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シーモール下関が迷走する背景 イズミ誘致で商圏は既に飽和状態

 下関駅前の大型ショッピングセンター・シーモール下関では、リニューアル工事が本格的に動き出している。夏頃から始まった既存店舗の閉店や移動が本格化し、年末商戦の時期にエスト1階や専門店街2階、3階など、壁に覆われた部分が急増し、訪れる市民を驚かせている。リニューアル計画をめぐっては、当初より全体構想も日程も不透明な状態が続き、多額の負担が迫られる地元店のなかで不安が語られてきた。結果的に今年後半から年末にかけて、撤退を決断した地元店が多数閉店していった。年明けに閉店を予定する店舗もあり、リニューアルが地元店の撤退を促す契機ともなっている。全国的に消費購買力の低下のもとで大手同士の競争が激化し、中小資本の淘汰が進んでおり、シーモールにとっても無関係ではない。このなかで地元商業振興を掲げて設立したシーモールなり下関商業開発がどの方向に進むのかは、下関の商業全体の振興ともかかわった問題として見過ごせないものとなっている。

 

 今月5日、運営母体である下関商業開発(株)がようやくリニューアル構想を公式に発表した。下関商業開発の発表によると、リニューアル後のシーモールのコンセプトは「地方課題の解決、“ちょっと先の未来”を提供する商業の実現」だ。高齢化社会や若者世代の地元離れ、ネット環境の進化にともなうリアル店舗離れ、衰退する商業等の課題に対し、「世代を超えた人々が交流する集いの場、“ちょっと先の未来”を提供する商業の実現」を目指すとしている。

 

1階フードコートのイメージ

 1階はエスト部分に約500坪のフードコート「KITCHEN448(キッチン ヨンヨンハチ)」を新設。ハンバーガー、うどん、どんぶり、クレープ、アイス、ドーナツなど8店舗・約500席をもうける。現在も営業中のロッテリアなどが移動するほか、市内にも多数出店しているうどんチェーン店などが入る予定だといわれているが、正式な店名は明らかにしていない。

 

 2階のメインはスウェーデンのファッションブランドH&M(約600坪)だ。2008年に日本に初出店し、現在国内に79店舗を展開しており、山口県内では初出店となる。H&Mは博多に店舗を持っている。小倉ではなく下関側に出店することで、小倉・門司周辺、山口県双方の商圏獲得を視野に入れているのだといわれている。

 

 3階のメインになるのはベビー・キッズ用品の大型店(約300坪)だ。当初交渉を進めていた企業の了解が得られなかったとかで、別のベビー・キッズ用品店が、大丸に接するスペースに出店するようだ。

 

 4階にはスポーツ関連ショップの大型店が約580坪の広い面積をとって入る予定としている。当初から、「ムラサキスポーツに断られたらしい」「ゼビオもだめで、ヒマラヤも難色を示したそうだ」などなど、市内にもある有名どころの名前が飛びかっており、現在も企業名は明らかになっていない。ただ、「競技用品からフィットネスウェアやアウトドア用品も幅広く取り揃えるスポーツ関連ショップ」と紹介している。

 

 また4階の飲食店街「味の四番街」は縮小し、「3店舗分くらいを使って、イタリアンのバイキングのチェーン店が入るらしい」といわれてきたが、ここも現段階でどのチェーン店が入店するのかは明らかにしていない。すでに地元テナントの多くが撤退しており、年末年始をシャッター街状態で迎えるうえ、年明けに閉店を控えている店舗もある。

 

 5階にはクリニックゾーンを新設し、整形外科、内科、眼科、歯科など5診療科目に調剤薬局が開業する予定になっている。

 

5階クリニックコーナーのイメージ

 店舗数は現行の約160店舗から約130店舗へと、30店舗ほど減る見込みだ。その分大型店がスペースをとる形になっており、関係者らが危惧してきた通り、地元店は20~30店舗ほどしか残らない結果となっている。「シーモールを出て新たな場所で商売をするのも大変だが、大手ばかりの中に残る地元店の方が大変かもしれない」と、残る店舗に心を寄せる人人も少なくない。

 

 下関商業開発は、2018年3月21日にグランドオープンを予定しており、初年度には入館客850万人、売上90億円の目標を掲げている。これから年末時期に残る既存店舗の移動を進め、その後に新規店舗が入る手順で進むようだ。

 

銀行等の融資額も圧縮 テナント確定は難航

 

 創業40周年の記念事業として下関商業開発(株)が計画してきたリニューアル計画は当初から迷走してきた。今春に入店するテナントを決め、年末から来年1月の成人式頃まで閉店セールをおこなって工事に入る予定で、商業開発も「3月頃には構想が公表できるのではないか」と話していた。しかし、全体構想がなかなか定まらず、途上で全館閉館はとりやめとなって、構想発表も年末までずれ込んだ。

 

 その要因の一つに、テナントの確定が難航したことがあげられる。3階の半分ほどをブックカフェにする構想や大手スポーツ用品店を誘致する計画など、さまざまな噂が出ては消え、消えては浮上をくり返す一方で、地元小売店に対しては、移転先の場所や店舗改装費用の負担、テナント料の値上げ、午後8時まで営業時間を延長すること、元日営業の開始など、「リニューアルの条件をのめない場合は出て行っても構わない」という強気の交渉が続いた。

