いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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原発24年の総決算 来年2月に迫る上関町議選

 中国電力の上関原発問題は、23年たった現在、重要な転換点を迎えている。長年反対の拠点となってきた祝島漁協が原発手続きを加速させる漁業権放棄となる漁協合併を合意、中電による住民の反対運動を切り崩す動きとなっている。来年はじめに迎える町議選は、祝島の山戸氏ら反対派幹部の公然たる裏切りと同時に、室津の反対派議員・外村氏が推進派からの出馬を表明、反対派の幹部の推進派への鞍替えが流れとなっている。これは同時に、上関をめぐる政治構造の激変を進行させている。推進派と反対派の幹部を使って町民を分断支配し、町民が勝利するところへきたら水の泡にして売り飛ばす、この町民をだます仕掛けがすっかり暴露されるところとなった。この23年、町民のなかにあった人情とか共同精神はズタズタにされ、町は中電に乗っ取られ、そして若者も年寄りも暮らせない町になってきた。この町民をだます構造は、上関町でそれ以前の戦後から引き継ぐものである。町議選は、原発23年、戦後60年の上関町の政治支配構造にたいする総決算の様相を帯びようとしている。

   町民大団結の回復へ 「反対」幹部は推進に鞍替え
 町議選をまえにして、町民のなかでの最大の注目点は、反対派幹部の公然とした推進派への鞍替えである。中電側は、幹部の裏切りとともに、住民の反対運動もつぶすことが願望である。しかしながら、町民の反対は、いついかなる選挙であっても、四割を切り崩すことはできなかった。それ以上に、町民のなかでは23年の支配構造が暴露されたことから、地殻変動のような世論の転換がはじまっている。上関町で、23年うごめいてきた「化け物」の正体が暴露され、町民大団結を回復する力を強めている。
 いま大多数の町民のなかで、「23年だまされてきた」との深い憤りが語られている。町民は23年、町のすみずみまで、推進派と反対派に色分けされ、分断され抗争して、長年あった地域共同体の人情は破壊され、疑心暗鬼の殺伐とした関係のなかにおかれてきた。しかし、町民同士は争わせながら、上の方は仲よく一つになっていたのだ。町民は推進派できたものも、反対派できたものもみなさんざんな目にあって、いいことをしたのは推進派と反対派も上の連中ばかりだった。かれらがぐるになって、町を売り飛ばしてきたのである。
 原子力発電所というような大きな問題を推進することは、強い反対運動が起きることを避けることはできない。したがって、原発を推進する電力会社は、正面の推進派を結集するだけでは実現できない。正面の推進派は、中電の金を配って回り飲ませ食わせで籠(ろう)絡する程度のことで、反対が崩れるのをじっと待っていることしかやることはない。反対派をいかに切り崩すかが推進するかどうかなのである。そのために、反対派のなかに協力者を配置し、運動が孤立しつぶれるように導き、お手上げにさせ、電力側が金を握らせて片をつける、という経験を積んでいる。豊北でうち負かされた中電は、上関ではこの点をとくに入念に準備した。
 原発問題の初期多くの町民は、「親子や兄弟の葬儀にも行けないような祝島の反対運動のようになってはいけない」といって、公然と反対を表明するのをためらって、いわば「隠れ反対派」を形成してきた。推進派はそれを口実にして反対派攻撃をやるとともに、町の振興は原発しかないといって動員してきた。反対運動のなかに中電の意図が持ちこまれたのである。
 
