地元住民の一丸となった行動でここまできた
安岡(横野)沖風力反対の会会長 新井 萬
われわれは2014(平成26)年9月20日、「建設予定地から一番近く、健康被害も一番懸念される横野町が今、目に見える活動をしなければ、先祖にも申し訳なく、子々孫々まで迷惑をかけることになる」ということで反対の会を立ち上げた。そして23日におこなわれた安岡沖洋上風力発電建設に反対する会の1000人デモ行進に合流し、翌10月から毎月第1土曜日に200人以上の参加者によって風力反対の街頭活動をおこなってきた。
昨年3月からはコロナ禍で中止し、役員だけで行動することもあったが、6年以上継続し、参加人数はのべ1万4767人になった。この活動には横野町だけでなく、安岡本町や安岡駅前町、福江、吉見など他地区からも多くの参加があり、一緒になってとりくんできた。それはなによりも、自分のためでなく子や孫のために、安心して暮らせる故郷を残したいという思いからだった。
今回、前田建設が「計画の凍結」を表明したわけだが、それはなによりも、私たちのこの訴えに応えて地元の多くの人たちが暑い日も寒い日も、雨の日も風の日も協力して行動してくれたことで、ここまできたと思っている。感謝の気持ちでいっぱいだ。
ただ、前田建設は撤退を表明したわけではない。なにか条件が変わればまたやってやろうという考えはあるだろう。そこで反対の会は解散するのでなく、活動を休止とし、前田建設の今後の動向によっては直ちに活動を再開することを決めている。前田建設が下関から撤退するまで頑張っていきたい。
患者や高齢者の命を守る医療従事者として
安岡病院、松涛会グループ常務理事 斎藤 英樹
私たちは医療・介護の仕事をしており、患者さんや高齢者の方の命と健康を守ることが使命だ。その立場から、病院や介護施設の目の前に風力発電を建てる必要はないと訴えてきた。全国のすでに風車が建っているところで、実際にきちんと調査してみれば、低周波による健康被害はかならず出てくると思う。
うちの病院と関係のある全国の病院や介護施設にも訴えたが、札幌から鹿児島まで、同じ思いを持つ医療関係者からたくさんの署名を寄せていただいた。
8年間運動をとりくんでみて、地域の力が一番強いということがわかった。大企業に対して一人一人の力は弱いけれど、みんなが結束して一つになったことで大企業にうち勝った。悪いものは悪いという意見が通った。われわれは医療従事者の立場からだが、風力建設で地価が下がることを心配した宅建協会の人たちなど、さまざまな人がそれぞれの立場から発言していった。
今日のような熱中症になりそうな暑い日も、雪の降る寒い日も、地域の人たちと一つになって活動できたことに感謝したい。
また、安岡病院の職員が街頭活動、デモ行進、署名活動にたくさん参加してくれ、一人一人が本気になって協力してくれたことにも感謝したい。
2019年の前田建設の住民説明会のときは、「関ヶ原のたたかいだ。ここで負けるわけにはいかない」と訴えたら、職員が階段に座り込むほどたくさん参加してくれ、それを見て涙が出た。
安岡には他の地域にはない団結があると思う。
地域の為に体張り役に立てたと実感
安岡地区 高田 篤史
私は前田建設より告訴という嫌がらせを受けた4人のなかの1人です。
私は2013年12月に、安岡沖洋上風力発電計画や低周波音健康被害という言葉を初めて知りました。建ってしまえば撤去は簡単にはできない。建ってみないと健康被害が自分や子どもに発生するか分からない大問題であることを知ってからは反対運動に加わりました。
この度、皆の努力が実を結び、前田建設の計画実施が実質的に難しくなりました。
多くの地域住民の皆様、漁師の皆様、そして多額のご寄付をいただいた会社の皆様、毎月ご寄付を振り込んでいただききました心優しい方々、本当に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
精神的に辛い期間もありましたが、自分としては悪いことをしたわけじゃない、地域のため、子どもたちの未来のために体を張ろうとやってきたことであり、そのなかでいろんな出会いがあり、多くのことが学べたと思います。こうして皆の努力がやっと報われ、結果として自分自身も地域の役に立てたと実感しています。
支えてくれた家族にも感謝します。ありがとうございました。
一日も早く「止めたよ!」と知らせたい
安岡地区 女性
安岡沖に洋上風力の計画が出て、まだ誰も声を上げていないときに、反対の会が立ち上げられて署名活動が開始されたことはすごいことだと思う。そして10万筆になるまでの署名の勢いはすごかった。毎日何枚、何十枚という署名をみんなが持ち寄っていた。こうしてまじめに地道に、みんなが一つになって立ち向かっていったことが実を結んだと思う。
漁師さんたちも「陸(おか)があれだけ反対しているのに、われわれが金をもらうはずがない。しかもはした金だ」といっていた。漁もなく、後継ぎもままならぬなかで、陸の住民と一緒になって頑張った。でも私たちは8年だが、上関の人たちは40年も原発を止めている。その頑張りには本当に頭が下がる。
署名運動のなかで、「国が再エネを推進しているのだから、少々の反対運動をやってもどうせできる」という意見がかなりあった。でも、そうじゃなかった。一人一人の地道な活動が一つになれば、国や企業の大きな事業をストップさせることができる、ひっくり返すことができるということだ。
署名に協力してくれた一人一人の力が、計画凍結にまで結びついていった。協力してくれた町内外の人たちに、一日も早く「止めたよ!」と知らせたい。
ただ一つ、コロナで仕方なかったけれど、県庁前で行動できなかったのは残念だった。住民の意志を県知事や県議会に直接届けたかった。
風力反対のおかげでできた住民の輪
安岡地区 女性
2013年4月、愛犬ちいちゃんの散歩の帰りに呼び止められ、安岡沖に洋上風力発電の建設予定があることを初めて知った。風力発電は低周波の健康被害がある、犬や猫は建ったら狂い死にすると聞かされ、私にできることがあれば協力することにした。
反対する会ができ署名運動が始まると、私自身最初はなんの知識もなく説得力も薄かったが、友人と2人で活動し始めた。はじめは一軒一軒回っても断られることが多かった。あるときは3時間半歩いて署名してもらえたのは30人足らずだった。
それでも暑い日も寒い日も、犬の散歩のときには必ず署名用紙を持ち、ちいちゃんに一役買ってもらって、海水浴に来た人、関工の生徒、電車から降りた人、小中学生、釣り人に訴えたり、行きつけの美容室においてもらったり、県外の知人や親戚に協力してもらったりした。その輪が広がって10万人になったのだからすごいことだ。
前田建設の環境調査のときには、住民に声かけをすると、夜昼関係なく何十人もの住民が集まって抗議をし、あるときには夜中の2時まで抗議してやめさせたこともある。皆さん本当によくやったと思う。
安岡マルシェにも協力したが、風力のおかげで住民の輪ができ、みんなが支え合う関係ができた。行動が終わるのは寂しいけど、今後もなにか困ったことがあったら協力し合うことができると思う。
できれば1000人デモをもう1回やりたい。今度は勝利宣言をして回ったらいい。