(2025年3月19日付掲載)

下関市長選で3選を果たした前田晋太郎㊧と対抗馬の蘇丈喜
下関市長選が16日に投開票を迎え、現職・前田晋太郎の三選が決まった。山口県内では近隣で萩市長選も同日におこなわれ、こちらでは衆院の選挙区再編を巡る林派と河村派のポスト争奪のしこりをそのままに保守分裂選挙がくり広げられ、またもや河村建夫(元官房長官)実弟の現職・田中文夫が林派候補を退けた。いずれの選挙も「ガチガチの保守王国」などといわれてきた山口県において、その地盤が決して固定化された盤石なものではなく、時代も世代も変化するなかできしみやゆがみを露呈し、溶解する過程にあることを浮き彫りにする結果となった。記者座談会を開いて、記者たちで状況を分析してみた。
A 3月16日に投開票を迎えた下関市長選の結果は次の通り。
前田晋太郎 4万5823票(当選)
蘇 丈喜 2万1628票
投票率は33・48%で、前回選挙の37・52%をさらに下回って過去最低を更新した。選挙としては「体を為している」とはとてもいい難い状況だ。3カ月前の年末年始にかけて蘇丈喜(そたけき)が動き始め、そのことによって無投票だけは回避されて、現職としては「信任を得た」のメンツだけは保った。だが、意味合いとしてはそれだけだ。
当日有権者数は20万4884人。そのうち前田晋太郎が4万5823票、そたけきが2万1628票の得票となった。13万6000人ほどは選挙にも行かなかった。おおざっぱに表現すると、有権者9人のうち3人しか選挙に行っておらず、うち2人が前田に投票して、1人が対抗馬となったそたけきに投票したというものだ。6人は両者ともに市長として信任していないし、選挙に行く気にもならなかったという残念な結果に終わった。選挙はよく祭りに例えられて、「御輿を担ぐ」なんて表現が用いられたりもするが、興ざめした6~7割が祭りにすら参加しなかったのだ。どうりで街中が静かなはずだ。
B 投票率がとにかく低すぎる。期間中もどこで選挙をやっているのだろうか? というほど無風で静かなのが特徴だった。街中で暮らしていて話題にもならないという点で冷め切っていた。そりゃ、6人がそっぽを向いて、3人だけ参加したような選挙となると、選挙に行った人、関心を持って投票行動に及んだ人に当たる確率の方が低い。その倍以上の人たちが選挙に見向きもしなかったのだから…。街角でも盛り上がりが感じられなかったのはそのためだろう。方々で「行く気がしない選挙」と話題になっていたが、その意味を考える必要がある。
投票率がもっと伸びて、それこそ70~80%の土俵で政策をぶつけあい「信任を得た」「選ばれた市長」というなら納得もいくが、下関のような地方都市で投票率30%台というのは考え物だ。この実質的な無風選挙のなかで、この程度の得票で現職が「3期目の信任を得た」とふんぞり返っているなら、ちょっと頭を冷やした方がいいだろう。投票率が50~60%台でも“低い”“4~5割の有権者が参加しなかった”といわれるのに、その半分程度というのはきわめて深刻だ。下関市民が「選んだ選挙」というよりも「林芳正が選んだ選挙」になってしまっている。初めから終わりまで、まさに有権者不在なのだ。
C 前回の市長選も、自称市民派の田辺よし子が立候補したおかげで無投票だけは回避できた。常識的には無投票で当選したといっても箔は付かないのがならわしで、「選挙で信任を得た」格好だけでもしなければ体裁がつかないという事情があったりする。安倍派と林派は前回も手打ちが済んで、両者が野合した結果、前田晋太郎の得票が5万7291票、田辺が2万2774票だった。そこから4年たった今回、前田晋太郎の得票はさらに約1万2000票減っている。今回のおよそ4万6000票をどう評価し、どう見るか?だ。
