(2025年2月3日付掲載)
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追悼集会とともにおこなわれた坑道の潜水調査を見守る参加者(1日、山口県宇部市床波)
1942(昭和17)年2月3日に山口県宇部市の長生炭鉱で起きた水没事故で亡くなり、海底に遺骨が残されたままの犠牲者183人(うち朝鮮人労働者が136人)を悼む83周年犠牲者追悼集会(主催・長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会)が1日、宇部市床波の長生炭鉱追悼ひろばで開かれた。昨年の追悼集会で、刻む会の井上洋子共同代表は「市民の力で坑口を開ける」と宣言し、9月に坑口を見つけ出し、10月には専門ダイバーによる潜水調査も実施するなど、遺骨収容と返還に向けて確実に歩みを進めてきた。長生炭鉱の遺骨発掘返還運動は全国的にも注目を集め、日韓の国会でも遺骨返還が議題に上がり始めている。83年目の追悼集会には、こうした世論の広がりを背景に韓国政府代表や韓国総領事、日本の国会議員らも参列。韓国・日本人遺族や韓国から100人の訪問団が参列し、県内や全国各地からの参加者などを含めて約450人が参列した。戦後80年、日韓国交正常化60年の節目の年に、「日韓政府の共同事業として遺骨返還を」という世論が着実に大きなうねりとなっていることを反映した。なお1月31日から3日間、坑口からの潜水調査もおこなわれた。
世論の全国的広がりを反映した集会に
午前11時からの追悼集会は、冷たい雨が降りしきるなかおこなわれた。
井上洋子共同代表は、開会挨拶で昨年1年間をふり返り、「まさに怒涛の日々でした。クラウドファンディングで1200万円の募金を集めきり、9月25日には地下4㍍の坑口をついに発見しました。10月26日に開いた坑口前の追悼式では、長いときを経て、国境をこえて、韓国と日本の遺族がお互いの手をとりあい、共に悲しみ抱きあう姿がありました。さらに奇跡は起きました。潜水士の伊左治佳孝さんが“遺骨を悲しいままにしておいてはならない”と自ら潜水調査を申し出てくださり、昨年に引き続き、昨日から3日間に及ぶ本格的な潜水調査も始まっています。伊左治さんに導かれて坑口を出てくるその一片のご遺骨は、必ず世論を、そして政府を動かす力を持つと確信しています」とのべた。
そして日韓国交正常化60周年を迎える今年、日本の中に捨て置かれている遺骨を日韓共同事業として遺骨収容・返還が宣言されれば、日韓の「未来志向」はより確かなものになること、長生炭鉱の犠牲者の遺骨がご遺族の胸に抱かれて故郷に帰る過程は、同時に、日本が過去に犯した植民地支配の過ちを明らかにし、歴史に刻んでいく道程でもあるとのべ、「遺骨の収容・返還」に邁進する決意をあらためて強調した。
韓国遺族会の楊玄(ヤンヒョン)会長は、今年が終戦から80周年にあたる重要な年であり、1965年に日韓協定が締結されて60周年を迎える節目の年であるとのべ、「刻む会」の精力的な活動に対して謝辞をのべるとともに、「日本政府は未来志向的な韓日関係のために、過去の歴史的な過ちの事実を認め、日本政府が遺骨を発掘、収容して故郷へ送り返してくださいますよう、くり返し切にお願い申し上げる」とのべた。
韓国・行政安全部の金敏在(キムミンジェ)次官補は、「大韓民国政府は長生炭鉱の犠牲者たちのご遺骨が1日でも早く故郷や家族のそばに帰れるように最善を尽くす」と語った。その後、立憲民主党や共産党、社民党の国会議員らも発言した。
日韓交流プログラムの高校生や若者たちは「坑口も未来も開こう!」というプラカードを掲げた。韓国から来た高校生は、「83年前に183人の命が亡くなった。帝国主義の欲張りと戦争のなかで、本当なら家族と一緒に日常を過ごせる命だった。100年前のことを今さら持ち出すのかと聞くかもしれない。でもこれはただの昔話ではない。私たちにとっても大事なことだ。私たちが生きる未来に、こんなひどいことがおこなわれないようにするために、不幸な歴史をくり返さないためには、正しく終わらせなければいけない」とのべ、高校生らが日本と朝鮮の犠牲者の名前を読み上げた。最後に追悼碑の前で遺族たちによるチェサ(韓国式の法事)がおこなわれた後、参列者は献花をおこなった。
