下関では、大企業が軒並み縮小して、労働者を解雇したり、地元中小企業が倒産するなど雇用がなくなり、消費購買力がなくなって、経済的な疲弊は尋常でないところまで来ている。このなかで本紙7233号「農林漁業から地域経済立直しを」の紙面が大きな反響を呼び、下関の進路をめぐって論議が活発になっている。この間の反響を出し合い、どのような方向で運動を発展させたらいいのか、論議してみた。
A 農家の方では、今まで高齢化して農地が荒れていくのを農業法人や営農組合をつくって集団化の力でなんとか守っていこうという努力が広がっていた。そこから意欲的に販売ルートの開拓をやろうという動きになっている。町に出ておにぎりを振る舞ってコメの宣伝をしたり、知人を通じて顧客を広げたりという形で、結構コメの直販ルートが広がっている。スーパーが流通を押さえてしまって市場が機能しなくなっており、生産が大事だがそれ以上に現状は売り先が問題だというのがどこも共通した問題意識だ。紙面で、市民は地元の農産物を求めているが買えないことや、買い物難民のことなど、消費者の様子がつながって、「これならいけるかもしれない」という明るい反応があった。
B 直販をやりたいというのはすごくある。今までは親戚関係など以外は販売したことのない組合の人が、「今から広げていくには直販しかない」と喜んでいた。直販所や100円市場もあるが、その他にも直接買いつけに来たりしているし、コメは直販ルートが進んでいる。
D 周囲の人に聞いてみると、かなりの人がコメは農家から買っていた。市役所のなかでもかなり広がっている。
C 農家は消費者の動向をあまり知らない。新鮮な地元の野菜が市民に喜ばれていることを知ると確信になる。旧来の常識のままで考えていると農協や市場に出荷するルートしかないがその常識をこえたところで目が開けている。
D 商店の側もこの方向をすごく歓迎している。商店街の空き店舗にそういうコメや魚などが来ると賑わう。無関係にやると競合するから難しいが、野菜屋や魚屋さんも「自分たちも加わってやったらいい」といっていた。唐戸商店街でも「うちで売ってもいいよ」という商店主がいた。地元の新鮮でおいしい物を店の一角を使って売ったら、みんな食べ物だから買うだろうし、ついでにそれ以外の物を一つでも買ってくれたらうれしいと。
C スーパーの流通支配の一角を崩せるという希望を感じる。スーパーは生鮮食料品が一番のもうけだと思う。衣料品は長期に買わずに済むが、食料品はそうはいかない。そこを崩されたらもうけにならない。スーパーが後退したら各種の商店が息を吹き返す要因になると思う。
B 直販は意義があるが、実際上まとまった荷を集めて消費者に売るのには専門的な要素がいる。客の扱いでも農家は慣れていないから、やはり商店の有用性がある。商店が農家から仕入れて売るという形は現実的だ。JAのコメ売場に豊田や豊北のコメを出しているが、販売価格は1俵が2万4000円くらいで、農協の買いとり価格の二倍くらいになっている。自分たちで全部やるとなると、人件費などを含めるとそのくらいまで上がるから、その点は商店などに卸せたらいいといっていた。
C 今は流通が生産を支配している。スーパーの流通支配、買いたたきで農家も漁師も商店もやられている。これをどう突き破るかが最大問題だ。生産者と消費者がこの地域で直結した流通を構築する。生産者もそれを望み、消費者もそれを望んでいる。これは展望があるというのがこの間の強い反響ではないか。直販が基本の形だが、まとまった生産物を扱うには商店がいるし、市場も機能しなければならない。魚にしても市場がないと種類が集まらない。スーパーが支配しているからどこもかしこもうまくいかなくなっている。これをうち負かす独自の流通ルートをつくることに現実性がある。
地元での販売に優位性 コストや捨てる物減
