いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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17年も宙に浮く祝島の漁業補償金 契約の有効性乏しく時効が妥当

民法上の性質はっきりさせよ

 

 上関原発計画とかかわって、祝島の漁師たちが受けとりを拒否している漁業補償金の存在は大きな焦点になってきた。2000年に107共同漁業権管理委員会(関係八漁協で構成)が中電との間で漁業補償交渉を妥結し、祝島もこの決定に「拘束される」といって漁業権放棄の手続きを押し切ったものだが、当事者との間で受領関係が成立せず、17年にもわたって宙に浮いてきたものだ。上関原発計画が立ち往生しているのは、この漁業権問題が進展しないからにほかならない。この問題とかかわって、地裁岩国支部は12月21日、受けとりを迫った山口県漁協の書面議決について無効とし、県漁協には当事者適格がないと判断した。所有者の確定しないこの補償金について、改めてその性質をはっきりさせ、当事者が「いらない」と断り続けているものに始末をつけること、原発計画にケリをつけることが求められている。取材してきた記者たちで、経緯について論議した。

 

  先日の地裁岩国支部の判断はきわめてまともなものだった。県漁協には「当事者適格がない」というのが重要な点だ。問題は、そのように当事者適格のない県漁協が10億8000万円(祝島への配分額)を管理し、祝島の漁師たちに受けとりを迫っているということだ。この補償金を受けとってしまえば「漁業権放棄を認めた」という扱いにして、後付けで署名捺印をとっていこうというやり方だ。通常、漁業権放棄には組合員の3分の2の同意が必要だが、総会で直接漁業権放棄を問うのではなく、「受けとりますか?」「受けとりませんか?」にすり替えている。

 

  そもそも17年前に祝島の漁師たちの了解もなく結んだ「契約」に無理がある。当事者が出席していない、つまりテーブルについていないのに、よその漁協が漁業権放棄を決めるような権限はない。土地でもそうだが、勝手にカネを振り込んでおいて、受けとったら「所有権放棄を認めた」などというのは乱暴きわまりない話だ。しかし、祝島の漁業権を巡ってはそんなことが真顔でやられている。

 

  17年も経過して受領関係が成立していない漁業補償契約など既に無効だ。民法上も問題にしないといけないところにきている。この17年の間に水揚げ量も組合員数も大きく変化してきたし、法的根拠も揺らいでいる。祝島側からこの問題を裁判にでも訴えて、正面から問うてみることも必要なのではないか。

 

  あと、当事者適格のない山口県漁協が10億8000万円を握りしめていることについても問題にしないといけない。祝島はずっと受けとりを拒否して法務局に供託していた。これが10年そのままなら国庫に没収されるという段になって、勝手に引き出して今日に至っている。当時、祝島の組合員は国庫に没収させよと要求していたにもかかわらず、県漁協が引き出した関係だ。当事者適格がないのに、どうしてそんなことができるのかだ。

 

 A あのときに国庫に没収されていたら漁業補償交渉は水の泡になっていた。それこそ受領関係が成立せず、振り出しに戻ることを意味していた。だから、それを回避するために引き出して延長戦にもつれ込んだわけだ。これらのムチャが重なって、既に法的にもおかしな話になっている。10億8000万円は無主物と化しているのに、県漁協が持っているという不思議な光景だ。

 

祝島の漁業権は未決着 原発建設は立ち往生

 

  上関原発計画の場合、漁業補償金の支払い方法も通常とは異なっていた。2000年に107共同漁業権管理委員会が「妥結」して、その年の暮れに総額125億円のうち半額だけが関係漁協の漁師たちに支払われた。残りの半額は県知事が公有水面埋立許可を出してからという条件だった。本当に問題ないのであれば全額支払えばよいのに、そうはしなかった。ここに推進勢力の自信のなさがあらわれている。分割払いにして「もう半分」を鼻先ニンジンにする必要があった。なぜか? 祝島の3分の2同意に決着がついていないからだ。

 

中電の上陸を阻止する祝島の住民たち(2010年)

