはずだ。とくにとり残された地域をどうカバーするかだ。
B 周防大島町は大島町、久賀町、東和町、橘町が平成16年10月に合併して誕生した。合併当初381人いた行政職員は現在241人まで減少している。現場で住民生活の実情を把握し、緊急時に即座に対応できる人員がいないことを指摘する声もあがっていた。同時に簡易水道を廃止して広域水道の送水管1本に依存していたことで、今年1月にも送水管の老朽化で断水するなど、年に2回も全島断水が引き起こされている。今回の断水をうけて、町としても水資源のバックアップ体制の整備を掲げている。
強風で橋は度々通行止 両側では立ち往生
D 大島大橋では損傷を受けた箇所の復旧工事と、島の配水池へつながる直径300㍉の送水管布設工事が同時に進行している。通行車両は日中は総重量2㌧以内に制限され、午後11時から午前3時までは総重量8㌧以内という制限がもうけられている。一時的な通行止めも頻繁に起きている。橋はかなり損傷を受けており、強度そのものが大きく損なわれている。橋の状態が不安定になっていることで生活面や経済面への打撃が大きい。
A もっとも混乱を招いているのが強風による全面通行止めだ。橋の強度を維持するうえで重要な橋桁の外枠部分に損傷を受けているため、道路を管理している県としても大事をとった措置なのだろう。一方で、通行止めによって島を出入りするすべての人人に影響が及ぶ。風については自然のことなので、いつ通行止めになりいつ解除になるのか、だれにも予測がつかない。通行止めになるたびに橋の両側で勤め人や学生、物流関係の運搬車両が立ち往生を強いられている。通行止めがなくても朝と夕方は毎日大渋滞だ。
C 強風による通行止めは突然やってくる。事故後から強風による通行止めが9回あり、そのほかにも工事準備のための通行止めもあった。最長で約18時間も封鎖された日もあった。物流を担うトラックなどはすべて総重量2㌧を超えるため夜間に橋を渡るのだが、それらの多くが巻き込まれた。スーパーへの物資運搬が滞り、島外で朝方に仕入れた鮮魚は使い物にならなくなった。島外から通勤する教師たちは、みな柳井港からの渡船の利用をよぎなくされた。みなが常に通行止めのことを心配している。ボランティアに行くといっても、その日に帰れなくなることを覚悟しないといけない。
B これからみかん出荷の最盛期を迎える。島内のみかん農家が収穫したみかんを選果場で箱詰めしている。本来ならば大型トラックに積み込み、橋をわたって県内各地の市場へ出荷するのだが、重量オーバーで通行できないため、フェリーで運んでいる。事故発生からこれまでは「早生」品種を出荷してきた。今年は品質もよく高値が付き、出荷にもそれほど影響が出ているわけではないようだが、これからの時期は贈答シーズンで出荷量が大幅に増える。今後は収穫量が増えるなかで、すべてをその日のうちに出荷できるかどうかはフェリーの空き具合に左右される。フェリーの運賃も本来ならば必要ない経費だ。また、橋の規制によって島を訪れる観光客が激減し、みかんの販売量が大幅に減っていることも痛手になっている。農協や観光協会などは県内各地の商業施設などでPRしようと販売会をおこなっている。
観光客が激減していることから、島内のホテルや民宿など宿泊施設の経営にも影響が出ている。修学旅行や観光客がとくに増える時期で、大型バスに乗って多くの人人が島を訪れて宿泊していた。しかしバスは重量オーバーで橋を通れないため、すべてキャンセルになった。飲食店も水が出ないうえに人が来ないので店を閉めていたりする。
A 島内のガソリンスタンドでは全店が共同でフェリーをチャーターしてタンクローリーを島へ入れ、各店舗が燃料を補給している。フェリーが深夜に着くため、店員らは夜中に起きて店舗の給油につきあわなければならない。スーパーや農協などの販売店でも、橋を渡って物資を運んでくるトラックはみな重量制限があるので、深夜の時間帯しか島へ入ることができない。店員たちは夜中の荷受け業務をよぎなくされている。
気がかりな損害賠償の行方
D 断水と橋の通行規制や通行止めによる影響は甚大だ。どちらも復旧には時間がかかる。事態が長期化すればするほど住民の疲労は増し、経済的な損失も増大する。
A 今回の事故は天災ではなく人災だ。オルデンドルフ社(ドイツ)に対しては国、県、町としても強く責任問題を追及し、賠償を求めていくのは当然だが、あまりにも前代未聞すぎて、今後どのような展開になっていくのだろうかと誰もが注目している。国内の船会社でもなく、相手は世界三大用船会社だ。訴訟その他をするにも国境を越えた問題になる。弁護士も「山口県弁護士会のボス」程度では太刀打ちいかないだろうし、国際的な司法に詳しい専門家を雇わなければならない。そして、どの部分までを損害賠償として求めていくのか等等、まだまだ損害は拡大しているなかで線引きも大変なものだ。
C オルデンドルフ社の代表が町と県を訪れて謝罪したさいに、「法に従って対応していく」と話していた。裏を返せば「法律の範囲内でしか責任をとりません」といっているようにも聞こえる。今回の断水や橋の損傷によって受けた住民の苦難は、自然災害によって起きたものではない。どう損害を被ったのか立証せよとなった場合、休業補償であったり、その損失を求めていくにあたって、住民たちは何に気をつければよいのか周知徹底しないと対応できない。
A 外航船に乗っていた機関長が、県や町はもっと強く住民の実情や被害を訴える必要があると指摘していた。人間の生命や暮らしを脅かしたことに対して、オルデンドルフがどのような対応をとるのか、もっと世界的な視線にさらさなければ「やられ損」になるぞ!と。海外での事例をいくつも見ているだけに心配していた。地方自治体が世界三大用船会社を相手取って損害賠償を求めていく。それ自体、前例がないものだろう。水道民営化やTPPによって海外の多国籍企業が踏み込んでくるというなかで、走りにもなりかねない事件といえる。県や町としてもどこまでの被害を算出し、誰に対して交渉をおこなえばよいのか現場ではあまり方向性が定まっていないという。ここは及び腰ではなく、しっかりと主張すべきことを主張しなければならない。
B 島の暮らしが落ち着きをとり戻すのが第一だが、その後は損害賠償の行方が重大な関心になっていく。そして、二度と今回のような馬鹿げた事故を起こさせないために、体制を考えなければならない。まさか大畠瀬戸を2万5000㌧もある船が通過するなど考えもしなかったが、外国人船員に依存する構造ができあがっているなかで、そのまさかが起こった。物流運搬も重要な社会インフラだが、そのインフラを支える体制の脆さが事故につながり、水道や公共構造物である橋を破壊し、住民生活に直結する社会インフラを破壊していった。事故原因について「どうしてあんな場所を航行したのか」「バカではあるまいか」というだけでは解決しない問題が横たわっている。船員がおらず、経験の浅い20~40代のインドネシア人船員に頼りきっているなどを含めて、単純ではない構造がある。教訓にするだけでなく、二度と起きないように徹底することが求められている。