8月から連載してきた『下関市立大学トイレ改修工事損害賠償事件の調査報告書』を読んだ読者のみなさんから、いくつもの感想やお手紙、メールを頂きました。紙面でもその一部を紹介してきましたが、誰もが「彼らは何を隠しているのか」「誰を守っているのか」という疑問を抱き、同時に下関市や下関市議会がまともに機能していないことを厳しく叱責されていました。直接関心を持たれているのは下関市内在住の方がほとんどですが、読者交流をするかのように投稿が相次ぎました。その一部を紹介します。
◇市民の為に市政が機能しているか(匿名希望 40代女性)
下関市立大学トイレ改修工事損害賠償請求事件調査報告書を読んで、事件の概要と問題点は大体わかりました。この事件は私たちのお金が失われて、それが返済されるかどうかということなので、私たち市民の利害に直結する問題です。
また、問題点は元々特定の人たちが仕組んだ利権がらみ、官製談合がらみのドロドロしたものが背後にあるようですが、それらのことを横において見ると割合簡単な損害賠償事件です。市民にとっても市や市大のやり方が良いか悪いかが判断しやすい事件です。そういう点では市政勉強の格好の事件です。私たちが油断していると、私たちのお金がいい加減な管理をされ、いい加減な処理をされる恐れがあることを強く感じました。これから私も関心を持ってどうなるかを見ていこうと思っています。
この事件を注意深く見ていると、下関市の市政の取組がどうなるのかがよく分かると思います。例えば、市政にまじめに真剣に取り組んでいるのか。私たちの血税を本当に大事に取り扱ってくれているのか。一般市民の利益を大事にするのか、それとも特定の人の利益を大事にするのかなどです。
これまでの事件の経過を読むと、これらのことがかなりはっきり出ていますが、これからますます鮮明になり、最終的な結果ではっきりした評価ができると思います。また、下関市議会が市民のために役立っているのか、市民代表の役割を果たしているのかもよく分かると思います。
調査チームにおかれては、いい加減な調査、追及で終わらせず、市民が納得できる解決に至るまでがんばってほしいと願っています。私のようにこの事件の経過や顛末を関心を持って見守っている市民は多いと思いますので、市民にわかりやすい調査と解説をお願いします。今日、国政でも市政でも議員に任せていては安心できません。残念ながら国民、市民が監視するしかないのが実情です。特に、最近の政治を見ていると、国政に顕著に表れている権力者の横暴ぶりは限度を超えています。下関市政もこの悪例を見習う恐れは十分にあります。市議会がチェック機能を果たし得ない事例が早くも出ているようです。
市民の皆さん、この事件を教材に市政が市民のためになっているか、市議会が市民のためになっているか、それぞれの立場で勉強しましょう。
なお、投稿にもありましたが、この事件は特定の人たちによる利権がらみの事件でもあったようです。そのような噂を方々で耳にしています。これからの下関市政が間違った方向に向かわないためにも、当時どのような事実があったのかを市民に知ってもらうことも必要ではないでしょうか。先日、最低制限価格と全く同一の入札が2度もあったとの報道がありましたが、知人の業者の方の話では、この件は情報流出が無かったら絶対にあり得ないことのようです。福岡県警なら捜査に入っていたはずだがという話さえあるそうです。入札に関する汚い話は最近あまり耳にしなかったのですが心配です。
まず当面の課題は、この損害賠償事件が市民の納得できる解決に至ることが第一です。
◇当時在校していた者としての意見(下関市立大学卒業生 24歳男性)
私は平成23年4月に下関市立大学経済学部に入学し、平成27年3月に卒業した卒業生です。貴紙の調査報告書、下関市立大学トイレ改修工事に関する「彼らはなにを隠しているのか」を読み、居ても立っても居られない気持ちになりました。稚拙ですが意見を述べさせて下さい。現在、親族が市役所関連の職場で働いているため、匿名で述べさせて頂きます。