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長生炭鉱水没事故犠牲者追悼碑前でおこなわれた韓国式の法事「チェサ」(1日、宇部市床波)
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追悼集会で「坑口も未来も開こう!」とハングルで書いたプラカードを掲げる日韓の高校生たち(1日、宇部市床波)
市民の力が国を動かす 韓国国会では決議案も
追悼集会の参加者は、「83年前も今日以上に寒いなかを、海のなかに閉じ込められた夫や父親を想って“アイゴー、アイゴー”と泣き叫んでいた遺族の人たちがいたことを想うと本当に切ない」と思いを馳せた。別の参列者は、「海底に炭鉱を掘る技術は100年前からあったということだ。日本政府は危ないから調査できないというが、炭鉱を掘る技術があったことを思えば、遺骨の収容はできるはずだ。市民の力でここまで明らかになった。日本政府が調査に乗り出すべきだ」と語っていた。
なお、1月31日には衆議院の予算委員会で立憲民主党の源馬謙太郞議員が、長生炭鉱の遺骨収容・返還事業についてとりあげた。「今、クラウドファンディングによって民間のダイバーが潜水調査をおこなっている。遺骨が海底にあることは事実で、ダイバーの調査で仮に遺骨一片でも所在がわかったら、国は調査するのか」という質問に対し、福岡厚労大臣は「安全性の問題もあるので、今後の対応は検討したい」とのべた。
刻む会の井上共同代表は、厚労大臣の見解について、「今まで(国は)仮定の質問には応えられないと明言していたが、“今後の対応は検討します”という回答を得た。一歩前に出た見解ではないか」と、この間の市民世論が確実に国を動かしつつあるとの見解をのべた。
一方、韓国のキム・ジュンヒョク国会議員が、長生炭鉱水没事故の真相究明と犠牲者遺骨発掘および奉還を日本政府に促す決議案を韓国の国会で代表発議した。日韓政府が協力して水没事故の真相を明らかにし、犠牲者の遺骨発掘および奉還作業を迅速に推進するよう要求するもので、可決される見通しだという。
3日間の潜水調査を実施 坑道内の状況より鮮明に
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長生炭鉱の坑道内潜水調査で見つかった物を前に説明するダイバーの伊佐治佳孝氏。その横に座って見守る井上洋子代表と遺骨収集ボランティアの具志堅隆松氏(2日、宇部市床波)
刻む会は、追悼集会を挟んで1月31日から2月2日までの3日間、2回目となる坑口からの潜水調査を実施した。3日間とも韓国の遺族らが見守るなかでおこなわれた。追悼会がおこなわれた2月1日には雨が降りしきるなか、韓国訪問団のメンバーを含む約300人あまりが見守った。
刻む会によると、坑口から330㍍付近が坑道のなかでもっとも低い位置であり、犠牲者の遺骨が残る可能性が高い場所だという。
1回目は、午後2時過ぎから水中探検家の伊左治佳孝氏が坑道に通じる坑口から潜り、約1時間半後、命綱を頼りに坑道内を約250㍍進んだところで戻ってきた。「水中に構造物が多く、まるでジャングルジムをくぐり抜けるようだった。10分かけて20㍍を進むような感じで、手探りのなかで抜けられる場所を探しながらだった」と語った。
2日目は、さらにその先へ進むことを目標にし、坑道内の構造物を取り除く必要がある場合のために、のこぎりを持参して潜水調査を実施した。午後1時30分から約105分の潜水調査で、水深28㍍、前日より15㍍ほどさらに奥に進むことができたといい、坑口から約270㍍付近までたどりついた。
3日目は午前10時20分からおこなわれ、110分間の潜水調査を実施。3日目の調査は先へ進むというより坑道内にある人工物に意識を向けながら潜水し、坑道内の残存物や木炭のようなものを持ち帰った。伊左治氏は「ここの中で人が働いていたんだなと感じさせるような物や構造物、ゴムの配線などもあった」と説明した。
