下関市議会では2月定例会の最終日となった2日、議長・副議長選挙がおこなわれ、接戦の末、議長は84歳の亀田博、副議長は井川典子(ともに自民党会派・創世下関所属)に決まった。議長ポストをめぐって自民党内で昨年末ごろから揉めに揉め、現職議長の林透が会派・みらい下関を脱退して市役所内外で話題となっていたが、最終的に前田晋太郎市長が所属していた創世下関が正副両方のポストを独占する異例の結果になった。2月定例会最終日となった2日は、骨格予算の採決もあったが、自民・公明党内はそれどころではなく、最後におこなわれる議長選の票獲得にしのぎを削っていた。
議長選をめぐっては当初、議長・亀田博(創世下関)、副議長・安岡克昌(志誠会)体制になるとささやかれていた。4年前の市長選後に議場で安倍夫妻の選挙介入を批判し、自民党支部で長らく役職停止処分を受けていた安岡克昌にポストを与えるという話は、市長選および次期衆議院選に向けて安倍派と林派の手打ちが完了した証ともみなされていた。
ところが、会派を脱退した林透を創世下関が迎え入れたことに、みらい下関が腹を立て、亀田博の対抗馬を擁立するため、4年前に自分たちが飛び出したはずの志誠会と手を結んだことで事態は急変した。当初は戸澤昭夫を再び擁立する案も浮上したが、結局、林真一郎(志誠会)が立候補することで両者の話がついたのだという。
もともとは、みらい下関の他のメンバーが亀田博を応援していることを知って腹を立てた林透が会派を飛び出したはずだったのに、本人は亀田博の側につき、それに腹を立てたみらい下関が対抗馬を擁立するという、よくわからない構図だ。「みらいのメンバーが創世下関に対して、“林透を入れるのは市長選後にしてほしい”と頼んだが、それも蹴られて関係に亀裂が入ったのだ」などといわれており、傍らから見ると子どものケンカか? と思うような出来事で、両者の関係はかなり悪化しているようだ。「とくに戸澤、木本、林透の3人の関係悪化が著しく、修復には時間がかかる」などとその様子が語られている。
投票総数は33票(有効投票は31票)。桧垣徳雄に入れた共産党市議団の4票をのぞくと残り27票だ。結果、亀田博が創世下関(8票)、公明党市議団(5票)、山下隆夫(社民、無所属)の1票を獲得して14票に。林真一郎がみらい下関(7票)、志誠会(6票)の計13票となり、1票差で亀田博の議長就任が決まった。前日の夜まで、公明党市議団は「自民党内のトラブルには首を突っ込まない」というスタンスだったようで、その場合、林真一郎が勝つと見込まれていた。しかし、一晩で逆転して亀田支持に回ったとかで、林真一郎側は当日の選挙前ギリギリまで、残り1票を獲得するべく奔走していた。公明党の心変わりについては「井川典子が前田晋太郎の選挙事務所で、議会が揉めていると騒いだのを耳にした安倍事務所が介入したようだ」という話もささやかれており、「最終的に決定したのは天の声だったのか…」と話題にされている。さらにいえば、山下隆夫の1票が亀田議長体制を決したともいえる。
副議長選は片山房一(共産党)4票、井川典子(創世下関)15票、田中義一(みらい下関)13票で、こちらは2票差で創世下関の井川典子がポストを得た。議長選では白票を投じた濵岡歳生(連合、無所属)が、副議長選では井川典子に投じたのだといわれており、その見返りなのか文教厚生委員会の副委員長ポストを得た。
各委員会の委員長・副委員長ポストも創世・公明で徹底して体制をつくっていたようで、くじ引きで決まった(投票で同数だった場合)ポスト以外は、基本的にみらい下関、志誠会のメンバーは排除する体制となっている。両会派で唯一ポストを与えられた2人は、会派内の疑心暗鬼を煽って揉ませることが狙いともみられる。
そもそもをたどると今回の騒動の発端は、林透が「もう一期議長をやりたい」といい始めたことだった。「2年前に“次は亀田博で”と申し合わせていた」ということで、そのほかの自民党議員たちが林透をおろして、みなで84歳の亀田博を担ぎ上げようとしていたはずだった。が、選挙が終わってみると、林透は強者の一員に、弱者はみらい下関、志誠会の二会派になっていて、もともと副議長就任が約束されていた安岡克昌は副委員長ポストすら手にできない結果に終わった。「この禍根はかなり尾を引く」と指摘する議員もいるが、両者ともに「これは市長選とは別問題」と強調している。
コロナ禍という、ここ数年でもっとも緊張した時期におこなわれた議長選が、近年にないほど低俗なポスト争いだったことにあきれている市役所関係者も少なくない。下関市議会の低レベル化は急激に進行している。