下関市内では大企業の撤退や工場閉鎖、配転や首切りが地域社会に対してなんの責任も遠慮もなくやられたり、中小零細企業もバタバタと倒産しているなかで、失業と貧困がどこでも深刻な様相を見せている。購買力の低下によってショッピングモールや商店街に閑古鳥が鳴いているだけでなく、生活が破綻して困り果てている実情が、老いも若きも各世代にわたって問題になっている。自殺や夜逃げといった悲劇が決して一人や二人の特異な例ではなく、全国で悲しい一家心中や親殺し子殺し、虐待、自暴自棄になって暴発するといった犯罪が増えていることとも共通した、貧困のあらわれとなっている。戦後67年、日本社会はまぎれもなく貧困社会となっており、それはいっそう進行するすう勢となっている。市民生活の具体的な実情や近年の変化を見てみた。
たたかわなければ生きられぬ
セブンイレブンの店舗を経営している婦人は、最近年寄りの万引きが増えていることに心を痛めていた。店を出たところで声をかけると「ごめんなさい」と何度も何度も謝られ、事情を聞くうちに「ほんとにみんな生活が苦しいんだ…」と同情してしまい、返品してもらった後に「頑張ってね」と励まして送り出すこともあった。「万引きされている店側が“頑張ってね”と声をかけるのだから、いったいなんなのでしょうか…」といい、市民生活の困難さを感じずにおれないのだといっていた。
公衆便所からはトイレットペーパーに加えて蛍光灯まで持ち去られ、警察が出動する。スーパーやショッピングモールのトイレも同じで、終いにはトイレットペーパーに名前を書いている。市役所の女子便所でも「トイレットペーパーを持ち帰らないでください」と貼り紙がされている。市立大学でも頻繁になくなる。お金が十分にあればだれも好きこのんでトイレットペーパーなど盗んだりしないが、それほど数十円の出費を出し惜しむ世界が広範囲に広がっていることが話題になっている。
旧市内のスーパーで働いている50代の婦人は、年寄りの万引きを見つけた店長が、店舗裏に連れてきて事情聴取していたときの光景が忘れられない。「手提げ袋を開いたら、盗っていたのは菜っ葉の総菜を一品だけで、しかも割引シールが貼られた商品だった。金額にしたら200円にもならないのに…。よほど困っていたんだろうと店長とも話になった。ずっと泣いていたから店長も私もシュンとしてしまって。お婆ちゃんを帰してからは、店長も割引シールの菜っ葉を手に持ったまま、“これって結局、廃棄処分なんだな…。持たせて帰すべきだったのかも”と自問自答していた。あんまりたちの悪い人や繰り返す人については警察に通報することもあるけど、あのお婆ちゃんみたいに目の前の食べ物に困っている人もいると思う」と話した。
2カ月で7万円ちょっとの年金では家賃にもならず、そこから光熱費や生活費を引くと食費が微微たるものになる。病院にも頻繁には通えない。不動産関係者の男性は独居老人の家賃滞納が増えていることを話し、生活保護をもらった方がはるかに食べていけるが、老人ほど「社会に迷惑をかけては申し訳ない」「貧乏してでも」という意識が強く、すすめても「辛抱する」という答えが返ってくるという。「現役のときに働いて社会のために貢献したのなら、老いてから国が面倒をキッチリ見る社会でなければウソじゃないだろうか」といった。別の不動産関係者は「だいたい月4万~5万円の国民年金の年寄りが多いように感じるが、それで失業した子どもたちが転がり込んできたり、大変な家庭もある。どの年代もしんどい世の中だ」と話していた。
商店関係では、とにかく売れない状況が共通している。「1日に1足2足売れるか売れないかの世界」(靴屋)、「おもちゃは売れないので駄菓子を置いているが、子どもも少ないので20~30円を稼ぐのが大変な毎日」(おもちゃ屋)、「以前なら山で販売していたが、最近はアジ1匹いくらの単位で販売するようになった」(魚屋)、「特売の10円モヤシが飛ぶように売れる」(スーパー)等等、厳しい状況が普遍的だ。人人がにぎわっている場所はどこかというと、激安販売のトライアルやファッションセンターしまむらで、次次と店舗を拡大。貧困ビジネスがはやりになっている。
学校での生活にも影響 家庭ごとの格差拡大
学校関係者のなかでは、親たちが仕事に忙殺されて子どもを満足に見てやる暇がなく、小学生でもかまって欲しさから暴れる子どもが増えていることが語られている。塾に行ける子と行けない子、家庭ごとの金銭的な格差が格段に開いており、このなかで一度勉強につまずいた子は置き去りにされる学校現場の体制であるため、いっそう暴れる。「中間層がいなくなって2極化しているのが特徴。それが学校運営にも直接かかわってくる」という。