E この間仲卸や魚屋などと話してきたが、市場は市場の役割があるし、魚屋は魚屋の、仲卸は仲卸の役割がある。それを生産者が全部やろうと思ったら人件費もいるし、手間も時間もかかるから、もともと分業されていた。その機能が流通再編でグチャグチャにされてきたところから、消費者直結でやらないといけないというところに戻ってきているのを感じる。下関市内のあるスーパーでも買いつけているのは北九州の市場。荷がそろうからということだが、大半が競りを通らない相対取引で、ものすごい格安だ。だが確実に量を確保しろという圧力でほぼ素通りしている。競りすら通らない魚が増えているという話だ。
C 金融資本がバックに付いた大型店が取扱量の圧倒的な部分を支配していくのは時代の流れで仕方がない、という常識の転換だ。この間の大型店の流通支配で生産者を買いたたく、消費者には高い物を売りつけて、余った物はバンバン捨てる。大型店出店で商店をつぶしてしまい、もうからなくなったら勝手に撤退して買い物難民をつくる。こんなものを好きにさせていたら地域社会はつぶれる。それに対して、地域の生鮮食料品はまず地域で消費する、余ったものをよそに出荷する。そういう消費ルートをつくる方が本当は時代の先端だと思う。コスト面で見ても、捨てる物が減り、トラックなどの輸送賃が少ない分安くなる。
E 「水産都市」というのに下関の魚が食べられない。上関と一緒だと思ったが、市民は結局スーパーで買ったよその魚を食べ、下関でとった魚は広島などに行っている。今はやっているノドグロも、以東底曳きがたくさんとってきているが、仲買は買いたいのに漁連販売がどっと買いつけて東京に飛ばしてもうけている。地元の消費者より東京の金持ちの方に目が向いている。
C 下関の唐戸市場も高級志向で来ている。フグ、アンコウ、レンコダイなどブランド化に力を入れているが、ブランドというのは金持ちを相手にした方がもうかるという観念だ。ところが庶民の毎日の食卓にのぼる物の方が市場規模としてははるかに大きい。1%の金持ちが食べる魚の量と、99%の貧乏人が食べる魚の量のどっちが大きいかだ。フグとか関アジ・関サバなんてほとんどのものが食べない。それより毎日食卓にのぼるような物を提供した方がはるかに市場が大きいのはあたりまえだ。その辺の価値観を変えないといけない。下関で揚がった魚を下関でどう食べてもらうかが立て直しの基本だと思う。その路線は全国に広がる。
D 地元で売った方がコストがいらない。一番近い消費地で販売する方が有利なはずだ。下関の農業者や漁業者、水産業者にとって、消費地は下関市民だけではなく、隣接する北九州もある。北九州周辺の農業地はかなり遠いところで、下関の方がよっぽど近い。門司や小倉などとくにそうだ。小倉の旦過市場の商店もすごく関心を示している。下関が本気になったらすごいことになるといわれていた。30万の下関と100万都市の北九州の消費者と直結したら下関の農業、水産業が発展する可能性は大きいということだ。
農漁業就業人口なども圧倒的に増える可能性がある。
農業始める若者が増加 都会から農村に帰り
A 農村では若い人が都会から帰って農業を始めている人が増えている。新たに農業をしたいという人からの問い合わせは20、30人規模であるそうだ。
C 都会で食っていけないというのもあるが、価値観を変えてというかある種の生きがいを見出して「農業でいこう」というのが明らかに増えている。農業見直しも相当動いてきている。
D 先日下関に講演に来た水産庁の先生も「いかにとるかより、いかに売るかが問題」だといっていた。その先生も、「スーパーが産地直送といってやるのはインチキだ」といっていた。競りのあいだはなにもしないで立っていて、残った雑魚を持って帰って高く売っていると。
E 島根の方の漁協はイオンと直接取引して大変なことになっているという話だ。今度は安値で大ごとしている。上関の方の漁協でもいっていたが、スーパーに卸すと量を確保しないといけないから大変といっていた。
