原発問題の最終決着をめぐる上関町長選挙は、多くの町民が首をかしげる結果となった。町内では、今度は票差が接近するし、あるいはひっくり返るという実感を得ていた。町内の各地で推進派に投票していた人たちの側から今度は原発の終結を願って反対の側に流れていたことを実感していた。だが票差は変わらなかった。「なぜだろう」の疑問がどこでも語られている。明らかに上関には「化け物」がとりついているのだ。「どんなにがんばっても変わることはない」とあきらめさせようとする力が作用しているのだ。だが今度はこの長期にとりついてきた「化け物」の正体を引きずり出すところまで町民のたたかいが強まった。選挙は、中電、国、県と町民のあいだのきわめて鋭いたたかいとなり、形のうえで票差は前回なみに収まったが、その政治的な中身は大激変をした。選挙後、警察は原発騒動20年にしてはじめて選挙違反で関係者を逮捕したが、それは選挙が町民の大勝利であったからであり、上関原発を最終的に終結させ町を正常化するうえで、巨大な勝利をしたのである。
得票の内容は大変動
まず投票・得票の数字はなにをものがたっているか。
ひとつの特徴は、投票率が下がったことである。棄権者数は前回220人から今回320人と100人ふえた。このほとんどは推進派の票がへったと見ることができる。今度は推進派が寝たきり老人などをむりして運ぶようなことをしなかったからである。
さらにどこの町内でも、以前推進派に入れていた人が今度は反対の方に入れたという人が多くいる。それは室津、上関、四代であれ、どの町内でも町民が実感しているところである。どの地域でも空気が変わったと感じるほどの数は、1000人前後が住む室津、上関などで20~30票というものではない。最終局面でのまき返しはあるが、最低限に見積もっても全町で200票ほどは推進票から反対票に移ったことは確実といってよい。これより少ないことはなく、もっと大きい数の移動であった可能性がある。
ところが得票の配分比率は前回なみとなった。推進派の側からは反対票に流れているわけだから、反対派に入れていた側から推進派側に流れなければ、どこからも出てくるところはない。
棄権票の100票がへった推進票を穴埋めする反対票から移動した票は50票、反対派の得票率が1%弱へった分に対応する30票の、80票が反対派の票から推進票に流れたことは数字が証拠を残すところとなった。さらに無効票が19票ふえたうち、祝島の山戸離反より推進派離反の方が多いと見ることができる。そして推進票から反対票に流れた票を200票とみてプラスするなら、およそ300票ほどが反対派だった票から推進派票に流れたとしか説明できない。
「今度は接戦か、ひょっとすれば」という感じ方は、反対派の票は従来どおり反対票にいくという定説のうえに立っている。だがその裏をかかれたとしか説明できない。町内の一般の反対派でがんばってきた人人の多くは、各地区の明るい空気を感じてひじょうに元気であり、確信を失っていた人も元気になっていた。だが当の立候補者の山戸氏と反対派議員の表情は終始暗かった。反対派票のどこからそれほどの票が流れたのか。これは反対派議員の周辺、とくに山戸、清水議員のいる祝島が崩れたと見るほかはない。長島、室津と祝島で150と150か、100と200の割合といえるだろう。
選挙は「大山鳴動してネズミ一匹」で、「どんなに騒いでも世の中は変わるものではない」というものではなかった。その得票の内容は大変動をしているのだ。祝島の反対票がへって長島側の反対票がふえてきた。祝島を切り崩しても切り崩しても長島側の反対の力が強まってきたのだ。それは推進派幹部の側はよく知っていることである。それは今回だけではなく、近年とくに山戸態勢になって以後つづいてきたが、今回推進勢力の瓦(が)解の危機まできて、中電があわてふためくなかで、相当にむりをして流したと見ることができる。
前面に躍り出た中電
