下関吉田にある高杉晋作が眠る東行庵から、高杉史料が持ち出された事件をめぐって、持ち出した側が起こしていた裁判で、一坂元学芸員、野村萩市長らが当時、人人にウソをつき、陰謀をめぐらせて運び出した事実が暴露された。 高杉史料を運び出したのは日通山口支店であるが、高杉氏が発注したのではなくて、萩市であった。しかも、東行庵側に運び出しを知らせるまえに、日通に発注し、萩市収入役の名前で支払いもしていた。野村市長は裁判でも、東行記念館の閉館をマスコミで知って、はじめて資料の受け入れを申し入れたと証言していたが、これはウソをついていたわけであり、偽証罪を犯していたわけである。 ひじょうにハッキリした事実は、早くから野村市長が一坂学芸員と謀議をめぐらせて、萩市が一坂氏を雇うことを条件にして、東行庵資料を持ち出す計画を立てていたこと、そのために高杉氏をだまし、世間を欺き、自分らの陰謀を隠ぺいして東行記念館の役員を「管理が悪い」と攻撃し、東行庵関係者も世間も起こった事態が理解できないまえに資料を押さえるという、きわめて陰謀じみた略奪行為におよんだわけである。野村市長は国税庁のエライさんであったというが、国税だからそんなことをやるのか、国税なのにそんなことをやるのか、よく問いたださなければならない。 いずれにしても、高杉晋作という日本近代歴史上の重要人物をめぐる問題で、広く真実を公表して、世間の納得を得る正当性があるとは当事者自身がまったく考えていなかったわけである。それは現代版の悪代官と悪徳商人のしわざであり、高杉晋作が墓に入っているのをよいことに身ぐるみはいでいったという、とんでもない事件であった。 東行庵に学芸員として雇われておりながら、萩市の野村市長の側に立って資料略奪をひき受け東行記念館をつぶすために動いた一坂氏は背任行為であるが、逆に「不当解雇」「損害賠償」などと裁判で攻撃するなど、居直り強盗のたぐいである。それは、「人を攻撃することこそ自己防衛」という調子の近年の少年犯罪を想起させるアメリカ風の精神である。これらの行為全体は、オレオレ詐欺のごとき詐欺・横領のたぐいであり、自分らの略奪計画を実現するために、詭弁を弄し、東行庵関係者を攻撃するのは名誉毀(き)損ともなる犯罪であったわけである。 事態の解決をむずかしくしたのは、山口新聞をはじめマスコミ各社が群がって、この詐欺・略奪行為の応援に騒いだことである。下関の江島市長も、自治会を動員して10万人署名をやったりしたが、市民をだしに使っただけですぐ承認し、仲がよい野村市長とのあいだでは話がついていたと見るほかなかった。またこの「ごまのはい」連中の犯罪の弁護に二井知事直結の県公安委員長がついて、警察も顔色をうかがう関係となった。山口県もこの一件に関与しており、アメリカにおべんちゃらをいう御用学者を集めて明治維新の評価を覆す仕事をさせている。また松陰教育を看板にする萩を基盤とする河村元文科大臣の関与も語られる関係にある。いわば体制的に擁護された詐欺・略奪というところが、この社会の深刻な荒廃ぶりをあらわしている。 高杉史料を盗んで開館した萩市博物館は、ドロボー屋敷だったわけだが、高杉史料はきわめて貧相なあつかいをされている。これら一連の事件で最大の問題は、高杉と明治維新の評価の覆しである。それは近年、学者のなかでも、マスコミがそれをはやし立てていることから大流行になっている。一坂氏などは、高杉記念館で雇われていながら、イギリスの彦島割譲の要求にたいして断固としてはねつけた高杉の行為は資料がないから作り話だとか、幕府恭順の俗論派など明治維新の敗者の側に同情を寄せなければならないとか、マスコミ受けを狙う方向に熱中し、高杉を冒涜(とく)してきた。まるで幕府方の隠密が高杉を暗殺するために東行記念館に潜りこんできたようなものであった。 人人のなかでは、あの戦争でアメリカにさんざん爆撃され、300万人も殺されて敗戦となり、アメリカの占領下で戦後改革をやり、それから六〇年たって、政治も経済も文化も教育も軍事も、民族の自立も誇りもなく、すっかりアメリカの植民地状況になってしまったこと、このなかから明治維新の先人たちの偉業への思いが強まっている。 今回の野村萩市長らの詐欺・泥棒事件は、高杉を萩観光の商売道具にすると同時に、より大きなところで、明治維新を指導した最高指導者高杉晋作を抹殺することが最大の眼目と見ることができる。 小泉首相などはどこから見ても屈従開港の幕府側であり、独立近代化の維新側の対極にある。下関では、安倍晋三氏が「総理大臣候補」というので、「日本も落ちぶれたものだ」といわれているが、河村元大臣も、腐った幕府をうち倒して外国列強から独立を守り近代国家をつくった松陰や高杉、および当時の長州藩の百姓、町民などの偉業がめだったのでは、アメリカの機嫌を損ねるし、独立心も愛国心も失った自分たちの姿があまりにもみっともないのであろう。 あらわれている事態は、明治維新で成り上がったが、明治維新が勝利するとそれを裏切った連中の系譜にあたる連中が、黒船を率いてきたペリーにひれ伏した徳川幕府とそれへの恭順をはかって討幕派を暗殺した長州藩俗論派の側に立って、高杉晋作と明治維新を冒涜しているのである。維新の拠点となった山口県民としては、現在はびこる俗論にたいして、積極的な顕彰を強めることが民族の歴史の伝統を守り、現在の日本の進歩発展とかかわって重要な課題である。 |