計画公表以来22年を迎える中国電力の上関原発計画を最大の争点とする27日投票の上関町長選と、4日告示13日投票の熊毛郡区を焦点とする県議選が迫った。町長選は、推進派3人乱立抗争が、加納簾香氏で一本化調整し、反対派は山戸貞夫氏が予定。熊毛郡区県議選はこの地域の推進の支柱である吉井利行・自民党県連幹事長と今回はじめて反対派から小中進氏が立候補。それぞれ両氏をかついだ推進と反対とのあいだの、また中電、国、自民党と町民、郡民のあいだの決戦の様相となった。県議選熊毛郡区で吉井氏がどうなるか、なかでも上関でどういう票の出方になるか、そして上関町長選がどうなるか、全国注目の選挙となった。
騒動の継続企む中電
上関町長選は、推進派が3氏乱立で抗争をつづけ、説明会までなだれこんだが、県議選の告示を数日まえにしてようやく一本化となった。町内推進派の関係では調整不能となっていたなかで、より上の力、中電や自民党県連側からの力が働いたことをものがたっている。
上関の推進派の抗争は、原発の行きづまりがあらわれはじめた5年まえの町議選挙のあとから顕在化していた。その年には、中電のカネを配分する権限をもって、上関の推進派の元締め役をしてきた田中正巳氏が商工会総会で会長を罷免された。4年まえの町長選をまえに、推進派若手のなかからは片山更迭の動きがあらわれていた。それは原発のめどがなくなり、中電が消極的になることの反映であった。だがそのときは自民党筋の力が働いて片山町長でまとまった。右田氏は、片山氏がつぎは町長を譲るというので選対本部長を務めた。
「中電が片山がバカだから原発がすすまない」といっているという話が推進派から聞かれはじめたのもこのころである。町議会でも、加納、右田、西町議らが激しく片山町長を追及するという場面もあらわれはじめた。この時期から、二井知事の合意意見を求めて町内の婦人会を動員して山口などでビラまきしたり、室津の林宮司攻撃などで加納派の婦人が「活躍」したり、推進派全体とくに古手組がくたびれ模様のなかで、加納氏の孤軍奮斗の売り出しがめだつものとなっていた。
昨年の町議選では、その若手潮流の反乱で、20年近く議長を務めてきた西元氏が出馬断念となり失脚した。かわった若手は落選、「改革派」リーダーの加納氏の得票はのびず期待はずれとなった。加納氏は右田氏を切り捨て、同盟者の大西組合長らが浅海氏擁立で動くなかで、浅海氏で動きはじめた。そして、3人の乱立はいけない、別の候補で一本化という局面になって、片山町長の要請という形で加納氏で推進派の一本化になった。片山追い落としの中心を担ってきた加納氏が、片山氏を負かした結果となった。男のメンツを捨ててケンカ相手に負けるよう片山氏に引導を渡したのは中電と自民党のほかなく、「逮捕されるようなことはない」とか「あとの面倒は見る」という形で引っこんだのだろうというのは町民の観測である。
上関原発推進は、田中正巳氏が中心で采配をし、町長が片山氏、議長が西元氏で、この20年をやってきた。その三人組のすべてが失脚したことになる。この古手の失脚で、中電がどんな悪事をし、どんなウラの約束をしていたかなどがうやむやになり、中電が責任をとらずに逃げるうえで身軽になったことを意味する。
加納氏が町長になるとなれば、上関の推進派は、議員では西、吉崎氏らが、組合長では大西、外村氏らが実力者のポストを確保し、「道理」より「無理」といった力任せの町支配に花が咲くものと見られる。形のうえでも「全町のために」というポーズをとるのもへたくそメンバーで、目先が威張れて、もうかればよいという印象が強く、永久に騒動だけをして町がますます荒れるにまかせるだけというのが、大方の町民の見方である。