貧困が原因になって高校や大学を中退していく生徒・学生も増えている。豊前田では女子学生たちが水商売のアルバイトを始める例も増えている。市立大学では卒業率が90%に満たず1割近くが学業をあきらめて中退したりやめていくことが懸念されている。大学で学ぶ意味を見失うという理由のほかに、家庭の経済的な事情が作用していると見られている。
春になると大学近辺のアパートを遠方から移住してくる新入生が借りていく。付き添った母親が「アパート代や光熱費だけでも大変なんだから、あんたしっかり働きなさいよ!」と息子を激励しているのを見た不動産関係者の男性は、「普通は“しっかり勉強しなさいよ!”なんだが…」といい、苦学生が増えていることを肌身に感じていた。アパート代を滞納する学生も増え、一部屋の狭いアパートに3人の学生がいつの間にか転がり込んでいるといった例もある。以前なら一言いわなければならないところ、彼らが学業のために下関まで来たのか、それともアルバイトをしに来たのかわからないほど困っている実態に戸惑いつつ、「頑張って卒業しろよ」と声をかけ、実質的に黙認していることを語っていた。
市内の高校に勤めている男性教師の一人は「10年前くらいは授業料減免を受けている生徒はクラスに多くて4~5人くらいの印象だったのが、最近は半分以上いても珍しくない。奨学金をもらっている子どもも多い。卒業したら公務員にならない限り、50万~60万円の奨学金を返済しながら働いていくんだ。人生の門出で借金抱えて巣立っていくのを考えるとやるせない。ただでさえ非正規雇用ばかりの世代なのに…」と心配していた。
高校くらいは出ていないと職がないため、親たちもなんとか卒業させてやりたいと思っているが、とくに母子家庭の子どものなかには学業をあきらめざるを得ない子も増えている。やむなく中退して働き始める子も増えているといった。
高校生と中学生の息子を抱える40代の母親は、「女手一つで育てるのは大変だが、安易に生活保護にすがりつくような生き方を教えたくない」と孤軍奮斗。スーパーのパートとパチンコ店の夜間清掃を掛け持ちして働いている。「今どき二つ三つのパートの掛け持ちは珍しくない。内職も仲間内で流行っている。保育園児を抱えている若いお母さんなんて、働いて稼いだお金がそっくり保育料にとられていくから、なんのために働いているのかわからないといっている」といった。
清掃で使う消毒剤が強烈なために手の皮膚はザラついて痛む。身を粉にしている母親を気遣って、高校生の息子は2年前から新聞配達をはじめ、自分の小遣いや学業にかかるお金以外は家庭に入れてくれる。それで随分助かるといった。昨年の修学旅行は行くか行かないか悩んだ末、本人は「行かない」「お金がもったいない」と固く決めて担任の先生を困らせたことがあった。最後は「行ってきなさい」「そのぐらい出すんだから」と母親が諭して行かせた。兄ちゃんの姿を見た中学2年生の弟も新聞配達をやりたいと主張しているものの、「子どもは勉強しなさい!」といって高校進学までは棚上げしている。
「子どもにあまりお金の心配はさせたくない。お金のことをいいはじめたらキリがないし、貧乏性みたいなのが身についた大人になってほしくないから。かといって私のパート代だけではギリギリ。本当なら“オレも働くよ”の言葉だけでお母さんは十分よ、といいたいけど新聞配達してくれてホントに助かる。あとは親が体調を崩していて、いつ介護が始まるかと気が気でない。こればかりは予想がつかないけど、せめて子どもたちが高校を卒業するまでは倒れないでね、と頼んでいる」といった。「子育てが終わったら次は介護地獄」と職場の先輩婦人がいっていた言葉の意味が、最近はなんとなくわかり始めたと語っていた。
保育園も通わせられず 幼児抱える親も
幼い子どもを抱える親たちのなかでは、信頼できるママ友に複数人が子どもを預けて働いたり、保育料のために働いているような事態は避けたいと安上がりになる方法を模索する動きがある。旧市内の現役世代が多く住んでいるある地域では、3~5歳の子どもを夕方まで預かって、母親たちが迎えにくるアパートがある。保育所ではないが、ごく普通の民家で昼間に子どもたちにご飯を食べさせたり、遊ばせたり、母親たちが友人同士で助け合っているのだという。これでは保育行政はなんのためにあるのかを考えざるを得ないが、保育料が高額すぎて預ける気にならないことがネックになっている。
