下関の小中学校のトイレが以前から悪臭を放っていることが、教師や父母のなかで問題にされてきた。地域住民が運動会や学芸会などの催しに訪れて、あまりに臭いことから仰天したり、方方で「どうにかならないものか…」と話題にされてきた。首相お膝元の下関といえば、教育現場への統制や政治介入、問題児の警察送り、コミュニティ・スクールなどの導入は全国先端をいっている。川中中学校の教科教室も全国最大規模の学校における実証実験である。しかし一方で、学校や子どもたちにお金をかけないケチ臭い教育行政としても知られてきた。トイレの悪臭など大人たちが少し頭を働かせれば解決できるはずなのに、なぜいつまでも放置されるのか、教育行政が誰を見て何をしようとしているのか問いたくなるような実情がある。「教育再生」以前に臭いトイレをどうにかしろ! という声が高まっている。
「教育再生」以前の解決課題
下関市内の学校関係者たちのなかで、もっとも改善要求が強いのがトイレだ。前述したようになんといっても「臭い」の一言に尽きるといわれている。小学校で「学校評価」の保護者アンケートに寄せられる意見には、必ずトイレに関する要望が上がる。「トイレが臭う、暗い」「市の予算がないのならPTAの予算でできないだろうか」という切実な要求として上がっている。「洋式トイレがほしい」「子どもが学校のトイレに行きたがらない」「学校から帰ってきていつもトイレにかけこむ」とその様子を心配する声も出されている。
学校トイレは家庭やデパートのトイレと比べてつくりも明るさも違う。臭ったり水漏れがすると、とくに低学年の児童はこわがって行きたがらず、その雰囲気とあいまっていじめの場所にも選ばれるという。トイレを辛抱してお腹の調子を崩したり、排泄行為をあたりまえにできない環境は成長にとっても良いわけがない。ある小学校では、トイレに近い教室で生徒も教師も臭いに耐えながら勉強し、給食時間もその環境のなかで口に食べ物を入れている。風向きによっては耐え難いものになる。少しでもきれいにして子どもが気持ちよく行けるようにしてほしいという親や教師の思いは切実だ。
教育委員会は、「臭い」については「施設の構造上の問題」「ウェット式(タイル張り)が問題だ」としているものの、具体的な対策はとっていない。市教委に各学校から出されるトイレに関する修繕要望は多く、昨年度は1065件、今年度は9月16日までで586件となっている。小学校は52校、中学校は22校しかないのに、いったいどれだけ臭いトイレがあるのかと思うような数字である。
状況を少しでも改善しようと、現場では夏休みや長期休み期間に教師や父母が一緒になって全校舎のトイレ掃除をおこなっているところも多い。日常的な子どもたちのトイレ掃除では落ちない汚れや臭いの元を、尿石を溶かす薬品をPTA会費で購入して掃除する。しかし一時的に臭いは治まるものの、しばらくするとまた臭いは発生する。親たちの負担と労力によって自助努力するが、抜本的な解決には向かっていないのが実情だ。
尿石除くだけでも改善 専門業者ら指摘
なぜ下関の小・中学校のトイレはそれほど臭いのか。その原因と解決方法について下関市内の専門業者に聞いてみると、まず根底には施設の老朽化があり、トイレについては長年の臭いが染みついていることを指摘していた。しかし、施設が新しいからといって掃除をしなければ臭いは発生する。臭いを消すための一番の基本は掃除で、とくに学校の男子トイレは用を足したあとに毎回流せるタイプではなく、“ハイタンク式”で一定時間ごとに上のタンクから水が流れる古いトイレが多い。その都度流すことがないので、尿が流されずに便器や配管にたまり、尿石となって臭いを発している場合が多いという。
「男女にかかわらず便器のまわりに飛び散った尿がタイルに染み込み、表面的には目に見えない臭いの原因になっている。1日に何十人、何百人の子どもが使用するトイレだから、それは水ではとれない。尿はアンモニアでアルカリ性のため、臭いをとるには酸性の液体で中和させて除去する方法がある。最近ではクエン酸を10倍ぐらいに薄めて臭いをとる方法が一般家庭でも流行っており、安全面でもいいのではないだろうか」といった。
さらに、「子どもたちが自分たちが使ったトイレをきれいに掃除することは大事な教育だ。しかし、それでは限界がある。臭いを完全にとるには素人ではできない部分もある。小便器のなかに尿石がたまり、白いセメントのようにカチカチになっているトイレも見てきた。1年に1度でもいいので専門業者のメンテを入れ、特殊な薬品などで尿石や臭いを除去すれば随分違う」と指摘していた。そして、学校のトイレは多くが建物の端にあるため、風通しが悪く臭いがこもるので、換気扇の設置は有効的な臭いの除去になるとも語っていた。
「どの学校でも先生や親たちが子どもの環境整備のために頑張っているのは知っている。行政がこのトイレの問題についてどこまで本気でとりくむかだ。暗いなら照明を変えればいい。トイレは敬遠する場所ではあるが、一番きちんとすべきところだ。施設を新しくすることが何よりだが、それ以前にできる初歩的なことは多くある。市議会議員の一人分の給料があればすぐに実現できることだ」と話していた。
隣の北九州市の事情を聞いてみると、平成10~22年の間に「ハートフルトイレ」「クリーンアップトイレ」「さわやかトイレ」と事業名を変えながら約50億円の予算を投じて200校近い小・中学校のトイレ改修をおこなった。トイレが抱える「3K=“臭い”“汚い”“暗い”」の一つ一つの課題について改善していった経験がある。「暗い」については照明を変え、「臭い」については小便器の自動洗浄トイレを採用し、臭いが上がってくるのを止める水封の整備(1カ所1万円)をした。「汚い」については、施設を改修して便器を洋式に変え、全体の五割が洋式になっている。そして子どもたちにトイレ掃除のやり方を教え、ていねいに扱うように指導している。TOTO本社が置かれた北九州という事情もあるが海の向こうの子どもたちの排泄環境は立派なものだ。
