(2025年1月13日付掲載)
任期満了にともなう下関市長選挙(3月9日告示、同16日投開票)が迫っている。3期目を目指す前田晋太郎(48歳、現職、元安倍事務所秘書)以外に手をあげる者がおらず、無投票かと思われてきたが、昨年末になって33歳の男性が出馬の意向を明らかにし、選挙になる可能性も高まっている。組織的に見れば前田市長安泰の構図であり、自民党関係者たちは歯牙にも掛けない姿勢だが、市民のなかでは「だれか対抗馬は出ないのか」という世論も強まっていたなかで注目が集まっている。全国的に共通した状況ではあるが、下関市の市民生活は深刻だ。前田市政8年、とくに2期目のこの4年がそうした市民の苦境を省みることなく、もっぱら大型箱物事業なり観光開発に巨額の税金を注ぎ込んでいることへの批判は強まっている。この市長選に当たって何が争点になっているのか、記者座談会を持って議論してみた。
巨額予算はどこに注がれたのか?
A 安倍晋三亡き後、初めての市長選になるが、前田晋太郎が1年前の2023年12月に市政報告会を開いて出馬表明しただけで、これまでだれも名乗りを上げない状態が続いてきた。そのときにも記者座談会で様子を紹介したが、この出馬表明に林派のボスともいえる林泰四郎(林義郎の実弟)も出席し、林芳正からのメッセージが読み上げられるなどして、市長続投について林派の合意を得たのだとアピールしたわけだ。
それにしても、現職が1年以上前に出馬表明するなんて前代未聞だ。林派として市長ポストを狙っていた面々もいたなかで、自民党内の対立候補を牽制した形だ。なかでもよく名前が浮上していた市議会議長の香川昌則なんかは本当に悔しかっただろうと話題になっていた。去年1年も、他の議員にあたり散らしているとか、どうもご乱心のようだとか、その葛藤が方々で話題にされていたくらいだ。
B 下関の市長選といえば、過去には安倍派と林派がポスト争奪をかけて激しくしのぎを削ったり、はたまた両者手打ちの状態であれば「無投票を回避する」という名目で泡沫が出てきて消化試合となるのが常だった。市民にとっては安倍派でも林派でもやることは一緒という感じだ。利権の元締めが誰か? というだけなのだ。だから前回市長選(2021年)なんて、投票率は37・52%。約6割の有権者が棄権している。前田晋太郎の得票が5万7291票だったが、有権者数が約21万7000人だったことを考えると、とても「市民から支持を得た」といえるようなものでもない。
C 安倍元首相が逝去して、県議や市議を筆頭にあれだけ「安倍さん、安倍さん」といって媚びていた面々が怒濤のように林派に鞍替えしていった。前田晋太郎もその口で、今後は林代理市政の元締めというだけだ。そして林派上層部も、まぁいうことを聞くのであればそのまま使ってやろうという感じだ。萩や長門の市長選で安倍派vs.林派をやって保守分裂状況になってしまい、林芳正の衆議院選挙区内でこれ以上の禍根を残すようなことは避けたいという思惑もにじんでいる。今回の下関市長選で独自に林派候補を擁立してぶつけるほどの気概はなく、羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いているような風にも見える。前田晋太郎もうまいこと取り入ったものだと思う。
一方で、そんな政治家たちの姿を見て冷めてしまった自民党関係者も多い。自民党支持者のなかからも「自民党は腐っている」「国民を30年かけて弱らせてきて、なぜまだ弱者イジメをするのか」「自分の利権さえ守られたら、あとは右にならえという議員ばかり。刷新しないといけない」と語られるようになっている。着実に地殻変動は起きているわけで、一定の反映はするのだろう。
