上関原発をめぐる情勢は大きな変化を見せている。最近の重要な動きは祝島漁協である。祝島漁協は年末に決めていた漁協合併の4月実施を確認し、漁協を解体することになった。また現在国、県が誘導しているのは上関町の合併である。このようなことはなにを物語っているのか、上関をめぐる情勢を考えてみたい。
最後の切り札使った中電
24年間の長きにわたって、上関原発に反対してきた拠点である祝島の漁協で3月28日、山戸貞夫組合長は「漁業権裁判は勝訴だ」といって、祝島漁協が4月合併を承認し、みずから支店運営委員長になることを決めた。
上関原発をめぐる漁業権裁判の焦点は、関係八漁協の共同管理委員会が、多数決で漁業補償契約をしたという問題であった。漁業権は漁協の3分の2の同意を必要とされ、関係するすべての漁協の同意がなければ無効というのが常識である。こんな判決では漁業法などないのと同然であり、こんなことがまかり通るなら全国の漁業者にとってはとんでもない判例となる。これを「一本釣りなどの操業が認められた」といって「勝訴」という山戸組合長は、全県、全国の漁業者からは激怒される位置に身を置いたことになる。
そして祝島漁協は4月を持って合併・解体し法人格を失った県漁協支店になることを承認した。漁業権は県知事が漁協にたいして与えるものである。103共同漁業権について今後、港湾施設およびテロ対策の警備区域といって漁業権消滅海域が必要となるが、祝島支店が単独で反対といっても、8漁協全体で3分の2となり、県漁協が決めれば漁業権変更ができることになる。これは祝島漁協が単独で漁業権を守ることを放棄することになり、原発反対の前面から退くことを意味する。
祝島漁協は後退するが、これは中電から見ると単純に有利になったわけではない。県漁協の同意といっても、原発となると全県の漁民が賛成し、県漁協総会の決議をあげるのは容易なことではない。中電の武器は金をばらまくしかないが、それは大変なこととなる。また8漁協もこれから先もずっと賛成するかどうかはわからない。影響補償は合意したが、今後警備区域などが必要となって103共同漁業権の漁業権消滅まで承認するかは別の問題である。
そして24年反対でがんばってきた祝島自体が、崩れたのは漁協の指導部と一部の漁民だけであり、多数の漁民は崩れておらず、島民全体となると崩れているわけではない。全町民の世論の動きは、2月の町議選で示したとおり、祝島漁協の合併決議というもとでも、反対の力は揺るぎないし、ますます強くなっていることを証明した。
祝島の山戸貞夫氏は、上関原発反対のカリスマのような扱いを受けてきた。しかしいまや、原発反対派とは見なされなくなった。上関町の推進派は早くから仲間と見なしてきたし、今度の漁協合併に心から期待していた。全県の漁民のなかでは「反対派のサクラ」と見なされるようになり、県漁協の全支店の運営委員長会議に行っても、みんなからは仲間はずれ状態で、孤立した存在になった。
山戸氏は、平井前県政を味方と見なし、県からさまざまな事業をやってもらいながら、九四年の田ノ浦地先にあった共同漁業権を放棄して、環境調査と漁業補償に道を開いた。すでに力関係では終わっていた上関原発計画の息を吹き返させ、その後10年以上現在まで引っ張らせる最大の要因をつくった。その時の漁業権裁判も格好だけですぐに取り下げた。
二井県政は漁協合併を強要したがこの計画と平行して祝島漁協の経営危機があらわれた。漁協買い取りの出荷をやってきたが、魚価は周辺漁協と比べると半値以下という状態。漁家経営と漁協経営の危機をつくりだし、いわば兵糧攻めで漁業権の放棄、漁協解体を誘導した。このもとで中電は代理人を通じて、一部の漁民の買収、切り崩しをすすめ、今回の合併を推進した。