選挙戦も不思議といえば不思議、当然といえば当然といえる様相であった。加納、山戸の両陣営とも運動の中身は空っぽで、町民のなかに足をおいた気配がない空中戦であった。山戸氏の運動もそうだが、加納氏の運動もまた、選挙事務所や住民に弁当をふるまう炊き出しはにぎやかだが、肝心の集票活動となるとだれがやったのか、ちょっと探すのに困る状況があった。強いていえば、加納、山戸氏という立候補者はこの選挙ではそえ物であって、ほんとうの戦争は中電と町民のあいだでたたかわれたのである。
選挙が暴露した第一の特徴は町内推進派の瓦解である。選挙カーを回し、ぞろぞろとついて「大名行列」はするが、地域での運動はまるでサマにならなかった。従来と比較して、地域の運動員のやる気がまるで失せていた。そして推進派の選挙は、中電がなりふり構わず前面に躍り出た選挙になった。
中電は選挙が近づくと、ベテラン職員を呼びもどして町内を走り回らせた。告示になると、推進派の運動がすっかりマヒしたうえに町民の反応があまりにも冷えているのに飛び上がった。推進派陣営に危機感をあおるとともに、まかせておけないと中電が職員総動員の選挙を展開した。小池副所長みずからが紙の箱をかかえて戸別訪問をしているところを目撃されているが、投票日のまえの晩などは、福浦の中電住宅から出入りする車がたいへんなあわただしさとなった。
推進派のある人物はいっている。「今度の選挙は中電選挙であり、小池選挙だった。わしらは見物人だった」と。中電は20年の上関での活動で、上関町民すべてにかんするぼう大なデータを蓄積している。親、兄弟、子どもの関係、雇用関係、親類関係、商売上の保証人や顧客関係、だれが票を動かす力をもっているか、いついつ酒を飲ませたか、カネを受けとったかなど、いま問題になっている住民基本台帳のデータの比ではない。そして企業関係をつうじ、政治関係をつうじて手を回したり、直接、間接の働きかけでしばりつけ推進に協力をさせてきた。
中電が「ピンポイント爆弾」の雨を降らせたといのが町民の評価である。「6万円というものではなかったが、2万~3万円は配られた」と語られている。選挙後さっそく神崎後援会長が逮捕された。20年間買収選挙はあたりまえになって相場は上がる一方となってきたが、警察は見て見ぬ振りをするものという習慣がついてしまった。というより「お国のために」選挙違反をしているのだといった調子であった。議長の椅子がチラついて、警察もたまには気が変わることを計算に入れなかったのが神崎氏の不運であった。だが神崎氏だけを犯罪人にするのは片手落ちである。カネの出どころである中電を逮捕し捜索すれば、買収データが簡単に手に入って全面解決する。そうすれば、すっかりナメられてしまった山口県警も少しは職務を思い出したとみなされるだろう。
中電を圧倒した町民
町民の政治的な高揚は、中電を飛び上がらせ、あわてふためかせるところとなった。戦後58年をふり返って戦争に反対する世論、20年ですっかり衰退した町にした売町政治に反対して地道な発展をはかる世論、中電にぶら下がって町民を食い物にする我欲の連中がはびこるなかで、原発を終結させ町民の主権を回復して町民の町をとり返そうという世論が強まった。
とくに国が上関町をほうり出し、中電は責任を問われないように逃げ出そうとしていること、片山町長のような事情のわかったものは足下が明るいうちに逃げ、欲だけでボンヤリしたものが泥をかぶることになるという問題は、推進派できた人人の実感を確かなものとした。そして中電にもてあそばれた推進勢力を瓦解させてきた。
中電は選挙を放置したら、推進派が敗北し、中電が責任を問われかねぬところへ追いこまれた。それは白倉社長、井上所長、小池副所長らにとっては切腹もののピンチであった。こうしてなりふり構わぬ中電選挙となり、中電が全力をあげて票をまとめた。だがそういうむりはツケを払わないわけにはいかなくなる。