私が入学した春にまさに事件が起きました。当時は事情が全く分かりませんでしたが、市大の二つの講義棟の一つであるA棟(3階建て)の2階と3階のトイレが全て工事中(解体中で瓦礫状態)で、入学から夏休み(8月)まで使用できず、多くの学生が授業時間の間の休憩時(10分間)に残されたトイレに殺到し、渋滞だったことを覚えています。一部の学生は、空きトイレを探して、事務棟や体育館(A講義棟から往復10分)まで行っていました。当然、次の講義には遅刻となります。
こういう馬鹿馬鹿しい騒ぎが春学期中続いたわけです。当時、新入生はなぜ新学期までにトイレの様な基本的施設が整備されないのか、大学の姿勢が理解できませんでした。貴紙の報告書を読み、ようやく全体像が見えてきました。当時の大学執行部は、大学の主体である学生の事よりも外部の利害関係者に忖度して、金もエネルギーも投入していたのだなと感じました。心底より怒りがこみ上げてきます。貴重な金と時間を返してくれと声を大にして喚きたいです。
私が特に悪質だなと思うのは荻野理事長です。事件当時から今日まで一貫して、当事者であり大学の執行部に在籍していたのは彼一人です。当然、和解の内容もその背景も経緯も熟知しているでしょう。また和解金の回収状況も(遅延しているのならその事情も)、市の執行部の議会答弁の背景事情も熟知しているはずです。報告書によれば、現役の本池市議の面会も頑なに拒否しています。市議は市民の代表でしょう。市民に対する説明責任など、一かけらも感じていないようです。このような方が知性と論理を重視する大学の最高責任者とは異常です。
市大には下関市民の血の出るような一円一円、汗にまみれて納めた税が投入されています。市大生は1人当たり4年間で約250万円ものお金(入学金、授業料など)を大学に納付しています。このお金は両親の労働により、あるいは本人の連日のアルバイトによってかき集めたなけなしのお金です。その思いが蹴散らされ、入学早々、落ち着いて受講もできずトイレを求めて右往左往したわけです。貴重なお金も学外の他者に貢がれ、あぶくの様に消えていきました。とてもとても情けなく悔しい限りです。
この際、9月市議会には荻野理事長を是非とも召喚し、細部に至る説明をさせるべきだと思います。市議会に欠席、あるいは出席しても納得できない説明の場合は、任命権者の市長は理事長を即刻解任すべきだと思います(当然、退職金は払うべきではありません)。市大の先生方も、理事長が説明責任を尽くすよう教授会で決議を上げて下さい。
荻野理事長はこの8年半(3年間は学長・副理事長、5年半は理事長として)、高給を受領しています。おおよそ合計1億2000万円は受け取っています。理事長退任後は高額な年金を毎年受け取っていきます。
この間、教育・研究のためになることをやるどころか、逆に大学のレベル・イメージを下げることを行い続けてきたように思います。教員に対する管理の強化で嫌気がさし、優秀で学生に慕われている教員が多数、他大学へ転出されていきました。また中尾前市長の修士号問題の時はまさにその中心人物でした(中尾修士論文の審査委員長)。みずからの市長に対する指導の不適正さが教授会の反発を呼び、あのような問題となりました(市大教授談)。それに対する弁明は一切聞こえてきません。そもそも学長選挙で圧倒的に敗北し、学長退任に追い込まれた当事者(荻野氏)が中尾前市長に取り入り、翌月には昇任して理事長就任という、他市では考えられない漫画のようなことが下関市では起きました。
今回のトイレ問題は、民間企業であれば、背任罪で株主代表訴訟へと発展していく事案です。少なくとも職務専念義務違反でしょう。明らかに回収すべき1610万円が不明であり、その説明すら拒否するという信じられないことが起きています。およそ法治国家では考えられないことが下関市では日常的に起きています。
まずは9月市議会の場で荻野理事長に説明を求めることが必要です。このまま来年3月の任期切れを待ち、高額な理事長退職金(数百万円)とともに平穏に下関市から退出させてはならないと思います。
かつて下関市立大学は小粒ながら地方の一角できらりと光る存在でした。市民に愛された宝でした。現在、「汚れ」によって凌辱され、薄汚れたイメージも感じられます。
下関市民の宝を返せ。下関市立大学を返せ。
◇マスコミの使命とは (匿名希望 60代男性)
