いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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安倍・林手打ちで下関市長選は消化試合の様相 連合も安倍派現職支持 

 安倍晋三前首相の選挙区(衆院山口四区)でもある下関市では、3月7日告示、14日投開票の市長選挙が迫っている。4年前の市長選で、安倍事務所の秘書上がりの前田市長が当時首相だった安倍夫妻の全力介入によって当選したが、この市政運営に対する審判が問われる。ところが告示まで残すところ約1カ月と迫り、本来であれば候補者や陣営はフル回転で友人知人に支援を呼び掛けたり、後援会員の獲得や政策チラシ・リーフの配布等に力を入れるはずが、街中ではほとんど選挙戦らしい動きは皆無で、限りなく無風に近い状態が続いている。前回選挙で林派の現職だった中尾友昭と安倍派の新人・前田晋太郎(現職)が争った際は、保守系同士のぶつかりでそれなりに熱気も帯びたが、打って変わって冷め切っているのである。水面下で進む安倍派と林派の野合や、それに迎合する連合(労組集団)その他の動き、世論が冷め切っている根拠や、衆院山口四区ともかかわった有権者の意識について記者座談会で論議した。

 

  これまで見たことがないほど市長選はしらけている。コロナ禍という特殊な事情もあるのだろうが、街中で選挙の「せ」の字も会話に出てこないほどみんなが冷めている。そして耳にするのは、「はじめから結果がわかりきった消化試合なら、選挙費用の1億6000万円をコロナ対策に回した方がマシなんじゃないか?」「市議補選まで追加になって余計にカネがかかる。何の意味があるんだろうか?」という“選挙ムダ論”で、結構な人たちが口にしている状況がある。選挙を「ムダ」という扱いにしてしまうと、それ自体は民主主義の発露を制限してしまうもので賛成などできないが、今回の選挙構図を見て、みんながそんな気持ちになっているのも事実なのだ。つまり、有力な対抗馬がいないというか、対抗馬そのものもすこぶる評判が悪いなかで面白みのない出来レースだと感じており、まともに相手できるか! という感情が勝っているようなのだ。決して現職が強いわけでもないのに、選挙が極めて形式的なものとして消化されようとしていることへの反発だと思う。

 

  選挙まで残り1カ月といえば、市議選でも各候補のリーフやチラシがあちこちで出回り、後援会員集めも終盤にさしかかって活況を呈しているのが常識だ。陣営による「ご入会いただき、ありがとうございます」のお礼の電話かけなども大概忙しい時期だ。ところが、両陣営ともにそのような動きはないし、企業関係が瀬踏みしつつ成績を稼ぐために後援会員を募っているような光景もない。リーフを入り口にドーンと山積みしている企業や病院も見かけない。せいぜい政策チラシが新聞折り込みに入れられていたり、ポストに投函されている程度だ。候補者本人の露出も乏しいが、その支持者たちが足を使って支持を訴えているような動きがまるで見えない。本来なら下関中を巻き込んで戦わなければ話にならないのに、支持獲得の動きが面に広がっていないし、地域のコミュニティーのなかにまったく食い込んでいないという特徴がある。足場が乏しいという意味では、よほどたかをくくっているか、選挙体制がボロボロかのどちらかだ。4年前の市長選と比較したら、その差は歴然としている。何もしていないに等しいし、両陣営ともに市民の皆さんのところに出向いてお願いをするわけでもない。では、何がしたいんだ? と有権者が感じるのも当然だ。なんだか選挙が宙に浮いている。

 

 C 前田晋太郎の選挙事務所は武久の丸亀製麺の跡地に構えているが、窓という窓を塞いで人気(ひとけ)も乏しく「あれはサティアンか?」と近隣住民がヒソヒソと話題にしている。開かれた選挙事務所というよりは、内部を見えないように塞いで、外部をシャットアウトしている印象だ。一方で対抗馬の田辺よし子も唐戸市場前に事務所を構えているが、こちらも選挙1カ月前の事務所とは思えないほど寂しい雰囲気を漂わせている。街のみんなが「あんた出てくれ!」と担ぎ上げたわけでもないから、それはそれで仕方がないのかも知れないが…。

