中国電力の上関原発計画を最大の争点とした8度目の上関町長選は、推進派の柏原重海氏が1999票、反対派の山戸孝氏が990票という結果となった。得票率は推進派が初めて60%をこえて67%、反対派が33%となった。それは町民の実感とは大きく異なったものとなった。全国的には原発の新設など相手にもされない情勢の中で、上関町だけは反対派が後退し推進が伸張したのだろうか。選挙戦全体の様相を描いてみて、今度の選挙戦があらわした本当の力関係はどういうものであったか、また町民はどう進んだらよいかなどについて、本紙記者座談会を持って論議してみた。
不思議だらけの選挙結果 町民の受けとめ
司会 町長選の結果について、町内ではどんな受け止めだろうか。
A 放っておいたら無投票だったところ、選挙をやらせてよかったという声が語られている。それと、推進が「七割か八割とって圧勝だ」といっていたが、それをさせなかったという力はすごいという声もある。しかし、1000票という反対票がおかしい、町民の実感からすれば、1200から1300あるのが本当だ。おかしいという疑問が語られている。
B 50票ぐらいが崩れることはあるかもしれないが、200票や300票が、簡単に動くものなのか、あの手この手で中電がやるということはあるが、25年崩れなかった反対票は簡単に動くようなものではない。これは選挙をやってきた反対派からも推進派からも、おかしいと話されている。
C この度の選挙は、「反対派」組織も推進派組織もしめしあわせたようにまともな選挙運動をやっていない。このなかで、なぜあれだけ票差が広がったのか、なぜ反対の票が200も減ったのかというのが共通した疑問になっている。室津の住民は、「崩れた者もいるのはいるが、推進側からも今回は若い者に入れてみようという声がだいぶあった。それが、なぜあんな結果になったのか」と語っていた。
B それと、あれだけ最高得票をとった推進派が「まだ足りない」といっているし、柏原氏もすごい不機嫌な引きつったような顔をしている。どんな意味があるのだろうかといっている。
C 長年反対を貫いてきた婦人は、「“票がおかしい”という疑問がわくのは、推進派が喜んでいないからだ」といっていた。あれだけ過去最高得票をとったのだから、ワーワー大騒ぎして万歳してもおかしくないのに、誰も喜んでいないといっていた。
D 「勝った勝った」で選挙が終わった後盛り上がるのが普通なのに、それがないというのは全町的に共通している。「喜んだらいいのか、悲しんだほうがいいのかよくわからない」と話す人もいた。全体的に選挙が不思議だらけなのだ。
顔ひきつる柏原氏 両陣営の受けとめ・山戸氏は異常行動
司会 推進、反対両陣営の受け止めはどうだろうか。
A 推進派の方では、柏原氏の顔がえらく暗いというのが、話題になっている。過去最高得票で当選したのに、祝勝会で万歳をしたときや当選証書をもらったときの顔が全然喜んでいない。新聞やテレビでそれを見た町民は、「なんでだろう?」と首を傾げているし、下関など県内でもニュースを見た人のなかで同じ話題になっている。開票後、柏原氏は引きつった顔で、万歳をしようとしなかった。西議員などは「みんなが万歳をするときに、町長は一緒に万歳をする性格の人ではない」とかいっていたが、集まった記者たちが「それは困る」といって混乱する場面もあった。柏原氏は選挙結果に強いショックを受けていた。
C 柏原氏だけでなく加納議員や西議員、岡村後援会長など陣営幹部も喜んでいない。「(推進票が)まだ足りなかった」というようないい方をしているし、あまり元気がない。関係者のなかでは、「反対票があれだけあるのがおかしい」「陣営の読みでは、反対派は700票(23%)と聞いていたのに」という人もいた。推進派の幹部は、共通して負けたような顔をしている。