下関市立大学のトイレ工事の調査報告書を興味深く読んでいます。最近はどの新聞も市政についてほとんど報じていません。私が購読している新聞も、下関版となっていても下関市政の記事が載ることはほとんどないような印象です。一生懸命働いている記者さんには申し訳ないのですが、街のちょっとした話題的な記事が多すぎるのではないでしょうか。たまに出ることはあるが、市発表をそのまま載せたようなおざなりな宣伝、PR記事がほとんどという印象です。なにか「市報しものせき」と印象がダブってしまいます。市政に関するニュースを第三者の目で市民に報せてほしいと願っています。
マスコミの使命は報道とともに権力ウォッチャーとしての役割も重要です。モリカケ問題に見られるように、権力の私物化、特定の人間関係や利害関係者のための政治が横行しています。トップは口先ではなるほどというようなことを言うが、本当に口先だけ。反省もなし。議会も無力。役人も権力に追随するだけ。権力者の横暴を誰もチェックし得ないのが現在の実状です。いまこそマスコミの重要性、存在価値が問われます。今日、新聞社の使命は重要です。
その点では、このたびの下関市大の調査報告書の報道は、市政運営が適正、妥当であったかを調査、分析したものであり、私がかねてから望んでいた報道の一つでした。このたびの調査報告書を報道しなかったら、市も市大もいい加減な処理で終わらせていたと思います。そして、このごまかし手法が今後のごまかし市政の先例になったことでしょう。
しかし、貴社の報道によって、市民をないがしろにした市政は議会は騙せても市民は騙せないぞ、そして結局高い代償を払わされることになるぞという教訓を与えたはずです。貴社には地元にある新聞社として、下関市政の報道と監視の役割を是非果たしていただきたいと思います。市発表のままのような市政報道ではなく、市民の立場になっての市政報道をこれからもお願いします。
◇市議会も役割を果たすべき(匿名希望)
国会中継、特にモリカケ国会を見ていると総理大臣はじめ大臣、役人のウソ答弁、ゴマカシ答弁、はぐらかし答弁に腹が立つばかりである。国民生活の現状や国民感情が全く分かっていない人が政治や行政を行うと、好き放題でこのようなことになるのかなと、やり場のない怒りに血圧が上がりっぱなしである。
調査報告書を見ると、下関市議会も似たようなものではないかと心配である。
まず、この件についての市議会総務委員会での報告である。市の課長は市大から「議会に和解したことは報告しておいてくれ。和解内容は非公表だから言えないと答えておいてくれ」とでも言われて市議会に報告するに至ったのだろう。あのような無責任でいい加減な答弁を、なぜ市議会は許しているのだろうか。
次に一般質問への答弁である。議員はあらかじめ質問項目をかなり詳しく市側に伝えているらしいが、全く質問に対する答弁になっていない。簡単な質問なのにまじめに答えていない。市は市大から和解内容をまったく聞かされてないままで議会に出たのだから、失礼ではあるが、これではまるで子どもの使いだと言われても仕方がない失態である。議会も議会である。議会が軽視あるいは無視されているのに議長がどうして「きちんと答えなさい」と言わないのだろうか。これからは議長の采配も注意して見ていく必要がありそうだ。
議会がその本来の機能を果たすためには、質問に正直に向き合った答弁があることが基本である。下関市議会はいつもこんな調子なのだろうか。それともこの問題が例外的な扱いなのだろうか。これまで議会に関心がなかったが、議会全体でゴマカシ答弁には厳しく対処してほしい。
わが町内からも市会議員が出ている。あれもした、これもした式で功績を誇っているが、そんな選挙目当てのミゾブタ式のことを誇りにしているようでは困ったものである。選挙のためにはそれも大事かもしれないが、われわれが望むのはとかく堕落しがちな権力者や役人の政治、行政が適正に行われているかのチェックである。政策のチェックは議員各自それぞれのバックの違いや考え方の違いがあるから、同一歩調は難しかろう。しかし、公金の損害賠償請求については、議員によって考えが違うことはないはずである。
