日本中の県庁や市役所、町村役場ではいま、市町村合併問題で大騒ぎをしている。住民のほとんどは、合併の要求などしていないし、「なぜ騒ぐのか」という疑問は出しても、だれも騒ぐものなどいない。役所の方が空中戦をやっているのである。というのは小泉政府が、二〇〇五年三月を期限に全国三三〇〇の市町村を一〇〇〇に削減する計画の達成を都道府県知事に求めているからである。そのために、地方交付税を削ると脅し、期限までに合併すれば交付税を出すほか特例債を出すといって、予算でしめあげて脅しているのである。かつての戦争の反省から憲法では主権在民を決め、地方自治をとなえたが、いまや選挙で選ばれてもいない竹中某という評論家大臣が「交付税を切る」といえば日本中の自治体が青くなって大騒ぎをするという、戦前の天皇主権国家も顔負けの官僚国家になっている。これはアメリカの戦争のために有事法制をはかる動きと切り離してみることはできない。しかし、そうはいっても働く地方の人民がいなければ国は成り立たない。地方の人民もキツネにつままれたような気持ちで見送るわけにはいかないし、真の主権者としての発言と行動が不可避となっている。
●4百人の会場に3人 下関:説明会開始したが
下関市でも企画課広域合併調査室が先月一八日から、「合併問題」市民説明会をスタートさせた。初日の市中心部の中央公民館(収容数三〇〇人)には集まったのはわずか一八人だった。三日には玄洋公民館(収容数四〇〇人)でおこなわれたが、集まったのは三人と、県や行政側の力みようとは裏腹に、笛吹けど踊らず、宙に浮いた形となった。
豊浦郡の四町ではもっと冷ややかで、「総会、役員会で説明に回ったが、低調だった」「なにかかくしているのではないかなどの質問ばかりで、説明もできなかった」(豊北町担当課)、「町広報六月号で合併シミュレーションを特集して町内配布したが、町外からの問いあわせが一件のみだった」(豊浦町担当課)と語られている。
少ない住民意見のなかでも、各地の発言を拾ってみると「なぜ、合併しなければいけないかがわからない」「メリットがはっきりしない」「郡部は切り捨てられるのではないか」と疑問ばかりが広がったとの結果が共通して出されている。自分の町をつぶそうという計画に簡単に賛成するわけがないのである。
国をあげた市町村合併のとりくみは、小泉政府が三三〇〇ある市町村数を一〇〇〇にまでへらす指針を立てたことから、全国で今年から来年にかけてが一つの山場として動きが大きくなっている。山口県下では二井関成知事が、「国のいうこと一辺倒」の出世主義官僚の面目躍如で旗頭に立ち、五六市町村を九ブロックに分ける構想のもとで、市町村による研究会を立ち上げた。徳山市を中心とする三市二町合併、山口市を中心とする二市四町合併をのぞいて、ほとんどが昨年度中に立ち上げられた一年にも満たない、にわかづくりの様相となっている。
岩国、柳井、大島郡、周南、県央、宇部・小野田、下関、長門、萩の九ブロックのなかでも、徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町合併協議会のように法定協まですすみ、合併協定が協議されているところもあるが、ブロックのなかで光市と大和町が独自ですすみ、下松市は脱落する、また阿東町はどのブロックからもはずれるなど、合併をめぐる混乱は今後県下に広がることが予想されている。
●推進する県職員のかけ声も鈍る
また合併を推進する県の職員も、県内が九の市になったら、県も不要になるのは明らかで、「自分たちの首を切るために、市町村の首切り役人をやる」という悩みのなかにあって、かけ声も鈍る関係にある。
●合併でどうなるか 下関市と豊浦郡の場合 補助も職員も減
小泉政府が市町村合併をやらせるための最大の脅しは、補助金や地方交付税を削減して町村が立ちゆかなくするというものである。現在日本中の市町村は、国の補助金、交付税がなければやっていけない。国と地方の財政支出では、その七割は地方で支出されるものであるが、税金は国税で七割をとって地方税は三割しかとってはならないという制度を決めている。したがってもともと、国が地方に税金を分けなければならないという仕組みになっているのである。それは憲法でいう、この国のどこに住んでいても、等しく生活する権利を有するという決まりを実現するためのものでもある。
この税制はまた、地方自治といっても建前で、実際には地方が何事かをやるには国におうかがいを立てなければなにもできないし、その間に予算をとってくることで票を稼ぐ代議士が生まれ、りっぱな官僚国家ができたという仕組みになってきたことでもあった。
さらには、戦後の日本社会は重化学工業化で高度経済成長をしたが、それは農村で育てられた若者を都会に引っぱり出して、その労働力でなしとげたものであった。その工業優先は農漁業を破壊することを意味していた。地方は労働力を育てただけで、かれらの税金は都市で払っており、地方の税収が入るわけがないのである。
また国の「合併市町村支援策」といっているなかで、最大が合併特例債で、合併市町村の箱物建設にかぎって地方債発行を九五%まで認め、のちに国が元利償還の七割を地方交付税として下ろすというもので、一〇年間を支援期間としている。ほかに合併市町村で異なる公共料金格差是正にかかる額を五年間ほど国がみるというものとあわせ、三年間ほど特別交付税、補助金をふやすとしている。
「鼻先にぶらさげられたニンジンにつられていくとたいへんなことになる」と語られている合併後の財政は、下関市と豊浦郡四町が合併した場合で見ると、これまで市町村ごとに出されていた地方交付税は一本化され、人口三〇万人の類似団体と比較しても、合併した場合は交付額は五~七割削減されるとの試算もされている。これにたいして国が一〇年間(五年暫定つき)で、差額分の七三四億円は合併算定替として交付するとの見とおしを下関は示しているが、その後はまるごと国にまきあげられることになる。
