日韓国交正常化60年の年に
山口県宇部市の長生炭鉱の水没事故から82年となった昨年の9月26日に、ついに私たちは事故直後に埋められていた坑口を探しあて、開けることができました。10月26日には、生きて二度と戻ってくることができなかった、その無念の坑口の前で、日韓のご遺族が、まだ会えぬ肉親に向かって祈りを捧げることができました。そして韓国のご遺族が日本のご遺族に手を差し伸べられ、日韓遺族同士が心を通い合わせ抱き合う様子は、遺骨発掘と返還のために運動してきたがゆえの成果であり、私たちにとっても感動的な瞬間でありました。
いよいよ今年1月31日から2月2日の3日間は潜水調査をおこなう予定で、「遺骨の一片でも収集すること」に全力をあげます。私たちは遺骨発掘と返還を国の事業としておこなうように強力に求めていきます。2005年5月の日韓協議では朝鮮半島出身の旧軍人・軍属及び旧民間徴用者等の遺骨の問題に対して、「人道主義、現実主義、未来志向」の三つの原則でとりくんでいくことが合意されました。海底にある遺骨を放置して日韓の「未来志向」などありえません。今年は日韓国交正常化60周年の年です。
共同声明の柱に「長生炭鉱の遺骨収集・返還事業」が宣言されることをご遺族とともに求めていきます。
長野県天龍村に生れて
私は長野県天龍村で育ちました。綺麗な山、綺麗な川、やさしいおじさんおばさんたちがいる故郷でした。ところが大学時代に、朝鮮人の強制連行を記録した朴慶植さんの本に、天龍村にも戦時中にダム建設のために強制連行された2000人の朝鮮の人たちがおり、遺骨が山の中に捨てられたままになっている、と書かれていて大きな衝撃を受けたのです。何も知らずに生きてきた自分を恥じて、幼いころに遊んだあの山に朝鮮の人たちの骨があるかもしれないと思うと、それ以来、ご遺骨のことがずっと心に引っかかっていました。その後、山口県宇部市の長生炭鉱の問題を知り、この課題にとりくむことは自分の天命であると思い向き合ってきました。
「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は1991年に、山口県宇部市の海底に閉じ込められたままの犠牲者に思いを寄せながら、日本人としての反省とお詫びを明らかにするために結成されました。以来、歴史の闇に葬られてきた長生炭鉱の悲劇を明らかにするため、生存者や関係者の証言、公私にわたる資料の収集に全力をあげてきました。私たちは、真実を掘り起こし明らかにしながら、韓国遺族会の方々と毎年の追悼式を挙行し、2013年には、22年の歳月をかけて、市民の力で日本人としての謝罪と反省、犠牲者全員の名前を刻んだ「追悼碑」を建立することができました。
しかし追悼碑を建立し、達成感に浸っていた私たちは、韓国のご遺族の「私たちは海底の遺骨を持ち帰るまで諦めない」という言葉にハッとさせられました。これまでは日本人のある意味「自己満足の運動」ではなかったかと、振り返れば自責の念に堪えません。遺骨を発掘する事業について、私たちはその困難さと自らの組織の非力の前に、目標にすら掲げることができていなかったのです。
2013年にご遺族から糾弾されて、初めて「遺骨収集・返還」は私たち日本人の責任であり、義務であると自覚しました。2014年に「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」を、遺骨発掘のための責任ある会にしようと組織をつくりかえました。そしてこの10年は遺骨収集に向けて一歩ずつ歩みを進めてきました。
2015年には坑口の場所を特定するための電気探査調査をおこない、土地の持ち主を特定するための調査も始めました。2018年には日本政府に対して2回の要請行動をおこない、2019年2月には韓国政府に「長生炭鉱の現地に来て欲しい」という内容の手紙を出し、それをきっかけに韓国外交部とつながり行政安全部の遺骸奉還課が動き出しました。遺骨発掘と返還は日本政府がやるべきことですが、被害を受けた国やその関係者、ご遺族たちの声を大きくしていただくことは重要であり、日本国内ではその声を受けとめる受け皿をつくっていく必要があるとの思いからです。その年の7月には韓国政府が現地を訪れ、韓国遺族会と韓国政府と刻む会の三者で力を合わせて、日本政府に要請していこうと意志の一致ができました。ところがその矢先の2020年に、コロナで予定していた日本政府との交渉も中止になりました。
コロナは市民運動にとってとても大変な時期でした。しかしその間に、日本全国で遺骨問題にとりくむ人たち、慰霊碑建立や歴史の継承にとりくむ団体に対して「長生炭鉱は強制連行、強制労働の象徴であり、全国の人たちの力をぜひ集中してほしい」と呼びかけました。長生炭鉱の遺骨発掘と返還運動を大きくすることは、日本社会に今もって根深く残る植民地主義の残滓をとり払ううえでも大きな意味を持ち、それによって全国に散在するご遺骨にも光があたる状況が必ずできるのだと訴えたのです。
国家間の共同作業へ
2023年12月、4年ぶりに日本政府との交渉が再開しました。韓国のご遺族が初めて参加され、コロナ禍でつながった全国の支援者などで衆議院会館の国際会議室はいっぱいになりました。2018年の要請行動には10人に満たない参加者だったことを考えると大きく広がりました。この交渉のなかで、政府は「海底で遺骨の位置と深度がわからない。“見える遺骨”に限り調査する」という言い方をしました。私たちはそれを受けて、政府が動くことを待っていてはご高齢になったご遺族の方たちに遺骨をお返しすることが間に合わなくなる、民間の力で遺骨を一片でも見つけようと決断したのです。昨年1年間は怒涛の進撃でした。今年1月31日から3日間の潜水調査が勝負となります。
植民地時代に日本が多くの過ちを犯し、朝鮮半島の人たちに過酷な死と苦難の人生を強制してきました。アジア各地はもとより、日本列島の各地には「強制連行・強制労働」の果てに、異国で無念の死を迎えた人たちの血や骨が刻みこまれています。山口県宇部市の長生炭鉱はそのひとつの悲劇です。しかし、長生炭鉱は間違いなく、日本が犯してきたかずかずの「強制連行・強制労働」の象徴的存在でもあります。
この海の中に遺骨があることは確かです。もはやこの大事業は市民レベルの力をこえています。最終的には韓国・朝鮮と日本の国家間の共同作業としてやってほしいと思います。かつての日本の過ちを二度とくり返さないために、それを行動としてあらわすことが大切だと思います。海底に眠る遺骨を収集するという道義的な責任だけでなく、坑口が目の前にあらわれたことによって強制労働の負の歴史と向き合わざるを得ない状況になりました。これからも私たちはご遺骨を収容することに集中していきます。