しどろもどろで紛糾
下関市議会の9月定例会に自民党会派(志誠会、創世下関)と公明党が、「平和安全法制の速やかな確立に関する決議案」を議会運営委員会メンバーの名前で提出し、最終本会議の9月30日に審議・採決をおこなった。安倍首相の「後方支援」なのか張り切って提案したものだった。ところが内容について質問されると、提案者である議会運営委員長はしどろもどろで答弁にならず、内容も理解しないまま提案していたことが露呈するなど、デタラメ極まりない姿が暴露された。
何も考えていない姿暴露
この決議案は、安保法案が国会で審議されている真っ只中の8月31日に議会運営委員会が提出を決定したもので、「首相お膝元の市議会が法案を先どりした決議案を出した」と全国でも注目を浴びていた。議会運営委員会のうち反対した「日共」議員と社民党議員の2人を除き、林透(委員長)、板谷正(副委員長)、福田幸博、林真一郎、安岡克昌、藤村博美、松田英二の7人が提案者として名前を連ねた。
議会運営委員会が決議や意見書を提案する場合、下関市議会全体の意志表明と受けとられるため、「全会一致をもって上程することを前提とする」ことが市議会の先例・例規集に記載されており、議会ルールの常識として守られてきた。しかし今回は自民党会派が「決議を早く出さないとお膝元としての面目が立たない」といって、ゴリ押しで提案を決めた。
ところが迎えた本会議。提案役の板谷副委員長は、決議案を読み上げただけで、提案理由の説明もなし。質疑に入ると他の議員から、議運の全会一致の原則を破ってまで強行する理由や当初の文面から「中国の軍事的拡張」などを削った理由、「切れ目のない体制」の認識や、国民世論に反していると思わないのか、などの質問が出た。
提案者の代表として委員長の林透が立ち上がったものの、なぜ今この決議をする必要があるのかの回答もできないうえ、「字句の変更は、各会派の要望をもとにして変更していったもので、理由は国で議論されている内容をもとにしてつくったものだと思っている。文面の…。あの…。さまざまな案件については、議運のなかでは…。二名の反対の意見はあったが、そういった内容の議論はなかった」としどろもどろ。
「提案者がなぜ説明できないのか」と追及されると、かわって福田が立ち上がり、「突然質問されても物理的に答えられない」とぶちまけて、野次が飛び交う騒然とした状況になった。慌てた関谷議長が「休憩しよっか?」と、急きょ再開時間未定の休憩を挟むことになった。
自民党議員たちは議長室に集まって、林透にセリフを教え込み、約20分後に本会議は再開されたが、そんな付け焼き刃の知識が答弁で役に立つはずもなかった。途中までは教わった通りの返事を読み上げたものの、内容にかかわってくると「集団的自衛権については限定的に可能となっていると思っている」「切れ目…。えー…。切れ目ないということについては…。不備を埋めて…。えー…。あらゆる備えをするという意味で、体制の整備をするという意味だ」など、精一杯の答弁をしたあげく、困って「一つ一つ質問されたことは、もともと見解の相違だと思うので…」というはめになり、見ている側が恥ずかしくなるような姿を晒した。
なぜこんなことが起こったのか。そもそも文案を考えたのは提案者の7人ではなく、「下関市議会のMr右翼」(同僚議員たちの隠語)こと吉田真次(豊北町)だったからのようだ。途中から答弁に窮する林透にかわって吉田が登場し、得意満面に自身の主張を披露することとなった。
採決前には市民の会・本池市議など3人が反対討論をした。その後に再び吉田真次が賛成討論に登場し、「東シナ海、朝鮮半島における不安定な情勢は、我が国の国民生活の大きな脅威といわざるを得ない!」「反対する野党や一部メディアが徴兵制反対、子どもたちを戦場に送るななどとあり得ないことを主張し、危機感を煽っている!」「戦争に巻き込まれるという方方には我が国の歴史を、正しい教科書でしっかり学んでいただきたい」「民主主義の根幹である選挙で選ばれた国民の3分の2以上の圧倒的支持を得て発足した連立政権の対応を横暴だ、暴挙だといっている。共産主義や社会主義だけでなく民主主義をゼロから学んでいただきたい」など、約10分にわたる大演説をおこない、それを保守系の先輩議員たちにいたるまでがポカーンとした顔で眺めていた。執行部席は興味も関心も無いようで、みんなで寝ていた。とりわけ安保法制を巡って「子どもたちを戦場に送るな」と教師たちが問題意識を鋭くしているなかで、波佐間教育長と石津教育部長が最前列で眠っている姿は強い印象を残した。
大暴れした議会のMr右翼 先輩議員らも困惑
混乱の原因は右翼の書いた決議案を自民党・公明党議員たちの誰一人として深く考えることもなく、当事者としての自覚がなかったからにほかならない。議運が提案した決議案ではなく、本来なら提案者・吉田真次の請願として扱わなければならないものだった。それで日頃から安保法制について何も考えていない林透に話を振ってもチンプンカンプンなのはあたりまえで、「政府すら答弁がしどろもどろなのに、どうして林透が答えられようか…」と語られていた。