 

  一部で東京界隈のメディア関係者が「下関市長選は衆院山口4区の前哨戦になる」とか「秘書上がりの前田市長は田辺氏に脅威を抱いている」みたいなことを書き散らかしているが、伝聞ではなくまずは下関に直接足を運び、現場を取材してから書いたらどうか? とは思う。街のあっちこっちに顔を出して思うことは、現状では「反安倍のシンボル」みたく東京界隈の人たちが扱っているものの、東京発プロモーションごときでどうこうなる代物ではないし、とてもがっぷり四つで戦っているような状況ではない。外野席から眺めた「4区の前哨戦」という「本質」とか建前以上に地方現実のリアルがある。はっきりいって、仮に自分が田辺の選対に入り込んでいたら、まずは候補者本人にまつわる街の評判をどうにかしてくれ! と本人にオラオラ詰めると思う。そんな状況だ。選挙にはどうしても人物評価はつきものだが、その評価が良くも悪くも口コミで広がり、得票にもつながるのだ。結果的に吉と出ようが凶と出ようが、それは誰のせいでもない。本人の振る舞いが招いた有権者からの評価なのだ。

 

オール与党の各会派 「連合」は現職支持

 

  前田晋太郎が敵なしで安泰を決め込んでいるのはなぜか。相手が田辺だからといってしまえばそれまでだが、それ以上に林派が対抗馬を出さないことがある。「山口3区への林芳正の衆院鞍替えに安倍派の力添えが頂けるなら、林派は下関市長選に対抗馬を出さない」と昨年10月半ばに東京の安倍事務所に県議会議長の柳居俊学が伝えに行っていると自民党関係者のなかでは早くから話題にされていた。自民党山口県連のなかでは安倍派も同意の上で、3区の河村排除の動きが加速している。安倍派からすると3区に林が鞍替えしてくれれば4区は安倍派の地盤として確保できてウェルカム。衆院選挙区の合区も遠のいたというからなおさらだ。一方の林派としては、今回の市長選で前田晋太郎を応援することで一定の成績というか恭順の意を示し、3区鞍替えに力添えをお願いしますよ! という取引だ。その代わりに衆院山口4区及び市長選では共闘関係を結ぶという野合なのだろう。だから、林派の主立った企業群は今回の市長選でも公然と前田支持で動き出している。

 

  昨年末の12月議会が象徴的だったが、4年前の選挙後に議場で公然と安倍夫妻の選挙介入を批判して、自民党下関支部で役職停止処分になっていた安岡克昌(林派市議)が、あろうことか前田市政をべた褒めして2期目への期待をのべる場面があった。そして、なんと市長選を前にしたこの2月議会で、安岡がめでたく副議長に選出される見通しなのだという。安倍事務所に楯突いて制裁を食らっていたのから一転して、手を握ったら出世街道まっしぐら。市議会の安倍派の面々、つまり安倍事務所に頭が上がらない面々の了解がなければあり得ないことだ。これほどわかりやすい人事もない。安倍派と林派の手打ち完了を露骨にあらわしている。これでなお、「安倍派に反発する林派が田辺の支援にまわるかも…」なんて書いている媒体があるなら、ちょっと恥ずかしい話だ。林派は昔から実利派で、その本質は「小商人」(こあきんど)なのだと下関の古参の方々は評価してきたが、念願の3区鞍替えのためなら取引もいとわないのだ。一発入れに行くこともあれば、状況によっては手を組む。それが安倍派と林派の腐れ縁というものだ。今回は双方の利害が一致しているのだろう。

 