そんななか年末の立候補予定者説明会で、S氏(33歳)が立候補を検討していることを表明した。投資会社の元社員で、ハワイでの飲食店運営などをへてこのたび帰国したという。下関出身だが、ときどき帰郷して友人や家族に下関の様子を聞くなかで、少子化や人口減少といった課題や、今重視されているまちづくりが下関の街の根本とマッチしているのか疑問に感じて立候補を検討するに至ったと話していた。どのような視点で公約をうち出すかは未知数だし、どのような人たちが応援しているのかもまだわからないが、もし、選挙を通じてどんな下関にしていきたいかの議論が盛り上がるなら、出る意味はあると思う。
政治構造としては安倍、林を中心にした自民党支配の絶対的な構造が横たわっており、これに公明党や連合といった組織までがぶら下がって一極支配が貫かれているなかで、若き挑戦が有権者にどう響くのかだろう。
大型開発で賑うのは誰か 億単位の箱物ずらり
A 昨年末、前田晋太郎が新たな公約を発表した。キャッチフレーズはこれまでと同じく「希望の街へ。」で、サブタイトルに「シフトアップ トップギア」を掲げている。おそらく最後になるであろう次の任期は、これまでの投資を回収しに入るのだろうという評価もあるが、それもトップギアでやるのだろうかと話題だ。
自己評価では、1期目(2017年3月~2021年3月)の公約達成率は94・5%、2期目(2021年3月~2024年3月)は現段階で88・8%だそうだ。成果として、新総合体育館「J:COMアリーナ下関」の整備や、あるかぽーとへの星野リゾート誘致、火の山公園再整備事業の開始などをあげている。
確かに、市長選の前年になる2024年度の市予算は、1市4町が合併した2005(平成17)年度以降で最大の1312億円(前年度比約87億円増)だったし、2024年度オープンのおもな施設を見ても、市立大学データサイエンス学部(約38億円)、民設民営の学校給食共同調理場(15年間で約101億円、経費上昇で3億円追加)、新総合体育館J:COMアリーナ下関(15年間で約93億円、追加で約12億円)、乃木浜総合公園の野球場(3億3000万円)など、億単位の箱物がずらりと並んでいる。
老朽化した施設の更新もあるので、一概に大型投資を否定するわけではないが、これだけ大型事業の完成を集中させたのも市長選の前年だからだろうし、前田晋太郎やその陣営が自信満々であることの根拠でもあるだろう。
そのほかにも総額約63億円の火の山公園再整備事業が昨年から本格化しているし、20億円の下関市立大学看護学部も今春オープンする予定だ。自民党界隈でも「大型箱物は江島以上」といわれている。
B さらに今回の公約で、JR下関駅周辺エリアの開発が出てきて関係者ですらびっくりしている。築48年のショッピングセンター・シーモール下関や人工地盤の解体も含めた大規模開発をおこなう構想だというから、「耐震化が課題になっている商業開発(シーモール下関の運営母体、林派)が要望したのかな」と思ったが、どうも当事者は知らなかったらしく、公約発表後に情報収集していたという話も聞いた。次の任期中の4年以内の着工、10年以内の完成をめざすそうで、「反発が出る可能性はあるが、批判もまとめて受けとめるのが真の市のリーダーの責務」なのだそうだ。
A 確かに、シーモール下関の惨状は、長らく市民のなかで話題にされてきたが、「下関駅にぎわいプロジェクト」と銘打って総額150億円(うち市負担55億円)を投じてからまだ10年ほどしか経っていない。江島がぶち上げて中尾が実行したものだ。そして新しくできた複合商業施設リピエもいまや惨憺たるもので、この「駅前開発」については検証が求められる案件だ。
それなのに、また大規模開発の公約が出てきたから、「前の再開発はなんだったのか?」とだれもが思っている。実を結ばない開発にカネばかり突っ込んで、いったいなにがしたいのか? と。