 中電の意図くむ「反対運動」
 1982年にはじまる初期の反対運動は、応援にかけつけた外部勢力のなかにも、町内の幹部のなかにも、中電の意のとおりか中電の許容枠に運動を押しとどめる勢力が配置されていた。祝島の反対運動を、豊北のように国策に対抗して全町団結、全県、全国団結の方向へむけるのではなく、対立・分裂させる方向へ導くのは、反対運動をつぶす中電の意図をくむものであった。
 この状況は、上関を発展させる原動力は漁業であることなどが明らかにされるなどし、新しい力が表面化して転換をはじめ、勢力が拮抗状態となった87年の町長選まできて、中電の計画はとん挫した。すると祝島では、中電の意図をくんだ労組をはじめとする中国地方の「反対派」のお墨付きの形で、島根原発で敗北の経験を持つ山戸貞夫氏が「原発反対の指導者」のあつかいで島に帰り、やがて失脚した初期のリーダー金田敏男氏にかわって支配権を握った。
 90年代に入ると、平井前知事が前面に乗り出し、祝島を何度も訪問しはじめた。県主導の推進である。祝島では「平井知事は味方だ」という空気がふりまかれ、原発推進のために自治省から山口県庁に来た湯田氏(水産部長、商工労働部長)らと山戸氏との関係はジッ懇の関係がつくられた。その結果、1994年の漁業権書き換えで、祝島漁協が四代田ノ浦の地先にあった共同漁業権を放棄し、すでに終わりになっていた原発計画の手続きは、一転していっきにすすむこととなった。
 ちなみに平井県政は、上関原発や岩国基地沖合埋め立て、下関沖合人工島などをいっきにすすめるために、自民党林派がつくった信漁連の巨大欠損金を摘発し、その再建支援と称して全県の漁協がこれらの埋め立てに反対できないような仕かけをつくった。祝島のとりこみは、このような大がかりな県の仕かけの一環であった。
 今度の祝島漁協の法人格を放棄し、漁業権も交渉権も放棄し、23年の努力を水の泡にする攻撃も、信漁連問題を使って、全県の漁協を単一の漁協に合併し、協同組合を解体するという大がかりな攻撃の一環として強行した。
 祝島では、山戸組合長の下で、魚価は他漁協の半値以下、手数料は27%、油代も20円は高く、組合長は月に32万円の報酬という状態で、漁業で生活できない状態がつくられていた。組合は3年つづきの赤字で、漁業経営ができないようにして原発を認めさせるという全国どこでもやってきた手口が祝島でもやられた。その間、中電による買収、籠絡がすすんでいたが、それが公然たる売り飛ばしにおよんだのである。

   住めぬ町にした23年 原発作るため意図的破壊
 現在の柏原町政は、長年上関町の推進の柱となってきた田中商工会長、片山町長、西元議長の3人組体制を失脚させる過程で生まれた。片山町長は、国からは合併をやれと迫られるなかで、中電にたいして「協力金を出せ」とごねて、中電から切られた。中電の意を受けた漁協がおす浅海氏と右田、片山氏の抗争のあげくに、片山斡旋の形で飛びついたのは加納ミスカ氏である。町長にはなったが、すぐに神崎町議の選挙違反が摘発されて辞職。中電から見たら我欲が張りすぎているとみなされたと思われる。悲願実現のつもりが、渦潮のなかに身を投げたような結果となった。
 そして想像外の柏原氏が役場の職員から登用され、「中電の協力金はいらない」といって、中電から見こまれて町長になった。中電としてはいっさい文句をいわず、上関町の徹底した買いたたきしか容認しなくなったのだ。釣りあげた魚にエサはやらないというわけである。
 町の人口は、すでに4000人台となり、人が住めない町になってきた。若者は仕事もないが子どもを育てるにも病院もない状態で帰ってこず、柳井に通学するにもバスが削減されてむずかしくなる。年寄りも、近くの商店がなくなって、食べ物も買えないところがふえてきた。祝島も1300人から600人を切るようになり、学校も閉鎖されたが、八島は70人ほどになりもっと悲惨。町の玄関口の室津は、家屋が歯抜け状態。
 柏原町政は、中電にはなにも要求することなく町を売り飛ばすだけという、無気力で敗北的な売町政治となった。町の財政運営はメドがなく、23年騒いで、役場は倒産、町そのものの合併・身売りの方向にすすめている。グータラ職員の延長線というか、愛町精神というものを町民が感じるところはない。
 漁協は、祝島に先立って県の合併を受け入れてのきなみ解体、推進漁協もはやばやと漁業権を放棄し、交渉権も放棄して、権利も財産も丸投げで売り飛ばすこととなった。海域を仕切るのは中電や県がバックについた上関の大西運営委員長であるが、漁協解散に力を入れ、祝島の切り崩しにも活躍した。
 23年たった上関町の現実は、「原発による地域振興」はだましであって、結局は役場も漁協も町そのものを丸ごと売り飛ばし、「住めない町にして原発をつくる」というものであり、町民にとっては元も子もないものであった。そして、町長も議員も組合長も、自分たちがいいことをするばかりで、町のすべてを売り飛ばすだけ、という色彩を強めるものとなった。

