下関市の小児科医師会(金原洋司会長)が9月初めに、市議会議長にあてて「小児科医療費公費助成拡充に関する要望」を提出し、就学前までの乳幼児を対象にした医療費助成制度を、小学校修了前までに拡充することを要望している。20代、30代の親世代の貧困化が進むなかで、子どもを産み育てるうえでの経済的負担は大きく、もともと平均所得の低い下関市の出生数は激減している。安倍政府は「1億総活躍社会」「女性活躍社会」を目指すといい、新3本の矢の一つに子育て支援を掲げているが、お膝元・下関の子育て支援は山口県内の他市と比較しても非常に遅れている。働く親たちが安心して子どもを産み育てることができるよう、少なくとも小学生までの医療費無償化の実現を求める声は強まっている。
政治司る大人の愛情次第
市議会に提出された要望書では次のようにのべている。
山口県の小児医療費の公費助成は、多くの市町では就学前までの乳幼児を対象に所得制限付きで実施されてきたが、下関市においては、所得制限を撤廃した形で実施されている。近年、全国および山口県内の公費助成の状況は、少子化や経済不況により子育て世代の家庭の所得が減少してきていることなどの背景から、小児医療費の対象年齢を拡充する市町村が増えてきている。
子どもの相対的貧困率が高いといわれるわが国においては、特に、経済的な格差が子どもの健康格差につながることが危惧される。本市の子どもたちの健やかな成長のためには、医療費の公費助成の拡充が実施されることが必須であると考える。本市が子どもを育てやすい街になるためにも、他の市以上に子育てに関する経済的な負担が多くなっている現状をなくしていく必要がある。
次世代を担う子どもたちすべての命・健康を守り、子育てを支援するという観点から、現行の乳幼児医療費公費助成を、小学校修了前までに拡充することを要望する。
子を持つ親の実情 予防接種も自己負担に
子どもは突発的に高熱を出したり、風邪を引いたり、おたふく風邪、はしか、風疹、手足口病、リンゴ病などさまざまな病気をしながら免疫をつけ次第に強くなっていく。子どもを育てていくうえで医療費の負担は避けて通れない。しかし1回病院に行けば1000円、2000円かかり、多めに薬をもらって3000円。落ち着いたかと思うとまた次の病気にかかる。
インフルエンザの予防接種をすれば1人1回3000円。3、4年生までは年に2回なので、子どもが2人いれば1年で1万2000円だ。以前は学校で全員予防接種を受けていたが、現在では自己負担になっている。ロタウイルスワクチンになると2回接種で1人3万円である。
そのほか虫歯になれば歯も抜けるし、怪我もする。慢性病である喘息やアレルギーを持つ子どもも増えている。
小学生になると身体は丈夫になって病院に行く回数も減ってくるが、たまに風邪をひくと、最近はRSやマイコプラズマなどややこしい病気も増えている。溶連菌のように一度で治療が終わらない感染症にかかると医療費はかさむ。
小学生の2人の子どもを持つ母親は、「うちの場合、小学校に上がるまでは弱くて、かなり病院に通った。医療費を抑えるために以前もらった薬を使ったり、兄弟で使い回したりしていたが小学生になると強くなってあまり熱は出なくなった。そのかわり虫歯が増えて歯科のお金がかかるようになった」と話す。同じ学校でもインフルエンザの予防接種をまったく受けていない子がいるなど、経済的な差が出ていることを心配し、「病院の先生たちが助成の拡大で動いてくれているのはありがたい」と話した。
別の母親は、「学校から連絡がくるのは眼科と歯科が多い。就学援助を受けているので結膜炎や虫歯などは免除されるが、歯が抜けた場合などは有料だ。小学生になって風邪は減ったが、喘息持ちなので発作が出そうになると2週間くらい薬を飲ませないといけない。医療費がバカにならないので、風邪をひいても熱が出るまでは様子を見るし、予防接種は無料のもの以外は受けさせていない。北九州などは医療費が無料だという。下関も小学生まで無料になれば本当に助かる」と話した。
1人で4歳の娘を育てる母親は、「うちは1歳から保育園に通っているので比較的強い方だが、それでも冬になると毎週のように病院通いだ。下関は福岡などよその自治体と違い、一定収入があると3歳ですべて切られるので3割負担だ。最近は子どもの医療費を無料にして人を呼び込もうとしている自治体が多い。人が増えれば税収も増えるからいい循環になると思う。人工島ができても船が入るわけでもなく、道路や箱物ばかり立派になるが、下関は若い世代が住めるような支援体制が遅れている」と話した。
山口県内の他都市 助成対象拡充する動き
山口県では未就学児を対象にした福祉医療費助成制度をもうけている。父母の市民税の税額控除前所得割額が13万6700円以下であることを条件に受給でき、予算の2分の1は県の補助でまかなわれている。この制度を拡充する形で各市町が予算をつけるなど、独自の助成をおこなっている。