子どもたちと遊んでやっている近所の60代の婦人は「安くすればみんなが安心して働けるのに、保育園まで高嶺の花になっている。市長も議員も、バカみたいに建物ばかり建てるお金があるなら、保育料を安くしたりまともなことに使って欲しい。あの子(母親)たちはよく頑張っている」と話していた。さながら小さな扶助組織のような形態だ。
待機児童どころか、保育園に通わせたくても通わせられない幼児が出てきている。
全国平均の2倍で突出 生活保護世帯の割合
生活保護に関係する人人のなかでは、下関市が生活保護費を出し渋る方針に転換したのか、この数年はとくに受給しにくいことと合わせて、「北九州の方が受給しやすい」という話がまことしやかに広がっている。北九州市では数年前に生活保護窓口で追い返されていた男性が「おにぎりが食べたい…」といって孤独死した問題が全国区でとり上げられ、無慈悲な切り捨てにバッシングが集中した。そのこともあり、「“おにぎり事件”以後は基準が緩やかになっている」といわれている。対岸の下関側でこうしたうわさが広がり、「北九州なら受給できる」「ならば海を渡ろうか」といった会話が真顔でされていることに、深刻さがある。
下関市の生活保護費は今年度予算でも86億円を計上。毎年80億~90億円規模で推移し、生活保護世帯の割合は全国平均の2倍と抜きんでている。「下関市はこの分野では全国より10年先をいっている」と歴史的に保護課の職員たちは教育されてきたが、いかに貧困世帯が多いかを示している。関連して、就学援助の受給率も全国平均の3倍近く、毎年春のこの時期になると市役所七階の講堂には、連日のように母親たちが押しかけている。
こうして下関の経済情勢の厳しさが増し、生活苦が蔓延するなかで“貧困ビジネス”の影が忍び寄っていることも懸念されている。駅周辺の某所ではつぶれた旅館を企業が借り上げ、家や身寄りのない人人をかき集めていることが話題になっている。駅前で2人組の男たちが困った人をスカウトして連れて行くのだと様子が語られ、生活保護を受給させて運営側もきっちり収入を得ていく仕組みが指摘されている。行き場を失った人人が最後に駆け込む場所となり、ホームレスになる寸前で住み家を得られている反面、そうしたビジネス形態が下関で台頭していることそのものに、なんともいえない思いが周囲の住民らのなかで語られている。
寂れた駅裏は中国人研修生たちのアパート群や、廃屋、シャッターが閉まった商店が増えている。あるビルでは老朽化して外壁が落下してくることが問題になったが修理にかける蓄えがなく、かといって危ないことから市がネットを張り、歩道を封鎖して応急措置をした状態が続いている。老朽化したビルや住居の更新などとてもおぼつかないのだ。古めかしさを「レトロ」といっているうちに、次第にスラム化が進行していることを住民たちは心配している。
庶民に金回らぬ仕掛け 全てが貧乏ではない
日本はまぎれもなく、まともに生きていけない貧困社会になってしまった。しかしすべてが貧乏なのではなく、大企業は二百数十兆円の内部留保をかかえ、株主配当はそれ以上のものになっている。大企業経営者は1億円以上の報酬をとり、ユニクロの柳井正は数千億円の資産をかかえる。野田政府はIMFにいわれて消費税増税に命を懸けるというが、そのIMFにリーマンショックのときは10兆円を拠出し、今度の欧州危機対応で4兆円をポンと出す。
大企業は社会的責任などかなぐり捨てて海外に移転していくが、政府は海外のインフラ整備のため、つまり海外移転、国内工場閉鎖促進のために何千億円をポンポン出す。極めつけがアメリカで、米軍再編の軍事費を巻き上げられるだけではなく、円高対策といって10兆円あまりのドル買い介入をしてアメリカ国債の購入でプレゼントする。アメリカに巻き上げられた米国債は500兆円はくだらない。
みんなが一緒に貧乏なのではない。財界に金が集まり、アメリカがむしりとっているから庶民のところにはカネが回ってこないのだ。そして政府も、市場原理・小泉改革などといって、大資本の金もうけの自由に奉仕し、働く者の首吊りの自由を奨励する有様となった。
80年代にアメリカに行って金もうけ好き放題の新自由主義を勉強してきた安倍晋三代議士と林芳正代議士のバックのもとでつづいた江島市政と中尾市政のもとで、下関は全国先端の貧乏市になった。人工島建設や軍事都市化に膨大な予算を注ぎ込みながら、市民生活は全国最先端の窮乏ぶりである。
消費税増税、TPPでこうした経済情勢の悪化や貧困状況がますますひどくなることは疑いなくたたかわなければ生きていけない限界まできていることを突きつけている。