上関の選挙はまたもナゾナゾのような様相となった。推進派と反対派の候補、柏原、山戸の両氏が前代未聞の共同記者会見で仲のいいところを見せつけた。選挙は立候補者がスターで町民はそれに従ってファン投票をするだけというのなら、しらけてしまうものとなった。だが町民が直面する選挙は、金力、権力との鋭い対立と斗争である。現実の選挙の主人公は町民・有権者である。町民が唯一町政に意志表示する場である。そして今回の選挙構図は、きわめて陰謀的であるが、同時に長年町民を抑圧してきた構造をとり除いて、町民主導の町の再建の道を開くうえで、ひじょうに重大な政治対決の様相を持っている。
「山戸氏惨敗」が構図 町民の落胆狙う
上関の選挙は毎度のこと奇妙キテレツな様相を帯びる。中電がおり、反対派幹部がかかわって妙なことになるのである。今回の選挙の様相は、4月の町長選からひきつづいている。4月、町民のなかでは「今度はいけそうだ」の空気がただよった。推進派の崩れが大きかったからである。しかし差はちぢまらなかった。反対派の票が崩れたのである。妖怪変化があらわれて、町民ががんばってもがんばっても徒労に終わらせ、疲れさせる力が働くのである。
だがこれは町民の敗北ではなく勝利であった。選挙の結果、反対派・山戸氏は落選したが、推進派・加納氏も解任となった。候補を2人とも落選させた選挙となった。それだけでなく、神崎、右田氏も失脚した。古手の推進派は神崎氏の二の舞いになることを恐れ、新実力者と思いこんだ尾熊毛派議員もチンとする結果となった。推進派の幹部が首をそろえて権威失墜となった。これは4月町長選における町民の勝利であったといわなければならない。
上関の選挙は、選挙であって選挙でない。選挙の枠のなかだけでことは動いていない。その外側から動いており、中電、国、県と町民の力比べなのだ。中電は推進派の結集でなく、反対派の瓦解を期待して加納氏圧勝をもくろんでいたのである。その思惑がくつがえされ、役に立たなかった推進派幹部は粛正されたと説明するほかはない。
推進派の瓦解は4月と比べていっそうすすんだ。だが山戸氏は「反対の声を叫びつづけることに意義がある」といって、反対派の方が消滅の縁に立っているような不景気ぶりである。自分とその配下の「反対派」が消滅しつつあるからといって、町民の反対が消滅しつつあるのではない。
反対派本部の会長を務めてきた河本広正氏が、山戸氏や岩木氏らと関係不良になって会長をやめることになった。上関の岩木陣営などでは、「補欠選挙で動かなかった」などといって、「室津と四代の反対派がけしからん」という声もある。
祝島では、20年の長きにわたる艱難辛苦を乗りこえて、島の漁業や農業を基本にした生活を守り、反対でがんばってきた多くの年寄りをはじめとする住民がいる。また非人道的な攻撃を受けてきた推進派といわれる人たちがいる。反対派のなかで山戸氏をニセ者とみなし白い目で見られてきた流れがある。さらに反対というが補償金つり上げのためであり、原発が終結するまえに補償金がほしいという流れがある。
確かに山戸氏の支持基盤はさみしいものとなっている。祝島や上関地区に、反対から推進にむかう流れがあり、反対を堅持しようという町民からも嫌われるとなると、山戸票はなくなることになる。こうして、山戸票がなくなるなら、消滅にむかう推進派の柏原氏が圧勝する、という「低レベル戦争」が中電のもくろみのようである。それ以上に「祝島だけが20年がんばった。長島、室津の反対派がこれほど崩れたならば、祝島だけが反対してもむりであり、ここらで妥協して補償金をもらう」といって、町民を落胆させるシナリオもあるかもしれない。
現実は山戸氏ら反対派議員の人気は落ちたが、町民の反対の力が崩れたわけではなく、以前より強くなっている。山戸氏が反対派のすべての運命を握っているわけではない。山戸氏は反対派の神様ではなく、町民の側から見れば町民の公僕であり使用人なのだ。選挙は候補者の人気投票ではなく、本来の意味で、候補者が有権者を利用するものではなく、有権者が候補者を使うものである。この選挙構図で真の主人公である町民がどのような意志表示をするかが決定的である。
