山口県下関市にある海峡メッセ下関で1月23日、同施設を運営する山口県国際総合センターが防災セミナーを開いた。国際総合センターが、海峡メッセ下関に入居するテナントや市内企業向けに「南海トラフ地震が起きたら下関はどうなるのだろうか」という問題について考え、大規模災害に対する危機意識を共有する場として初めて企画したものだ。1月1日に令和6年能登半島地震が発生したことから関心も高く、一般参加者も多くみられた。同セミナーでは、地震工学や防災工学を専門とする山口大学名誉教授・三浦房紀氏が「南海トラフ巨大地震がもたらす被害とその備え」と題し講演。三浦氏は、西日本が阪神淡路大震災以降、地震活動期を迎えているとのべ、過去の歴史や地形の隆起などから10年後に南海トラフ地震が発生してもおかしくないこと、そうでなくとも「そう遠くない」未来に起きると警鐘を鳴らした。また、地震の揺れ方や津波の到達時間、具体的な被害想定を示した。そのうえで、こうした情報をもとに行政はもとより企業や学校、地域、個人で地震を想定した防災・減災のための備えを事前に進めることの重要性を訴えた。以下、三浦氏の講演の内容を紹介する。
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能登半島地震 日本海の過去の類似例
まず最初に、能登半島地震について私が把握している内容を話す。マグニチュード(M)7・6というのは日本海側では結構大きな地震だ。内閣府によると20日時点で死者232人、避難者1万5740人となっている。今は「被災者に寄り添ったきめ細かい対応を」というスタンスのようだが、それが故に二次避難所への避難が遅れているのではないかと思う。盗難が怖いなどのいろいろな事情があるにせよ、命はとり返しがつかない。まずは命を助けるためにとにかく二次避難所の暖かいところで温かい食事をとり、暖かい布団で寝て元気を出してもらうことが一番大切だ。
過去にも日本海側で地震が起きているので、今回の能登半島地震とそれらを比較してみる。
新潟地震(1964年)のときに、液状化でアパートが倒れてしまった光景を覚えている方もいるのではないか。このときはM7・5で、26人が死亡し、石油コンビナートでたくさんの火災が起きた。津波の高さは新潟市で4㍍、佐渡島で3・3~4㍍だった。
日本海中部地震(1983年)も、M7・7で今回とほとんど同じ地震の規模だった。最大震度は5だが、当時は機械ではなく気象庁職員の体感で測定されていたので、本当はもっと大きな地震だったのではないか。当時この地方では「地震が起きたら海岸に逃げなさい」「日本海側は地震が起きても津波はない」という間違った言い伝えもあり、ほとんど避難した人はいなかった。そのため死者104人のうち、津波による死者が100人だった。津波の高さは秋田県八峰町で14㍍を記録した。このとき、バス旅行で弁当を食べるために海岸を訪れていた子どもたちが被災し、13人が津波で死亡した。この地震は私が防災教育を始めるきっかけになった。
北海道南西沖地震(1993年)では、M7・8、最大震度6を記録した。奥尻島の青苗地区が津波でやられ、その後火災も発生し200人をこえる人が死亡した。この地震では、藻内地区で津波の遡上高さ31・7㍍を記録している。
新潟県中越沖地震(2007年)では、M6・8で最大震度6強を記録した。死者は15人だった。このときは緊急地震速報が活用されており、揺れに対して長岡市で3秒前、飯綱町で20秒前に鳴っている。この緊急地震速報は、今後起きる南海トラフ地震に備えるうえでも非常に重要だ。
以上のべたような日本海側の地震は、すべて5~7月に起きている。だが今回の能登半島地震は真冬に起きており、今被災地の人々は厳しい状況におかれている。
また、地震により日本全国広い範囲で揺れが確認され、大津波警報も広い範囲で発令されなかなか解除されなかった。実は日本海側で津波が起きると、津波は大陸に反射し、屈折を起こす。そのため今回も長い間警報が解除できず、初期対応にも支障を来した。