伊左治氏が潜水調査をしている間、坑口前では東京都東村山市にある国平寺の尹碧巖住職が無事の帰還を願って読経をおこなった。尹住職は、長生炭鉱の潜水調査の動きを知り、いてもたってもいられずに駆けつけた。
「私たちは在日朝鮮人で、親たちが朝鮮から来ており、海底に眠っている人たちは自分たちの親同然だ。私たちも遺族の人たちも毎日毎日、供養を続けてきた。今回、海の底にあるご遺骨のために潜ってくれるダイバーに感謝したい。この若者の命がけの調査が安全におこなわれるようにと思い、ここに来た。世の中にはたくさん解決されない問題はある。隠された歴史が現実にあることを形に表す行動が無事に終われることを願っておこなっている」と語った。
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潜水調査を前にダイバーを激励する日本や韓国の遺族たち(2日)
DNA鑑定の準備進む 沖縄・具志堅氏も協力
3日間の行動を見守るために沖縄から駆けつけた戦没者遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松氏は、「沖縄戦で犠牲になられた方も、長生炭鉱で犠牲になられた方も日本政府による国策の犠牲者だ」とのべ「ここ(長生炭鉱)でやっているのは行動的慰霊、拝むのは観念的慰霊だ。伊左治さんだけでなく、ここに集まっているみなさんが行動的慰霊をおこなっている」と関係者を讃えた。長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会は、潜水調査の実施と同時並行で、遺骨返還に向けて「DNA鑑定・遺骨返還専門家相談会」を開いており、具志堅氏は構成メンバーの一人だ。
刻む会は、今回、具志堅氏の助言も得て、潜水調査で遺骨が見つかった場合は警察に届け出る手はずを整えていた。
井上代表は、事前に宇部警察に話しに行ったさい、「(潜水調査で遺骨が見つかった場合は)ご遺骨の鑑定は警察の科捜研がおこなう」という見解を示した事実を紹介した。この事実について具志堅氏は、「見つかった遺骨を科捜研で調べて、ご遺族との間のDNA鑑定まで踏み込んでもらえるような状況になりつつある。これは国の機関がかかわるということで、日本政府は関係ないといえない状況がつくられていると考えている」と語り、世論の広がりのなかで国がこの事業に関与せざるをえない状況を生み出しているのではないかとのべた。
3日間の潜水調査を終えて、井上共同代表は「今回、ご遺族が来られて伊左治さんと初めて出会った。伊左治さんの気持ちもご遺族の気持ちも両者に伝わった。これから韓国政府の姿勢が日本の政府に対しても力になっていくと思う。日本政府を動かすために、民間の力でできること、できる限りの障害物をとり除いていきたい。今回の調査によって坑道内にレールはあり、確実に繋がっていることもわかった。たどっていけば確実にご遺骨はある。今後も調査を進めてご遺骨にめぐり合えるように、次に向かって前進していきたい」と語った。
4月に日韓で潜水調査 今後の日程
なお刻む会は今後の日程を公表。3回目の潜水調査を4月1、2日におこない、韓国のダイバー2人も新たに参加する。日韓両政府に先んじて、民間レベルで日韓共同で遺骨の収容作業が始まることになる。
4月の潜水調査で遺骨が収容されれば、政府の参加を求める政府折衝を開始し、さらに5~8月ごろから坑口補強工事と民間によるDNA鑑定も開始する。そして、政府折衝の末、仮に政府が不対応の場合には、6月ごろには長生炭鉱の解決を迫る政府交渉を大衆的におこない、8月からは日韓政府と民間によるDNA共同鑑定と遺骨返還事業を進めていくとしている。
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海底坑道内の潜水調査をおこなうダイバーたち(2日、宇部市床波)
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海底坑道の潜水調査から戻ってきた伊左治氏を見守る参加者たち(1日)