票差減で大勝利に
中電が山戸氏惨敗・柏原氏圧勝の選挙構図で町民を敗北させようというシカケのなかで、中電主導で上関町をつぶしてしまう方向に反対し、町民の主導で町を再建する方向を勝利させるためには、この選挙の構図では山戸氏の得票を減らさせるのでなく増やすことである。山戸氏を嫌いでありインチキであるとみなすならなおさら、それが山戸氏の意図に乗らぬことになる。それは中電や山戸氏・反対派議員らのいいなりにはならず町民自身の判断であり、山戸氏のいいなりになるのとは逆に、山戸氏を町民のいいなりにさせる力である。そこが裏切られてきたものの感情をこえて行使すべき町民の政治である。
反対派候補としては4月にも増して嫌われものの候補で、票差が4月よりちぢまるなら、だれが見ても山戸氏本人の意図や力ではないことを証明するとともに、町民の大勝利、中電の大敗北となる。当選することは奇跡だが、町民のとてつもなく偉大な力を証明することになり、中電を再起不能にさせうるし、町内を支配してきた推進政治の構造を瓦解させる力となる。その力は山戸氏が町民を裏切るならばいつでも首を切る力となる。今度の選挙でそこを乗りこえるなら、真に中電や国、県に正当な主張をし、町民のために働き、町を再建するリーダー集団、町長候補、議員候補をつくり出す力となる。
祝島、地元候補となる上関の反対票の切り崩しがどこまですすむか、ひとつの注目点となる。それはしかし悪いことばかりではなくて、島の推進派住民、山戸体制批判派住民をひどい目にあわせてきた「反対派」が、実は補償金目当ての推進派であったということになるなら、祝島のウミが出て、長年の不幸である島民分断、疑心暗鬼のナチス支配のような状態を解決して、島民団結回復・正常化への大きなテコになるだろう。かくれた推進派は陰にかくれているのでなく表に出た方が町民のためである。
推進派幹部の凋落ぶりはいまや見るも哀れなものとなった。5年来の推進派抗争のなかで、田中、片山、西元の3ボスは失脚し、片山対抗派の旗頭であった加納氏、右田氏も失脚、神崎氏も粛正。西、吉崎氏ら「つぎの出番」と思った尾熊毛派はパスとなって役場の柏原氏になった。いまや「荒城の月」となった。
何事によらず中電に逆らってはならないという学習をして、幹部層は「へたをすれば神崎氏の二の舞いになる」という不安を持ちながら、縄をかけられて屠殺場に引かれていく牛のような様となっている。すっかり中電のコマ犬、去勢されたネコのようになったことが町民の話題となった。反対派の裏切りが頼りでカネだけほしいという推進派というのは、どだいはじめからダラシがないのだ。
そのようななかでもなお、「原発は着工の1歩手前」という中電の口車を信じ、いまこそ出世のチャンス、利権のチャンスと夢を捨てられぬ流れもある。片山一軍に対抗した加納、右田二軍が捨てられ、いま同じ夢で騒いでいるのは、さらに事情のわからぬ願望派の三軍といえる。夢心地のほほえみを浮かべて断崖にむかって突進していく。そして「自己責任」の悲劇が広がっていくことが心配されている。
かくして今度の選挙も、「議員さんがお決めになった候補」のたてまえなどとはいっちゃおれず、中電が飛び回る選挙にならざるをえない。
選挙違反・謀略の20年 中電事務所は何をするところか
選挙の主役は、一方は町民であり、もう一方は中電立地事務所である。中国電力立地事務所は何十人もの職員をかかえて、なにをしているところであるか。町民のなかで常識となっていることが、全県的には知られておらず、二井知事など知らぬふりをしていることもあり、広く注目される必要がある。
「町づくり連絡協議会」は町民の推進組織として商業新聞などはあつかう。この町連協の事務局長の給料は町内推進派が出すわけがなく、中電・電力が出している。20万円ほどだといわれ、女子職員はその半分ほどで、社会保険がないところが中電のケチなところといわれている。室津や上関などそれぞれの地域にもカネがおり、宴会で使うところもあれば、会議出席の日当2000円、議会傍聴は4000円、集会参加は3000円、ビラまきは1万円とか。推進組織は中電の下請会社であり、日雇いの仕事を提供している。