1月1日の本震の直後にはM6・1の地震が起きた。そしてその後もM5をこえる余震がたくさん起き、救助活動を遅らせた。また、多くの土砂災害が起きて道路が寸断され、車による支援の確保が困難になった。そして海底の隆起により港が使い物にならず船も使えなくなった。実は船は大きな災害が起きたとき非常に有効だ。大量の物を運ぶことができ、避難所にも診療所にもなる。水も食料もある。だが着岸できなくなっている。さらに冬の悪天候により、ヘリやドローンによる物資運搬も困難になっており、陸・海・空すべて厳しい条件となっている。
石川県の「地震津波防災計画」を見てみた。最近も改定作業がおこなわれていたなかで今回の地震が発生した。ただ、「能登半島北方沖」の地震の想定はM7・0だったが、津波の想定ではM7・66(今回とほぼ同じ)の地震を想定していた。同じ断層の地震なのに想定するMが違うのは不思議に感じている。
南海トラフ巨大地震 地震発生のメカニズム
ここから、南海トラフ地震について話していく。西日本では、地震活動が非常にたくさん起こる「活動期」と、地震が起こらない、またはおこったとしても小さい地震となる「静穏期」が100~150年の間で交互にやってくる【図1】。活動期の最後には南海トラフで大きな地震が起き、その後静穏期になる。
一番最近の静穏期は1994年までで、阪神淡路大震災以降西日本は活動期に入ったと考えられる。
元々は東海地震、東南海地震、南海地震という別々の震源域を前提に各地域の被害想定をおこなっていた。しかし、東日本大震災で想定外の規模の地震が発生したことを受け、「これからは“想定外”はない」ということで、東海・東南海・南海すべてひっくるめた震源域の評価をおこなうようになった。すると、最悪の場合【図2】で示したようにこれだけ広範囲の断層が動く可能性があり、その結果M9クラスの地震になることがわかった。また、この震源域には日向灘も含まれているということが大きなポイントだ。地震の活動期には、図2で示した震源を囲むようにM5~7の地震がたくさん起き、最後に大きな地震が発生する。
東日本大震災以前に、似たような場所で巨大津波をともなった地震として「貞観地震」(869年)がある。その9年後には関東で「元慶地震」(878年)が発生しているが、これが今でいう首都直下地震にあたる。さらにその9年後には「五畿七道の地震」(887年)が発生しており、これが今でいう南海トラフ地震だ。今から1000年以上も前のことなので、今同じことが起きるとは思わないが、エネルギー的に考えても東日本大震災が発生した数年~数十年後に首都直下地震や南海トラフ地震が起きるだろうということが考えられる。
南海トラフでこれまでにくり返し発生してきた地震については、いつどの範囲で動いたか記録に残されているのだが、だんだん地震発生の周期が狭くなってきている気もする。また、南海トラフで地震が発生すると、今回の能登半島で4㍍の隆起が生じたのと同じようなことが起きる。高知県の室戸岬にある室津港では、南海トラフで地震が発生する度に何度も隆起してきた。そのデータをあらわしたのが【図3】だ。
この図では宝永地震、安政地震、昭和地震という三つの地震にともなう隆起について示している。1700年に起きた宝永地震は、有史以来最大の地震(M9)といわれており、このとき室津港は約2㍍隆起した。その後幕末に起きた安政の地震では、32時間の差を置いて2度地震が発生し、1・2㍍隆起した。さらに昭和地震では1944年と1946年の2回に分かれて起きており、1・2㍍隆起した。
図3では隆起量を縦軸、年代を横軸として示すと階段状の線になる。この階段状の図形において、地震発生時点をそれぞれ線で結ぶと直線状に繋がる。これはもう少し前に起きた地震と合わせても同じように直線で結ばれる。そしてこの直線を昭和地震の発生時点から先へ引き延ばすと、2033年で横軸の隆起量と交わる。この交点でいよいよ南海トラフで大きな地震が起きるのではないかということが予測される。