選挙は中電が地元推進派を押しのけてやった。選挙事務所は神崎、西氏らのほか中電の小池副所長がとり仕切り、いちばん運動に走り回ったのは中電の職員であった。加納氏は、だれがみても自分たちの運動で当選したという格好をとることもできず、中電町長という世間の目のなかで椅子につくことになった。当選してテレビの前に立った加納氏が、顔をコチコチにしてトンチンカンな発言をしているのが全県で話題になっている。喜んでいいのか悲しんでいいのか感情のおきどころが定まらないうえに、事前に中電から書いてもらったメモを覚えて臨んだが、別の質問をされてズレたのだといわれている。選挙違反まであげられて、加納氏にとっては「お気の毒」というほかない。
選挙の結果、上関町は名実ともに中電町となり、実質の町長は小池町長となった。中電は「上関町からの誘致の要請にこたえてやってきたので責任はない」という顔をしてきたが、22年上関を混乱させてきた責任を全面的にとるために乗り出したことになる。
四代の八幡宮も、中電が神社本庁を使って林宮司を解任し宮成宮司を派遣して中電神社にしてしまった。宮成氏が何度四代の祭りに来ても、氏子は山谷区長配下の20~30人しか集まらない。地区の氏子は、自分たちのお宮までとりあげられるスジ合いはないし、林宮司解任の署名をした覚えはないのだ。湯田温泉で酒と女にうつつをぬかす神社庁の腐れ神主どもを使って、氏子のお宮をとりあげる中電のやり口も、ツケを払わないわけにはいかない。
推進派幹部は当選はしても脱力感が強かったが、神崎氏逮捕まできて凍りつくような顔つきになった。片山批判で「新実力者」のデビューをはかった推進派二軍族も、「片山以上のバカ者」といわれる羽目となった。片山派から浅海・加納派へ転転とした神崎氏は「泳ぎ疲れ」のうえに逮捕で、もっと哀れ。右田氏は加納氏に満面の笑みで握手を求めた姿がテレビで映され、支持者はまたもカチンときたが、哀れも誘っていた。推進派幹部連中は町民の前で大きな顔はできなくなった。
反対議員の役割暴露
選挙戦が明らかにした第二の問題は、山戸氏ら反対派議員の役割である。山戸氏の出陣式の顔つきも演説も不景気だったことが話題になったが、うつむいてボソボソと語った敗戦の弁も「なぜだろう」の不思議となっている。山戸氏の得票数は本人の予想より明らかに多いものであった。予想以上の町民の支持に喜ぶのでなく、悲しくなったのはなぜか。
反対派陣営の選挙運動も空っぽであった。宣伝カーで手を振り、住民から遠く離れて演説をするだけで、あとは選挙事務所に立てこもっていた。外村、岩木、小柳、上杉の各議員の周辺でかれらが票の依頼に動いた形跡がなかった。「まえは頼みに来ていたのに今度はだれも来なかった。
みんな自分の判断で入れていた」とどこでも語られている。反対の票を固め運動を広げる努力も、いわんや推進派住民のなかに入って説得する努力も見事にしなかった。
祝島から長島側にお願いにきた婦人たちは熱意があり、町民の反応を知って明るかった。それも最終局面の少ない人数であり、申しわけ程度の配置であった。要するに、選挙のふりはしていたが選挙運動はしなかったのである。反対でがんばってきた住民のなかでは、確信をもって電話で依頼するなどの動きが広がったが、自主的な行動でとどめられた。
山戸氏が祝島のボスになるまえは、町長選挙になったら、祝島から炊き出しも宣伝カー態勢もとっていた。山戸氏が祝島の実権を握ったこの10年余りはそれをしなくなっていた。前回までは、それぞれの候補陣営が弱体といえどもやっていたことですら、山戸氏本人が立った今回は、まるきり放棄したのである。
中電が乗り出す選挙は、金力、権力との鋭いたたかいとなる。それをうち破るのは、町民の団結であり、組織された力である。町民がバラバラではそのような力に勝つことはできない。豊北町では、海側の反対派漁民らが山側の農民地域に数千人が出むいて原発反対への協力を訴えて回ったが、それだけではなく夜はたき火をして警備し、全町を巡回警備し、中電の買収を徹底的に封じこめた。それが選挙である。だが山戸陣営はそのようなことをまったくしなかった。町民のところをバラバラに放置して推進陣営からの草刈り場にするにまかせた。