議会での議員の質問の下書きをしてやったり、神社地問題などでは騒動する連中を神社庁などへの送り迎えをしたり、林宮司がいかに悪い人かを神社本庁に訴える下書きをして、自筆で手紙を書かせるとかもしてきた。
熱心にやってきたことに就職斡旋がある。上関からはやたら中電の職員になっているものが多い。中電に入れるほか、関係する企業に入れてきた。また病人を世話してやったりで、恩義関係をたくさん結んできた。特定の運送屋さんなどには大きな仕事を回したり、町の建設事業にも中電が金を出していたといわれる。
選挙になると、買収もさることながら、そのような恩義関係がフル回転をする。また徳山あたりにいる息子が、会社から呼ばれて「親が反対すると出世できんぞ」といってくる。東京に住んでいるいとこから電話がかかったりもする。取引先はもちろん、一番の親友からやめろといってくることもある。
中電尾熊毛事務所はなにをするところか。職安業務に、失対事業、仕事斡旋など、見返り前提の取引。さらにスパイ・謀略事業、いずれにせよ365日の20年、買収、利益誘導、供応など選挙違反推進事業をやってきたことは疑いない。告示以後に現ナマをまくなどというダサイものではないのだ。
町民は中電に町民のさまざまな情報を聞かれた。あの人物はだれとは仲が悪く、だれからいわれたら従うかなど。そのためにぼう大な町民情報を蓄積している。親子、兄弟、親せき関係、友人関係、仕事関係、就職関係、取引関係、借金関係、酒が好きか女が好きかバクチが好きかなど。いついつ酒を飲ませたか、カネを握らせたかなど。この個人情報が、町民を脅しつける道具になっている。問題になっている住基ネット、国民情報保護問題など目ではないのだ。役場などおよびもつかない町民の全データが尾熊毛事務所にある。プライバシー侵害、人権侵害もいいところであり、CIA顔負けの謀略・脅迫の道具なのだ。ところがこのコンピューター占いも、あたらなかったのが四月の選挙であった。
詐欺同然の「地元尊重」
こうして選挙を管理し、議会も町長も漁協もお宮も、中電のものにしてしまった。四代の海と土地を買いにきたはずの中電が、上関の全町を自分のものにしてしまった。お願いする側が、命令する側になってしまった。町民は中電に遠慮しながら、まるで町の片隅で暮らさせてもらうような関係になった。敗戦後の占領軍・GHQであり、米英軍が占領したイラクのような状態である。
中電と国は、一部のものを買収することで、上関町全体を奪いとってしまった。町民は漁業でも農業でも商工業でも、自分で働いて生活している。補償金をもらったといっても、ただ酒を飲んだといっても、それで食わせてもらっているわけではない。中電ははした金で上関全町を自分のものにしている。世の中の常識では、これは商取引という概念に入るものではなく、強盗、略奪の概念に入るとみなさざるをえない。「海と山を買うだけ」といって、町全体を自分のものにしたというのは、常識では詐欺ということになる。あまりにも町民をだますことが多いのである。
以上のような中電町となった上関について、山口県知事二井関成氏によると、「地元自治体の政策選択」というわけである。県がしっかり推進のシカケをし、中電が推進派を雇ってやったことを、「地元尊重」という、これも詐欺同然といえる。
町解散まできた国策 再建の力は町民
原発計画が持ち上がってから22年、敗戦から58年、国や大企業はいいことをしてくれはしなかった。町民が生活を維持し、町を成り立たせてきたのは、自分たちの手と足を使って営営として労働をしてきたからである。だれかの恩恵があったわけではなく、むしろしぼられ、ひどいめにあってきたことしか思い浮かぶはずがない。
戦争は上関にも深刻な傷痕を残した。多くのものが食うためにハワイ、アメリカなどに移民で出かけ、朝鮮、満州などへ渡った。戦争では上関でも有無をいわさずに引っぱられ、戦死したものは500人余りにのぼる。光工廠に動員された上関の学徒の多数が米軍の空襲で無惨に殺されたこと、白井田で畑仕事をしていた婦人がグラマンが機銃掃射をして殺されたこと、避難していた軍の船が狙われたことがいまも昨日のことのように語られている。