JR西日本および山口銀行に賑わいをもたらす「にぎわいプロジェクト」には巨額が注がれたが、ソフト面で見ると下関市はシーモール下関に対してものいわぬ株主を決め込んできた。安倍派からすれば、商業開発(シーモール下関の運営会社)は林派だというのもあったのだろう。公務員は商業施設運営のプロでもないから、普段は口出ししなくていいと思うが、地元商業者たちが困って「手を差し伸べてほしい」と願っているときも知らぬ顔をしてきたのはだれなのかと思う。
というより、シーモールの苦境の発端は2009年の「ゆめシティ」オープンであったことはだれの目にも明らかで、江島市政の区画整理事業の末の誘致であったことを考えると、むしろ市の施策の結果だといっても過言ではない。下関で半世紀の歴史を築いてきた象徴的な商業施設だが、哀れ惨憺たる寂れ方だと話題にされている。市民にとって思い入れのある商業施設ではあるが、過当競争に敗北した姿のように思えてならない。
B いよいよ大丸撤退かというところまで来て、1昨年10月に突然市長名で「駅前応援宣言」を出し、プレミアム付き商品券事業やトイレの改修費用など、ばんばん億単位で予算を投下し始めた。大丸のニトリ撤退跡に中高校生の学習スペースを設置したり、マイナンバーカードセンターを移転させたのも、「家賃を払うから撤退しないで下さい」という意味だ。さっき話に出たように自民党支持者すら気持ちが離れていくなかで、市長選前に大丸撤退が与えるダメージは大きいから必死なのだろうという評価が一般的だ。しかし、自分のために市の税金を使うような振る舞いはどうかと思う。
A ただ、現実的に人工地盤の解体などができるのかといえば、疑問の声の方が多い感じだ。「人工地盤下の動線の改善程度に収まるのでは?」という指摘もある。施策ではなく公約だから、アドバルーン的な意味合いで大きくアピールしたのかもしれないが、その背後にまたなにかしら再開発したい人たちの意向がうごめいている可能性もゼロではない。しかし、人工地盤も33億円かけて建設している。完成したのは1994年だが、建設省(当時)主管事業の一環で下関市を動員して建設された人工地盤もまた、賑わったのは三菱重工や神戸製鋼、鉄建建設、大成建設や大林組などであったと記録されていて、市民のなかでは当初から「暗い、うっとうしい」と不評だったそうだ。その後延長されたりして、関釜フェリー乗り場や駅ホームに連結するようになっているので、今さら? という感覚は強い。
B 3期目の公約はそのほかに学校給食無償化や、新市立総合病院の早期建設をあげているほか、地域別に見ると唐戸市場のリニューアルとか、旧豊浦4町の道の駅リニューアルや並木街道整備、滝部地区(豊北町)に交流温浴施設を整備するとか、東部5地区(小月駅周辺、王司周辺)の再開発、幡生駅周辺地区再開発、GXが体験できる老の山公園エコパーク化など、観光開発なり再開発なりを全地域にまんべんなく散らしたような印象だ。市役所内で「これ、本当にやるの?」という反応もけっこうある。
悲鳴聞こえる市民生活 自殺者毎年40人
A 市長が華々しい公約を出しているが、市民感情ははっきりいってまったく追いついていないし、冷めきっているのがもう一方の現実だ。
その大きな要因は現在の下関の疲弊状況への危機感の強さではないか。コロナが明けてコロナ以前に戻るかと思っていたが、そのようなことはなく、円安やウクライナ戦争による急激な物価高が生活に直接影響し、「生活が苦しい」というところから一段と深刻化し、「食べていくのに必死」という感じになっている。
物価高騰で市民生活や飲食店など事業者への影響は大きく、市内を回ると悲鳴に近い声が聞かれる。みんなが苦しんでいる。今の市政にこの市民生活の厳しい実態が見えているかどうかも大きな問題だ。