報告書の事件の概要を見ると、この事件はうっかりミスによる損害発生ではない。当初から予測できた、起こるべくして起きた、まさにストーリー通りとさえ思われる損害発生のようである。その損害賠償だから、即刻、全額賠償せよと求めることは当然である。事情により即刻、全額が難しいのなら、こういう条件で分割返済を認めましたと議会へ言うのもこれまた当然のことである。それなのに、非公表という和解をしたから返済条件等は何も言えませんということを許している下関市議会は何なのか。このようなことを許していては議会本来の役目であるチェック機能を果たせないのは当然である。
このような答弁を許してはならない。今後の市議会議長の采配に注目しよう。
◇市職員として一言(下関市職員)
調査報告書に市大理事長が市会議員の面会を断った、市大事務局長が返事をすると約束をしながら返事をしなかった、失礼ではないかということが出ていました。親しい職員が集まった席でも、話が理事長と事務局長のことにおよび、いろいろな意見が出ました。市民に私たち若手、中堅クラスの考えも知っていただこうではないかということで投稿しました。
まず、市職員が失礼な対応をとることは決してありません。その点は常に注意して市民に接しています。市会議員からの面会要請を断るとか、市会議員と約束しているのにその後、何の連絡もしないということは、これまで聞いたことがありません。市民代表である市会議員だけではなく、すべての市民に対して約束したことは実行します。約束したがどうしても実行できない場合は、速やかに連絡します。そうしないと公務は成り立ちません。
ただ、市職員のすべてがそうかというと、残念ですが「人を見て」対応を変える職員が、特に幹部職員にいることは否定できません。「人を見る判断基準」は職員によって違いはありますが、幹部職員の人を見る判断基準は大体「権力」のようです。権力を持つ人か持たない人か、権力に近い人か遠い人か、それによってはっきりと対応を変える人、変わる人がいることは事実です。
庁内では権力追随型はまだしも、権力迎合型の職員は同僚や部下からも冷ややかに見られています。しかし、権力迎合型の職員は周囲の視線や声を気にしないというか、本人自身は全く気付かないという特性を持っています。気付いても権力迎合型で何が悪いという考えのようです。また、そのような人を権力者や上司が自分に都合の良いように便利に使おうとしています。だから、いなくならないと思います。
私たちもそれで良いとは思っていません。ただ、権力迎合型職員は本人に直そうという気はないし、部下職員ではどうすることもできません。議員や市民の方々によって、強く反省を求めていただくしかありません。ほとんど全ての職員は、市民のためにという崇高な使命感をもって職務に専念しています。権力者にいたずらに迎合することなく、高い志をもって職務に励んでいます。
なお、市大トイレ工事の件については、詳細が分からないので自信をもって意見を述べることは出来ませんが、報告書を読む限りでは、市と市大の対応はおかしいのではないかというのが、私たちの中では全員一致の意見です。一般職員から見ると、理解し難い対応をしているなというのが率直な感想です。市民には一層理解できないだろうと思います。
議会での質疑応答一つとってみても、市も市大にも自然さがありません。答えられるはずだし、答えるべきなのにどうして正々堂々と答えないのだろうか、何かあるのかと思わせるような不自然さを感じます。私たちからみてもそのように感じるような市政ではいけないと思います。一刻も早くこの問題を解決し、市民の信頼を失うことが無いようにしないと、他の市の業務にも悪影響を与える恐れがあります。全ての市の業務が市民から不審な目を向けられるような下関市政にしてはならないと思います。
私は、下関市の発展と下関市民の幸せのために全力で頑張ることを改めて誓います。
◇なぜ真相解明を拒むのでしょうか(匿名希望 読者)
最近の市政に関連する報道の中で、これほど怒りを覚え残念だったことはない。
市大トイレ工事損害賠償事件である。市民にしろ、公務員にしろ悪いことをしたら罰を受けることになる。しかし、この損害賠償事件は、何か悪いことをしているのではないか、おかしいことをしているのではないかと疑わせるものは十分あるが、行政の中の出来事として、公務員がズルく真実を覆い隠して、それで終わりにしようとたくらんでいるとしか思えないのである。公正、公平、透明性のある市政を進める責任のある公務員が、市民からみたら非常にズルいやり方をしている。このことに腹が立つ。