このデータは、2013年に国が発表した「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)」で示された内容だ。「Xデー」は今からあと10年足らずでやってくる。この想定通りになるとは思わないが、いろいろな状況から見て「そう遠くない」ということをしっかりと認識しておかなければならない。だからこそ「あと10年しかない」「備えましょう」ということをもっと発信していくべきだ。
日本列島の下には、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートという四つの岩盤の境界がある。そこに太平洋プレートが年間八㌢、フィリピン海プレートが同3~5㌢ずつ潜り込んでおり、ストレス(応力)を与え続けている。そのストレスはいつかは限界に達して岩盤が跳ね上がる。つまり、太平洋プレートやフィリピン海プレートが動きを止めない限り、地震はくり返し起きる。これはもう避けることができない。
起きたらどうなるか 想定される被害の概況
阪神淡路大震災のときに神戸港で観測された揺れの長さは10数秒だった。一方、東日本大震災では150秒あるいはもっと長い時間揺れが続いた。しかし阪神淡路大震災や今回の能登半島地震の方が多くの日本家屋が倒壊し、東日本大震災ではあまり家屋の倒壊はなく、津波による被害が多かった。
この被害の違いは、地震の波の特徴によるものだ。阪神淡路大震災や能登半島地震のような直下型で地震の周期が短い場合、「共振現象」が起きやすいため木造家屋が倒壊しやすい。一方、東日本大震災のときには地震波の周期が長く、木造家屋との共振があまり起きなかった。南海トラフ地震も東日本大震災と同じタイプの揺れになると思われるが、だからといって木造家屋でも安心というわけではない。
なぜそんなに長い時間揺れが発生するのか。地震はある1カ所で破壊が起きると、そこから1秒間に3㌔㍍ほどの速さで破壊が伝わっていく。東日本大震災で動いた断層の長さは500㌔㍍で、揺れの長さは約3分だった。南海トラフは最悪の場合800㌔㍍もの断層が動く可能性がある。仮にその真ん中で地震が発生したとしても、400㌔㍍にわたって1秒間に3㌔㍍ずつ破壊が進むので、133秒つまり2分以上もの時間をかけて破壊が伝わっていくことになる。
その間ずっと地震波が出るので、実際の揺れの長さは3~4分になる。下関でも、3~4分揺れが続くだろう。
津波による被害については、「満潮時が続く間に、津波が何度もやってきた場合」の水位を予測し、それをもとにハザードマップなどが作られている。関門海峡の場合、満潮で1・8㍍、干潮で1・8㍍潮が動くので、干満の差は3・5㍍以上ある。そのため満潮時と干潮時で津波の被害は大きく異なる。もしも干潮時に津波が来た場合、津波の高さは最大1・5㍍くらいだ。安心とまではいえないがあまり大したことはない。ただ、干潮時と津波の引き潮が重なると水位が非常に低下するため、船舶の安全には注意が必要だ。
南海トラフによる津波被害想定については11のシミュレーションをおこなっている。先ほどのべたように高知県の室戸岬は隆起するが、反対に高知市は沈下する。高知市では、昭和の南海地震や幕末の安政地震でも沈下が起きており、今度の南海トラフ地震でも2㍍くらいは沈下するはずだ。
知ることで対策を 山口県や下関市の被害想定
南海トラフ地震が起きると、太平洋沿岸で震度7、広い範囲で六強を記録し、日本中に大変な被害が及ぶ。南海トラフの被害想定【図4】では、最悪の場合死者は31万人に及ぶ。また、自分で避難できず救助を待つ人は約24万人にのぼると見られている。山口県では、県東部に位置する岩国、周防大島、柳井、上関で震度6弱の揺れが想定される。県西部に位置する下関では、一部地域の埋め立て地で震度5弱、その他は震度4の揺れが想定されている。