B ある飲食店主の話だが、「物価高で経営は厳しいどころではない。でもメニューの値上げや、中身を減らしたりすることもできない。東京のうどん屋が物価高にともなって10円値上げしたのちに2週間で潰れたという話を聞き、個人店での値上げは無理だと思った」といっていた。今はとくに野菜の高騰が大きいが、ガス代やガソリン代、電気代も値上がりしてとにかく支出が増加しているなかで、提供価格に転嫁できないまま必死で経営している。長年地域に根を張ってやってきた小さな飲食店ではそのような話ばかりだ。
D 市内のある飲食店の店主は「物価高で倒産しかけている状態だが、なんとか踏ん張っている。働いても給料が出ない状態だ」といっていた。「飲食店はお客さんが来ないと始まらないので特別感で魅力を出すしかない。お客さんは値段以上のサービスを重視する。だから、味や特徴で違いを出すようにしている」といい、ご飯と汁物を食べ放題にしている。
だが、天ぷらに使う油は、2㍑170円だったのが今は458円、小麦粉は1㌔128円だったのが280円、コメは約2倍。魚の値段も2倍に上がったし、野菜はとんでもない値段になった。800円で提供していた天丼も1500円に値上げせざるを得なくなったが、それでも給料が出ない状態だという。物価が上がったからといって食事の量と質を落とすと飲食店は生き残れないから、どうしても中流層向けの品を提供することになるそうだ。
ラーメン店、焼き鳥屋、居酒屋など、一定以上価格を上げられない個人店や小規模店はもっと苦しいだろうと心配していた。飲食店の方は「ちょい呑みや“せんべろ(1000円で酔える)”ではやっていけない。少なくとも3500円以上の客単価がなければ利益が出ない」という状態だから、低所得者は外食もできないようになっている。この店主が「コメも買えない人もいる。もはや生存権が脅かされている。政治はもっと市民の生活に目を向けてもらいたい」と話していたが、それは一人だけの思いではない。
C 同じことを別の飲食店の店主も話していた。その飲食店は、来る客層がほぼ低所得者で、そこで食いつないでいるような状態もあるから値上げなど簡単にできないといっていた。ひと月の生活費が足りない市民がたくさんいるのだ。「国の給付金はいつ入るのか」と激しくいう市民もいて殺伐としている。
A とくに過酷なのは年金で暮らす高齢者だ。国民年金だと40年以上かけてきた人が月額6万円代しかなく、介護保険料、医療保険料を引くと5万5000円程度だ。ある男性は、「すぐ近くの病院に行くにも1人で行けず、ヘルパーについて来てもらわなければならないが、ヘルパーについて来てもらえば30分1000円、1分でもこえると2000円になる。検査などで大きい病院に行かなければならない場合の足はタクシーしかないが、往復の代金を含めると1万円が飛んでいく」と嘆いていた。預金を崩しながらなんとか暮らしているが、長生きすればするほど生活苦に陥る。老後に不安しかない。
E 70代の女性は先日、知人女性が自宅で餓死していたという。知人女性は夫に先立たれてしばらく経つそうだが、夫の年金が入らなくなって遺族年金になってから生活がままならなくなったという。家賃や光熱水費は同居人がいなくなっても減るものではなく、食べることを後回しにしてでも支払いをしてきた結果、自身が餓死する結果になったと悔やんでいた。
D 子育て世帯も生活していくことで必死だ。物価が上がるなかで子どもにひもじい思いはさせられないが、昨年の夏の品薄事件からコメの値段が急激に上がって10㌔の米に手が出ない。複数人子どもがいればコメ10㌔なんてあっという間になくなってしまう。品薄前はだいたい5㌔1980円程度で売られていたものが、今は3000円ごえ。昨年10月からは児童手当が拡充され、所得制限の撤廃や第3子以降分は増額となったが、この物価高の状況下においては“焼石に水”状態だ。