最近、国政においても権力者の権力私物化、不公平行政が国民から非難を浴びているが、下関市政でも同じようなことをしているのではないか。
第一に、市民のお金を公務員の違法行為(このことで市大職員は逮捕されている)によって失くしたのに、なぜその返済方法などを市民(市議会)に言わないのかである。市民に言わない理由は「和解」を理由にしているが、和解を理由にして返済方法などを市民に言わないことは、理屈として成り立たないことは明白である。これが成り立つというのなら、それは市政ではない、ヤミ社会だ。下関市ではそれが解らないようなものが行政を司っているのか。
例えば、あなたがお金をAさんに預けたとしよう。Aさんが預かったお金の一部を友人のBさんに貸した。「Bさんは借金が多いし、貸しても戻らないよ」と周囲の人に言われたにもかかわらず、Aさんは担保も取らずBさんに貸した。案の定Bさんは借金を返せなくなった。
そのことを知ったあなたはAさんに「Bさんからいつまでに返してもらえるのか。利子はどうなるのか」など返済条件を聞くはずだ。聞いたところがAさんの返事は「返してもらうから安心してくれ。いつまでに返してもらうとか、利息などはAとBとの間で、だれにも言わない(非公表)という約束をしているから言えない」。あなたがAさんに何回聞いても「Bさんと非公表という約束をしたからいつまでに返してもらえるか、利息はどうなっているかなど話せません」の一点張り。数年たってAさんに「現在までにいくら返済されているのか」と聞いても、非公表を理由に教えてくれない。
Aさんのこの説明であなたは納得できますか。AさんがいくらA、B間で非公表にしようと約束しようが、あなたに返済状況などを説明しなければならないのは当然のことである。AB間の非公表という約束は無効だ。
市大のケースも同じようなことである。市大のお金、すなわち市民のお金を失くした市大が、その返済条件などをお金の主である市民(議会)に説明するのは当然のことである。それを市も市大もかたくなに拒否している。
市民に説明しなければいけないという子供でも分かる理屈が、どうして市や市大には解らないのか。市の総務部長、総務課長といえば市の中心的存在ではないのか。市大の理事長、事務局長といえば市大のトップと事務局のトップではないか。市政への信頼、大学への信頼を失墜させている。とにかく返済条件、返済状況などを市民に隠しとおすことは出来ない。
次に本池市議に対する面会拒否である。これが大変失礼なことであることは論をまたないが、問題は面会拒否の理由「総務部長答弁と同じだから」である。軽くあしらったのか、苦し紛れの逃げ口上だったかは分からないが、余りに酷過ぎる。
松崎(元)総務部長は、「聞いていないから知らない」の答弁でも、無責任のそしりは免れないが、ウソをついているとは言えなかった。しかし、荻野理事長は和解当事者である。荻野理事長の「和解内容は聞いていないから知らない」というのは明らかなウソと断言できる。「ウソをついてはいけない」は子供の教育の第一歩ではないか。それを最高学府のトップがいくら責任回避したかった、逃げたかったにせよ、ウソをつくようでは何とも言いようがない。逃げようがないのである。
面会拒否については砂原事務局長を窓口にしての話である。事務局長もこの面会には関与しているはず。事務局長のアドバイスも影響したはずだ。理事長に「問題を少なくし、早く解決するためには会って話をした方がいいですよ。合わない方が問題を大きくしますよ」とアドバイスするのが事務局長の務めではないのか。元々そんなことは望めない人なのか市関係者に一度評価を聞いてみたいものである。理事長はこれまでの一連の言動でどのような人かおおよその見当はついた。事務局長が良識をもってサポートしないと、事態は悪い方へ流れていくばかりである。
◇市役所OBとしても一言(市役所退職者 男性)
現役市職員の投稿があったので、OBとしても一言述べさせて頂きたい。近年、職員が頑張っているのは一市民として私も認める。私が現役のころに比べると職員の接遇などは格段に良くなっている。ただ、組織中枢にいる幹部職員の法令知識や理論構成などは弱くなっているように感じる。その理由としては議会の弱さにも原因があると思う。
