下関市立中央病院が今年4月1日に「独立行政法人・下関市立市民病院」に移行してから8カ月が経過した。表向きは「救急の医師が確保できて医療体制が充実した」「独法化してよくなった」といわれている。ところが入院して実情を目にした市民のなかでは、「いったいどうなっているのか」「これで市民病院といえるのか」と心配する声が方方から上がっている。下関市内では4つの総合病院が相互に依存しあって地域医療を成り立たせており、市民病院はその重要な一角を占めてきたし、現在も占めている。患者が心配しなければならない病院のままでは市民が安心して医療を受けることができなくなる。命のかかわる問題であり、なにが起きているのか全市民の経験をもとに現状を解明し、解決することが求められている。
一病棟は閉鎖されたまま
市民病院に入院した患者や家族のなかで不安として語られているのは看護師同士の連携、チームワークがとれていないこと。とにかく忙しそうで、ナースコールを押してもだれもステーションにいなかったり、「この患者がどのような病気で、なんの治療を受けているのか」「朝、昼、晩と何種類の薬が出ているのか」などのひき継ぎがされていないなど、「患者がしっかりしていなければ医療ミスにもつながりかねない」と危惧されており、なぜそうなっているのかとの疑問が語られている。
患者が直接目にするのは医師や看護師であり、怒鳴られたり叱られたりするのもこうした現場スタッフだが、一人一人の医師や看護師は医療を志し、その誇りややりがいを支えに長年激務を担ってきた人人だ。そうした人たちが独法化に移行する過程で大量に辞めていったが、本来の志を見失ってしまうほど居づらい病院になったのはなぜなのか、独法化以後どのような体制がとられているのか見ないわけにはいかない。
市民病院の医師・看護師不足は、全国的な問題ともかかわって以前から深刻化していた。それを加速させたのが独法化の過程だった。中尾市長が突然「平成24年度から独法化する」と宣言し、反対する看護師や医師など医療現場スタッフの意向を無視した形で強行したため、先行きの見えない状態に不安を感じ、また意欲を失って多くの医師や看護師が病院を去っていった。
昨年の3月市議会前に看護師から全市議に宛てて送られた手紙には、看護師の心からの訴えがつづられていた。
必死の努力で実習や試験を乗り越え、念願の看護師となった喜び、看護を通じてさまざまな患者や付き添いに疲れた家族の姿とともに、苦痛のなかの笑顔に出会い、「患者さんから感じる確かな息づかい、それを肌で感じ、苦しい病状のなかにも希望を見出すお手伝いをさせていただく、それが看護師としての原点」「人と人とを結ぶ信頼の医療、それが看護師として、また市立病院としての使命」であり、時代や医療水準がかわっても、看護師と患者・家族のつながりは決してかわらないことを強調し、「採算ばかりに目を向けて帳簿の数字だけの目先の利益を追求していては、いい医療になるはずがない。長い目で見て地道な努力の上にこそ、人と人とをつなぐ信頼の医療と看護の魂は生まれる」「中央病院が原動力である医師、看護師、コメディカル等のこの“魂”を見失いそうになって苦境に立っている」とのべていた。そして看護師の欠員が50人に達する見込みとなり、病棟では平均で月10回の夜勤、なかには14回という看護師さえいる過酷な状況となり、「高い練度とチームワークで今までどうにか事故もなく、日々の業務を必死にこなしてきたが、それももう限界で、士気の低下を否めない。このような悲惨な状態に陥っている当院が、独法化するだけで多くの人員の採用が見込めるだろうか?」と訴えていた。
こうした状態をつくり出しながら独法化を進め、「7対1看護を目指す」としているが、現状では全病床に入院患者が入れば10対1看護も成り立たないため、1病棟は閉鎖されたまま。またベテラン看護師が辞めていったことで、若い看護師や未経験者が増加していること、年配の看護師は電子カルテを覚えるのにいっぱいいっぱいになっていることなどが、患者が不安を感じる一つの要素になっているとも指摘されている。
医師も同じで、呼吸器科はかつては下関一といわれ、ぜんそくや呼吸器疾患の患者の会も事務局を中央病院に置いていたが、5人いた医師が1人になり、ぎりぎりの体制。独法化以後、看護師十数人を中途採用し、来年4月に初めて新卒者を採用するとしているが、解決には至っておらず、基本的な医療体制が整っていない状態である。
医療という命と向き合う職場は、他と比べてもはるかにチームワークや医師・看護師同士の意思疎通が求められる。そこで大量に職員が辞めていき、新規に入った職員と一から人間関係を構築しなければならないなど、病院にとっては大きな混乱がもたらされた。患者の心配をしなければならない病院が、患者から心配される事態に至った大きな要因とみられている。
機械増えても現場疲弊 独法化以後
市立中央病院を巡っては、独法化が浮上する前の江島市長時代から「赤字部門である中央病院を改革する」といって採算ばかりが叫ばれるようになり、現場スタッフとの対立が激しくなっていったことが市内の医療関係者のなかで語られてきた。医師や看護師は、患者が治ったときの喜びややりがいという精神的支えがあって初めて頑張れるのに、「救急患者を受け入れて、1週間以上すると救急患者扱いにならない(保険点数が3割減る)になるから、管理職から退院させろという指示がおりてくる」などの事例が多くなり、患者と現場スタッフの意向を無視した採算性重視の運営が続いてきたため、医師や看護師の多くが意欲を失っていったという。
現場スタッフが「患者のために」という思いで、夜遅くまで働いていることに経営陣が目を向けず、国からの補助の多い新しい事業にばかり飛びついて、そのたびに病棟などから看護師がひき抜かれ手薄になっていく。その結果、現場は疲弊し、国の医療費削減政策とも絡み合いながら、中央病院経営は厳しさを増し、そうした状態を解決する装いで独法化が進められた。しかし独法化して独立採算になれば、さらにこうした採算性重視の運営をせざるを得ない状態になっている。毎月のように採算が現場スタッフにまで伝えられ“効率経営”を徹底されているという。
現在、独法化したことで縛りがなくなり、駐車場整備や億単位の医療機器の購入・更新など、巨額の投資をともなうインフラ整備が進められている。一方でコスト削減や救急で搬送されてきた患者の未払いを徹底して防ぐための「医療費預かり金制度」の導入、分娩費用などの一部料金の値上げ、効率よく診療報酬が得られるようにDPC制度の導入を準備するなどといった、「効率的効果的な業務運営の確立」「収入の確保」に向けた体制強化も進めている。しかしいくらインフラ整備がされ、最新鋭の機械が設置されたとしても、患者が放置されたり「二度と行くもんか」と思うような体制では元も子もない。
病院の医療収入を増やす最大の要因は、患者が「いい病院だ」と感じ、たくさんの市民が頼りにする病院にすることである。医師をはじめ看護師、検査技師など医療現場で働く人たちがどれほど医療に情熱を燃やし、医療に働きがいを感じて、患者の信頼を得る病院にするかどうかが、最新の医療機器を導入することや、建物がきれいになること以上に大切であることはいうまでもない。本末転倒な状態を改めて、医療体制を充実させることに力を注ぐことが求められている。
天下り役人が采配を振るった結果、学問そっちのけで大学でなくなったのが下関市立大学であるが、医療そっちのけで市民病院まで崩壊させるというのなら、下関市民としては考えなければならないところへきている。