あるシングルマザーの話だが、アルバイトを複数掛け持ちで働くが、手取りは年200万円を切る。児童扶養手当もあるがそれを足しにしても出ていくお金がどんどん増えるので生活は厳しい。少し頑張って働けば税金で持っていかれる。子どもが家を出ていけば食い扶持は減るものの、児童扶養手当もなくなるため収入は絶たれる。生活がますます厳しくなっていくだろうし、自分が身体を壊せばもう終わりだ。みながこうして「今」を生きていくことに必死なのだ。
C ある母親がいっていたが、学校から帰宅した中学生の子どもが、同級生について「〇〇ちゃんの家は昨日も今日もご飯がなかったらしい」といってきたことに衝撃を受けたという。子どもながらに友人のそうした状況を聞き、「自分はご飯が食べられるだけありがたい」というようになったという。
子どもたちと接する教師のなかでは子どもの家庭の貧困状況について並々ならぬ問題意識がある。ある高校教師は、進学が決まった子どもたちの奨学金申請の書類を見て、親たちの経済状況に驚いたという。それほど親の経済状況が厳しい。そして高校生の子どもたちもアルバイトに明け暮れている。進学にあたって高額な奨学金を背負って生きていく子どもたちの未来を心配していた。
B 生活困窮者のボランティアにかかわっている人たちによると、以前は炊き出しに来る生活困窮者や路上生活者は1桁台だったが、この数年で増え、今では2桁になっている。割合として高齢男性が多いが、女性や現役世代の男性、外国人労働者など、この最近は多様化している。個別の事情はさまざまだが、この間と比較しても明らかに状況が変化しているといわれている。また、今は家があっても家賃が払えないとか電気や水が止まっているとか、話をする人がいないとか、貧困化に加え孤独・孤立化がひどいし、いつ路上生活になるかという現実を抱えた人々は決して少なくない。
D 唐戸地区では昨年だけで少なくとも3件の自殺が発見されている。唐戸市場前の湾内に車ごと飛び込んだもの、カラトピアからの飛び降り、遊園地での首吊りだった。詳しい理由は本人や家族にしか分からないが、これほど頻繁になっていることについて「下関はどうなっているのだろうか」という漠然とした不安が広がっている。
下関市の自殺者は毎年40人前後で推移しており、最近では2021年が36人、2022年が41人、2023年には44人と増えてきており、コロナ禍で増えた2020年とほぼ同数になっている。2023年は山口県平均も全国平均も上回っている。原因としては「健康問題」が最も多く、次に多いのが「経済、生活問題」だ。自殺の直接的理由は本人にしかわからないが、こうした目の前で起きている一つ一つの事実が、とても「豊かだ」とか「にぎわっている」などといえるものではないということだけははっきりしているし、実際誰もがそのように感じている。「希望の街」ってなんだろう? とつい対照的に思ってしまう。
B こうした切実かつ喫緊の課題である市民生活の実態について、前田市政がこの8年間で向きあってきただろうか、という視点で見ることが必要ではないか。市民のなかで「市政は自分たちには関係ないもの」といわれるくらい、生活実感とかけ離れた市政がやられているし、そのことが「だれがなっても同じ」という思いにつながっていると思う。開発続きのきらきら感とは無縁の市民の方が圧倒的に多いのだ。
A 人口もここ数年で急激に減っている。合併時に瞬間的に30万人になったものの、2024年10月時点で24万851人。「毎年2000人ペースで減っている!」と大騒ぎしていたが、3000人になり、今ではもう4000人に近いペースで毎年人口が減っていて、将来推計では2023年には20万人に減る予測だ。人口減少は全国の自治体が直面している問題ではあるが、下関はとくに酷すぎる。それも政治家たちが市民を置き去りにして、利権の奪いあいに興じてきた結果にほかならない。人口減少が全国と比較しても著しいというのは、それだけ暮らしにくいことをあらわしている。暮らしやすい街ならそうはならない。
学校や公民館…身近な施設はボロボロ 予算の優先順位は?