震度4とは、ほとんどの人が驚く揺れで、電灯などのつり下げ物が大きく揺れたり、座りの悪い置物が倒れたり、物が落ちる。震度五弱の揺れは、大半の人が恐怖を覚え、物につかまりたいと感じる。また棚にある食器類や本が落ちたり、固定していない家具が移動することもあり、不安定なら倒れることもある。このように震度五弱からは物的被害が出る。しかもその揺れが3~4分続く。
津波被害は、長府から埴生にかけての範囲で満潮時3・5~4㍍が想定されている【図5】。堤防の高さはこの津波よりも高いのだが、3~4分間も揺れが続くと液状化が起きて地盤が弱くなり堤防が倒れていく。そうすると浸水が起きる可能性もある。津波の高さだけを見て安心してはいけない。
また、現時点でいくら高潮対策のための堤防を築いていても、津波は少しでも隙間があればそこから侵入してくる。堤防で完全に密封することは不可能で、下水などの水路からでも津波はやってくる。また、下関市は斜面や崖がたくさんあるので、津波だけでなくむしろ土砂災害の方が心配だ。そうしたことを頭に入れて避難計画を立てなければならない。
下関市では木造、非木造合わせて166軒の家屋が全壊、852軒が半壊すると想定されている。上水道の断水の心配はほとんどなく、下水の被害と停電は一部地域で起きるだろう。
山口県全体での南海トラフ地震被害想定(2013年時点)では、死者614人、負傷者1477人と予想されている。死者614人のうち津波によるものが582人となっており、そのほとんどが県東部だ。下関市では死者は出ないだろう。さらにこの想定は、夏の海水浴客が一番多いときに地震が起きたことを条件におこなっている。ただ、だからといって自分が犠牲者にならないとは限らない。
すべての人がすぐに避難すれば津波による犠牲者はゼロになるのだが、実際には津波警報が出てもなかなか避難しない人もいる。だいたい2割くらいの人がすぐに避難するが、半分くらいの人がしばらく時間が経ってから避難し、残りの3割くらいの人は避難しない。津波は来るので、絶対に避難しないといけない。
山口県内の死傷者ゼロをめざすために大事なのは、緊急地震速報を必ず聞くことだ。南海トラフ地震が下関に一番近い場所で起きた場合、だいたい距離は240㌔㍍になる。計算すると地震が発生してから緊急地震速報が発表されるまでに5~15秒かかるが、大きな揺れをもたらす「S波」到達までの時間は約60秒だ。つまり、速報が鳴ってから強い揺れが到達するまでの時間は45~55秒で、この時間をいかに使うかがとても大事だ。
たとえ寝たきりの人であっても、揺れが来るまでの間に家族が何もない部屋に移動させるだけで負傷しなくて済むということもある。崖に近い家に住む人は、崖から離れた部屋や2階に避難する、火を使っていたらすぐに火を消すなど、即座の対応によって命を守ることができる。だからこそ日頃から考え、いざというときに行動できるようにすることが大切だ。
今日は企業の方もたくさん来ているが、地震が起きたときに何から優先的に対応するのかをきちんと決めておかなければならない。そうすることで会社が受ける危険を大幅に下げ、経済被害も抑えることができる。
次に、津波の到達時間を見てみる。下関漁港では到達時間が地震発生から11時間後、岬之町や長府、埴生漁港、宇部港ではだいたい四時間後に津波がやってくる。周防大島など県東部は2時間後には津波がやってくる。
下関では避難するには十分な時間があるので、車での避難も含め誰一人とり残さない避難計画と訓練をしておくことが必要だ。「津波の避難は徒歩で」とよくいわれるが、臨機応変に車を使うことは必要だ。命を守るためには行政だけでなく、地域の人や企業、学校も一緒になって考えていかなければならない。
「BCP」で防災力強化 被害想定し対策を
四国や和歌山県、三重県、愛知県、静岡県などの自治体では巨大な津波が南海トラフ地震発生から数分後にやってくるため、残念ながら死者は出る。それが現実だ。ただ、山口県はまだ対応が可能だ。「可能ならばやりましょう」ということを私はみなさんに伝えたい。