敗戦後、夫や親兄弟を失った人たちの苦労は並大抵ではなかった。外地に出ていた人、都会で食べていけない人たちが、上関に帰った。戦争の荒廃のなかから立ち上がっていったが、救ってくれたのは上関の豊かな海と山であった。
戦後は、工業優先のために農漁業を破壊することが国策とされた。瀬戸内海の豊かな漁場は工場建設のためにつぎつぎに埋め立てられ、汚水は垂れ流しとなって漁場は汚染されたが、多くは漁民の泣き寝入りであった。田舎は見こみがないといって都会へ出た人たちはいま、都市部の大リストラで失業にさらされ、行き場を失っている。
上関は、工業優先・農漁業破壊、都市優先・地方切り捨ての国策によって、過疎と呼ばれる状態になり、そこへ原発が国策として持ちこまれた。そしていっそう荒廃がすすんだ。年寄りが住みにくくなったが、若者も住みにくくなった。なによりも人心が乱れた。子どもの教育が荒れていることが人人の心を痛めさせている。中電が乗りこみ、町のエライさんたちはすっかり中電に頭が上がらなくなり、国の予算で町がばらまく金と、中電がばらまく金にまぶりついて町がどうなろうと知ったことではないという風潮がはびこり、町は町民の手からとりあげられ、中電町になってしまった。
原発を国策だといって大騒ぎさせ、町を大混乱させてきたが、その国はいま合併をして、町長も議会も役場もなくしてしまえといっている。国全体が地方の人民の生活を切り捨てようとしているのである。上関の人心を乱し、さんざん衰退させたあげくに、町民に文句をいわせないようにして、町を解散させ、消滅させてしまおうというのである。このような時勢になっているのに、原発のバカ騒ぎをつづけているときではないのだ。
戦前、戦後の全経験をふり返って、町民は結局のところ、自分たちの手と足に頼って、漁業、農業、商工業と働くことによって、生活を守り、町を建設してきた。国や大企業はいいことをやってやるといったが、いいことをしてくれた試しはなかった。そのようなものに夢を抱き、欲をふくらませた結果は悲劇であった。欲や願望で世の中は動いていないのだ。
上関町は中電が居座ることによって、あらゆる発展が阻害されてきた。戦後同じような出発であった大島郡と比べれば、橋ができたのは上関が先であったのに、その後原発20年のあいだに道路も病院も学校も老人施設も雲泥の差となった。
ここには戦後の上関町政のひとつの特徴が作用している。上関は戦後共産党が強かった。しかし共産党を利用し町民を利用して自分の出世の道具とする流れが支配した。故加納町政はその代表であった。共産党を裏切ったものは、さまざまに屁理屈はいい人の文句はいうが、国や大企業にたいして屈服的で敗北的であり、人をだましていいことをするのが多い。「国の方向が農漁業破壊だから町が寂れるのは当然」など悟ってしまい、そのなかでどう自分たちの力で建設するかという意欲が乏しい。それが現在の反対派幹部にひきつがれている。
町民主導の転換への好機
上関は、戦後の大きな転換点を迎えている。全町で、中電とそれに縄をかけられたエライさんたちの支配を終結させ、上関の自然条件を生かし、町民の知恵と力を結集することで再建する道に転換できる大きなチャンスを迎えている。
選挙で、中電が仕組んだ柏原圧勝・山戸惨敗の町民屈服のたくらみにたいして、そのいいなりにならない、町民の意志を表明すること。それは中電主導による町の解散の道をうち負かし、町民主導の町の再建の力を証明することになる。
告示まえ2週間での立候補であり、町内にあいさつに回るでもなく、告示後は車で手を振って回って投票という雰囲気である。町民不在の空中遊泳選挙になると見こまれる。しかし2人の論争がなんであれ、それはたいして意味はない。町民のなかでは町の進路をかけた大論議を起こすことが重要である。各地域の小さなグループの論議を、地域全体、町全体に結びつけ、そこから中電主導による町の消滅の方向をくつがえし、町民主導による町の再建を担う町民の運動体、それを代表するリーダーをつくる力を結集することが大きな課題である。