D 若い子は食べ方やおいしさを知らないということと、地元の魚を買えるところがない。みんな地元の魚を食べたいはずだが、どこに行ったらあるのかわからない。海士郷の漁師のおばちゃんたちが唐戸市場でずっと売っているが、待っていても客が来ない。あの人たちは商売が上手だから、地域宅配などで魚を生でも加工してでも売って回るという先駆者的な役割ができるんじゃないか。また唐戸市場が観光市場のようになっているが、地元の魚屋を養成するなどに力を入れ、地元に売る努力をするべきではないか。
E 唐戸市場の業者にしても中央志向だ。フグは関西が7~8割といわれている。今度は東京の規制が緩くなったので「東京だ」と色めき立っているが、地元を捨てる者は地元に捨てられる。漁協、市場、魚屋が連携して市内流通の形態をつくり上げる。中尾市長みたいな中央志向路線ではつぶれるばかりだ。山銀の番頭になった気持ちではダメだ。
人気高い各地の直売所 雇用増え農漁業発展
D 消費者の反響も大きい。けっこうコメを直接農家から買っている市民が多い。直販ではコメが一番普及しやすい。買う側も他は贅沢しないけど「コメだけはおいしいものを」という感じだ。
E 勝山の100円市場の活気がすべてを物語っている。「駅前にぎわいプロジェクト」をやっているが、ああいう直販所を駅前につくった方がよっぽどにぎわいになる。長門市場をそんな風にやり直してもいい。駅前500㍍以内の廃屋・幽霊屋敷地帯になっている笹山町の再開発をした方がよっぽどにぎわいになる。商業施設をつくったら寂れるだけだ。
A 長府の野菜直売所が参加農家も増えているが、そこにパン屋とか魚屋とかが出ているというのは一つの発展方向だ。プレハブみたいな店舗で、野菜や魚、肉など生鮮食料品の共同体があり、隣に惣菜屋もいて売れ残った物を惣菜にして売るなど、消費者と密着していけばスーパーには負けない。しかもそこを拠点にして、宅配をすることが一つの要望だ。
B 直販はコメが一番はじめやすいと思う。農家もつくったり蓄える計画があるので「1年契約をしたら5㌔○○○○円で配達します」などチラシをつくって住宅地に配れば申し込む人もかなりいると思う。地元のコメを目にすることができない人が多い。米屋が農家と連携してやってもいい。「下関のコメだ」といったら喜ぶ人が多いはずだ。スーパーでどこのコメかわからない物を買うよりいい。しかもスーパーより安くできる。
A 農家も買う人のことを考えて生産しないといけないというし、卸や商店も自分だけがもうけるんじゃなくて、お互いにみんなが成り立つように考えていけばできるんじゃないかという雰囲気が強まっているように思う。
C 農家自身も集団化して協力しあうし、生産者が消費者の安心できる食糧を保障し、消費者が農業生産を支える、その間に立つ小売りや中卸などの商店も相互依存関係、共存共栄でいこうという関係だ。スーパー的競争原理とは一線を画す。競争原理が支配しているから全部がズタズタにされている。
E そこに協同組合の機能がいる。農協が不動産や金融業のようになって営農切り捨てじゃどうにもならない。営農を切り捨てたら農協の基盤はなくなる。農協金融は、信連などが住専でひっかかり、今度は農林中金がサブプライムでひっかかりギリシャ国債でもひっかかっている。これで全国の農民がまた増資させられた。農家あっての農中と思っていない。農家にたかる株式会社になってしまっている。全農はまだひどく、商社みたいになってメーカーから肥料を買いつけて高く売りつけている。
A 営農指導で野菜の作り方を教えてくれるのはうれしいが、その後が大事だといっていた。売り先がなくて困っていたら、農協の職員が一緒に商店を回って開拓するなどをしてくれたら全然違うと。農家が飛び込みで商店を回るのも難しいところがあるから、農協に出てきてほしいという声もあった。
B スーパー依存を脱却した販売ルートをつくれば下関の農業は発展するし、農業とその関連の雇用もできる。それになぜ行政は支援しないのかと要求していかないといけない。今から先は食料危機だ。その時「石原慎太郎が芋をくれといっても絶対にやらぬ」という農民がいた。
