発震災の下関への影響 東日本大震災と原発事故の影響が、西日本にもジワジワと押しよせている。「100年に1度の大不況」といわれるリーマンショックから立ち直るわけでもなく、むしろ景気が落ち込むばかりのところに震災が直撃し、社会の隅隅に困難をもたらしている。生産現場では部品や材料が届かずに仕事が動かせない、資材がないために青シートがかけられてストップした建築現場があったり、商店や飲み屋では客足が鈍るといった状況があらわれている。下関市内で様子を聞いた。
イチゴ農家の男性は「4月10日の段階でイチゴ300㌘が150円を切って買いたたかれたときがあった。そこから市場手数料が引かれ、JAや全農もマージンを抜くから農家の手元には残らない。リンゴも10㌔2500円で競られた。東日本が大被害を受けて農産物がなくなっているはずなのに、なぜこんな形になるのかわからない」と思いをぶつけた。異常な値崩れが起きたからだった。
10日に開かれた下関いちご生産組合の会議(いちご生産者、市場、農協、農林事務所、農林課などが参加)で市場関係者に尋ねたところ、東京に出荷していた産地が「関東は消費が鈍って価格がつかない」と判断し、西日本や各地方市場めがけて出荷しているからだと説明を受けた。「中部、近畿、中国、九州のほとんどの荷が押しよせている。福岡のあまおうはほとんど東京に出荷されていたのに、それも下関近辺に出荷されているようだ」といった。国内人口の大半を占める関東圏の消費活動が変化し、本州の最西端まで影響が及んでいる。
花卉(き)も同じで、関東の消費が減退していることが災いして、西日本に「余剰品」のような形で押しよせ、価格暴落を引き起こしている。花農家の農民は「ひどいときには1本1円というのもあった。農家をバカにしているのかという価格だ。義援金どころかこっちまで倒れてしまう。東京の市場が“花が売れない”と入荷を断っているため、これまで東京に送っていた鹿児島や宮崎などの産地や、輸入物までが大阪や福岡の大市場に流入してきて、それでもあふれるから下関など小さな地方市場にたどり着いている。下関の花卉市場にも、今まで見たことのないような産地の花が入ってきていた。小菊など地元でしかつくらないものは、安いとはいえまだよかったが、輸入物と競合する洋花がまったくダメだ」と競争が激化していることを指摘した。
東日本大震災ではキリンビール仙台工場、サッポロビール宮城工場・千葉工場、アサヒビール福島工場、また缶ビールのプルタブを作る部品工場などが被災した。下関市内のある酒店の店主は、「これまで規制緩和でさんざん小売店がつぶされてきたが、震災後さらにその傾向が強まっている」と実感を語った。
「缶ビールの銘柄は20種類ぐらいあるが、東北の工場が生産ストップになるなかで、ビール会社は大手スーパーの売れ筋銘柄に生産を特化している。大手スーパーは客寄せのためにメイン商品でない缶ビールの安売りをしているのだが、うちのような酒店は無理してその値段に合わせているので利益は一割もない。酒店のメイン商品がこのような状態だ。品ぞろえを増やしたり、配達を強化して店を存続させてきたが、今回の震災で品物が入らなくなっている。全国の大手スーパーに大量に卸すほどの生産能力があるなら、なぜ何十年とつき合いのある街の酒店の品揃え要求に応えられないのか。これでは大規模店しか生き残れず、小売店は閉店して就職難になる。農産物や魚介類もそうだが、量販店中心の流通になっていることが問題だ」と話した。
部品揃わず派遣切りも 建築資材も足りず
雇用情勢の厳しさも増している。一昨年のリーマンショック後の派遣切りで、神戸製鋼の下請会社を解雇された男性は、1年間失業保険で乗り切った後、福岡県苅田町にある日産工場に下請の派遣社員として働きはじめていた。ところが震災後は部品調達がままならず工場が生産停止になり、二週間ほど仕事がない状態だったこと、日給制なので収入もなく、最近になって門司の別の職場に派遣されたと明かした。
親類がダイハツの販売店に勤めている婦人は「新車を何台売るかが勝負だが、部品をつくっている東北の工場が被災したので、新車が完成せず売る車がないといっていた。3月、4月は一番車が売れる時期。上からは車検など他の業務で業績を上げるようにといわれたようだ」と語った。
建築関係では、トイレなど水回りの設備に使うゴムパッキンの製造元が被災して部品が手に入らないこと、トイレの便器も、風呂のバスタブも、配管に使う塩化ビニルも入手しにくい状況が語られている。「在庫の便器はあっても設置することができない。新築の家もトイレができないために完成できないところが出ている」「仕事そのものがないので、在庫を余分に蓄えていなかった。そこに震災が起きて、今度は仕事があっても資材がそろわないので頭を抱えている」などの状況が語られている。
フグ漁をしている男性はエサとして使っているサンマの塩漬けがどうなるのか気にしていた。もともとイワシを延縄につけていたが、近年は価格が上がったためにサンマのぶつ切りに切り替え、三陸漁場から水揚げされるものに頼っていた。「いまは在庫で回っているが、いずれどうなるか。今年はロシア産のサンマを高く売りつけられるのだろうか…。エサがなければ漁ができないので、案じている」と気にかけていた。また、「三陸は漁業で復活するしかないが、もともと魚価が安く生活できない状態だったのはワシらと同じだと思う。借金をして復旧したとしても、そこに立ち戻っても希望がない。政府が輸入を規制して魚価を向上させるなり、漁業を産業として維持するつもりがあるのかどうかだ」といった。