個人や家庭、地域、学校、企業はBCP(事業継続計画)をしっかりやって防災力を高めなければならない。そのためには行政や消防、警察、自衛隊等防災関連機関、医療機関、報道機関、専門家などいろいろな立場の人の協力が不可欠だ。さらに今後は災害、防災に関連する各種データのデジタル化、オープン化、各種ハザードマップのデジタル化が急務となっている。
宇部市ではデジタル化が実現し、小中学校ではデジタルハザードマップを使った防災教育をおこなっている。やってみて分かったことは、みんな教科書に載っている静岡県の防災や、富士山噴火の防災、日本海側の大雪に対する防災については勉強しているのだが、自分が通っている小学校のすぐ近くに土砂災害の危険地域やため池があったり、高潮の危険性があることなどは知らずにいる。さらに、中学校に授業に行ったときには、ある先生が「防災は入試に出ないのでサラッとしか勉強していない」と話していた。子どもたちに防災について教えておけば、未来にずっと残るはずだ。小中学校の防災教育は力を入れてやっていきたい。また、できれば地域の人も一緒に参加して、いろいろな知識を子どもたちに教えてくれるような環境が一番理想的だ。
企業の方にもぜひBCPにとりくんでほしい。東日本大震災や阪神淡路大震災では、BCPをやっていた会社とそうでない会社で被害が全然違った。緊急地震速報が鳴ってから揺れが起きるまでの時間、そして揺れが来てから津波が到達するまでの時間に何をするべきかを、実際に地震が起きる前に準備しておくことが大事だ。地震が起きて何もできなくなれば客をとられて倒産するかもしれない。だが最低限の備えをして被害を抑えたり、もっとうまく対応できれば新たな客を獲得でき業績を維持もしくはアップできる。あまりこういうことをいうのは品がないかもしれないが、災害が起きればこれが現実となる。甘くない。
BCPにおいてもっとも重要なことは、災害が発生したときでも重要な事業が継続できるように備えることだ。次に重要なのが目標復旧時間までに事業を復旧・再開させること。そして顧客の流出を防ぐことだ。何よりも会社を守り、社員を守り、自分の生活を守ることが大切だ。それが、地域の生活・経済を守ることにも繋がる。
国交省中国地方整備局のホームページでも、BCPの参考になる資料を見ることができる。やはり一番大事なのは被害を想定することだ。自社の地域で懸念されている災害の一覧を整理し、自社の位置や建物の耐震性に関する状況、ライフラインの被害想定はとくに重要だ。これらを踏まえたうえで、いざ地震が起きたときに何をするのかを考えなければならない。
また、家庭の防災も重要だ。1年のうちに大人が職場にいる割合は残業なしで約22%、残業2時間で約27%だ。子どもの場合、学校にいる割合は小学校低学年が約17%、高学年約19%、中学生(部活あり)で約23~29%だ。つまり、家庭にいる時間が圧倒的に長い。いくら会社のBCPをしっかりしていても、社員や社員の家族が自宅でけがをすると社員も会社に来れなくなる。その時点で会社のBCPは破綻する。だからこそ会社だけでなく社員の家庭の防災もしっかりやってもらうよう呼びかけてほしい。
最後に、南海トラフ巨大地震は必ずやってくる。また、今日は話していないが首都直下地震も必ずやってくる。防災対策を始めると、何が足りていないかが分かる。完全でなくてもできることから始めてほしい。自分が、家族がけがや病気をしないことが第一であり、自分の家だけでなく、職場や地域と一緒に進めていってほしい。
下関市にある菊川断層の地震については、私が委員長で断層の調査をおこなったが、あと1900年は大丈夫だ。ただ、安芸灘や伊予灘の地震はいつ起こってもおかしくなく、その場合地震の揺れと緊急地震速報がほとんど同時にやってくる。まずは、「あと10年」という目の前に迫っている南海トラフ地震に対してしっかりと備えをしておくべきだ。そうすると、もしも他の所で地震が起きても対応できる。「山口県死傷者ゼロプロジェクト」は、山口県のためではなく、被災地に助けに行くためだと思ってほしい。それは実現可能だ。