参考にしてみると、2017年の中尾vs前田の際には、票割り役となった松村が1万1000票とったのに対して、中尾(林派)4万6000票、前田(安倍派)4万9000票だった。安倍派も林派も死闘をくり広げて4万票台を競ったのだ(投票率47・09%)。その代理戦争が終息して、林派としては第2次安倍内閣の全盛期に下関市長ポストの争奪に行くような真似はせず、冷や飯ではあったが候補者擁立にも至らず、前回選挙となった。林派があまり乗り気ではないなかでも、おつきあいだけはする感じで前田の得票としては若干上積みされて5万7000票はあったのだ。しかし、それとて安倍派と林派がフル稼働して掘り起こした合算の得票にはほど遠いことがわかる。一枚岩にはなれないことをあらわした。
B 江島潔が市長の時代に、とりまきの選挙ブローカーが「三つ巴を4万票台で勝ち抜ける選挙テクニック」みたいなのを標榜しているのを聞いたことがあるが、ついに無風の一騎打ちで4万票台にまで市長選の当選ラインがガタ落ちている。安倍派、林派、公明党、連合といった既存の政党組織が一丸となってとりくんだ選挙で4万6000票そこらというのは、「えっ? その程度にまで落ちぶれているんですか?」と聞かなければならないような話でもある。「手堅い選挙を展開した」と某紙が記述していたが、むしろゆるゆるではないか? というのが実感だ。およそ14万人の有権者が選挙に行かず、投票率が30%台前半だから余裕をぶっこいておれるわけで、投票率が50~60%台に跳ね上がるような選挙になった場合、たちまちひっくり返るような数字でもある。「安泰ではない」という現実を示している。
A 投票率の低さは「行く気にならない選挙」だったことの反映にほかならないわけで、「どうせ前田晋太郎でしょ」みたいな空気が支配的だったこととも関係しているのではないか。直前にそたけきが対抗馬として動き始めて、「若いのが出るなら頑張れ!」の世論も一部には広がっていたが、如何せん準備不足や期間の短さが否めなかった。それでも思いのほか票を集めたといえる。一定の批判票の受け皿にはなったが、拮抗するほどの広がりにはならなかったというのが得票から分析すべきことだと思う。
自民党関係者のなかでは当初、そたけきの得票については「1万票行くかどうか」みたいな見方もされていたわけで、安泰を決め込んでいた。常識的に考えて現職と泡沫の一騎打ちみたいな描き方もされていたわけだ。片や政党組織が一丸となって応援する相乗り候補であり、片や「いったい何者だろうか?」と思われていた若者なのだから無理もない。しかし、前田市政への批判世論が根強いこともあって、短期決戦でありながらそたけきは相当に押し上げられた。
街頭での反応が日増しにすごくなっていったようだが、それは下関をどうにかしたいと願う有権者の嘘偽りないリアルな反応だと思う。30代の若手の訴えに「もっとやれ!」という支持が寄せられ、2万票ごえという重い数字となってあらわれたのだ。陣営としてはもっと得票を重ねたかっただろうが、十分に重みのある得票だ。「思いのほかとった」というのが選挙通たちのなかでも評価になっている。ポッと出てきたにしてはよくとったという反応だ。
C 対抗馬については認知度を広げるにも如何せん時間がなさ過ぎたのだろうし、20万人をこえる有権者のなかで「いったい何者なの?」という空気は最後まで存在していた。一方で本人が精力的に人と会い、語り、下関が抱える課題や市政に対する思いについて意見を聞き、汲みとろうとする姿勢に共感して、「よし応援しよう!」となる人たちも一定数いた。前田市政への批判の受け皿としてはそれ以外になく、白票を投じるか、あるいは棄権して関わりたくないか、そたけきに一票を入れるかの選択肢以外にはなかった。「そたけきも何者かよくわからない」という人々の多くは棄権する道を選択したのだと思う。
彼にとって選挙期間中の出会いは今後の財産になるはずで、政治活動を続けるなら大切な基盤になる。「これまで選挙に行かなかった」「今回の市長選ではじめて投票した」という若い世代も一定数いて、そういう意味では選挙と縁遠かった人々を投票所に向かわせる力となったのだろう。しかし、それ以上に選挙に行かない人たちが増えて、投票率としては過去最低にもなった。とはいえ全有権者のおよそ一割が入れてくれた、投票してくれたというのは決して小さなことではない。
