下関市立大学に提出していた修士論文が不合格判定を受け、大学批判をくり返していた中尾友昭市長が16日の定例会見で、一連の騒動で混乱を招いたとして謝罪した。判定が出た後に学長に面会を求め、声を荒げていたことについて「設置者が圧力をかけるとは何事か」と批判が高まり、さらに東亜大学に論文を持ち込んでいたことなど次次と新事実が明るみになるなかで、今度は一転して火消しに走っている。
行政運営まかせられぬ資質
中尾市長は会見のなかで、「院生個人としての発言が大学設置者として大学を批判したと捉えられ、市民にご迷惑やご心配をおかけした」とのべ、東亜大学に足を運んだことについては「論文をさらにブラッシュアップして博士論文にできないか相談に行った」と釈明した。また、市立大学の不合格判定を不服として情報公開請求すると主張していたことについては撤回した。「今日限りでこの件についてコメントすることはない」とのべ、幕引きを急いだ。
この間、全国ニュースやワイドショーでも「日本一恥ずかしい市長」等等の扱いで紹介され、ヤフーの急上昇検索ワードでもトップ3入りをするなど、全国からの注目を集めていた。最後は本人自身がいたたまれない状況に追い込まれ、矛を収めた。
公共意識が欠如している姿
騒動から1週間を経て謝罪はした。しかし、今のところ反省していないのが特徴で、批判世論にさらされて話を切りかえているに過ぎない。直接には2年後に控えている市長選への影響を気にした対応と見られている。「すみませんでした」というのであれば、なぜこれほどの騒動になったのか、発端となった自身の振舞について冷静に振り返り、誤っていた点についてはっきりさせることが求められている。
市民の目から見たとき、今回の市長の暴走劇は「このような人物が市長をしていて大丈夫なのか?」という不安をかき立てるものになった。大学設置者が受益者になろうとしていること自体が非常識であったが、その後も大学に学位を出せといわんばかりの騒動をくり広げ、行政なり公共機関を自分の持ち物のように見なしている姿が強い印象を与えた。
選挙で「2300億円(一般会計、特別会計の総額)のお金を動かせる経営者がこの下関にいるでしょうか!」「市長の権力はすごいんです!」と叫んでいたが、そのカネは税金であり、地方自治は本来、公共の福祉に資するために営まれなければならない。2300億円を自由に扱えると思い込んでいる人物が、大学でも思うがままに学位がとれると確信して乗り込んだ結果、不合格判定を受けて激怒したというのが顛末である。公共意識が欠如している事がまず第一に大きな特徴で、見境がなくなっていることをあらわしている。
下関市政は昔から安倍・林代理体制が貫かれ、市長ポストにはいいなりになる人物がつけられてきた。そのもとで巨額箱物や利権事業が分配され、安倍事務所、林事務所、山口銀行といった背後勢力に楯突かなければ、あとは基本的に好き勝手という形態がとられてきた。市民派を標榜して登場した中尾市長も、持ちつ持たれつの安倍事務所、林事務所の相互依存関係のもとで番頭として君臨し、おべんちゃらばかりする周囲にとり囲まれるなかで思い上がりが甚だしいものになってしまった。自己評価と客観評価の乖離がひどいのは、そうした環境の反映である。
選挙のため、市長で居続けるために「謝罪」したのなら本末転倒で、どこまで自分の地位や学歴だけを追い求める人物なのかと思わせている。個人的な欲求や願望に基づいて市政が運営され、他人の意見に耳を傾けることができない人物が市長ポストに居座るなら、これほど有害なものはない。市政は30万市民のために運営されなければならない。議会では気に入らない議員の一般質問にムキになって反論したり、答弁拒否したり、議会制民主主義や地方自治を愚弄した振舞が続いてきた。行政の現場を学級崩壊の“子ども天国”ならぬ“中尾天国”にするわけにはいかず、二年後の市長選を待たずにやめさせることが求められている。安倍事務所、林事務所の指導責任は重大である。