B 前田市政のもう一つの特徴は、あるかぽーとや唐戸市場周辺、火の山、下関駅前など大規模開発なり箱物に巨額の税金が投下されていくが、市民生活に一番身近なものは「金がない」といって削られていくことだ。菊川町の文化会館アブニールが象徴的だが、外壁改修工事で逆にボロボロの外観になってしまって「なんてことしてくれるのか」と話題になっている。設計段階のミスや予算の不十分さなど事情はさまざまだろうしここで詳しくは触れないが、新品でなくとも市民が大切にしている施設の扱いについては疑問視されて仕方ないものだった。
C もっとひどいのが学校だ。写真(ページ上部)をぜひ見てほしいが、子どもたちが毎日生活している建物なのに、外壁が剥がれて危ないから教育委員会の人たちが来て叩いて落としているそうだ。銃撃後みたいなぼろぼろの外観でアブニールの比ではない。大規模校でこれだ。窓が落ちるほど老朽化した学校もあって、コロナ禍で換気が呼びかけられていた最中でも「2階以上は窓を開けてはいけません」状態が2年以上続いていたケースもある。下関は学校数が多いこともあって、254棟(一部統廃合予定の学校を含む)もの老朽校舎が改修を待っている。学校数が多いにしても、その古さと予算の少なさは県内他市と比べて桁違いだと学校関係者たちはみんないっている。江島時代に学校予算にシーリングをかけて強烈に削減し、古い校舎の建て替えなんて放置してきた結末でもあるので前田一人の責任ではないだろうが。
A これから改築が進んでいくのだろうが、学校トイレ改修など今までのペースから考えると1年に3、4校ずつくらいのスピードではないか。平均して1校に4棟あるとすると、すべての補修が終わるのは単純計算で20年以上後だ。「廃校になる学校もある」という事情もあるものの、教育予算のなかだけを見ても必要な改修予算はなかなかつかず、電子黒板などのICT導入とか、目立つ施策の方にばかり予算が投じられている。「子どもたちの未来のために」という言葉だけを切りとれば聞こえはいいが、今いる子どもたちの最低限の安全すら確保されない状態はどうなのかと思うし、それは欺瞞だといわれても仕方ないと思う。
もちろん、子どもの医療費無償化を中学生まで拡大したり、給食費の半額支援、第2子以降の保育料無償化(その後、山口県が実施)などもやってきたのは事実だ。それは全国的に地方自治体が取り入れはじめたトレンドでもあって、近年ではさほど珍しい施策でもなくなっている。人口減少が著しいなかで、こと下関においては子育て支援についてはもっと大胆な施策が求められているのではないか。他市の後追いというだけでなく、もっと積極的に下関市民、子育て世代の実情に沿った施策を貪欲に追求していくことが、誰が市長になっても求められる。
B 総額約63億円をかける予定の火の山では、山頂トイレ(2カ所)に1億円かけることが昨年12月議会で発覚した。一方で、建築当時「1億円トイレ」といわれたいまあるガラス張りのトイレは使えるのに壊すという。公園の公衆トイレも必要ではあるが、1億円あればどれだけの学校トイレが修理できるか、外壁工事ができるかを考えたら、どう考えても優先順位が違う。このSDGsの時代、使えるトイレを壊してしまう感覚も疑問だ。このように前田市長肝いりの施策にはばんばん億単位で予算がつくのに、地道な維持管理など市民生活に必要な予算は「金がない」で片付けられる。
C 市民に一番身近な公民館も空調設備に不具合があるのが、対象34公民館・312室のうち、16館34室(2024年9月現在)。今年度中に改修の目処が立っているものを除いても14館・25室で空調が使えない状態だ。古すぎて改修の目処が立たず、建て替えが必要なものも含まれている。修理してほしいとお願いに行けば、「予算がない」といって追い返される経験をした地域住民は多い。だからこそ、大きな体育館が建ったり、火の山整備に63億円などと聞くと、「本当にお金がないのか?」とみんな感じている。
市営テニスコートの時計も1年近く止まったまま放置されて、隣に小さな掛け時計がかかっている。「修理しないのなら、せめて撤去したらいいのに」「みっともない…」とみんな思っているが、業者がいなくて1年待ちという話だ。上下水道局前の時計も片面が故障して、まるで違う時刻を道行く市民に知らせている。一事が万事この調子だ。