B 「反対派」組織の方は、祝島の山戸氏の異常行動があった。選挙結果について推進陣営が「祝島が崩れたのだ」といっていた。本紙は真相を明らかにしようと翌日祝島に行った。船で山戸氏と同乗していたが、上陸したら「島に入るな!」といって阻止行動を始めた。主張は「長周が反対派幹部のことを書いたから票が減った」というものだった。以前と違っていたのは、山戸氏の単独行動だったことだ。祝島の住民はついてこなかった。選挙に負けて元気になっていたのが山戸氏だ。これも不思議現象だ。
D 10人ほどおばさんたちが一緒にいたが、取り巻いているだけであまりもませないようにしようという感じだった。おばさんたちは、「祝島が200票も300票も崩れたなど絶対にありえない」と強調していた。
A 山戸氏はまた、選挙期間中に長周記者が息子の孝氏に「順子さんが喜ぶようにがんばれ」と声をかけたことに怒っていた。早い時期に亡くなった母親を子どもが思うのは当たり前だしそんな激励をするのは世の人情だ。それを怒るというのも不思議現象だ。
B マスコミの評価も不思議現象だ。今どき原発などいい加減にせよというのが全国世論で、その中で推進派が伸張したというのは、ひじょうに珍しいことだ。今までは全国版の1面に載せていた。それが今度は地方版の扱いだった。相手にしちゃおれないという扱いだった。
C 選挙期間中に記者がほとんどきていないのも様変わりだった。開票前に少し動いていたぐらいだ。以前なら、最終日となるとわんさかやってきて、追いかけ回していた。
D 新聞では中電の社長談話も二井知事談話も載せていなかった。副社長がかわりばえのしないことをいっていたようだが。中電も県もさめている。
両陣営とも大慌て 選挙戦の特徴・無投票にできず
司会 選挙戦の特徴はどうだっただろうか。
E 今回の町長選は、両陣営とも選挙体制としてはガタガタだった。推進派は、加納派の一族選挙になっていた。片山選挙を取り組んでいた地域の有力者部分を事務所に寄せ付けないとか排除するというので反発があった。推進派の組織はバラバラで空中分解状態だった。「反対派」組織のほうは、室津の外村氏は公然と推進派の宣伝カーで演説をやり、組織代表の岩木議員は自分の選挙陣営が公然と推進選挙で走る状態、祝島の山戸氏は評判が悪いというので島の中にこもっていたようだ。町民の中に入って働きかけるといった機能は全くない。これは今までずっとそうで、今に始まったことではないわけだが。
B 無投票をかなり信じていたようだった。推進派の選対事務所では「おまえらが混ぜくって選挙にしやがって」と文句をいうものもいた。「祝島も室津も反対派は崩れた。だから選挙もできなくなった」と確信していた。「反対派」組織側は、「出る」という格好をして何度も会議を開いたが、結局2週間前に立候補断念を決めた。両方が示し合わせて無投票にしようとした。98年の町議選無投票の2番煎じだ。
D そこで本紙では、間髪を入れずにこの大裏切りを爆砕して、「加納派反対派の総破産」の紙面を全町に配布した。原発問題の初期から、祝島の反対派をはじめ上関など町内の反対派実権派は加納派だったこと、これが内部から町民の団結を破壊し、推進を助けてきた構造だ、いまやこの仕掛けを粉砕して、推進派、反対派で分断されてきた関係を解決して全町民の人情と団結を回復するときだ、というものだった。
これは、祝島をはじめ全町で衝撃的な反響を呼んで歓迎された。飛び上がったのは加納派だし、山戸氏だった。祝島では本紙の報道がひじょうに歓迎されるとともに、「選挙をやらないことは原発反対を終わりにさせることだ」との声が噴き上がった。そして祝島で山戸孝氏の立候補を決め、町内の「反対派」組織におろすという格好になった。
「圧勝」叫ぶ推進派 動きもせず自信満満