 

 地元店舗にとって、今ある店舗を更地にする費用、移動先に新たな店舗を構える費用など、リニューアル事業にともなう負担は大きい。業種によって差はあるものの、おおむね数百万円規模、飲食店など設備が多い店舗になると1000万円を下らない場合もある。新たに銀行借金をして次の契約期間で減価償却を終えることができるのか、そもそも銀行融資を受けられるのか、売上減少のなかで見極めに迷う地元店舗の方が圧倒的だった。そのなかで「大手優先の姿勢が強かったので、商業開発との関係に見切りをつけて撤退した地元店がほとんど」「交渉過程で腹を立てて辞めた人もおり、本当に商売に疲れてやめていった人はごくわずか」とも語られている。後継者問題を抱えている店が廃業していったほか、従業員を雇う余力のない店が、「店主が年中ほぼ無休で働くことは体力的に難しい」と廃業を決めたケースもある。

 

 大手との契約の難航に加えて、蓋を開けてみると、商業開発が見込んだ以上の地元店が撤退したため、計画の練り直しが迫られる状態となり、なかなか全体構想が定まらなかったのだと指摘する関係者もいる。今回で残っていた地元店約60店舗のうち、閉店が40店舗ほどにのぼる見込みとなっている。

 

 もう一点、関係者らが指摘しているのは銀行のかかわりだ。当初30~40億円規模の投資を見込み、要望の高いトイレの改装や1階正面玄関にエレベーターを設置する計画などを盛り込んでいたが、最終的に投資額は約17億円にまで圧縮された。政策投資銀行と山口銀行、西中国信用金庫の3者が融資することになったが、耐震補強工事の費用を考えると、リニューアルに回せる額は限られる。これらの事情が「“会社も金がないから費用は負担してくれ”というばかりだ」とテナントから反発を買ってきた背景にあるようだ。

 

売り上げはイズミゆめシティの半分に

 

 1977(昭和52)年の開業から約40年。かつて北前船の寄港地として繁栄し、明治・大正・昭和の戦前期には九州や大陸への玄関口として栄えた下関は、戦後その優位性を失っていった。基幹産業であった水産業も李承晩ラインの影響などから衰退の道をたどるなかで、シーモール設立は、九州圏への経済的流出に危機感を持った当時の地元商業界、経済界が主導して、「命運をかけた大事業」として推し進めたものであった。最盛期には入館客は年間1000万人規模にのぼり、年商250億円を誇った時期もあるなど、下関の豊かさの象徴として、長く親しまれてきた。

 

 だが、規制緩和が始まり、とくに大店法廃止(2000年)を契機に、スーパーやディスカウントストア、衣料品の廉売店などの出店が加速し、下関の商業地図は大きく塗り変わってきた。下関市内の大型店の占有率は、大店法廃止前の最後の調査となった97年で60%にのぼり、現在では80%を超えていると見られている。シーモールについて見ると、とくに大きな影響を与えたのが2009年の「ゆめシティ」オープンだ。

 

 イズミグループは江島市長時代の2007年にあるかぽーとに出店する計画を持っていたが、地元商業関係者の反対運動が盛り上がり頓挫した。その後、市がかかわった区画整理事業で生まれた伊倉地区の広大な土地に、敷地面積約6万1000平方㍍、延床面積約8万8000平方㍍の巨大なショッピングモールを出店。商圏人口40万人を見込む「ゆめシティ」の年商は150億円規模となっている。

 

 続いて2013年にはゆめタウングループの「第3の業態」として、食品スーパー「ゆめマート」と大型専門店を集積した「ゆめモール」を新椋野に出店した。商圏人口は平日が市内を中心に約17万人、土・日・祝日は北九州市門司区や美祢市も含む約30万人を見込んだモールだ。これも区画整理事業で生まれた新たな土地だ。ここは生鮮食料品の安さを売りに、ゆめシティとの差別化をはかっているようで、旧市内を中心に他の食品スーパーから客足を奪っている。

 

 人口減少と購買力低下のなかで、人口30万人弱の下関に殴り込みをかけてきたイズミの動きや、ネット販売の拡大など消費行動の変化のなかで、シーモールの集客力は落ち込んできた。昨年度で入館客数は約700万人、売上は75億円となっている。ゆめシティの半額だ。テナントの売上も20年前と比べると激減しており、ピーク時の3分の1まで減った店舗や、10年前の約半分になった店舗もあるなど、厳しさが語られている。市が「固定資産税が入る」といって、区画整理事業なり大手誘致を進めたことが、現在のシーモールの苦境を生み出した側面も見逃せない。

 

 設立当時を知る商店主は、「大きく考えると大店法撤廃で、小売業も問屋も利益が残らない構造になり、資金があってスクラップ&ビルドができる大手に利益が集中するようになった。規制緩和の悪い側面が、小規模小売店にかかってきた」と話す。全国的に見ると小規模なデベロッパーである商業開発が、イズミ出店など商業情勢の変化に対して有効な対策をうつことができなかった課題も感じているという。

 

 来年には社長交代が囁かれている。これほどの混乱を招いた責任をだれがとるのか、リニューアル後の舵取りをどの方向で進めるのか注目が集まっている。そのうえで、現在も商業開発の筆頭株主である市が、どのようにかかわるつもりなのかが注目されている。

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