原発なければ棲息できぬ反対議員
町内では反対派議員の腐った性根への不信がある。目の前にカネを見せられて、それに飛びつかない信念のある人物と町民から見られる反対派議員はいない。推進派が我欲なら、反対派議員はもっとタチの悪い我欲であり、火の粉を浴びても町民のために一肌脱ぐかという人物がいるとは思われていない。
途中で町長候補の声があった岩木氏は、子どもの学費を稼ぐために議員を失職できない、ということで断念したが、議員は人のためではないのだ。あまりうだつの上がらぬ人生であったところ原発問題が起き、町民の反対の力を利用して議員生活でメシを食うという経歴である。共産党を出世の道具にした加納元町長の流儀を尊敬し真似をしている。山戸選対の後援会長に座ったが、叔母である加納氏側のスパイ役だったのだろうとの疑いを「そんな人ではない」という町民はほとんどいない。
吉井県議と連携した平生町長・山田健一氏の子分で、国鉄労組の小物ダラ幹出身である外村氏は、議員になって気持ちが大きくなり借金が高じて自己破産中。社会に大迷惑をかけた人物が、反対派からも推進派からも議員辞職を求められない位置をキープして逆らえない状態。カネならすぐ飛びつく心境と見られているが、どう動いたのであろうか。
「共産党」の看板をかかげる小柳氏も動かなかった。年寄りで耳も聞こえないからという説明もあるが、もともと加納元町長の子分であった。加納夫人から見れば、紳士づらをしたものほしさは丸見えで、その辺への疑問にたいして説明を要する。
上杉氏は大阪の大企業労組のダラ幹出身で、人の役に立つことは冷淡で自分が稼ぐことに熱心。退職して、年金のほかに議員報酬300万円を得て、都会から田舎に出稼ぎに来たという人の裏をかいた人物。祝島から票をもらっているが、今度は裏をかいていないのだろうか。
清水氏ははじめ推進派で説得されて反対派に移ったが、山戸氏に見こまれて一の子分になった。94年の議員になった年は環境調査実施のきびしい年であったが、本人はルンルン気分で平生に土地を買い、いまでは平生町住民として上関町議をつとめる。
山戸氏は、島根の学生で棒を振り回して挫折し、将来を悲観した生活をしていたところ、ふるさとの原発問題に助けられ、中電の労働組合に推せんされて島の指導者に祭りあげられた人物。原発でいいことをしたのは片山氏と双璧とみられている。いまでは就職にあぶれた評判の悪い息子を島にもどらせて養う身であり、原発が終結したら組合長ポストも危うい関係。
いずれも、原発が終結するとなると、原発反対をいうだけしか能がないかれらは、議員としても組合長としても居座ることができない。原発がつづいて町民が苦しむことが自分にとっては利益となり、原発が終結して町民が喜ぶことが自分の悲しみになるという精神で武装していることは疑いない。いずれも自分の損得第一のインチキ左翼、ダラ幹のなれのはて族で、日本中にはびこっているもののモデルでもある。まさに大づめの決着点を迎えたら、原発がなくなることに反対し、推進の手伝いをするのがその性根である。こういう反対派を棲(せい)息させていると、町民の努力はいいところで水のアワにされるのだ。
上関では原発問題がもう終わりというところにきて、何度もふり出しにもどされる経験をしてきた。はじめの10年で終わっていたところ、九〇年代になって再燃した。その決定打は、人があまり知らないところで、田ノ浦の地先共同漁業権を祝島が放棄したことであった。平井元知事と県の商工労働部長、水産部長らと結びついて山戸氏がやったことである。町民がまき返しをはかろうと構えた九八年の町議選挙で、ウラでこっそりと推進派と談合して無投票にし、町民に肩すかしを食わせたのも山戸氏らであった。