C 両陣営とも思わぬ選挙になったわけだが、この選挙は奇妙きてれつなことになった。推進派は、出陣式から「圧勝だ」と叫び始めた。「7対3だ!」、「8対2だ!」といっていた。選挙常識ではありえないことだった。「反対派は、700票という読みだった」といっていた。反対派の票が500票ほど推進に流れると計算していたわけだ。
A 告示になっても陣営幹部の1人は、「動かなくても8割はとれる」と豪語していた。最終日になっても「85%はいかないかなあ?」と真顔で話している幹部もいた。
B 選挙戦の様子は「様変わりになった」とみんなが驚くものになった。推進派は、各地区にいる運動員が全然動かない。今まで中電から出ていた金が出ていないし、地区ごとに大盤振る舞いをしていた炊き出しも全然やらない。運動員分だけの弁当を頼んでいた。昔は、事務所に顔を出せば「一杯やってくれ」と飲み代が出て、ポスターを貼れば5000円など日当があったというが、それもなかった。宣伝カーが回ったときなどは、地区の役員が動き回って人を動員していたが、そんな締め付けもなかった。
D 漁止めになった上関の漁師たちは、朝早くから四代とか白井田まで出かけていって歩き回って帰ってきたが、お茶をもらっただけで、1度家に戻って昼からまた集合しなさいといわれた。事務所でみんなを招集した幹部だけは弁当を食っていた。「漁を休んでいるのにただ働きか」といって腹を立てていた。
B 室津でも、事務所をつくってはいたが、炊き出しなどはなかった。何人かきて後援会名簿のチェックをしたり、選挙に入ってからは1人か2人つめている程度。選挙最終日にカツ丼などを食べていた昔と比べて、大違いだと話されていた。住民のなかでは、電話も1度か2度かかってきたきりだという話で、締め付けがなかった。
E 片山派など、これまで選挙をやってきた部分が排除されて、腹を立てていたのも特徴だった。加納選挙で買収事件をやった町連協や上関振興会なども「あまり事務所によらないでくれ」と釘をさされて機能していない。「親族関係だけの選挙」だと話されていて、「反対派」できた親族も一緒になって運動をやっていた。古手の推進派が事務所を覗いても、親族にはコーヒーが出るが、親族以外にはコーヒーさえ出さずに早く帰れという対応をとっていたというので腹を立てていた。
C 議員のなかでも、親族関係の西氏のほか、山谷氏と右田氏、反対派から寝返った外村氏などが中心で、吉崎、篠川両氏はシャットアウト組になっていた。「これで7割とってやろうという体制なのだろうか」とみんながあきれる選挙だった。昔のようにオール推進体制ではなかった。
D いえるのは、中電が今度の選挙を統率しなかったということだ。中電が本気で票を増やそうと構えたのであれば、オール推進の体制を動かしたはずだ。だが、今回は一族まかせにしていた。中電の車はしきりに走っていたが、車が走るばかりで民家に入ってなにかしたような形跡がない。動いているふりをしていた。前回など、中電の小池氏などは、菓子折を抱えて1軒1軒回っていた。
B 今回は、中電ルートの遠方からの電話がほとんどなかったといわれている。前回までは「北海道の姪から」とか「東京で建設会社につとめている息子から」とか企業ルートがかなりあった。中電の個人情報コンピューターは動いていなかったようだ。最終日だけは、古手の小池氏や白石氏なども歩き回って、「動いてまっせ」という格好はしていたが、それだけだった。
E 一族だけでやる選挙で、「もう利権はお前たちにやるのは嫌だから寄りつくな」という印象だが、そんなことをやる選挙は常識ではない。今まで達成したことのない7割を取ろうというのだから、よっぽど気を遣って「みんな頑張ってくれ」と選挙のときぐらい騙していないと、目標にはいかないはずだ。
B 1戸1戸回って話をして組織していくという選挙通は排除された側に多かった。個人のつきあい関係やその他の関係に詳しく緻密さがあったが、今回はそんな選挙をできるメンバーではなかった。「500票が反対派からくる」といわれて信じるようなメンバーが事務所には集まっていた。排除された選挙通だったら、なにをバカいっているのかとなるのは明らかだが、それを嫌がっていたわけだ。