現行の下関市の「乳幼児医療費助成制度」は、山口県との共同事業を拡充し、未就学児を対象に医療費の自己負担分を助成している。3歳未満児までは父母の所得に関係なく医療費を助成(無料化)。3歳以上の未就学児については所得制限(県と同じ)をもうけて助成をおこなっている。平成26年度の受給者は約1万2000~1万3000人で、このうち3歳以上の未就学児の受給者は全体の7~8割に及ぶ。かかる費用は県からの補助を含めて約5億円(事務費等を除く)で、このうち下関市の負担は約3億円となっている。
県内各地を見ると、県の施策に加え独自に財源を捻出して助成対象を小学校卒業までや中学生までなど、できる限り手厚くする動きが目立つ。
宇部市では、県との共同事業とは別に市独自で「子ども医療費助成制度」をもうけ、小学校1年~3年までの医療費助成をおこなってきた。今年8月からは対象を拡大し、中学校3年生まで医療費の助成を受けられるようになっている(所得制限あり)。助成の内容は、医療費の1割を市が負担し、残り2割が自己負担となる。同時に8月からは、これまで3歳未満児が無料、6歳までの未就学児が通院500円、入院1000円だったのを全員無料化した。8月からは受給者数を未就学児5400人、小・中学生7500人と見込み、平成27年度予算では約2億7000万円(うち拡大にともなうものが約3000万円)を計上している。
山陽小野田市は、県との共同事業に加え、昨年8月から小学1年生から3年生までを対象にした「子ども医療費助成制度」をもうけ、医療費の1割を助成している。未就学児、小学生ともに所得制限はあり、受給者数は未就学児全体の6、7割に当たる2300人、小学校1~3年生全員の5、6割に当たる950人となっている。
防府市では、県との共同事業を含む「子ども医療費助成制度」を実施。これまでは所得に関係なくすべての未就学児を対象にした助成(医療費の自己負担分)をしてきたが、今月から対象を小学校卒業までのすべての子どもたちに拡大して医療の無料化を計っている。対象者は、これまでの未就学児4400人(所得制限あり)、1800人(所得制限なし)に、小学校児童5800人(所得制限なし)が加わることになる。
周南市では、これまで県との共同事業を拡充し未就学児全員を対象に医療の無料化をしてきたが、来年4月からは対象を小学生までに拡大して医療費の助成をおこなう(小学生については所得制限あり)。4月からの事業に対して新たに1億5000万円が市負担として発生するが、これを一般財源から捻出。受給者は現在が未就学児8000人、来年4月からはこれに小学生全体の7割にあたる5300人が加わる見込みだ。
光市では、県との共同実施の範囲で未就学児1915人(平成26年度)の医療費を助成している。平成26年度からは小学校1年生から高校3年生までの生徒に所得制限をもうけて入院時の補助をしてきた。今年8月からはそれに加えて通院時の助成を開始した(小学校3年生まで)。県との共同事業の予算は7585万6000円(県負担含む)、小学校1年~高校3年生までの入院・通院の補助として2760万円を27年度予算に計上している。
ちなみに中核市で見ると医療費助成をおこなっているのは高校3年生までが2市、中学校3年生までが27市、小学校6年生までが10市、小学校就学前(下関市と同じ)が4市となっている。中核市のなかでは遅れた部類に入っている。
医師が語る実情 出産よろこべない現実
拡充があいつぐ背景にあるのは、子育て世代の貧困化と少子化だ。下関市内の医師たちもそのことをひしひしと感じていると話している。
ある小児科医は、「これまで“貧困”という言葉は日本には無縁と思ってきたが、近年、とくに子どもたちの貧困が目につくようになってきた」と話す。学校給食だけで命をつないでいる子どもたち、修学旅行に行けない子どもなど、さまざまな問題が全国的な問題となっているが、医療の側面では「受診抑制」という形であらわれている。昨年四月から消費税が八%に上がり、食品をはじめ生活必需品の価格高騰など、負担がふくれ上がるなかで以前にも増して表面化しているという。
日本における子どもの貧困率は、平成24年度で16・3%。市独自の調査はなされていないが、この割合を下関市内の17歳以下の人口に当てはめると約6400人が貧困ライン以下にいることになる。もともと下関市民の所得は低く、人口1人当りの家計所得は2001年に310万円だったのが、2012年には279万2000円まで減少している。県内13市の平均292万7000円よりもさらに低く、全県平均293万4000円を14万円も下回る状態だ。