その他さまざまあるが今度の選挙。推進派が総瓦解するところへきて、それとは気づかれないようにして、加納選挙の応援の側に回ったのである。こうして町民が「いくらがんばってもダメだ」とあきらめさせるようなことをやってきたのである。
今回の選挙は疑いもなく反対派議員周辺の反対票、とりわけ祝島の反対票が大量に加納票に流れたのである。町内では不可解な結果への疑問とともに、反対派議員周辺のあれこれの人物のおかしな挙動が話題になっている。推進派が劣勢になるにつれて、これもかなりむりをしたといえる。ちなみに小池副所長は若いころから、反対派を買収するのが得意な職員として出世した人物である。ここは腕の見せどころとなったのであろう。
祝島も大きな転換
長島側では推進派が崩れたが、祝島では反対派が崩れている。これも単純な意味ではない。祝島のなかには、山戸氏の正体に疑問をもつ批判が渦巻いている。以前から四代などの推進派漁民に「補償金がほしい」といっている漁民がいることは語られていた。それが選挙で出るのは、町民のなかの通の目から見たら数十票といわれている。しかし流れたのはそんな数ではない。山戸、清水氏の周辺がどうであったのか、そこに秘密があるとみるほかはない。
祝島の島民が22年の長きにわたって、さまざまな困難を乗りこえて原発反対を貫いてきたことはだれもが敬服する精神である。しかしこの祝島こそ、がんばってもがんばっても崩れていく、まるで「賽(さい)の河原」を積むような経験をくり返してきた。今度の選挙で全町民が体験したような、がんばってもがんばっても、人人から希望をなくさせ、疲れさせ、あきらめさせる、そのような「化け物」が長期にとりついてきたところである。
ひじょうにはっきりしていることは、山戸氏がボスになってからは、祝島の反対運動はどんどん衰退してきた。以前やっていたようなこともまったくやらなくなった。「長周新聞は推進派だから読んではならない」と島民をしめつけはじめたのは、田ノ浦地先を売りとばす陰謀がはじまる1991~92年のころであった。
選挙は祝島の住民に明るい希望を感じさせた。「みな推進派」と吹きこまれ、敵の力は抗しがたく強いといわれていた長島側こそ、原発撤回の強力な力を発揮していたのである。祝島の人人が明るい顔をして家家を回っていたことが、長島側の住民の心からの喜びとなっている。
今回の選挙は、祝島の住民の苦難のたたかいを売りとばしてきた「化け物」山戸氏の支配の瓦解を決定づけることになった点で、大きな勝利を収めたといえる。祝島住民の反対勢力は瓦解のどんづまりまできて、獅子身中の虫をあぶり出し、全町の力と結びついて、原発を撤回し祝島を正常化する力の再結集へ、大きな転換点を迎えたといえる。
町正常化の夜明けへ
今度の選挙の不思議は、二つの選対がどっちも加納選対であったことにある。そのような推進派圧勝の選挙構図のなかで、前回なみの得票差になってあらわれたことは、中電、国、県を震えあがらせるのにじゅうぶんな票の出方であった。
今度の選挙は、複雑な政治関係のなかで、単純な選挙戦ではなかった。町民のたたかいは真に偉大なものであり、上関町の政治関係を激変させた。それは文字どおり、原発を国策として押しつけてきた中電、国、県にたいする町民のたたかいとなり、推進派と反対派の看板をかけた推進の政治構造の権威を地べたにたたき落とした。勝利者は町民であり、敗北者は中電である。選挙において発揮されたこの町民の力が、山口県警をして逮捕に動かせたのであり、原発を終わりにさせたのである。
22年の困難なたたかいは、いまや「どこまでつづくぬかるみぞ」の状態を脱出し、原発終結、町の正常化の「夜明けを迎えた」ことを確信させるものとなった。この選挙でつくられた町民主権の力をさらに結集し、苦難を押しつけてきた原発計画を名実ともに白紙撤回し、町の再建に道を開くこと、いまや「死に体」となった町長と町議会を解散して一新すること、そのために推進派、反対派に分かれた町民がこだわりを捨てて団結し、町再建の新しいリーダーをつくり出すことが緊急の課題となった。