加納氏は、上関町に原発計画をもちこんだ故・加納新元町長の夫人である。戦後の上関町政を担った代表的な町長で、戦後の上関を小さな利権のためにさんざんに寂れさせ、漁民をバラバラにして、原発によって売りとばしをはかった。その後片山氏に町長をひきついで22年の混乱と停滞をもたらした夫町長について連帯責任を問われないわけにはいかない。
追い込まれた自民県連
上関の推進派が一本化したことで、胸をなでおろしたのは吉井県議である。この熊毛郡区では12年ぶりの選挙となり、しかも反対派から小中氏が出馬し、はじめて推進派と反対派の対立となる。そのうえに上関の推進派が分裂抗争をしているのでは選挙にならない。上関町長選の一本化の背景には、原発推進失敗の責任を問われる羽目になりかねない自民党県連側の追いこまれた事情が働いたといえる。
この上関周辺地域での原発反対の声は強く、吉井氏側は佐藤氏の落選の教訓から見ても、原発を争点からかくすことが願いであった。吉井氏の選挙パンフレットは、親分の佐藤信二氏の写真はなく安倍晋三、林芳正氏ほか他の代議士ばかりで原発隠しのへっぴり腰が話題になっている。吉井氏も腹を決めて、佐藤親分に学び「自分が落ちたら原発が終わりになる」と叫んで回るなら正直でいさぎよいというものである。
自民党県議団はしゃにむに原発推進で走ってきたが、吉井氏は佐藤信二氏の子分として地元で推進の支柱となり、また県連幹事長として県議会の推進の旗振りとなって原発利権を握ってきた。佐藤信二氏は2000年の衆議院選挙で、「自分しか原発をやれるものはいない」といって落選した。吉井氏がもし落選することになると、上関を選挙区とするところでは、代議士も県議も推進派は一人もいなくなる。それは原発計画の終えんを意味することになる。
上関原発計画は、公表から22年になるが、この長いあいだ引っぱってきたのは自民党であった。当初先頭に立ったのは、吹田愰元代議士で、その落選後は佐藤信二氏が旗を振った。80年代に中電主導で行きづまったのち、90年代以後は平井前知事が水面下で、信漁連問題などの大仕掛けを施しつつ、祝島の抱きこみに動き、漁協の脅しと買収、片山町政への大盤ぶるまい予算などのテコ入れをして、田ノ浦地先の共同漁業権を祝島漁協に放棄させ、環境調査をやった。それを受けた自民党林派の二井知事が知事合意から基本計画への組み入れまですすめた。
上関町の周辺の、熊毛郡区では吉井、柳井市区では長谷川、光市区では河野などの県議が、原発利権の中心となって、市町政・議員などの推進勢力を糾合してきた。
上関原発計画は、1996年末の中電の正式申し入れで「すぐにできる」かのような空気であったが、1998年の町議選無投票まできてすっかり行きづまり、1999年秋の東海村臨界事故があって「もう終わり」という空気になった。
ところが、その年末に突如多額な漁業補償金の提示でしゃにむに推進する力が動いた。2000年の衆議院選挙では佐藤信二氏が原発推進をとなえ、この時期のむりな推進のごり押しをしているのは自民党であることを浮き彫りにした。佐藤氏は落選したが、自民党二井知事が強硬路線をつづけ、知事選後公聴会の開催を発表、通産省の公開ヒアリングの条件をつくった。年末には自民党県議団が公明、民主などの一部県議も抱きこんで原発合意の署名を出し、そして2001年春二井知事の合意意見提出と、上関原発の基本計画への組み入れとなった。
その後上関原発問題はまったくとん挫してきた。ここで焦点となったのは、林宮司が断固として売却を拒否していた神社地問題であるが、そのために背後で動いたのも二井知事ら自民党であった。神社地裁判では、中電が手慣れたお雇い弁護士を使うのではなく、末永弁護士が登場した。末永氏は元検事で、二井知事の盟友であり県公安委員長にもなった人物である。県下の漁協つぶしの犯人の一人である「マリンピアくろい」の社長で自民党県議団長であった桝田市太郎氏の借金棒引きの弁護をひき受けるなど、自民党県連との因縁が深い人物。
