すべてが米軍優先の街作り
山口県岩国市では、米軍の「アジア重視」戦略のもとで90年代から米軍基地の大増強が進み、20年たった今では厚木の艦載機部隊移駐をはじめとした計画が動き、極東最大の米軍基地になろうとしている。このなかで、基地が沖合拡張によって大規模化しただけでなく、市街地も大胆な都市改造によって変貌し、「夢の住宅団地」ができるはずだった愛宕山は米軍住宅として奪われ、さらに基地に向かって巨大道路が次次と接続するなど、何事も米軍最優先の街作りが進行してきた。フェンスの向こう側だけが異国というのではなく、岩国全体の要塞都市化といえるものだ。こうした問題とかかわって、今度は愛宕山の米軍住宅にとって邪魔になったゴミ焼却施設を海側の低地に移転させる計画が動いており、しかも事業の進め方が不可解すぎることから問題になっている。
煙突の高さ制限で煙りは市民の頭上に 管制談合指摘される業者選定
平成20年ごろから岩国市では、愛宕山にあるゴミ焼却施設を移転させる事業が動いてきた。10カ所ほどの候補地のなかから決まった場所は、帝人などの工場群がある日の出町の埋立地で、すでに昨年から建設工事に入っている。2019年3月に完成し、4月から稼働する予定となっている。現在、岩国市には愛宕山と玖珂町の「周陽環境整備センター」の2カ所に焼却施設があるが、日の出町に完成後は玖珂町の焼却施設は廃止して、日の出町の新施設の1カ所に集約する予定だ。
新ゴミ焼却施設の設計、建設、稼働後20年間の運営まで含める事業を落札したのはJFEエンジニアリング(神奈川県横浜市)で、落札額は279億4000万円。平成27年の6月議会で工事請負契約の締結が承認され、翌月から工事が始まっている。事業費の75%は防衛省から補助金が下りるもので、残り25%を岩国市が起債と一般財源で捻出する。
説明前から「決定事項」 危険で不便な海べり
岩国市のゴミ焼却施設を移転する計画が動き始めたのは平成20年ごろだったが、当時築20年にも満たない施設を「老朽化」を理由に移転させることに、多くの市民が疑問を抱いて反対の声を上げてきた。しかし計画は変わることなく進み、初めて説明会が開かれたのは平成23年だった。東地区の自治会長を対象にしたその説明会では、反対意見や懸念する思いを表明する人が多くいたが、計画はすでに「決定事項」になっており、意見に対するまともな回答はなかったと当時を知る人人は語る。一般市民に説明されたのはそこからさらに2年が経過した平成25年で、「なにをいっても無駄」という空気も広がるなかで東地区の住民は計画を受け入れざるをえなかった。
市民が懸念している一つは焼却施設が建設される場所だ。日の出町の埋立地は岩国市の端っこの海べりで、1市6町1村合併によって広大になっている岩国市全域のゴミを運んでくる適地とは到底いえない。かかる時間や労力だけ考えても非効率であるうえ、とくに東地区は町並みが古く、米軍基地が占拠しているために土地が狭い。駐車場の整備などもあまりされておらず、保育園の送迎や買い物などのさいには路上駐車する人も多い。そうした地域をゴミ収集車両が1日540台も行き交うことになれば、渋滞や接触事故の危険性が増すと心配されている。
そして現在、市街地よりも高い山の上にある焼却施設を、なぜわざわざ海抜の低い海べりに移転させるのかという疑問が語られている。日の出町を含む東地区はかつて台風で浸水した地区でもあり、東日本大震災も起きた後で「税金を使って建てる大事な施設を海のへりに建てて、台風や津波が来て使いものにならなくなった場合どうするつもりなのか」と心配する声も出た。しかし当時の担当者は「大きな災害が起きれば広い土地でまとめて瓦礫なども焼却するので焼却施設はいらない」と回答し、自治会長たちを唖然とさせた。