A 減反に対する意見もすごく出される。山口県産米は売れ残るとか、評価が悪いから全国より減反率が高いといわれている。耕作放棄地を耕してつくりたいのにつくれない状態になっている。買い手がいるのだからそんな規制をやめろという斗争が必要だ。
C 論議になっている方向を勝利させるには斗争をともなうということだ。スーパー支配の流通構造をひっくり返そうということだ。減反などの生産規制はするくせに、スーパー流通の方は規制緩和だ。TPPなど絶対に容認できないことだ。そして政治が動いたり、食品安全基準違反などのケチをつけるなどということがある。それを生産者、消費者の団結でたたかっていくということだ。スーパーは安いか高いかだけで、後は自己責任の短期取引だ。そうではなく長期の信頼で「ここの物を買ったら安心して食える」という信用取引のほうがはるかに時代の先端だ。
E 行政関係者も喜んでいた。100円市場に朝から見に行って驚いたという人、買って帰って1週間食べたという人など、「いけるんじゃないか」という感じだ。農林関係の行政関係者も喜んでいる。こういうのをやっていくうえでじゃまになる規制をとり払うし、やはり雇用だ。農家が一人前になるには10年くらいかかるのだから、その間くらい助成するべきだ。
山林の有用性も論議に 永遠に再生する資源
A 林業関係でも山の有用性がだいぶ論議になってきた。単なる木材の価格だけではない。コメも山の水が決め手で、山が荒れたらいいコメができないし、水量が減る。漁業はもちろん、内海側でも木屋川の河口域でアサリやノリがとれなくなっている。明らかに水が貧弱になっている。海の磯焼けなどにも影響していることが語られていた。
C 山林を保護することは水資源涵養、国土保全、環境保全、歴史・文化継承とかさまざまな価値がある。山林を守るのに、林業が昭和30年代の木材の輸入自由化で衰退したのが大きな問題だが、もう一つは燃料として使わなくなったことがある。神世の昔から50年ほど前までずっと、山の木は燃料資源で活用されていた。これが石炭と石油が出てくると厄介者のような扱いだ。
山の木は石炭や石油と同じエネルギー資源だ。しかも化石燃料のように枯渇する資源ではなくて永遠に再生する資源だ。石油輸入の何割かはすぐにまかなえる。山の木をハウスの暖房用燃料に焚くとか、薪を焚いて発電するとかガスにするなどさまざま方法はあるはずだ。国は太陽光とか風力とか大企業がもうかることには膨大な補助金を出しているのだから、農村のそういう事業になぜ補助金を出さないかだ。そうしたら山の木をとりにみんなが行って、山林の整備は進む。
E 上関町では漁師がワカメやヒジキを焚くのに薪を使っている。外に大きな釜を出して作業している。豊北町の矢玉も今でもやっている。木は大変な燃料だ。もっと意識的に薪を使ったら山もきれいになる。昔は材木以上に薪を燃料で使っていたから山をきれいに整備していた。
B 学校帰りに山を通って帰っていたという人もいた。薪を拾って帰るのが子どもたちの仕事だったそうだ。今は地面に落ちたタネも、上に倒れた木が乗りすぎて芽が出ないからシカが里に出てくる原因にもなっているといっていた。薪に使ったら木の芽も出てくる。
E エコカーに補助をつけるくらいなら、薪ストーブ化に補助を出す方が有効だ。ハウスの暖房も薪ストーブでやって、スチームをつくって熱も別に利用するとか、そしたら低コストでできるようになる。今盛んにいわれている再生エネルギーのなかに薪を使うというのはあまり出てこない。
C 昔は木炭車というのもあったが、いろんなエネルギーの活用のしようがある。小さな水路でプロペラを回して小規模発電するとか、大きなダムなどなくても田舎には山ほどエネルギー源がある。自転車でも自動車でも簡単に発電をしているが、漁船でもイカ船や巻き網船などは集魚灯を焚くから大きな発電機を乗せている。発電機はあっちこっちに転がっているほどだ。そういう発電機を使って水路の水や薪の火力による設備を鉄工所がつくってやったら需要があるのではないか。田舎こそ文化的で安定的な生活になる。