B 建物を建てれば維持管理費が必要だし、適切な時期に塗装や防水工事もしなければならない。下関はそうしたメンテナンスにお金をかけずに担当課任せで、壊れて初めて検討に入るという状況だ。「公共施設の長寿命化」というなら、まずは適正なメンテナンスからだ。ここ数年、「街が汚い」「荒れている」という市民からの声がよく寄せられるようになった。道路や街路樹もだし、地元企業の協賛金で成り立っていた街路灯が維持できなくなって夜は真っ暗な地域もある。観光地だけきれいにとり繕っても、一歩街の中に入ると、街が大事にされていないことはすぐにわかるし、それは市民の暮らしが大事にされていないということだ。
特定企業だけ潤う市政でよいか? 私物化も露骨
A 開発が下関を潤わせるのならまだいいが、そうではない。たとえばあるかぽーと・唐戸地区のマスタープランを星野リゾートに約5000万円で委託したが、それで出てきた壮大な開発図のどこまでを下関市が手がけるのか、もしくは星野リゾートがやるのか、その他の民間企業がやるのかという棲み分けもされないまま、やれ海響館のライトアップに5400万円だとか、海水の大噴水を設置するのに8300万円だとか、部分的に予算がついていって粛々と進む。
実際ライトアップは来年10月の星野リゾートの開業に合わせて実施される。
そもそも星野リゾート誘致は「安倍案件」といわれてきたが、そうやって引っ張ってきた星野リゾートなり周辺事業者が自由に絵を描いて、市予算を使って整備させるという形だ。この進め方についてはさすがに議会からも意見が出て、特別委員会が設置される動きにもなった。外資のネームバリューに飛びついて活性化の目玉とし、公金の大盤振る舞いをすることについては「地元業者にあまりに失礼すぎるにではないか」との声も強い。
B 昨年4月に稼働した新学校給食センターも、栄養教諭など関係者をみんな排除して民設民営方式にすることが決まった。「子どもたちのために」といいながら、子どもたちよりコスト優先であるし、なんなら広島駅弁(JR西日本子会社)を潤わせることが優先されてきたのではないかと思われる。設計から運営まで15年間で約101億円で広島駅弁子会社の下関アグリフードサービスが請け負っているが、そのなかには9億円の役員報酬まで含まれている。なんで下関の子どもたちの給食で広島の業者を養わないといけないのか。公共でやれば役員報酬も企業利潤も必要ないのだ。
そして、人件費や光熱水費が上がっているといって、昨年12月議会で契約金額に3億円を追加することも決まった。この部分は3年ごとに見直すそうだが、市の調理場がなくなれば、広島駅弁の主張に従わざるを得なくなるし、これから上がる一方になる可能性の方が高いと思う。本当に民設民営の方が安いのか? というのは検証されるべきだ。
C 市役所内でも「お友だち政治」とか「特定の人への癒着が過ぎるのではないか」という評価は強いし、だから予算の使い方に一貫性がなく、市民全体のためにならない結果になっている。「安倍案件」オンパレードだったのから、今度は「林案件」にシフトしていくだけというのも、これまた「THE・下関市政」といわれて仕方がないものがある。
そんなことばかりくり返しているうちに、江島だろうが中尾だろうが前田だろうが、誰が市長になろうが下関の街は衰退してきたし、「希望の街」から遠ざかるばかりなのだ。
長いスパンで見ると、水産業が低迷するなかで観光で生き残りをはかろうとしたものの週末都市のようになってしまい、それだけでは頭打ちであることが誰の目にも浮き彫りになっている。どのような産業施策を打つことが下関全体の発展や繁栄につながるのか、各方面からもっと闊達な論議が起こってもいい。
A 「派手な事業で実績づくりをするのではなく、若者や高齢者が住みやすくなるように、経済的負担を少しでも軽くするような政策がほしい」とか「星野リゾートで観光客を誘致するといっても、もうかるのは外資や一部の業者だけだ。本当に地元が潤う、もっと全体に波及するような事業を望む」「地方都市だからこそ農漁業の振興にもっと力を入れないと地域の力が失われてしまう」という声もあった。市民は無関心なのではなく、本当の意味での政治を切実に求めていると思う。
下関市政に何が必要なのか、積極的な議論を広げて、候補者に実現を迫るようなアクションが求められている。そのような世論や運動が市政を動かす原動力になるし、誰が市長になろうが縛られていく関係だ。そういう意味では、選挙はまさに審判であるし、主導権を握るのは有権者なのだ。有力な対抗馬が見当たらないなかで、まるでおもしろみにかける選挙にもなりかねないが、このまましれっと消化させるのは下関にとっても良くないことだ。緊張感のある選挙にしなければ、ずるずるの延長というだけだ。