こうしたなかで本来は治療を受けるべき子どもが病院にかからず、ドラッグストアなどの市販の薬で済ませている場合も多く、来院したときには重症化しており、入院でまた負担が大きくなるという悪循環に陥ったり、仕方なく病院に来ても支払いができない、もしくは医療費を後回しにせざるを得ない状況にもなっている。「親世代も非正規雇用が多く、休めばその分給料が削られる。親世代に子どもを育てていく余力がなくなっている」と医師は危惧していた。
風邪や怪我といった一時的な通院はもちろんだが、喘息やアレルギーなどの慢性疾患は、継続した治療が必要になるので負担はさらに大きい。
別の小児科医は「自分自身の経験でも、喘息の子どもを持つ親にいい薬を紹介しても、“安い方でいい”という。政府は“後発薬と先発薬はあまり差異はない”というが、やはり先発薬の方が効き目はいい。だがそれ以上に病院の網にかからない子育て世代の方がより深刻なのではないかと思う。まだ病院に来るだけいい、それくらいの事態になっていると感じている」と話す。
医師の側から家庭の経済状況について踏み込むのは難しく、様子を見ながら受けられるような助成を勧めているものの、就学前の県の助成制度すら知らない親もいる。
現在の助成制度は申請しなければ受けることができず、プライバシーや個人情報だといわれることが、貧困の家庭をそうした情報からも遮断する悪影響を与えており、そのなかで下関市の子どもが減り続けていることを医師たちは指摘する。
産婦人科でも、母子手帳を申請すれば検診の無料券がついていることを知らない若いお母さんたちが、8カ月目に初めて検診に訪れたり、不本意に妊娠し中絶するお金がなくずるずる引きずって産むしかなくなり、そのまま乳児院に預けてしまうなど、孤立した貧困家庭にとって出産を喜べない現実があることが語られている。
ある小児科医は「みんなが生活保護をもらえばいいかというとそうではない。どの親も少しでも働いて生活している。申請しなければ受けられない助成ではなく、小学生まで無償化するべきだと思う。下関はもうちょっと子育てに力を入れなければ、どんどん子どもが減ってしまう」と語る。別の小児科医は「バブルの頃と比べると、親世代の収入が50万~100万円減っているという話もある。子育て世代の貧困化が進んでいるのに、日本では医療費と教育費に一番お金がかかる実際がある。アメリカ以外の外国では無償のところが多い。基本的に医療費と教育費は無償であるべきものだ」と話した。
下関市で小学生までの医療費を無償にする場合、対象者に約1万5000人が加わる見込みで、現在の3億円に加えてこの財源をどこから確保するかは市の判断次第だ。「定住人口を獲得する」「マーケティングだ」といってYouTube動画をつくったり、キャンペーンに出かけたりと都市間競争を意識した売り込みには熱心だが、実際に今下関市に住んでいる若い世代が安心して子どもを産み育てることのできる支援体制を整えることに関心がないようでは話にならない。働く場をつくることなど、今の下関に住んでいる住民が「住みやすい」と実感できる状況をつくらなければ、人口流出が止まらないだけでなく、よそから定住したいと思う人人が出てくるはずなどない。
昔から「子どもは社会の宝」といわれてきた。それは単純に可愛いというだけでなく、地域や国の未来を託す存在だからにほかならない。ところがこの数十年来、とりわけ90年代から2000年代にかけて実施された構造改革、諸諸の市場原理改革によって家計収入はめっきり減少し、そのことが少子化に拍車をかけた。そして「消滅都市」などの物騒な言葉が飛び交うようになった。
「出生率上昇」を叫ぶなら、子どもを産み育てることができる社会にすることが絶対条件であり、「女性活躍」を叫ぶなら、働く母親たちが安心して仕事ができるよう保育体制その他をもっと社会化しなければできるものではない。現実には自己責任、自助努力にすべてが放り投げられているために、多くの勤労家庭が子育てに四苦八苦し、医療どころか3食の食事すらまともに子どもに食べさせられないような貧困状況が蔓延している。社会的にすがる場がなく孤立した親による子殺しなども後を絶たないが、いかに生きていく余裕がないかである。
首相お膝元の下関において、その子育て支援は極めてお粗末で、医療費助成が県内他市と比べて遅れているのは一つのあらわれにすぎない。無駄な大型箱物利権を削減すればどうにでも回すことができるのに、優先順位が低いのである。学校校舎は耐震化が県内でもっとも遅れ、こちらも二の次、三の次扱いである。
下関では以前、子どもたちが学校給食で使っている食器が犬猫のエサを入れるようなアルマイト製だったことから、父母や市民が署名運動を展開し、樹脂製にかえさせたことがあった。小児科医、PTA、市民の力をつなげて、下関の未来を担う子どもたちの成長にとって譲れぬ問題として、医療費助成制度の拡充を求めていくこと、「出生率上昇」などを口からでまかせで唱えるのではなく、具体的に実行させるために運動を起こすことが求められている。