B 農村がどこも人手不足だ。若い人手がいないのが農業生産が伸びないし、縮小している要因だ。人手が入ったらはるかにできるのに、そこになぜ行政が動かないんだといっている。
A リーマン・ショック後の緊急雇用対策事業で一時入ってきたときがあったそうだが、一年限りなので金の切れ目が縁の切れ目になって続かなかったそうだ。長期の見通しを持ってやらないとダメだ。つまらない箱物に何百億円と使うのだから、どうにでもなる。森林組合の作業班でも、30代くらいの若い人も多く、「この仕事をしてみたい」と転職してきた人もいた。そういう若者は増えているし、やるべき仕事はたくさんあるけど、今の状況では人を増やすことが難しいのだといわれていた。
B 鳥獣被害対策も少しでも出してもらったら全然違うといっていた。そっちを先にやってくれという声も大きい。
E 燃料にするのに、チップ、ペレット製造設備などを行政がつくればいい。そしたらみんな木を切り出してきて燃料にする。岡山の方は燃料を韓国にまで輸出しているといっていた。ペレットにすると熱効率もいい。各町に施設をつくればいいじゃないか。先進的な自治体はけっこう行政が中心になってやっている。そういうのを視察してくればいい。
B 山が荒れて鳥獣が出てきたら鳥獣対策、洪水になったら砂防ダムといつも後から大騒ぎしている。その前に予防で金を出せばいいじゃないかということだ。全部後手後手だ。
社会に不可欠な農漁業 時代遅れの損得基準
C 食糧生産を守ることは国の独立を守ることだし、もっとも重要な国策だ。これを破壊しているのがアメリカだし売国的な財界と政府だ。そして高い農機具や肥料などの工業製品を売りつけ、流通は大型店が買いたたく。政府はアメリカのいいなりで輸入自由化をやってきて、今度はTPPだ。コメまで関税撤廃しようとしている。これを仕方がないとあきらめるわけにはいかない。
戦後は工業優先、都会優先で農業をつぶしてきた。その一番は農村から労働力をとりあげて工業化を進めた事だ。そして労働者の賃金を低く抑えるために農産物はいつも安く買いたたいてきた。今では農漁業が寂れた上に工業もつぶれている。
国はアメリカのいいなりで農林水産業をつぶそうとしているがそれに文句をいうばかりではなく、消費者と直結した形で農業生産を振興させることを基本に、国の農業破壊政策とたたかう、そういう方向に展望があると思う。
消費者、すなわち都市の労働者、勤労者も、自分たちの共通利益として農家を支えていく。みなが協力しあい、助けあい、民族団結で日本社会を成り立たせる方向だ。農業そのものがもうけはなくなってボランティアみたいになっている。日本民族のため、国のための勤労奉仕状態だ。消費者に直接売ったら展望があるし、収益が出れば若い者も帰ってくる。
E 地元の農漁業を大事にするのは、消費者にとってもすごく大事なことだ。震災のときに東京ではコメからコンビニのおにぎりからなにもかもなくなった。水は飲めない、電気も止まる、電車も止まり、歩いて五、六時間かけて家に帰り、マンションの一一階まで歩いて登らないといけない。東京主導できたが、東京こそ本当に貧しい街だ。虚構の繁栄だ。実は農村こそ豊かだ。
C 最近、価値観の転換がすごくすすんでいると思う。「そんな金もうけをしなくても」というのが強くなっている。大企業やスーパーはもうかるかもうからないか、損か得かの単純基準で、社会的責任がまるでない。世の中はそれだけじゃない。がつがつもうかるかもうからないかだけが幅を利かせてどうなるのか、みなが依存しあい、助け合って世の中が成り立っているんじゃないか、というような価値観の転換がすすんでいる。
農林水産業のネックは、生産の障害もあるが、とくに流通がもっともネックだ。スーパー支配をうち破ること、生産者、消費者の直結した地域中心の流通をつくりあげること、これには展望があるという世論が広がってきた。