  安倍派と林派はこうして手を組んでいる。その主流派の脇で生息してきた労働組合の連合はというと、「歴史的に現職支持なのだ」などといって前田晋太郎支持を決定している。立憲民主党の県議である酒本が前田と仲良しなのもあって「取り持った」のだと本人が吹聴しているそうだ。連合というと、市議会では議長を輩出するほどの最大派閥(安倍&林支配の支柱でもあった)だった時期もあるが、いまや会派結成の条件である3人が確保できず消滅してしまった。立憲民主党の酒本(県議になる前は市議だった)の後釜として市議会議員に当選した東城しのぶが1年そこらで「みらい下関」(自民党会派)に鞍替えしてしまい、全逓が推す濵岡とJR西日本出身の山下のみになった。東城が会派を離脱して田辺よし子を迎え入れ、かつがつ市民連合という会派は首の皮がつながったものの、今回の市長選出馬で再び2人になり、会派消滅となった。そして会派の仲間だった田辺よし子ではなく、前田晋太郎を推すというのだ。

 

  まあ、安倍・林支配にぶら下がった紐みたいなもので、「歴史的に現職支持」というよりは歴史的に飼い慣らされたダラ幹連合の末路といったところか。それが必然的に消滅の淵に立たされている。労働者の味方であるとか、選挙で「反自民」とか叫んだところで、現実には安倍・林支配にぶら下がってメシを食っている人々に過ぎないし、野党ポジションでそっち方面の得票によって支えられつつ、行動においてはオール与党の一員なのだ。そうやって支持者を欺くから勢力消滅の勢いが止まらず、いまや自民党補完勢力であることを見透かされている。三菱労組とか、表では野党候補の応援を標榜しながら自宅に行ったら安倍晋三の後援会リーフを山積みにしてせっせと集めているとか、鵺(ぬえ)みたいな輩もいるわけで、正々堂々と前田支持を打ち出したあたりは、ある意味正直なのかもしれない。そこから、衆院山口4区で連合がどんな動きをするのか? を想像してみたらいい。「野党共闘」なるもののスッカラカン状態について、捉えておく必要があるように思う。

 

  こうして安倍派と林派が公明党を従え、さらに連合までがオール与党でタッグを組み、表面的には前田晋太郎が4区並の得票を叩き出してもおかしくない布陣だ。しかし、安倍批判もすごいものがあるし、前田晋太郎の人気がすごいわけでもない。林派のなかでも「なんだそれ…」と冷めている人々も少なくない。このなかでどれだけの得票を積み上げるのか、投票率はどれくらいになるのかが注目されている。限りなく不戦勝に近い選挙ではあるが、それでも得票数や投票率はないがしろにできない。それなりに面子がかかっているのだ。

 

  もともと自民党としては無投票では格好がつかないため、泡沫でも何でも対抗馬がいなければ様にならなかった。「市民から信任された」体裁を整えたいという事情もある。そこに渡りに船であらわれたのが田辺というだけで、「無投票を回避できた。出てくれてありがとう」とむしろ感謝している。当て馬にすぎないのだ。あとはその負けっぷりに期待といったところだろう。東京界隈を巻き込んで「4区の前哨戦」扱いをした挙げ句、ボロ負けして全国を落胆させるなり、その後の衆院4区に響くような悪影響をこの市長選で有権者のなかに刷り込んでくれと願望している。

 

 そこによそ者集団(失礼な表現ではあるが、そのような印象になってしまう)が「反安倍」に燃えてまんまとはまり込んで来てくれないかな? というのが本音だろう。そうなってしまうと下関の有権者からすると「なんだ、田辺のバックってそういうことなんだ…」「この選挙はいったい誰の選挙なんだ?」という印象になって、一層自分たちからは遠く離れた選挙戦にもなりかねない。最終的にどのような展開になっていくのかは未知数だが、いずれにしても下関の市長、この街の行政運営を委ねる者を選択する選挙である以上、下関の地元の人間に足場を置くことをまず重視しなければ話にならないし、その要求や願いを束ねて、地域コミュニティーを動員した選挙戦を展開しないと勝利などとてもおぼつかないのが現実なのだ。地方選挙というのは、そのようにリアルだ。

 