閉塞した下関を憂い、どうにかしたいという思いでこの街の政治に関わっていくなら、投票した2万人はまず見ているし、市議選に挑んでいくというのも選択肢としてはあり得るのだろう。あの自民党&公明党とそれにぶら下がった市民連合でガチガチに凝り固まった体制に、風穴を開けていくような若手がどんどん出てくることのほうが新鮮だ。今度は林派一極支配みたいなできあがった構造のなかで忖度していくようなことではなく、30代とかがもっと出てきて、議論を闊達に交わすような土壌こそ必要だ。本池一人では不十分だ。
「○○事務所が市長を選ぶ」 その基盤は脆弱化
A 今回の選挙はさながら「林派としての前田晋太郎の初陣」みたいなものだ。前田晋太郎としては、安倍晋三亡き後に生き抜く術として林芳正に恭順の意を示し、「君しかいない」といわれたのだと選挙で何度も言及していた。当選後には壇上で林芳正からの電話を受け、感謝感激の思いを支持者の前でのべるという演出もされていた。安倍事務所の秘書だったところから市議になり、林派の中尾市長を引きずり下ろす駒として市長選に挑み、安倍夫妻の全面バックアップで当選して今日に至る。市長ポストを力ずくでもぎとったのだ。ところが、後ろ盾だった安倍晋三があのような形で亡くなり、安倍事務所も解散して親分だった筆頭秘書はじめとした支えも失い、さあどうなるか? というところで、林に取り入って市長としての首の皮をつないだ。吉田真次界隈みたく安倍派の残党として林派とやりあうのではなく、折衷して切り抜けようという腹づもりなのだろう。世渡り上手にも見える。
C しかし、今回の選挙は安倍派も林派も感情としては複雑だったようだ。気乗りがしないというか…。そりゃそうだろう。安倍派からすると、今度は林派に取り入ってみずからは市長ポストには収まるというのが納得いかない部分もあるし、節操がない振る舞いについておもしろくないという感情も少なからずある。一方の林派も、どうして林派として自前の候補を立てないで無難に衝突を避けていくのか、長門、萩の市長選で林派候補が敗北したからといって羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くようなことをして情けない…という思いがあったりで、こちらもあまり気乗りがしないようだ。だって、8年前には死闘をくり広げた相手をあろうことか林派に取り込んで市長として使っていこうというのだから。
市議会議長のポストこそ林派に取り戻したとはいえ、目の上のたんこぶだった安倍事務所も解体した今、なにをそんなに遠慮しないといけないのかといった感情もあろう。市長になりたくて仕方がなかった林派の市議なども忸怩(じくじ)たる思いがあるだろう。しかし、「林芳正の決定」「泰四郎の決定」には逆らえないのだ。すなわち、はじめから「林芳正が選んだ選挙」なのだ。
林派の上層部の都合としては、長門、萩のように安倍vs林の選挙構図を下関にまで持ち込んだ場合、安倍派を刺激して衆院新3区はあちこちで火花が散りかねない。そこは折り合って、前田晋太郎をはじめとした勢力を取り込めるだけ取り込んでいくというのが作戦なのだろう。いうことを聞くなら、代理人が前田晋太郎だろうがなんだろうが同じで、やることも同じ。きわめて合理的な考え方でもある。だから、今回の市長選は林派企業が人員を送り込んだり、前田陣営を下支えもしたが、安倍事務所解体後の初めての市長選であり、その得票数がどうなるのかは注目されていた。安倍事務所仕切りの市長選から、世代もメンツも切り替わった選挙にもなったのだ。