 全国の先行く町の安売り推進派への交代
 原発23年の間に、世の中は市場原理主義がもてはやされる時代になった。株の買い占めで何百億円をもうけたホリエモンなどがチヤホヤされ、地震になったら倒れるホテルやマンションを売りつける商売がはびこり、列車は金もうけ一本槍経営で安全などくそ食らえのダイヤを組む。人をだましたり、人のすきを見つけてはもうける、バクチや詐欺がもてはやされる時代になった。「賛成と反対の両方を利用して自分の得にする」「もうけたのはワシの腕」「だまされたものは自己責任」という調子の中電原理主義の上関のように日本全体がなっている。上関もこの時期に、もう一つモデルチェンジをして、全国の先を行くバーゲン的な町の安売り推進派に交代してきたわけである。
 しかしいくら市場原理、中電原理といっても、原発の建設がはじまったとしても、まぶりつくのはゼネコンであり、地元の業者が入る余地はほとんどないか採算割れの仕事しかあるわけがない。原発は人手がいらないからつくるわけで、雇われるのは掃除婦程度でしかない。中電が上関に住む人みんなの世話をすることなどできず、町民のほとんどは漁業を中心とした生産によって、生活は維持され、成り立つほかはない。したがって、原発をつくるには住めない町にしなければならないのである。中電にとって町民が住めるかどうかはどうでもよいのだ。

  ふたたび登場した加納派 だまし政治総決算の様相
 上関では、推進派の顔ぶれもかわってきたが、現在の特徴は、加納派が推進派のおもな勢力になっているという点である。上関の原発問題は、戦後上関町政で主流を占めてきた加納派がふたたび前面に登場することとなり、原発23年の総決算が、戦後の上関の「だまし政治」の総決算という様相を帯びるところとなっている。
 「時の人」である祝島の山戸貞夫氏は、柏原町長の親類関係になる。先の町長選挙では、共同記者会見などをやり、「パートナー宣言」をやり、わざと負けるような選挙をやった。反対派の選対には同じ親類のルーツをなす旧岩木県議の直系の孫である岩木町議がおり、岩木氏の選挙母体は推進派柏原選挙をとりくんで、反対派の名簿はつつぬけ状態。推進派との野合は九八年の町議選では推反談合の無投票の芸当をやり、いま暴露されたわけではない。
 そして故加納新町長夫人であるミスカ氏。「主人が死んだらアタシの人生も終わり」という大和なでしこ型ではなく、「アタシの出番がきた」というアメリカ風の戦後派ファーストレディー型で、すぐに議員になり、町長にもなった。「やる気まんまん」というのも、加納新氏は、ミスカ氏の親父岩木県議が力の源泉で、戦後の変転するなかで岩木一族の興隆の選手として買われた関係だった。
 加納派ということでは、反対派のなかに人脈があつく、ことに小柳町議以下「共産党」系列のなかに故加納新町長の子分筋の流れがあるのが有力な力となった。祝島の初期のリーダー金田敏男氏も加納派であった。加納町長体制は室津・上関戦争で祝島を制するものが勝ちという関係で、祝島には加納派が根付いてきた。
 推進派では、議会の最大ボス候補と思いこんで暴走ランナーとなり反省モードとなった西哲夫町議も、この加納一族の端っこに位置している。室津のお宮をつぶすような騒動をやるなどしたが、室津代表のような格好で上関加納派なのだ。先の町議選では、一族から岩木和美氏も推進派で登場した。大西氏なども、片山氏の盟友として登場したが、中電原理主義を優先して加納派と協力関係。