原発から争点をそらす 反対陣営の特徴
A 反対派の陣営は、組織は壊滅状態で「まともな運動はなにもしなかった」とみんなが見ている。1000という得票をして、「よくとった」という意見は、「反対派」組織がなにもしないのによく票が出たというものだ。
E 原発から争点をそらすというのが重要な特徴だった。両陣営から、原発をいわずに「まちづくり」の競争のような形に持って行った。推進派陣営は「推進と反対で対立する不幸なことはやめて、みんなが推進になって仲良くしましょう」という。反対派陣営は、原発反対を消して、「一流の田舎づくり」という。
B 日本中で地震は起こるし、ミサイルは飛んでくるような時勢になった。原発で25年騒動している間に町は人が住めない無人島のようになっていく。こんなときに原発新設をしたら日本中の笑いものだ。町政については若いからよくわからないが、とにかくこの町政を転換しなければならないし、原発は終わりにしよう、みなさんに学びながら頑張りますとでもやりまくっていたら、まだ雰囲気ができたはずだ。
E それと町民が主人公だし、祝島の婦人たちが長島側に繰り出して、その元気な姿を見せること、全町民の理解と協力を求めるような行動をすることが大事だった。島の婦人たちはその気で告示日に長島側にきていた。それがつぶされたのは大きな問題だった。町民の大衆運動でやるということをさせない。それが毎度のことの犯罪的な行為だ。それは今回から始まったことではなく、前からずっとそうだ。「反対派」の幹部は、自分たちで運動したためしがない。ほんとに町民に寄生した連中なのだ。
町民は推進では動かず どの地区でも
A 選挙前段から選挙期間中、推進の崩壊ぶりはひどいとどこでも話されていた。宣伝カーが回っても演説をやっても、どの地区でも人が全然出てこない。金が出ないということだけではなく、運動員に熱がなく全く動かないといわれていた。人が全然いないから、最後の2日間は上関の漁師が総動員されて、四代や白井田からしまいには室津までついて行くという状態だった。
D 室津では、本人も人が少なすぎるので、歩く予定も大幅にカットして、演説も早くに切り上げた。「1人ではなにも出来ない」「1人だけでは空回りなんです」といっていたのが印象的だった。
B 柏原陣営も、最終局面で推進派が崩れたということへ危機感があったのだろう。午前中、四代では外村氏の司会で泣き落とし戦術をやったが、その後はやらなくなった。泣き落としに出たが、見物人もいないのでバカバカしくなったようだ。選挙戦終了の事務所前でもろくに演説もせず引っ込んでいった。安倍氏ではないが、放り投げ現象だった。
A 前日に本紙が「楽勝、圧勝を叫ぶ不思議」という紙面を配った。本紙も金曜日に印刷した紙面を3時過ぎには上関に持って行って配布した。柏原氏が「新聞をくれ」というので渡すと、読んだ後すごく怒っていた。選挙戦にあらわれたあの評価が図星だったようだ。
B 20数年間原発選挙をやってきた片山派もみんな、6対4を動かすというのは並大抵のことではないと口をそろえていっていた。「あれだけ苦労をして選挙をやって変わらなかったものを、動かずに7割も8割もとれるわけがない」と話していた。排除された推進派の幹部は「選挙は町民の1人1人を獲得するのでないとどうにもならないのに、今度の選挙は空中戦だ。あれで7割というのは頭がおかしいし、6対4を崩すことは絶対にできない」といっていた。
C 選挙の様相が示すことは、推進派組織も「反対派」組織も両方ともに空中分解したということだ。町民は候補者のどっちがいいかなんていう基準は乗りこえている。自分たちの意志を示すということだし、推「反」のインチキ支配構造をはねのけて、中電支配のいいなりにならない自分たちの意志を示すという力が大きなものになっている。だから選挙はそれなりにエキサイトしたし、インチキどもの正体をさらけ出させる結果になった。