B 前田陣営が対抗馬を泡沫と見なして高をくくっていたのは疑いなく、選挙リーフも作らないなど経費節減選挙を展開していたが、企業関係でもこれまでのように動員がかかったり、連絡が来たりということもなかった。圧力なり締め付けも効かせながらの「ゴリゴリの保守王国」だったはずだが、なんだか様子が違うと方々で話題になっていた。いわゆる選挙での「動き」というやつがないのだ。そして、得票数の見込みすら読めてなかった節がある。弛緩しきった選挙といえばそれまでだが、これまでの選挙のプロたちが企業選対でもなんでも取り仕切っていたようなガチガチの鉄板型ではなく、ゆるゆるの素人型とでもいうのか、果たしてこんな選挙を重ねて「保守王国」の強さみたいなものは継承されるというのだろうか? と思わせるものだった。選挙をとりくむ面々の代替わりが進んでいることもあるが、継承されているのか? が数値化されたような結果でもある。下関の選挙を知り抜いている人間たちが、果たしてどんな評価をしているのかは聞いてみたいところだ。
はっきりいって前田の得票は少ない。評判の悪さからして「そんなもん」という見方もあるだろうが、それが自民&公明&連合など下関の全政治勢力が翼賛化してまとめあげた得票というなら、基盤の溶解はますます進行していると見なすのが自然だ。恐らくこの状態で溶解し続けるのだろうし、ビシッとした選挙を取り仕切るような実力者も少なくなり、ある意味選挙プロだった安倍事務所などが解体されて一種の機能不全も起こしているなかで、立て直しは相当厳しいものがあるのだろう。縦系列や横系列にもきしみが出ているように思えてならない。一つには糾合できていないのだ。
従って、これといったまともな対抗馬が台頭したときには、いとも簡単にひっくり返されるということだ。現体制が永遠不変のものではないのだ。しっかり政策も煮詰めて挑んでいく陣営なり政治勢力が出てきて、下関の進んでいくべき路について有権者に訴えを届け、批判票の1割に上積みして選挙に行かない6~7割のなかの1~2割でも引きつければ、局面はガラッと変わることを意味している。「どうせ前田晋太郎なんでしょ」「今度は林派の子分になって林代理市政かよ」「かといって何者かわからない者には委ねられない…」という空気が支配的だったが、なんだか過渡期でもあるように感じる。
萩市長選では林派が2度目の敗北
C 今回の市長選について、メディアでいうと8時の投票締め切りと共に流れる当確情報の「ゼロ打ち」は見送られた。各社ともに不確実性があって怖くて踏み切れないという判断だったそうだ。某テレビ局が期日前投票に張り付いて出口調査をしていたが、「期日前だけ見たら拮抗でわからない…」とぼやいていたのが印象的だ。今回の市長選ではNHKが人とカネをかけて出口調査をしておらず、もっとも信憑性のある数値がなかったことも「ゼロ打ち回避」に影響したようだ。ダブルスコアの結果が出口調査をしてもわからないというのはあり得ない話でもあるが、いろいろと状況が変わりすぎて「読めない」というのがあったようなのだ。本来なら、前田圧勝でゼロ打ちが出ておかしくない。それなのにできない…。そんな選挙だったのだ。
常識的な選挙構図からして現職vs「認知度もそれほどではない新人」という圧勝構図なはずなのに、現職批判はそこそこ根強いし、そたけきの得票が未知数で、陣営に対する好反応もそのように脅威に映っていたということだろう。
A 先ほどから「保守王国の溶解」が話になっているが、確かに既存の政治勢力が前田支持で一丸となっているのに4万6000票ではあまりにも少ない。しかし、これは今回に限ったことではない。長いスパンで見てみると溶解の現実はもっとリアルに捉えることができるのではないか。
例えばだが、衆院山口4区(長門市、下関市)では2010年代の第2次安倍政権の時期にとりわけ地盤崩壊が顕著なものになった。それまでは安定的に12~14万票台で推移していた安倍晋三の選挙区における得票は選挙をする度に激減し、終盤にみずからが総理大臣として解散した総選挙では10万票を維持するのがかつがつだった。そして、本人にとって最後の総選挙ではいっきに2万4000票以上減らし、8万票に毛が生えた程度にまで落ち込んでいた。銃撃された後の補選に吉田真次が出たものの、これまた得票は長門市含めて約5万2000票足らずで、安倍派の4区が事実上崩壊していることを物語った。地盤を糾合できないまでに弱体化し、安倍事務所も解散したなかで、この立て直しなり残党たちの結束など保てるわけもない。世代も変わりつつあるなかで、ますます溶解するほかないのだ。