高級品の売上げ落込む 水産加工品
水産加工会社を営んでいる男性は、三陸が国内有数の水産加工基地であること、被災した多くの企業で生産が止まってしまい、全国のメーカーが代替の加工会社を日本中で探し回っている様子を話した。
「うちは本来フグの加工専門だが、複数のメーカーから連絡がきている。赤魚の開きや青魚の加工など要望はさまざまだ。ところが単価が安すぎて驚いている。ファックスで製品の詳細を流してもらうのだが、とても請け負える額ではないので断るしかない。メーカーの担当者が来たときに、テレビに映っている被災企業の映像を見て、“あっ、うちと取引していた企業さんだ”というので聞いてみると、800人の従業員を雇って、何千万円もする機械を幾つも備えた加工場が津波に流されたといっていた。下関でいうところの林兼クラスと単価で勝負しろといわれても無理な話だ。向こうでは大規模な加工会社がたくさんあって、地域の基幹産業になっている。それを復旧しないと従業員の生活まで含めて再建にはならないのだと思う」といった。
また、震災後は福岡県の水産会社が生産している明太子が関東・東北方面で飛ぶように売れはじめ、フル稼働になっていることを話した。「ご飯にのせてサッと食べられるものに需要があるのだろうか? 某水産会社の知り合いが、会社の主力商品とは別に鮭フレークを作っていたのだが、これも関東・東北でバカ売れし始めたらしく、生産が追いつかないほどだという。震災を機に消費者の心理が変化している。高級品よりも大衆食品が求められている。下関も水産加工の技術なら蓄積はあるので、考えないといけない」といった。
別の水産会社では、関東に出荷していた商品の売上げが極端に落ち込んでいる様子が語られていた。「主に高級品の売上げが落ち始めている。フグを消費するのは圧倒的に関西だが、贈答品はこれからがシーズンなので影響がどうなるのか注意して見守っている。東京にいる取引業者と話すと、女房子どもを疎開させて男が単身赴任のようにして暮らしているのも多いという。首都圏は何千万人の消費市場なので、飲み屋で閑古鳥が鳴くだけでも全国の生産地への影響は大きい」といった。
関門海峡沿いのカモンワーフ・唐戸市場では「観光客の足が止まった」といわれている。土産物屋の店頭に立っている婦人は「震災が起きた3月11日が契機になっている。とても観光気分になれないのだと思う。土産物でもそれまでは500円程度の商品がかつがつ売れる傾向だったのが、震災以後は500円商品すら売れない。細かいようだが、毎日売っている側からするとたまらない。テナント料だけでもバカにならないのに」と様子を語った。
飲み屋や食堂、スーパーでも客足が遠のいている。「復興増税」など掲げるから、なおさら消費者の節約意識、防衛本能が働くのだと指摘されている。飲み屋で働いている男性店員は「異動や退職、入社のシーズンで宴会の予約などもあったが、半分がキャンセルになった。役所や学校の先生たちは相変わらずだったが、一般企業の新人歓迎会などは中止になったところも少なくなかった。例年と比べて3月の売上げが3割落ち込んだと店長から聞いた。うちはまだマシな方かもしれないが…」と話した。
スーパー店長の男性は「見切り品に殺到する流れが、今まで以上に出てきていると思う。閉店間際の時間帯を心得ていて、割引シールが貼られるのを待ちかまえている人たちが増えている。そして余分な商品を買わない。経済が冷え込んでいるのがわかる」といった。
帰国する外国人留学生 企業や大学直撃
中国人留学生を受け入れていた南風泊の水産加工会社では、原発汚染の影響によって、故郷の中国に帰国する労働者が1人2人と出始めていることも話題になっている。企業関係者の男性は、「うちでは女の子が一人帰国した。体調を崩して病院で点滴を打って治ったのだが、本国の両親に連絡をとった際に“放射能の影響だ”といわれ、仲介者が迎えに来て連れて帰った。“下関の空気は汚染されていない”と説明したところでどうにもならない。主力が中国人研修生なので、みんながいっせいに抜けると加工場はまひしてしまう。1人くらいなら大丈夫だがそれでも一から仕事を教えて育てることを思うとロスだ」と語っていた。
別の企業では「こういうときに、日本人労働者でない影響がもろに出る。北九州のスターフライヤー(航空会社)も外国人機長が原発災害を恐れて帰国して戻らないとニュースで報道していた。逃げる場所などない日本人とは違うし、彼らには故郷がある。現場の主力を失ったら工場はストップするし、外国人労働者に依存する弱さだ。九州の方では、中国人を受け入れていた農家が収穫作業ができずに困っていると聞いた」といった。
中国人・韓国人留学生を多く受け入れている下関市立大学では、今年の入学式での光景が話題になっている。両親同伴でやってきた韓国人留学生たちが水質汚染を気にして、両手に大量のペットボトルを抱えていたことや、親たちも原発汚染に脅えた表情を見せており、大学関係者がわかる範囲の事情を懇切丁寧に説明したことが語られている。中国人留学生のなかには、予定をキャンセルして留学を延期する学生も複数出ている。
また、中国、韓国を結ぶ海の窓口になっている下関港でも、震災後は外国人観光客の足がパッタリ途絶えてしまったことが語られている。港湾関係者の男性は「関光汽船も就航した矢先だったのに便数が減便になり、韓国人が来なくなった。観光で訪れると九州方面にバスで直行する感じだったが、それでも下関駅周辺で旺盛に買い物をしていたので経済効果も大いにあったのに…。落ち着くまでは下関だけの努力ではどうにもならない」と漏らした。