推進票増の不思議 伸びる要素は全くなし
D 選挙の実際の様相から見たら、推進派が票を伸ばす要素はまったくない。反対派から推進派の票に200票も変わったというのは、現実にはありえないことだ。2000〇対1000の力関係というのを真に受けたら、上関の実際の力関係とはまったくずれると思う。
A 選挙後、反対票が200票推進に移ったわけだが、その根拠を推進派陣営の幹部に聞いても意味不明の答えしかない。「山戸の息子が相手だったから簡単だった」とか「祝島は診療所ができたから柏原に入れるんだとか」「警戒船に出てきたからもう崩れたんだ」とか、「室津の温泉センターがよかった」とかの説明だ。診療所ぐらいだったら片山時代の方がよほど金を使って、色んなことをやっている。
C 「室津が崩れた」といわれる。推進派に寝返った外村議員の票が100票あまり動いたという調子だ。外村氏は柏原の選挙カーに乗って応援演説を積極的にやっていたが、室津では一切車にも乗っていないし演説なんてできなかった。外村氏が姿を見せると嫌われるし、彼の影響力なんてなく、反対派が強いからだ。上関の推進票に逃げた「反対派」票というのは加納派岩木票に当たるが、これは四年前の加納、柏原選挙できれいさっぱり吸収されており、今回新たに流れるものはないというのが定説だ。
B そして「祝島が崩れたんだ」ということが、上関などでいわれている。「長周は祝島からたたき出されている」といわれていたが、昨年あたりからいつでも祝島に渡る関係になっている。この選挙期間の新聞はみな祝島でも配っている。島民の大多数からは大歓迎されてきた。祝島では崩れたものもいるが、加納派を中心とした漁民のなかの1部であって、みんなが反対を貫いているということを明らかにしてきた。推進派といわれてきた人たちも、自分たちを攻撃したのが反対派の顔をした加納派だったのだということに大変な共感だった。そして今度の選挙はよく考えるという人が多かった。
C もしも祝島の反対派から200票が動いたというのなら、「反対派の島」から「推進派の島」になったということだ。柏原氏としたら大変な大手柄になる。田舎の選挙だから、だれが投票したかわかるはずだから、すぐ行って挨拶をして回らなければならないし、盛大に祝島の推進派大会がやれることになる。しかし選挙で柏原陣営が祝島に行ったときも、今までと同じ50人ほどが集まっただけだった。今からの町政運営で、祝島に対して推進の島になったという扱いができることになるが、そんなことができるわけがない。
A 反対派から200票も動くということがあれば、田舎だからだれにでもわかる。それがないのに票差が開いた、なぜだというのが町民の実感だ。
400票動かすミステリー 祝島の反対票に匹敵
E しかし推進派陣営は200票どころか、400票から500票が反対派から推進派にくると確信をしていたわけだ。それはなぜかということだ。町内情勢がわからない取り巻き部分が浮ついて信じたというのはあるが、中枢部分がそんな抽象的なことで確信することはない。それは具体的な票数として確信を持っていたといわなければならない。そして反対派票の400票から500票が崩れて推進派票になるはずだったのに200票しかなかった。それは推進派票の200票から300票が逆に反対派票に動いていたことになる。票差は拮抗から逆転だ。だから柏原氏の顔が引きつった、加納氏をはじめ推進派が勝利感どころか敗北感を漂わせた、といったら説明がつきそうだ。じゃあ反対派から崩れるはずの400~500票はどこから取るつもりだったのか。この辺にミステリーがある。お化けが出たのだろう。