「漁業補償契約が有効」との判決を受けて「勝訴」というのは、反対派の立場ではなく、中電・推進派の立場である。こうした一連の経過によって、今や山戸氏を反対派と見なす者は、全県の漁民のなかではまったくおらず、全町民、全県民でもそう思う者はほとんどいなくなった。これは、反対の力を分裂させ、力がないものにしてきた仕かけが崩壊したことである。中電側から見たら最後の切り札を使い切ったことを意味する。それは町民の本当の反対の力を結集するためのかさぶたがとれたことを意味する。山戸氏型の反対にはついていけないという町民は多かった。このカサブタがとれたことは、町民の本音が表面に出やすくなるということである。
廃村転換が重大問題 逃げ図る国・県・中電
全町内では、原発24年がたって、町民世論の激変が起きている。町は中電に乗っ取られ、人口はどんどん減り、このままでは廃村になることが重大な問題となった。「原発による振興」といってきたが、原発が3000人の町民を養うわけではない。町は漁業、農業を基本にして商工業が成り立つことによって、生活は維持される。これらをつぶし、町をつぶされたのでは元も子もないのである。
漁協合併を推進してきた二井県政が上関町にたいしてやっていることは、町の合併である。20年の原発推進町政をやってきた片山町長は、国による合併への誘導に抵抗し、中電に「約束した36億円の協力金を出せ」とゴネて首を切られた。そして中電は、古手の推進派を切り捨てて、「中電の協力金はいらない」という柏原氏を町長にした。「議員は町のことはくそ食らえで自分のメシが食えることだけが関心の、中電チルドレン揃いのアホばかりになった」と語られる。そして今や財政の見通しが立たなくなっており、その面からお手上げになることは必至となっている。
今年になって消防組合の負担金問題で、柳井市や大島町側からこれまでの倍増の負担金を要求されたことが上関町ではショックとなっている。県が仲裁にはいることをせず、容認したのである。柳井市は中電から協力金をもらった関係であり、中電の意向も無関係ではないと見られている。上関町の財政を力ずくでもパンクさせる力が働いているわけである。
周辺市町では、「二井県政は田布施、平生、上関の3町の合併をやらせようとしている」と語られている。原発問題だけで見るならば、田布施、平生と合併したなら、住民の反対の力ははるかに強いものとなる。中電としても、買収したのは漁協関係と上層の県議、町議程度であり、中電が住民全体の買収の網を張るのは容易ではない。
上関町では、産業がつぶされて人が生活できなくなったうえに、漁協も合併して法人格はなくなり、農協は早くから合併、商工会も合併で、町も合併で消滅することになる。町をつぶしてしまおうとしている。上関町民にとっては、中電の責任を追及する町の法人格はなにもなくなることになる。明らかなことは中電が、合併は「上関側の自己責任」だという形で、上関における24年の騒動にたいする責任回避になっていくことである。
中電の上関での動きも不可思議なものとなっている。田ノ浦の遺跡調査は延長されている。推進派町民のなかで語られるのは、中電がさっぱり金を出さなくなったことである。タクシーチケットもあまり配らなくなり、組合長(旧)などを柳井に連れて行ってタダ酒を振る舞うこともなくなってきたともいわれている。
上関町は中電が乗り込んだ24年の原発騒動で、人が住めない町にされた。今や、中電と国、県が、上関町の側から責任追及をさせぬために、上関町をつぶしてしまうという、きわめて犯罪的なたくらみをしていると見ることができる。祝島では、漁業権を奪うこともさることながら、それ以上に祝島住民の反対を切り崩して屈服させ、責任追及の旗を降ろさせることが大きな目的と見ることができる。だがそれは失敗した。
中電という大企業が原発計画を持って小さな町に乗り込み、地方生活が破壊され、町も漁協もつぶされてきた。この上関の現状は、市場原理改革を唱える小泉政治のもとで直面する日本全国の市町村の現状を象徴的にあらわしている。このなかで、国、県、中電に責任をとらせ、上関町を再建する上関町民の行動は、全国をひじょうに激励するものとなっている。