自民党県連会長の河村建夫代議士は年頭の記者会見で、神社地問題は神社本庁にパイプがあるので解決するという発言をした。パイプというのは、同じ選挙区で美祢市の宮司・宮崎義敬氏が全国神道連盟会長をしていることを指していると思われる。宮崎氏は汚職事件で逮捕され代議士を首になった村上正邦氏のかばん持ちをする関係であった。そして今回出てきたのが、神社本庁による強引な林宮司解任であり、間髪入れずに県神社庁が宮成宮司を四代八幡宮に派遣したことである。こうして自民党が弁護士や神社庁と結びつき、地元を騒がせて神社地問題での林宮司弾圧の役目をひき受けた関係となった。
林宮司解任は、原発は終わりと思っている推進派を選挙に駆り立てる動機が直接の契機となった。河村氏と吉井氏はそれぞれ新聞で、上関の推進派候補一本化で胸をなでおろし、満足していることを明らかにした。
上関町における林宮司解任騒動はヤクザじみたもので、この世に警察などないと思っているようなものであった。四代の林宮司首切りの中心となった山谷区長・町議は、借地契約も解任要求の署名も偽造をやり、神社地や共有地の環境調査のさいの借地料数千万円をいまだに会計報告もしていないが、警察は動かない。とりしまるべき元検事とか県公安委員長をやっていた弁護士や自民党がバックについているから無法行為ができるとみなしているのである。
売国政治の象徴・原発
自民党県連が山口県内の上関に原発をなおも建設推進するのは、目先の利権のために愛国心のかけらも投げ捨てた姿を暴露している。ミサイルの標的になる原発をしゃにむに建設することは、郷土を廃虚にし、県民の生命、財産を犠牲にしてもはばからないというものである。
この利権にまみれた自民党が、イラクや朝鮮への出撃基地である米軍岩国基地の拡張に狂奔し、日本の若者をアメリカの国益のための肉弾にし、日本本土をふたたび戦場にさらすという売国政治をすすめている。県下の農業も漁業も破壊し、製造業も流通業も甚大な打撃を加えてアメリカ式のグローバリズムをとなえ、また市町村合併をせかせて地方自治は破壊し、自己責任、受益者負担などといって県民生活を破壊する売国政治をやっている。県議選では、県民生活をめぐるさまざまな問題とともに、国を廃虚にし県民生活をじゅうりんする象徴として上関原発問題が重大な争点となっている。
上関町では、推進勢力は県と自民党が中電に成りかわって推進に乗り出さなかったら、十数年まえに計画撤回になり、穏やかな上関町になっていたものである。そこに自民党県連、県政が乗り出すことで、町民のなかでは信頼のない連中がいつまでも権力と金力を頼りに幅をきかせ、上関を混乱させてきた。
自民党県連が上関原発推進で今回も上関町長選に介入するのは、原発建設の見とおしがあるからというのではなく、当面の自分たちの選挙がやばく、自民党県連の責任が問われる羽目になるという防衛戦争の色が濃い。
自民党県連、とくに幹事長の吉井氏がこの選挙で、原発推進、すなわちできる見こみもないのにはてしもない原発利権の継続で正面にたちあらわれたことは、原発の決着にとって、熊毛郡民、上関町民にとってまことに結構なことである。上関町での吉井氏の得票がどうなるかは町長選がどうなるかを占うことになる。
熊毛郡区の県議選と上関町長選は、それぞれが深く結びついて、郷土を廃虚にする上関原発について、あくまで騒動をつづけるのか、ここで白紙撤回にするか、上関町民だけでなくすべての県民、国民の共同の問題として、上関現地と全県を結ぶ重大なたたかいとなっている。