法律や理論、議論に強い市議、クセのある市議が少なくなり、もの分かりが良いというか悪いというか、理論展開する市議が少なくなり、市議会での討論に厳しさが無くなったのが主たる原因だと思う。市議会での答弁があのような答弁で済むのかと思うような議論が多すぎる。市大の損害賠償事件の答弁は、議会答弁と言えるものではない。まさかこれが下関市議会の実態かと苦笑を禁じ得ない。他市に対しても恥ずかしくなる。
市大のトイレ工事に関しては、どう考えても市と市大のやり方はおかしすぎる。常識の範囲を超えている。どこか後進国での出来事かと思うほど無茶苦茶である。このような答弁だと、我々の頃なら「議会軽視」ということで執行部はつるし上げられ、市議会は完全にストップしていたはずである。それがいいとは思わないが、市民からすればチェック機能をはたさない議会より、少しは行き過ぎがあってもチェック機能を果たしてくれる市議会の方が良い。
先の職員の投稿に権力迎合型職員の話が出ていたが、議会審議が形骸化してきた原因の一つにこのような職員の存在がある。このような職員は昔からいた。だが、今ほど極端に市議会の場で発言することは出来なかった。このような職員は、これを望む上司がいる限りいなくならないと思う。ただ、若手、中堅職員がこのような職員を軽蔑しているようなのでホッとした。これから先もその考えを失わないでほしい。
現在残っている古参職員の中で、即座に顔が浮かぶ人はいる。この職員は昔から議会、委員会に出ても上司はどういう発言を望んでいるか、どういう発言が上司のためになるかを基準に答弁しているようであった。市政はどうあるべきか、市民のためにはどうすることが最善かという発想はなく、ただ、上司が望み、喜ぶ発言が最善という発想のようである。これまでの私の経験ではこのような職員が、議会審議の重要場面で立ちはだかり、真相究明、問題解決の邪魔をするというのが大体のパターンである。
森友学園、加計学園の国会審議でも見られるように、国も市も真相究明を妨害する公務員が出てくるはずだ。彼らは一時的には便利に使われるが、結局破滅している。因果応報。
市民は市大の価値をそれほど知らないようだが、私は、市大は下関市の宝だと思っている。市大があることによって大きな経済効果がある。学生によって地域の文化度も向上する。市大生は概してまじめで性格も良い学生が多いと聞く。地方都市の大学としてはキラリと光る存在で、他の大学からも評価されていると聞く。過去、これまでの教職員の多大な努力によって築かれたものである。
これに比べて最近の市大の幹部である。元理事長は損害が発生しても責任は取らず無責任。元事務局長は、何重にも事務ミスを重ねたための損害発生であり、損害発生に関与したのではないかとさえ言われている。現理事長は損害発生と損害賠償に関与しているのに何一つ責任を取らず無責任。現事務局長は損害賠償事件には直接的な関は与していないが、その処理においては責任から逃げている。こんな人たちに市大を食い物にされたくない。理事長については悪い話はあっても、明るい話はほとんどない。少なくとも職責を果たさない、危機管理、対応が出来ない理事長はいらないのではないか。
さて、9月19日の市議会総務委員会審議である。真相究明のキーマンは市大の荻野理事長であることは調査報告書でよく分かった。一番よく事情を知り、一番責任があり、一番責任がある地位にいるのが荻野理事長である。荻野理事長がすべてを語ることが真相究明の第一歩であり、市民誰しもがそのことを願っている。この問題についての質問にきちっと答え、早く市民への説明責任を果たしてほしい。これもできない者が教育機関のトップに居ることには我慢が出来ない。これまでどおり無責任にごまかしてやり過ごせば下関市民はごまかせるというやり方をするのなら、我々ももう一段ギアを入れなくてはなるまい。
議会審議の際、トイレ工事について中途半端な知識しかない職員、責任を取り得ない職員、権力迎合職員などがしゃしゃり出て議論を妨げ、真相究明を妨げることが無いよう多くの市民とともにつよく望んでいる。私も注意深く見ていこうと思う。