最年少の右翼が安倍事務所の後ろ盾で議員ポストを得て、下関市議会で大立ち回りを演じている。軍鶏でもあるまいし、どうしてそんなに興奮しているのだろうかと周囲を驚かせている。“左翼とたたかっている僕を見て!”“安倍先生、僕を見て!”のパフォーマンスに付き合わされる先輩議員たちも哀れなもので、おかげで自民党会派が恥をかかされるハメになった。30歳そこそこの若者が倍以上も年齢が離れた議員に向かって「我が国の歴史を正しい教科書でしっかり学んでいただきたい!」等等と罵倒する光景は異様で、新人類登場を思わせると同時に、「親の顔が見てみたい」という声が市役所内外で広がっている。他人を見たら説教したがる癖は、議員というだけでなく育ちに原因があるのではないかと指摘する人人が少なくない。
国会前デモを罵倒して有名になった武藤貴也に限らず、下関でも安倍晋三の機嫌さえとれば出世できると見なしている政治家志望の若者があらわれ、首相夫人に接近してファンクラブかと思うような仲良しサークルに興じてみたり、極端な思想世界を披露して目立とうとしている。終いには下関市議会で国会の真似事をやって、本人だけが満足しているのだから言葉がない。また、安倍事務所直系の若手に先輩議員たちが手を焼き、情けないくらい小さくなっている光景は、見ていて痛痛しい印象を周囲に与えている。
なお、この日は夜に議員と執行部が親睦を深めるボーリング大会が予定されていたが、さすがに馴れ合うわけにもいかず、欠席者があいついだ。
本池市議の反対討論
自民党会派より提出されている「平和安全法制の速やかな確立に関する決議」(案)に対して反対討論する。
先の国会で安保関連法制が強行採決された。国会前は連日のように数万人の群衆が押し寄せて抗議行動をくり広げてきた。それだけでなく、全国で抗議デモや集会がもたれ、この国の命運がかかった問題として、それこそ日米安保体制や対米従属の問題について多くの国民が鋭い視線を注いできた。60年安保以来といわれるこの熱気は、特定の政党政派による自己主張というものではなく、多くの国民が「二度とかつてのような戦争をくり返させてはならない」という強い意志を抱いていることをあらわすものだった。学者をはじめ、学生や現役世代、さらに戦争体験者にいたる老若男女が、まさに直接行動によって政治にもの申す、国の針路がかかった問題について、戦争か平和かを巡る抜き差しならない問題について、現在の国会にまかせてはおれない、黙ってはおれないという思いに駆られたものだった。長年の沈黙を破ったこの世論の台頭を決して侮ってはならない。
安保法制の諸問題については、この間、多くの憲法学者や元内閣法制局長官、元最高裁長官が述べてきたように、立憲主義を犯す暴挙であり、「集団的自衛権の行使」は違憲であるということは言をまたない。日本国憲法は九条において、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と明確に謳っている。
これを解釈変更によってなし崩し的に歪め、時の政府がいかようにも運用していく、一発の銃弾でひき返せない武力紛争にのめり込みかねない状況をつくり出すものだ。安倍首相は「安保法制を戦争法案というのはレッテル貼りだ」と何度も述べてきた。しかし、一方でこの法律の具体的運用策についてはホルムズ海峡への掃海派遣にせよ、現在の国際情勢に照らしてもあり得ない想定であるばかりか、母屋の火事の例えにせよ、何ら国民に納得がいくような説明はなされないままだ。
安保関連法制によって何がこれまでと変化するのか。地球の裏側まで自衛隊が出動することが可能になるというのは政府も明らかにしている通りだ。武力をもって国際紛争の場に出向いていくということだ。後方支援、すなわち兵站任務が戦争遂行の最重要部分であることは、かつての大戦で兵站を断たれた南方戦線で多くの日本兵が餓死していった事とも重なる。米艦船が太平洋上を航行する日本の輸送艦を徹底的に撃沈したのは、兵站を断つためだった。この兵站任務なりを担うために地球の裏側まで出かけて、自衛隊はいったい誰を守るのか、誰を後方支援するのか。「集団的」というその集団の相手はどう見ても米軍であり、自衛隊員がそのもとで命を落とすような事態になった場合、いったい誰が責任をとるというのだろうか。どう国民に説明するというのだろうか。さっそく名前があがっている南スーダンが、いったい日本にとってどんな脅威で、国民の生命を脅かしているというのだろうか。
混沌とする現在の国際情勢のなかにあって、抽象的な「国際平和」などあり得ない。矛盾に満ちた世界にあって、アメリカ一辺倒で恨みを買うような真似がいかに愚かな行為であるか考えなければならない。それで国内がテロの標的にされた場合、国民の生命を守るどころか、逆に生命を脅かす、「存立危機事態」をみずからひき起こすものだ。
70年前の大戦は国民にいい知れない痛ましい傷痕を残し、郷土に無惨な荒廃をもたらした。その荒廃のなかから私たちの親世代は立ち上がり、平和で豊かな国にすること、二度とあのような戦争をくり返させてはならないと胸にして、今日までの日本社会を支えてきた。320万人もの国民の生命が失われ、広島、長崎の原爆投下、沖縄戦の大殺戮、130回にも及んだ東京大空襲でも25万人の生命が失われた。さらに戦地における餓死や病死、輸送船の撃沈などで無惨に殺された経験は忘れることなどできないものだ。戦争を指揮し、国民を戦火に投げ込んだ者の責任は曖昧にするわけにはいかない。
米軍と一体化して軍事行動をともにするという、戦後の国是を覆す暴挙にたいして、怒りをもって反対する。自民党会派が首相の地元において「後方支援」の如く出されているこの決議について、下関市民のなかに息づいている多くの意志とともに、断固反対することを表明する。