下関市立大学大学院に提出していた修士論文が不合格になった中尾友昭市長が、今度は550ページの論文を抱えて東亜大学(下関市内の私立大学)に駆け込み、学位を与えてもらえるよう交渉していたことがわかった。制度的に無理であり、東亜大学としても受け入れるわけにはいかないと見られているが、懲りない男の暴走劇にみなが驚かされている。
「自分こそ正義」の観念論
この間、中尾市長は市立大学で論文が不合格判定を受けたことに立腹して、メディアや市職員に大学批判をくり返してきた。そして、みずからかつて学舎だった近隣の東亜大学に足を運び、依頼していたことが関係者の証言でわかった。市立大学では否定されたが東亜大学ならお墨付きを与えてくれると見なしていることを物語った。傍目から見てこれほど東亜大学に対して失礼な行動はないが、修士号が与えられるなら、どこの大学でも良いと判断したことを伺わせている。
通常なら修士号は2年で取得すべきなのに、市立大学の教授たちは四年間もその「勉強」に付き合い、設置者に気を遣いながらかかわってきた。ところが「不合格」になるや世話になった学舎を誹謗中傷し始め、終いには学位だけ他大学にもらいに行くという節操のない行動に及んでいる。550ページもの自慢話を真面目な顔をして読まされた市立大学の教授たちも気の毒だったが、これからお下がりを読まされるかもしれない東亜大学の教授たちはさらに気の毒で、周囲はどこまでこの騒動が続くのかと困惑している。
郷土の名を自ら貶める市長
全国紙でも報道され、テレビではワイドショーでもとり上げられるなど、全国から関心が寄せられる事態に発展している。黙っておけば傷口は浅かったのに、ムキになって反論するからますます「不合格の市長」として認知度が上がってしまった。その姿は「みっともない」の一言に尽きる。事の発端をつくり出したのは本人であって、だれのせいでもない。自慢話の論文を550ページにもわたって書き連ねたのは本人で、不合格にされた後に的外れな大学批判をくり返したおかげで、世論から返り討ちにあったのである。従って中尾友昭個人が世間から不名誉な扱いを受けるのは仕方がない。問題は郷土の名を市長みずからが貶めていることで、「下関」といえば中尾市長のような者ばかりいるのかと思われることである。「もうやめてくれ…」「だれか中尾の口をふさいでくれ…」と口にしている市民は少なくない。
市長が口を開くたびに市民が恥ずかしい思いをして、下関の政治家の程度を世間に晒す。「福島は完全にコントロールされている」の安倍晋三と同じように、権力を握った者がそう思うから「福島はコントロールされている」のだという観念論と似ていて、中尾友昭が「学問的にパスした」と思う論文だから合格しなければおかしいというものである。判定する側ではなく判定される生徒の側が「先生が誤っている!」というのだから、これほど本末転倒な話はない。しかも、「論文」ではなく自慢話・自叙伝の域を出ないというからどうしようもない。仮におべんちゃらで学位を与えた場合、逆に市立大学の学問の府としての尊厳が傷つけられることになる。
「苦労人の中尾友昭」くらいにしておけばよかったものが、いまでは完全に「成り上がりの中尾友昭」になってしまった。唐戸魚市で働いていた頃の面影はすでになく、「人が変わってしまった」と多くの人人が話題にしている。周囲にいる市職員たちも最近は怒鳴り散らされるのを嫌がって、おべっかばかり使って注意する者が一人もいない。「江島市長の末期と似ている」という声もある。そして指導責任があるはずの代議士周辺は「アイツは林派じゃないか」(安倍派)「最近は安倍事務所とも懇意にしているじゃないか」(林派)と下駄を預けあって、問題児の対処は二年後の市長選まではっきりさせるつもりがないようだ。安倍事務所、林事務所のいうことさえ聞いていればだれでも良いという代理市政体制で賞味期限がきたら次に乗り換えるのである。
ただ、そうこうしている間にも威張り癖はこらえきれず、騒動はくり広げられる。これ以上暴れる場合、安倍事務所なり林事務所が責任を持って市長室に閉じ込めておくか、病院に連れて行くことが現実的対応として求められている。