職員の数で見ると現在一市四町で二一九五人にたいして、合併した場合には一九一九人(類似団体より)と二七六人程度少なくなる。市町村議会議員は現在で一〇七人にたいして、合併後の定数は四六人と、六割にあたる六一人が削減されることになる。それによって一〇年間で九二億円余りの経費が少なくなるといっている。
そうなれば豊北町役場などは下関市豊北支所になって、人口でみると安岡支所(嘱託をふくめて職員七人)ほどの「効率的」な支所になるというわけである。もちろん町民にとって「効率的」と思うものはいない。それは一九五五(昭和三〇)年に下関市に合併して、いまや「陸の孤島」といわれる内日の支所(職員四人)のようになることも、ありえないことではない。
県や市町村がいま、合併しなければやっていけないというのは、要するに政府が財政操作をやっているからであり、それ以外ではない。
●もの言わせぬ体制 「国が赤字」と欺瞞して 戦争の反省覆す
この合併はまた、自治体も借金まみれになっており、国の借金も多いからとも装っている。自治体の借金は、政府の方が「景気対策」といって、必要もない事業でも使え使えという指導をし、国は国でバブル経済でデタラメをやってパンクした金融機関に数十兆円もの公的資金を流し、不要不急の大事業を自治体にやらせて大借金にあえぐゼネコンに利益を配分し、その金が金融機関にいって、その資金をアメリカのバブル経済を支えるために流すという政策をつづけさせてきた結果である。
さらに医療費や介護費、福祉費や教育費、農漁業費、中小企業の振興費などをつぎつぎに削減してきて、いよいよ市町村もつぶして経費削減をするが、それで借金払いをするものではない。それ以上に、アメリカのグローバル化戦略と、同じアメリカが要求する有事法法制化のたくらみと切り離して考えることはできない。戦争をやるということは財政をともなうことであり、戦時財政の準備をしているとみるほかはない。湾岸戦争でアメリカの戦費を負担したが、いまやろうとしている戦争はアメリカの戦争の下請をやるというものであり、その戦争の戦費調達を考えているといえる。
町村をつぶすということは、農漁業とそれを基盤にした商工業および農漁村生活をつぶすということにほかならない。「戦時体制をとる」と息巻く一方で、食料の自給がますますできないようにする。国民の食い物は外国に依存しながら戦争をやるという政府は、愛国心など投げ捨てた亡国政府であり、外国に主権を預けたかいらい政府といわなければならない。
さらに重要な問題は、市町村をつぶすことは、地方の人民にとってものをいっていくところがなくなるという問題、つまり地方自治が形の上からもなくなり、上意下達の官僚国家になっていくという問題である。
地方自治の原則は、かつて天皇を主権者とする中央集権国家のもとで、知事は官選で人民を徹底的に弾圧し、上からの強権を発動することによって、犯罪的な戦争をひき起こした。そしてアジア諸国に甚大な被害を与え、国内でも人民に塗炭の苦しみを負わせ国土を荒廃させた。その反省として憲法で主権在民を原則とし、地方自治を決めた。この国の主権が、「民」の側にないことは、この合併の騒ぎだけ見ても明らかである。この国の主権者は、結局のところアメリカであり、それに従属して、国を売ってもうけていこうという独占資本集団である。
市町村合併は、これらの米日支配階級を実際の主権者とする政府が、かれらの命令どおりに日本中を総動員できるようにするための、とりわけ戦争動員できる中央集権国家をつくろうとしていると見るほかない。それはかつての戦争の反省をすっかり覆し、今度はアメリカの命令を「神の声」とする官僚国家をつくりたいのである。人民にはこわもての中央集権国家、その実アメリカに指図された情けない植民地国家というわけである。
●平和守る重要問題 地方自治の力示す時
この市町村合併は、政府が金を巻きあげるばかりで地方に出さないから起こっているわけであり、政府に出させれば解決する問題である。要するに力関係に帰する問題である。しかも合併だけではなく、消費税は一〇%にも一五%にもするというし、税務署のとりたてはますますヤクザまがいになり、その一方で福祉も教育も削っていく。その無慈悲な収奪ぶりは、年間三万人以上が自殺という間接殺人にあっているように、徳川時代の「生かさぬように、殺さぬように」の基準をはるかにこえている。黙っていれば、はてしもなく殺していくというのである。
それぞれの市町村を基礎に、全国的に結びついて、地方の人民の生産と生活の擁護、地方自治・民主主義の擁護、そして戦時国家体制を阻止して平和を守る、重要問題として声を上げて、地方自治の力を発揮することが切望されている。各市町村で議員をしめあげなければならないが、議員については、合併する市町村の最高額の報酬にあわせて年金が入るという仕かけがある。町議などは市議クラスの年金となり、町を売りとばすなら二倍から三倍の年金になるというエサもまかれてある。
自治体職員も大「合理化」である。自治労という組合があるが、その声が聞こえないのが不思議がられている。委員長が裏金づくりで縄をかけられてシュンとしている関係であるが、政府や県当局者を心配する組合ではなくて、「自治」を看板にする労働組合として、それにふさわしい役割をはたすことが注目されている。自分の損得第一で破滅していく道ではなくて、すべての住民の利益を代表し、国とたたかうなかで職員の利益をはかることが職員、住民の要求である。