82年前の1942(昭和17)年2月3日に山口県宇部市の長生炭鉱で起きた水没事故(水非常)の犠牲者を悼み、歴史に刻むために活動を続けてきた「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下、刻む会)は、今年2月の追悼会で「今年中に坑口を開ける」と宣言したとおり、7月15日、「坑口を開けよう! スタート集会」を開催した。この水没事故で183人の坑夫たちが亡くなったが、犠牲者の7割以上に及ぶ136人が日本の植民地政策によって土地・財産を奪われ、強制連行を強いられて日本に渡ってきた朝鮮人であり、遺体は引き揚げられることなく、今も暗く冷たい海の底に眠ったままだ。この日は、海底に眠る遺骨の発掘と遺族への返還という大事業に向けて、坑口を開ける必要費用を集めるためのクラウドファンディングもスタートさせ、大きな一歩を踏み出した。集会会場となった宇部市床波の長生炭鉱追悼ひろばには、韓国遺族会と遺骨返還運動に共感した韓国訪問団30人の他、日韓の高校生や会のメンバーや市民など合わせて170人が参加した。なお10月26日(土)には「坑口が開く! 82年の闇に光を入れる日!」坑口前集会を開くことも発表した。
人道と友好の歴史築くために
スタート集会に先立ち午後1時からは、約30人の韓国訪問団が追悼碑前で犠牲者を慰霊する仏教儀式が厳かにおこなわれ、その後舞踊も披露された。訪問団は、今年1月、韓国の国会でおこなわれた長生炭鉱水没事故の追悼写真展と討論会を契機に、日韓共同の市民の運動として遺骨発掘を実現させようと組織された。大韓民国の第45代副総理を務めたユンドクフン氏も同行した。
訪問団団長のチェ・ボンテ弁護士は、2005年の日本政府との遺骨問題についての交渉の韓国側代表を務めた経験をのべ、「長生炭鉱のような重大な人権問題の解決なくして、なにが日韓友好ができるでしょうか。私は絶対にできないと思う。遺骨発掘はやる気があればできることだ。人道主義、現実主義、未来志向の3つの原則にそって本当の日韓友好のために両政府が動いてほしい」「この国の主人公は政府でも大統領でもなくわれわれだ。遺骨を返還して戦争が終わりましたという報告ができるように頑張ろう」と訴えた。
続いて午後2時からは「坑口を開けよう! スタート集会」が開かれた。「刻む会」共同代表の井上洋子氏は、「行動するときがついにやってきました」とのべ、2月3日の追悼式で、市民の力でまずは坑口を開けようと宣言してから、その決意に呼応するように韓国や日本各地から連帯の動きが広がり、名実ともに日韓市民による「坑口を開けよう! スタート集会」を開く歴史的な日を迎えられたことに謝辞をのべた。また4月の国会での質問に対して武見敬三厚労大臣が「海底の中であり、遺骨の位置や深度がわからないから発掘は困難である」という見解を示していることについて「現地視察もせず、何ひとつ調査もせず、発掘は困難だという政府の答弁を私たちは到底理解できない」と訴え、「日韓市民の連帯の力で坑口を開けようではありませんか。今日から始まるクラウドファンディングで、何としても800万円を集めきり、この秋、閉ざされた坑道に光を入れましょう」と呼びかけた。そして長生炭鉱の遺骨発掘を日韓両政府の共同事業にすることを次の具体的な目標として宣言した。
長生炭鉱犠牲者大韓民国遺族会会長のヤン・ヒョン氏は、「今から31年前の追悼式に参加した時に、跡形もなく消えてしまっていた坑口と海の中にぽつんと立ちそびえていたピーヤ(排気筒)を見ながら、恨みをいだいたまま犠牲となられた父親の名前を泣き叫びながら慟哭していた遺族達のことが思い出される。……日本は植民地支配下に募集という名で若い朝鮮人たちをだまし、強制動員し、人権を蹂躙(じゅうりん)し、まるで消耗品のような扱いをうけ、悔しい思いで犠牲になられた方々に、日本政府はいまだに心からの謝罪もなく、遺骨は放置されたままになっている。特に炭鉱の坑口は犠牲者たちが命をかけて朝晩通っていた道路であり、私たち遺族にとってはより一層、犠牲者たちの足跡をたどりたい思いで(調査を)切望してやまない」とのべた。
また日本政府に対し「過去の過ちを隠したからといって、隠せるものではなく、過ぎ去った過ちに対し、心からの謝罪をし、遺骨を発掘して遺族のもとへ返すことが、遺族のためだけではなく、日本と韓国の過去と現在にけじめをつけ、発展的に未来志向的な面からしても当然しなければならないことだ」と強く訴えた。
フリージャーナリストの安田浩一氏は、「強制連行」「強制労働」などの歴史の事実を否定する動きが日本社会を襲うなかで、「“強制連行”という文字が刻まれたこのピーヤの追悼碑の前で集会がおこなわれることに励まされている」とのべた。5年前に長生炭鉱の跡地に足を運び、初めてピーヤを見たとき、最大の疑問として「なぜ日本政府は何もしないのか?」という思いと憤りが募り交差してきたと語り、「坑口を開けろと叫び続けてきた人々がみずからの手で開けようとしていること、歴史の事実を刻み続けようとする人たちが誇りだ。私たちは坑口を開けるし、ピーヤの下の坑道まで突き進んでいくと思う。政府は後からついてこい! しっかりとな! という思いでいる」とのべた。
群馬県から「記憶 反省そして友好」の追悼碑を守る会の石田正人氏も駆けつけあいさつした。
日韓の高校生も参加 坑口付近を草刈り清掃
その後、「日韓の歴史交流」事業の一環で、山陽小野田市のサビエル高校を訪れていた韓国の慶尚南道の高校生11人と日本の高校生が前に立った。
代表してあいさつした韓国の高校生は「韓国では犠牲者のために“彼らはまだ海の中にある”という展示をしている。韓国でこの事件を知る人は少ない。参加してこの事件の悲しさを知る機会になった」とのべた。
サビエル高校の吉富咲良さんは、「私の母の実家がこの辺りだが、長生炭鉱の事故をまったく知らなかった。日本でこんな悲惨な事故があったことに衝撃を受けた。これからは私たちはこの事故のことを伝えていきたい」とのべた。
坑口を開けるための工事を担当する久保工務店社長の久保武智氏は、「私たち建設業は、大きなお金が動く業界で、しがらみも多く、自由に動きにくい業界であることは事実だ。ただ私は、人として正しいことは正しいといおう、人として正しいことには協力していこう、建設業である前に人であるということを大きな声で訴えたい。その気持ちでこの事業に協力したい」とのべ、参加者から大きな拍手が送られた。
最後に、参加者全員で「坑口を開けよう!」のカードを掲げてアピールした。その後、参加者は坑口に移動して、付近の清掃活動をおこなった。7月25日には専門家による潜水調査が実施され、9月から一帯に重機が入る予定で、10月26日には「坑口前集会」が開かれる。
参加した県内の2人の女子高校生は、「坑口を開けようという熱意を強く感じた」「初めて知った。こういう事件こそ教科書に載せて知らせるべきだと思った。知ることができて良かった」と話していた。