山口県内の他の自治体でも、教育委員会に嘱託職員として専従が置かれ、定期的にトイレ掃除を実施したり、学校の施設整備に当たっているところもある。機動性を発揮して各学校の要望に応える体制をとろうと思えば、やり方はいくらでもあることを示している。
「学校の玄関とトイレを見れば、そこの生徒の実情がわかる」といわれるほど、トイレは子どもの精神面や状態を反映する場所である。中学生になるとトイレは休み時間の“憩いの場”にもなる。それほど極端な予算を注ぎ込まなくても、そのメンテナンスをやりさえすれば改善できる。壊れたまま「使用禁止」の貼り紙がされて何年間も放置されたり、教育委員会がまともにとりあってくれないことが以前から学校関係者の悩みの種だったが、予算を握っている市長なり行政がやる気になればすぐにでも解決できるものである。問題は、それを小商人のように出し渋って、本来子どもたちの人数や学校数に応じて下りてくる地方交付税を他の箱物事業に横取りしている事である。
予算要求もせぬ教育長 校舎や遊具も老朽化
トイレに限らず机イスの整備にしても他の自治体では捨てるような古いモノが使われている。ささくれだったイスにガムテープを貼り付けて、痛がる子どもたちを辛抱させなければならないのだから驚く。年度変わりには、児童の人数に応じて個数をそろえるために使える机イスを探し出し、他の学校にも連絡を入れて「○○小学校に余っている!」等等、宝探しのように教師たちが学校間を奔走し、新年度に備えている。机イスの更新といっても要望数に対して1000万円程度で解決できる話なのに、こちらも「予算がない」といって放置されている。
学校給食は犬猫のエサ入れのようなアルマイト食器が長年使われていたのに対して、市民運動によって要求を突きつけ、渋渋樹脂製に更新した経緯がある。「子どもたちは犬猫以下なのか?」という問題提起を受けてようやく実現したが、とにかく子どもたちにカネをかけないのに特徴がある。
カネをかけないと同時に、それは愛情をかけていないことをあらわしている。少子化といえば「仕方ない」といって全国でも前例がない規模の学校統廃合をぶち上げていく姿勢とも重なる。学校が多いことが行政の荷物になり、「合理化して減らしてくれ」が行政側の願望で、子どもや学校を厄介者扱いする本末転倒である。
校舎や体育館の雨漏り、床が腐って抜けそうな箇所など上げればきりがない。3年も4年も同じ箇所の工事要望を出し続けることもざらで、表現方法を変えて緊急性をアピールするなど「工夫」を施していることも語られている。学校の遊具は毎月、教職員が安全点検をおこない、一年に一度は点検業者がブランコやジャングルジムなどの鉄の痩せ具合などを調査する。危険と見なされれば即刻「使用禁止」となるが、すぐに改善されず、1年以上放置されている学校も少なくない。
10月に入って1年3カ月ぶりに新しいブランコが整備されたある小学校では、低学年の子どもたちが昼休みに競って遊んでいる。大人を見つけた子どもたちが「ねぇ、ねぇ、ブランコが新しく出来たんよ。大人気なんよ。早く行かないと乗れなくなるー!」といって嬉しそうに駆けていく。遊具一つで大喜びするのだから、中尾友昭(市長)や役所幹部というのは、そんな子どもたちの喜ぶ顔を見たいと思わないのだろうか? という疑問になっている。学校や公園に行くと、「使用禁止」のままになっている遊具ばかりである。
ここ2、3年、下関市内の学校では耐震化工事に多額の予算が注ぎ込まれてきた。全国でも屈指の遅れで、要するに老朽化を放っておいた結果だった。教育委員会は本来、子どもたちの成長のために教育行政を任されている。しかし教育長といえば文科省天下りのキャリア官僚が安倍人脈というだけで就任したり、後釜の現教育長になると市長におべんちゃらをするのは得意なのに、教育予算をとってくるという重要任務は投げ出して役に立たない。そして臭いトイレについては、市長の後援会長が推奨しているのに習って「素手で洗いましょう」などといっている。素手で便器を洗った後に、みんなで素手でおにぎりを食べるのが心まで洗浄されて良いそうである。
学校備品やトイレ、施設など、古いものを大切に利用する心を育むことは大切である。ところが下関の政治を見てみると、大人たちだけは立派な市役所や議会棟をあてがわれ、悪臭に悩まされるような環境とは無縁の世界で快適な日日を送っている。ささくれだったイスに座っている者もいないし、壊れたイスや机はすぐに処分して、次の品物が入札によって調達されていく。議員を壊れたイスに座らせようものなら、自分への扱いだけは敏感なのでカンカンに怒って職員をなじることは疑いない。こうした大人たちのなかで、子どもたちのトイレや環境について親身に心配する者がいないという情けない状況こそ、解決が迫られている。壊れた遊具の整備にせよ、行政が本腰を入れればどうにでもなる。子どもたちの成長にとって必要とされる教育環境を整えてやることは、大人の愛情の問題といわなければならない。
「教育再生」とか「愛国心」云云を吹聴しながら下関では現代版「欲しがりません勝つまでは」をやっている。欲しがってばかりの市長や議員たちが、市民や子どもたちには「辛抱せい!」というから、この二重基準にみなが怒っている。下関は人口流出が止まらず、高校を卒業したら地元を離れていく若者が増えている。せめて郷土愛を育めるような扱いをすることが待ったなしになっている。