 「反対」にも人材配置し暗躍
 町民の目から見た加納派の一人ずつの顔ぶれは、それほど才覚のあるものとは見られていない。しかし「チーム加納」の一族体制になると、得体の知れない力になる。その力の根は、反対派の側にも人材を配置して推進の力にするという、だましの要素をもった「化け物」となるからである。
 普通の人間は推進といえば推進一本槍、反対といえば反対一本槍、それが信義を重んずる人のスジと考えるが、これは二刀流なのだ。信義、信念などくそ食らえで、推進派と反対派の二またをかけて、人がどうなろうと自分たちが得をするのが正義だというわけである。このようなことは、いまどきホリエモンのようなものを市場原理主義の新型人間といって新しいもののようにいっているが、アメリカ占領軍時期のはるか大昔からやっており、加納派はそれを体現しているのである。
 23年まえに原発計画を持ちこんだのは、故加納新町長であった。しかし、中電と自民党側は、加納氏をやめさせ、片山氏を登用、田中体制をとらせた。加納氏では、戦後からの恨みを買っていて人は踊らない。なによりも、推進派も反対派も加納派というのでは、あまりにも底が見えすいていて、原発のような大仕事はできないのである。ここは単純な推進一本、金もうけ一本槍の悪役として、反対派からターゲットになりやすい片山氏の方が、町民を分断するのに都合がよかったのである。
 加納派としては、片山氏にいいところをさらわれて無念の期間を過ごすこととなるが、このたび「協力金はいらない」と安売り宣言をすることで中電から見こまれて、前面に登場することになった。これは加納派から見れば悲願達成なのであろう。