米軍基地の周辺では飛行演習の障害にならないよう建物制限がとられている。日の出町にある帝人では戦後、米軍機の飛行の邪魔になるという理由で煙突を切断させられたが、焼却場建設地でも30㍍以上のものをたててはならない決まりがあるため、高い煙突をたてることができない。本来、ゴミ焼却施設は住環境から離れた山のなかや山の上にあり、そこから煙突で煙を放散させるものだが、岩国では低い位置になるうえに低い煙突で大気中に放散させ、より市街地に降り注ぎやすい条件になる。とくに天候の悪い日にはダイオキシンなどを含む気体が低い場所にとどまるため、日の出町の工場群や保育園、小学校を含む一帯を淀んだ空気が覆うことにもなりかねない。
本来なら住環境を避けるはずのゴミ焼却施設をより住環境に近い場所に持ってくる。通常なら考えられないような事業であるが、現在のゴミ焼却場は愛宕山の米軍住宅建設地に隣接しており、「汚いもの(焼却施設)を移転させろ」という米軍の強い意向が働いているからだと誰もが見なしている。また移転先の日の出町は川を挟んで米軍基地と向かいあっており、将来的に米軍と共用することを伺わせている。
学識経験者の判断覆る 30億高い業者が受注
米軍にとって邪魔な施設を移転させるためのこの事業は、防衛施設庁が七五%を負担する。沖合拡張も基地内の住宅整備もみな日本側の負担でまかなわれ、しかもつかみ取り方式であることは、ゼネコンや関連企業のなかでは常識のようにいわれてきた。今回のゴミ焼却施設建設もご多分に漏れず、業者選定について官製談合疑惑が指摘され、巨額見積もりを出した企業が選定されたことが問題になっている。
「岩国市ごみ焼却施設整備運営事業」の業者選定にあたっては、学識経験者と市職員による技術審査委員会が組織され、平成26年2月の委員会で業者選定に総合評価落札方式を適用することが決まった。総合評価落札方式とは、価格と価格以外の要素を含めて総合的に評価する落札方法で、入札前段階で業者の技術提案を審査委員が評価する。このたびの事業の技術審査委員は7人で、そのうち3人は山口大学名誉教授(宇部環境国際協力協会理事長)、全国都市清掃会議技術部長、山口大学大学院理工学研究科准教授の学識経験者だったが、残りの4人は当時の岩国市の総務部長、総合政策部長、環境部長、都市建設部長だった。
平成27年1月に委員による技術評価がおこなわれ、JFEとタクマテクノスの2社が参加した。両社の提案に対して、学識経験者の委員3人はタクマを評価したが、市職員4人がJFEを評価し、JFEは高い技術評価点を得ている。予定価格311億2344万円に対し、JFEは279億4000万円、タクマは249億7000万円で30億円もの差額があったが、「技術評価点」を加味した結果、評価値が高かったJFEが最優秀提案者として選ばれ、同年3月9日に決定、6月議会で承認されている。つまり、市長の部下にあたる市職員4人の判断で業者が決まった。
地方自治体で総合評価落札方式をおこなう場合、2人以上の学識経験者を入れることが決まっているが、それを上回る市職員が投入されて、しかもまるで役所内で認識を共有しあっていたかのように4人が同じ業者に軍配を上げ、学識経験者3人の判断を覆したことに不信が募っている。そして30億円も高い落札額を示した業者が受注したのだった。
すべて騙しの米軍増強 極東最大基地化狙う
ゴミ焼却施設移転・建設をめぐる一連の出来事は、同事業を問題視する人人のなかでは明らかにされてきたものの、一部議員が執行部を追及するだけで市民のなかに広く知らされることはないまま現在まできた。焼却施設をめぐる問題に限らず、岩国市ではすべてが米軍最優先・防衛省主導の事業が進められ、「計画」は市民に明かされるときにはすべて「決定事項」になっている。そして、沖合拡張にせよ、愛宕山開発にせよ、すべてがだましであった。