 しかし、2008年に二井関成知事が先走って公有水面埋立許可を出してしまった。祝島が争っていた漁業補償契約の無効訴訟で、最高裁が管理委員会の決定に「祝島は拘束される」という判決を確定させたことを受けて、漁業権問題は決着したと見なした動きだった。最高裁判決は「祝島の漁業権は消滅した」とは言明しておらず、きわめて曖昧な表現を使っている。そんなことはいくら最高裁でもいえないからだ。祝島の漁業権消滅を決定できるのは最高裁ではなく、祝島の3分の2同意以外にはない。従って、法的にも漁業権は生き続けている関係だった。しかも補償金すら受けとっていないのだから、漁業権が消滅するわけなどなかった。そうした問題を誤魔化して、いかにも祝島が抵抗してもムダなのだといわんばかりの雰囲気を作って、「もう原発はできるのだから、あきらめて受けとれ」とやった。公有水面埋立許可は一か八かの賭けみたいなものでもあった。

 

  「残りの半額は公有水面埋立許可が出てから」という約束に従って、中電は残りの半金も支払う羽目になった。祝島の漁業権問題が解決していないのにだ。このあたりから話が複雑になって、ねじれ現象が連続した。公有水面埋立許可は本来、関係漁協すべての同意を得たうえで手続きが進んでいく。そうでなければ許可が出たところで海に手を付けることができないからだ。しかも、3年経過して工事が完了していなければ許可がとり消されるだけでなく、現状回復が求められる。上関の場合、祝島の漁業権にケリがついていないのに埋立許可を出したものだから、中電は工事ができず、せいぜい海にブイを浮かべたり、石ころを放り込んだりして誤魔化していた。1年何もしなかったら許可がとり消されるから、春になると決まって工事着工パフォーマンスをしていた。その間にも祝島に対しては「受けとれ!」と執拗に迫っていた。

 

  補償金の支払い方にしても、公有水面埋立許可のやり方にしても、正規の手続きと完全に順序が逆になってしまった。公有水面埋立許可が出ているのに工事ができないというのは全国的に見ても珍しいケースだが、その理由はそういうことだった。このことからわかるのは、祝島の漁業権問題は法的にも決着がついていないという事実だ。何度も執拗に「補償金を受けとれ!」と迫る理由は、そこにあった。

 

  既に「漁業補償交渉の妥結」から17年が経過した。当事者の了解もなく結んだ「契約」が無効であることも当然だが、17年も宙に浮いてきたものの有効性を争っていること自体に疑問がある。推進勢力からすると“勝つまでジャンケン”方式でごり押ししたいのかもしれないが、既に無理がある。問題をしっかりと客観視して整理する時期にきている。行政が歪められているし、水協法や漁業法が歪められている。

 

  この間、祝島の懐柔に乗り出してきたのは山口県漁協本店だが、ことごとく失敗している。われわれから見ているとお粗末きわまりない手口だなと感じるものがある。県漁協組合長は上関町室津白浜出身の森友信だが、上関海域をしめているボスは旧上関漁協の組合長をしていた大西一治だった。この大西が亡くなったことが少なからぬ影響をもたらしているようだ。あの男が祝島懐柔のために直接手を突っ込んでいた時期と、昨今の動きは明らかに変化がある。一言でいえばプロと素人ほどの違いだ。力業で抑えてきたボスがいなくなり、いまや推進勢力のなかで祝島をひっくり返すほどの知恵や人脈を持っている者がいない。駒不足といってもいい。

 

 手を突っ込むということは、祝島の人心まで含めて掌握し、誰がどういう心理になっているのか、誰と誰が親戚で、誰と誰が仲違いをしているかとか、カネを欲しがっているのは誰かなど、すべて知悉したうえで仕掛けていくということだ。そして祝島のなかで影響力を持っている人物を支柱としてとり込むことが必要だが、それらをやってのける人材がいない。推進勢力からすると、山戸貞夫が力を失ったというのが最大の誤算だろう。そして大西も鬼籍に入った。中電が本気になったときはこんなものじゃないという思いもあるが、どうも訳がわからない県漁協が祝島崩しの任務を放り投げられて、なおも山戸を頼りにして独り相撲をしているような印象だ。背後勢力のフォローが見られない。

 