   救うと装い廃町政治 加納政治の到達
 上関は半農半漁の成り立ちであったが、それだけでは生活が苦しく出稼ぎや移民が多かった。祝島の製塩、四代の船大工などの出稼ぎが多かった。大島と同じように、朝鮮にもアメリカにも移民が行った。そして敗戦。着の身着のままで帰るなど戦争の痛手は大きかった。上関は人口の一割を占める600人もの戦死者が出た。光の海軍工廠に動員された少年、少女たちの痛ましい空襲体験はいまもなまなましく記憶に残っている。戦後人人は、その戦争の苦しみのなかから立ち上がっていった。人人を助けたのはふるさとの海と山であった。
 戦後室津村の共産党村長となった故河本周次氏は戦前からの共産党員で、人のために財産をなげうって尽くしたとして、この人望はいまも古老のなかで語りぐさとなっている。戦後上関は共産党が強かった。この地域は貧乏であり、抑圧も大きかったのである。このなかで、漁業は戦争による漁業中断による魚の繁殖があり、戦後の食糧難のなかで活性化した。タイをとるゴチ網などの繁盛は語りぐさとなっている。上関漁協は、唐戸魚市場の一番の出資金を持つなど幅をきかせた。
 だが上関には加納氏を代表とするもう一つの共産党の流れがあった。シベリア帰りの共産党員で、ブラブラしているところを上関漁協に職員として入りこみ、組合長となったのが加納新氏であった。「新しい民主主義の世の中がきた」、古い幹部連中が公職追放となり、「共産党にあらずば人間にあらず」という風潮に乗り、共産党を出世の道具にし、戦後も高度成長にかかるころになると自民党に身を移して、町長になっていった、時流に乗るのが上手な人物であった。
 戦後の共産党には二つの流れがあった。アメリカを解放軍と歓迎し、GHQに認められる流れで、共産党を出世ともうけの道具とする流れである。これはいまもつづいていて、表むきは正義の味方を装って、口ではきれいごとをいうが、実際行動は、労働組合をつくっては気の弱い中小業者を脅して会社乗っとりをやったり、もめごとに首を突っこんで自分が取引をするようなものが、悪得弁護士と結んで大きな顔をしていたりしている。要するに人をだますのが得意で、人のことなどどうでもよく、自分の損得がすべてというものである。戦争で死んだものはバカあつかいにし、自分は生き残り、「自由になった」といって大喜びし、郷土愛も愛国心もなく、「民主主義の時代」を自分だけの民主主義といって騒いできた流れである。
 この加納町政の政治構造が、原発を持ちこみ、現在、町の売り飛ばしの旗頭になっている。原発23年のだましは、戦後60年のだましの延長である。
 加納町政は、工業優先、都市優先による農漁業切り捨ての戦後政治のなかで、あきらめ、無気力の廃町政治を実行してきた。共産党の脱落者の特徴は、大衆をバカあつかいにする一方で、大資本やお上にはめっぽう卑屈というものである。国がいうからと、農業はミカンをやれとやみくもに奨励して、全滅に近い打撃となり、八島の畜産もだめになる。漁業は語りぐさの事業が養殖業で、網をあげたら魚はおらず、「陸を泳いで逃げていた」と称されるずさん運営。
 加納派支配の漁協は、不正事件によって信用破たんをし、漁民の貯金が引き出せない羽目にもなった。その漁協の再建といって、砂を掘らせて補償金をとることにしたが、砂船でもうけたのは岩木現町議など加納氏一族という関係。漁協を食いつぶし、その結果を利用して、漁業を犠牲にして新しいもうけ口とする。いまの原発につながるテクニックである。この漁協を崩壊させたのが、漁協の結束の強い豊北で負けた中電がことのほか目をつけるところとなった。
 加納派は、その批判勢力であるべき「共産党」側に配下のものがいるというのが得体の知れない力の源泉となった。対抗する保守派にはごねて揺さぶりをかけさせ、自分への批判はそらす役目をはたす。郷土愛精神に立って町民が喜ぶことを一生懸命にやって自分の得にもなるという、よそに多い単純保守一本槍政治とは違った様相を持った。農漁業の振興などの建設的なことをやる意欲は弱いが、悪いことをしても文句はいわれないという形で、きわめてうしろむきで無気力町政という特徴を持った。
 加納町長は、原発を持ちこむさい、「このままでは廃村になる」と叫んだが、それは自分が廃町政治をやってきたことを認めたわけである。しかし、自分が町を食いつぶした責任をとるというものはなく、町を救う救世主のような顔であらわれるという、ブッシュや小泉の先を行くテクニックである。

 「化け物」の退治が注目点に
 このような人だましの「化け物」政治が、原発を持ちこみ、町を住めないようにして最後的な売り飛ばしの主役に登場することになった。「化け物」は正体がばれたら「化け物」ではなくなる。
 上関は、バーゲンなみに売り飛ばされるような安っぽい歴史ではない。幕末上関は、東西交流の拠点となり、明治維新では多くの百姓、住民が高杉晋作の諸隊に参集し、命をかけて幕府打倒・近代国家誕生の大きな役割をはたした。この伝統は消え去ったわけではない。
 町議選は年末年始にかけて山場となる。上関町を中電から町民の手にとりもどし、町民の住める町に立てなおすことはすべての町民の願いである。その障害となっている「化け物」を退治することが大きな注目点となっている。無投票を許さず、かれらを町民大衆の前に引きずり出すことが全町で切望されている。町民の前に出るのを恐れて、無投票をこい願っているのは、町を売り飛ばす「化け物」連中である。
 推進派、反対派に分かれて分断され失われた町の人情、協力関係の回復、なによりも郷土愛に立って漁業を中心にした町民が住める町を再建すること、そのために中電に町を売り飛ばすものにとってかわる町民の力の結集がどこまですすむかが、町議選の課題である。

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