C 400票が動いたとすれば、それは祝島の反対票にほぼ匹敵する。祝島の反対票400ほどが丸丸柏原票になるぐらいのことを確信していないと、あんな自信は生まれないだろう。推進票が増えるということは、反対票が減る以外にないし、反対が増えるのは推進が減るということで、どっちかしかない。
A 投票箱に入れられた投票用紙が、祝島から室津で開票されるまでのあいだに、「山戸」の文字がスーッと消えて、その下から「柏原」という字が浮き上がってきた。そうして、祝島の反対票400が推進票に化けてしまった。そんなミステリーがあったと思わなければ、選挙戦の力関係の実態に合わない。祝島の400が崩れたら、推進2200反対800で73%対27%になる。上関や室津でプラスアルファがあったら8割と、楽勝論の計算が立つ。
C 選挙で初めから楽勝、圧勝を叫ぶ異常さ、選挙事務所に片山派の選挙通を入れたがらなかったこと、これらの説明もつく。
B これは避けられない疑惑だ。柏原陣営なり、町長配下の選挙管理委員会への疑惑を捨て去ることができない。この辺は、疑われるのも嫌だろうから投票用紙の筆跡鑑定をやるとか、指紋鑑定をやってみるとか、公平な第3者機関に頼んでやってもらった方が、すっきりするだろう。
D 警察の信用がない。4年前の選挙違反は異例中の異例だった。日本社会の公平さも疑わしくなっている。紛争地域の選挙管理というので国連監視団というようなのがあるらしいが、いっそのことそこに頼んだらどうかの冗談もある。
町民の力が中電を圧倒 実際の力関係
E 重要なことは、今度の選挙で示された実際の力関係というものを正しく評価しなければならないということだ。2000対1000という力関係では断じてない。1600対1400ないし1500対1500というのが実際の力関係にあっている。ためしに柏原氏自身が、今後の町政運営として、祝島は推進の島になったとか、反対派は3分の1になったという対応ができるわけがない。
A 現実の力関係として、町民の力が中電を圧倒したということだ。選挙体制にならない反対派組織で、山戸氏の息子を担いだが前回以上の力を発揮した。柏原氏が今後町政を運営していく上でも、町民の力をそういうふうに見ないとやってはいけないはずだ。記者会見では、「推進・反対の対立をやめ推進でいくんだ」といったが、そんな突っ走りはできない。
B やはり、町民が1番力を持っているということだし、原発反対がいまや圧倒しているということだ。推進、反対の上が野合して町民がものをいえないようにして、選挙までなくしてしまう。出たら出たで、「反対派」組織の側が負けるように振る舞う。上関ではずっとその構図が続いてきた。だが町民の方は惑わされなかった。どっちの候補がいいかみたいな常識には支配されておらず、原発に賛成か反対かであり、町民自身が主人公で自分たちの意志表示だというのが支配的になっていた。選挙が始まったら皆が得票率勝負といい始め、それが全世論になった。町民対中電のたたかいになったわけだ。それで選挙になると推進の瓦解がものすごく顕著になった。圧勝圧勝と口でいっているが、あらわれた事実は推進勢力の崩壊だった。これが紛れもない事実だ。町民の側さらに全県、全国の関心を持って見守った人人にとって悲観することはまったくないのだ。
逃げる中電と県 実現不能な七割得票を煽り・加納派の責任に
C 「7割獲得」というのは、中電なり県からのノルマだったわけだ。中電が7割いると町内でいっていたし、選挙応援にきた吉井県議が「7割こさないと県知事の機嫌が悪いんだ」と室津でいっていたといわれている。
B 中電も県も初めから7割の得票など出るわけがないと見なしている。できないノルマを課したのだ。そして中電は、加納派を前に立てて、自分たちは後ろに下がった。今どき原発の新設どころじゃない。加納派の自己責任で泥をかぶらせて逃げようという姿勢だ。マスコミの関心が乏しかったのもそういう理由だろう。