ゴミ焼却場の計画が浮上した当時を知るある住民は、「自治会長に対して初めて説明会がおこなわれたとき、配られた資料に“交付金で建てることになりました”と書いてあった。意見は出たが誰がなにをいってもダメだった。“住民に対しての説明はしないのか”という意見も出て、市は“やります”といったが、住民説明会が開かれたのはそれから2年もたった後だった。移転計画に賛成した人は誰もいない。なにもいえない状況で承認するしかなかった。来年の1月以降にはF35が岩国に来る。基地交付金で駅や市役所、道路などが新しくなっても、それで市民生活が向上することはない。それを私たちは見てきた」と語った。
米軍岩国基地は90年代の埋め立て工事開始から約3000億円を投入して1・4倍(75㌶)に拡張した。港ができ、管制塔ができ、滑走路もできた。そこに殴り込み専門の海兵隊だけではなく、厚木からFA18スーパーホーネットなど空母艦載機59機・兵隊1900人、沖縄普天間から空中給油機部隊12機・300人が配備され、極東最大の出撃基地にしようとしているのが米軍だ。グアムに前線司令部を引っ込めて、日本列島を最大の核攻撃基地にするものである。
2005年に政府が「在日米軍再編についての中間報告」で計画を打ち出し、岩国市民にとっては寝耳に水で事態は動き始めた。基地拡張の土砂を吐き出し続けた愛宕山開発については、用済みになった2006年になって、山口県が唐突に事業廃止を表明。舞台裏で、防衛省から「米軍住宅用地として買い取りたい」と打診があったのを受けて、当時の二井県政が売り飛ばしに舵を切り始めた。当初から「大赤字必至の無謀な事業」「米軍に売り飛ばすつもりだ」と関係する人人はみんなが話題にしていたにもかかわらず、ごり押しして250億円の大赤字となった。しかし今度は大赤字をいいことに、米軍住宅誘致が動き始めるプログラムが進行していった。市民に対しては「新都市開発」「沖合移設」とかの夢物語を吹聴し、実は初めから米軍部隊の移転、基地拡張、愛宕山の米軍住宅化などがセットになった計画だったことを暴露した。
かつての岩国市は、三井化学、日本製紙、帝人、東洋紡などの工場群が海岸沿いに林立して市の経済を支えていた。東地区中心部は「人造絹糸で栄えた町」として通称「人絹町」と呼ばれ、最盛期はそれは賑やかだったと市民は語る。しかし米軍基地の増強とセットで市民経済は疲弊し、経済を支えてきた工場群も、米軍機の騒音がすさまじいうえに、米軍機の墜落事故、部品の落下などが頻発し、新規立地どころか既存の工場も縮小を強いられてきた。煙突を切断した帝人などは拠点を松山に移し、ピーク時に6000人いたといわれる労働者は現在1000人未満にまで減ったといわれている。産業が衰退し、人口減少の進行が県内でも深刻な地域として認識され、一人あたりの所得の低さも群を抜いた地域となった。基地支配を強め、その力が岩国全体を呑み込んでいく過程で、既存の住民生活が犯され、米軍住宅にとって邪魔なゴミ施設を住民の間近に移転させるという横暴がまかり通っている。戦後71年も経過しながら「そこのけ、そこのけ、米軍が通る」に拍車がかかっているのである。
岩国では2000年代の住民投票で8割の住民が空母艦載機移転に反対の意思を表明し、長年の沈黙を破って下から住民の行動が広がった。その力は現在、表面上はさまざまな要因が絡みあって押し込められているものの、その後沖縄で発展している基地斗争とも共通する感情を伴っており、強まりこそすれ弱まるものではない。極東最大の核攻撃基地になることは、攻撃するだけでなく攻撃されることも自覚しなければならないという事態のなかで、ゴミ焼却施設に限らず郷土岩国をどうするのか、基地を抱えた街としての命運が問われている。目下くり広げられているのは防衛施設庁の予算にぶら下がった利権のつかみどり大会である。しかし、「地獄の沙汰も金次第」でいくらデラックスな箱物を建設しても、一発で吹き飛びかねない関係にほかならない。