  原発計画そのものが塩漬けになっているのとも関係している。再稼働だけでも手一杯で、しかも伊方3号機のように高裁判決で稼働停止になるご時世だ。新規立地については当面動かしようがない。そのもとで、ダラダラとした延長戦が続いている。従って、終止符を打ってしまうことが現実課題になっている。祝島の漁業権問題をきっちりと整理して振り出しに戻すことが完全決着の近道だろう。35年前のスタート地点まで引き戻して、「あと何年やるつもりなのか?」を問わないといけない。

 

漁業中心に地域振興を 恵まれている漁場

 

  町内では人口減少がすさまじいことになっているが、国策によって35年翻弄されてきた傷跡は大きい。これは戦後賠償を求めてもいいくらいだ。見込みのない原発にいつまでも振り回されるのではなく、今ある産業に根ざして地域を振興していく道へ進むことがもっとも現実的だ。

 

  頼りになるのは海と山だ。あと、人情溢れる町なのも疑いないものだ。都会にない魅力こそが上関の取り柄なのだから、「原発が来なければ町が潰れる」といって嘆いているような状態と決別することが大切だ。開き直って産業振興している田舎の方がよっぽど魅力的で、東日本大震災の後は都会から地方への移住者も目立っている。わざわざ福島の二の舞覚悟で原発をつくるような愚かなことをしてはならない。福島の痛みを絶対にくり返してはならないし、これは上関町という立地自治体だけの問題にとどまらない。

 

  産業振興策がまともに機能していない状態を克服することが必要ではないか。漁業だけ見ても海のポテンシャルはよそに比べてはるかに上だ。瀬戸内海の心臓部といわれるほど豊かな海を持っている。田布施でサワランジャーというグループがサワラ漁を研究して有名になったり、田布施漁港の産直市に消費者が押し寄せているが、努力や工夫次第で魅力を発信することはいかようにも可能であることを教えている。嘆いてもどうしようもないのだから、他人以上の努力や工夫をしてみることが大切だ。

 

 例えば祝島でもタイは有名だが、下関の唐戸魚市では、締め方を工夫した“肥塚のタイ”と呼ばれるゴチ網で獲れるタイが高値で取引されている。肥塚さんという漁師が扱っているタイなのだが、水揚げしてからもストレスをかけないように管理して、なおかつ締め方が抜群なものだから身持ちが違う。それで高級料亭などが欲しがる。単価の安い魚をたくさん獲って稼ぐのではなく、1匹ずつを丁寧に扱って単価を上げる工夫を施す方向へ流れは変わっている。祝島の漁師たちがその技術を習得して“祝島のタイ”の価値を上げていくなら水産市場でも大歓迎されるだろうと思う。祝島だけでなく、上関の漁師たちが同じ締め方や管理をすれば、上関の魚は違うと評判になるかもしれない。共同出荷もなく個別バラバラな状態に置かれているのを解決することが急がれる。

 

  今年は瀬戸内海でも岩国近海にイワシが豊富に入ってきて、サワラなども増えているという。サワラの研究が進んでいる山形ではキロ3000円で扱われている。キロ数百円で買いたたかれているなら、まだまだ価値を上げていけるし伸びしろはある。年配漁師の知恵や経験と若い漁師の努力や工夫が融合すれば、もっと面白い産業振興ができるはずだ。

 

  現状でも広島に料亭を持って稼いでいる漁師グループは上関にいる。商売上手だ。1人では限界があるけれど、協同化すればできないわけではない。原発で分断されてきたが、足を引っ張り合うのではなく、みんなで盛り立てていく方向に転換できれば楽しくもなると思う。決して簡単なことではないかもしれないが、全国の漁業地域が苦労もしながら漁業と向き合っている。同じ土俵で勝負しようといったとき、上関はむしろ恵まれている。漁場が豊かなのだから。

 

 C 漁業補償金の問題から漁業振興の課題へとテーマが広がってしまったけれど、目先のはした金で失ってはならないものがある。海もしかり、郷土の暮らしもしかり。やはり自分たちの手と足と頭を使わなければ何事もうまくいかない。この35年間、原発を作らせなかったことは山口県民の誇りだと思う。最終的に断念に追い込むまでもう一歩のところにきている。全県、全国にも実情を知ってもらって、世論を広げることが力になる。新年早々に町議選もあるが、原発終結が現実課題だ。

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