C 中電や県の立場からいえば、今どき原発新設などみっともなくていえる話ではなくなっている。新潟県の中越沖地震で、柏崎刈羽原発は全部がぶっ壊れてしまった。運良く爆発などの大事故にならなかったというだけの話だ。全国的な世論は、原発などとんでもないというものが圧倒している。
D 柏崎刈羽原発の地震でいえば、国の基準として相当の地震対策をせざるをえない。しかし6つある原発で、調べ自体がいつまでかかるかわからない。敷地内が凸凹になったとか、変電器が燃えたとか、原子炉内もまだフタをしたままで開けていない。これから、鉄の劣化加減とか、もう1度動かすとどうなるのかとか、膨大な調査がいる。そして、結果が出たところで、どこをどうすればよいか、どの程度の地震規模を想定するのかなど、ああだこうだと論議して基準を出すのは大変なことだ。そしてそれで出た結論でいこうとなっても、金がかかりすぎるとなる。既設原発のやり直しで大ごとなのに、新設どころかというのが実情だ。
A 中電も、島根原発3号分の耐震工事をするのに数1000億円はかかる。その上に、新設の上関原発を新基準でつくるとなると莫大な金がかかってたまったものではない。付属建屋まで全部岩盤の上に乗せるという話もあるが、田ノ浦は湾内は泥ばかりだ。岩盤がないのだからダメだというコースだろう。今の詳細調査も旧基準でやっているから「終わった」といっても、国の立場は「すべてが無駄とはいわないが、基準が変わっているからもう1度やり直せ」ということになる。それに、伊方沖に大きな活断層があることが以前から指摘されている。伊方沖ということは上関沖ということだ。しかも、浜岡と伊方がマグニチュード9クラスの大地震が起こる危険性といわれている。
C それと戦争問題だ。岩国は米軍を大増強する。ミサイルが飛んでくるというのが現実問題だ。今原発の沖には巡視船が待機しているが、上関でつくるなら、海上保安庁は巡視船を1隻つくらなければならない。自衛隊も1部隊を常駐させなければならない。7割とったとか、とらなかったといっても、上関の選挙結果などで決まるのではなく、全国的な事情で決まるのだ。
町民派リーダー結集へ 農漁業で町再建へ
B 上関については、もうメドがないということはハッキリしている。「地元がそんなにやりたければ7割以上とってみろ」とできないことをいったのが中電や県のスタンスだろう。
D 選挙を終えた推進派が、がっくりくるというのは中電なり県のいうレベルに到達しなかったというのがもう1面だろう。あれだけ無理して選挙をやったのに、捨てられるというのがあるのではないか。
E 国、県が上関でやろうという基本的な方向は合併だ。市町村合併で身売り町の解散だ。今度の25億円はその手みやげという意味ではないか。周辺では、「上関のようなものと一緒になれるか」の声があるが、「持参金付きでお願いします」ということではないか。
C それなら田布施、平生も合併するよ、ということだろう。中電の3億円も、手切れ金の意味合いではないか。20何年騒がせて、結局合併で逃げてチャラのコースだ。県も冷ややかに見ている。
E 中電にぶら下がった推進派組織、「反対派」組織がこの選挙まできてともに空中分解したのは重要な前進だ。上関の方向性としては、中電なり、国や県にたいして、捨てられても捨てられても追っかけていくような、腐った女のような政治をやめるということだ。原発のようなものへの幻想をきっぱりと捨て、貴重な海と山を守り、農業、漁業を基本にして町を守っていくということだ。なによりも分断された町民の関係を人情と団結の関係に回復させ、一致して町づくりに努めることだ。これだけもてあそび混乱させた中電と国、県に責任をとらせるのは当然のことだ。泣き寝入りで合併、町の解散というのでは話にならない。そのような町民派のリーダー集団をつくることが重要な課題だ。