C 同日におこなわれた萩市長選の結果が皮肉なもので、下関市長選の投票率のおよそ2倍の63・22%(前回66・66%)。こちらは元官房長官の河村建夫を衆院山口3区から追い出したのが因縁になって、河村派vs林派のバトルが繰り広げられた。河村実弟の田中文夫が1万1995票で、現官房長官の林芳正が推す藤道健二(元職)が1万393票。僅差で林派が2度目の敗北を喫した。
長門市でもそうだったが、安倍派vs林派、河村派vs林派の市長選に林派は敗れ続けており、保守系のなかでも感情的に「ざまぁ見ろ!」という人だっている。衆院新3区のポストこそ奪い取ったものの、選挙区内は一枚岩ではないし、下関とて取り込んだりしてオブラートに包み込んでいるような状態にほかならない。前田晋太郎は目先のポジション奪取のために軍門に降ったか知らないが、「これからは一枚岩でやりましょう!」は全体としてはまるで浸透していないのだ。
なお、萩市長選ではまたぞろ林芳正とタッグを組む県議会議長の柳居俊学がしゃしゃり出て大暴れしたそうだが、林派は田中文夫&河村建夫の地盤を崩せなかった。「下関市長選に柳居俊学を近寄らせるな」「あいつが首を突っ込んだらもっと前田晋太郎の得票が減る」と下関の安倍派を中心にした自民党関係者が気を揉んでいたが、柳居俊学の子分作りがどこでも手痛いしっぺ返しをくらっている。まあ、自民党山口県連も色々な事情を抱えたなかで、各地で選挙がやられている。
A 萩市長選を見ても「河村が選んだ市長」「林&柳居が選んだ市長」を争っており、下関なんてはじめから終わりまで「林芳正が選んだ市長」のお墨付きに付き合えというようなふざけた選挙構造だった。人口減少が著しい折にもっぱら新規の箱物ばかりに税金を注ぎ込んで、一方で学校なんてボロボロの校舎が放置されて「どこの戦場だよ」といわれるようなコンクリの剥がれた状態がそのまま。既存の公共施設の維持管理すらままならないのが現実だ。産業の衰退が著しいこともあって、少子高齢化は全国に先んじて進んでいる状態で、廃屋とか更地が市内の各所でますます増えている。
海峡沿いの観光地のみに偏重した開発がくり広げられる一方で、一歩市街地に足を踏み入れると散々な街の姿がある。無惨にも荒廃しているのだ。
このなかで郷土の衰退を憂い、閉塞感をどうにかしたいという欲求が強いのも事実で、もっと一人一人の市民の暮らしに寄り添った政策にとりくんでもらいたいという思いは強いが、政治構造としては基盤が脆くなっているとはいえガチガチにできあがっている。変化なき構造が横たわっている。
「安倍亡き後は林に従う」が今回の選挙の基本構造であり、端から有権者不在なのだ。かくして「ふざけんな」というしらけた空気が投票率33%に正直に反映している。現体制に批判世論は確かに強いが、だからといって対抗馬となった若者を市長にするまでの力としては塊になり得なかった。しかし、思いのほか有権者の気持ちをすくい上げてとった――が選挙結果からいえることではないか。
B そたけきは、引き続き郷土で政治に参画すればいい。「あんな若者がどんどん政治に身を乗り出したらおもしろくなる」という世論はある。郷土下関に必要な行政の施策を提言したり、住民の要求を束ねて政策実現のために動いたり、がんじがらめの下関の政治構造のなかで縛られるのではなく、フリースタイルで政治活動する人間が増えてもいい。多様性があった方が新鮮だ。自民党の縦系列に睨まれながら若手がへいこらして育ち、片や市職員には横柄であるとかもありがちだが、そんなものにはなんの魅力もない。市職員にいわせるとパワハラ体質の勘違い野郎ができあがるだけなのだ。今回の2万票を糧に支持基盤をしっかり固めるなら、その挑戦は決して無駄ではないと思う。
有権者の1割が「ひらがなの方に入れた」というのだから、存在は認知されたということだろう。