  田辺を誰が担いでいるのか? どうして出馬したのだろうか? と誰もが不思議に思っていてあちこちで聞かれるけれど、「誰が担いだかというより、自分で手を挙げただけだろ」と答えるほかない。候補者が御輿に担がれて支持者たちがワッショイするのが選挙だが、今回の場合、本人が「私が出る!」といって手を挙げただけで、周囲に取り巻きがいるわけでもない。というか陣営にあまり人が寄りついていない。だから唐戸の選対もあんな感じになるのだろう。それ自体が不思議極まりないのだが、このまま有権者から浮き上がっていたのでは、いくら東京発プロモーションの「反安倍で戦う田辺よし子」といっても選挙はサマにならない。二者択一の選択肢として、前田晋太郎はダメだと思った人が一定数投票するだろうが、相当に厳しいのも事実なのだ。

 

  本気で田辺よし子が市長になると決意しているなら、本人自身がもっと各所に頭を下げてお願いするなり、動かないと話にならないがそれもない。だから余計にでも「何がしたいんだろうか?」と話題になるのだろう。前回の松村正剛が「どうして出たんだろう?」状態だったが、まさにそんな空気なのだ。「現状では泡沫」と書いたら怒る関係者もいるのだが、「えっ? 泡沫という自覚がないのか?」と逆にビックリしてしまう。泡沫になりたくないのであれば、それこそ市民のなかに支持基盤を広げる努力をしなければ話にならないし、仮に陣営と呼べるほどの組織があるというのなら、もっと足を使って動かなければこの選挙は相当に厳しいといえる。プロモーションだけで誰かが動いてくれる選挙などないのだから。要は有権者から「この人に行政運営を委ねたい」と思ってもらえるかどうかにかかっているのだ。

 

 前田晋太郎とてそれは同じで、今回は親分たちの都合で林派との全面対決は回避できたというだけで、とくに本人自身が絶大な人気を誇っている訳でもない。安倍夫妻のお気に入りとして市長ポストに就いているだけだと自民党下関支部の議員たちも含めて周囲のみんなは腹の底では思っているのだ。街のみんなもそんなことは知り抜いている。下関市立大学の私物化とか、あんまり調子に乗ったことをしていたら江島の末路みたいになるのが関の山だ。パワーバランスが崩れた時には政治構造など一気に動くものだ。若いだけに何期かして一定の評価が定着し、政治家として終わった時には潰しがきかないのが苦しいところだろう。まあ、亀田のように「元市長の市議」「元市長の議長」という手もあるのかも知れないが…。

 

消滅都市のような街の実情 具体的な打開策を

 

  候補者には、下関の具体的な矛盾であったり政策課題と向き合い、それに対してどのような市政にしたいのか、生々しい現実から出発した訴えが不可欠だ。郷土下関のために何をするのか、大いに政策もぶつけてやってもらいたいものだが、いまのところ先程から論議しているように消化試合の域を出ず、多くの有権者から見て面白みのないものになってしまっている。

 

 この街の現状を見たとき、やはり80年代以降に以西底引きが衰退し、下関大丸の礎を築いた大洋漁業も横浜に出て行き、水産業が衰退するなかで活路を見失っている。観光都市化に舵を切ったものの、イベント趣味ばかりで週末都市のようになってしまい、その他の産業への波及効果は乏しい。基幹産業があって付属する商業があり、一定の人口を抱えていたのに、そのバランスが崩れて人口流出に歯止めがかからないのだ。人口減少、少子高齢化の進行はすさまじいものがあって、近年では北九州・下関の関門地域は全国でも突出した人口減少地帯だ。そうして市役所も現役世代の流出で税収がどんどん落ち込むものだから、予算カットばかり敢行している。悪循環に陥っている。

 

  地方都市としては産業振興の課題が切実で、消滅都市まっしぐらの現状を打開したいという思いはみんなのなかに強い。自治会もお年寄りばかりになって自治会長のなり手がいないとか、市報すら配れない地域があったり、少子高齢化も急ピッチで進行している。そうした現状への危機意識はかつてなく高まっている。中心市街地の小学校でも、今年の新1年生は13人だったとか、やれみずほ銀行が支店を撤退したとか、保険会社も下関支店を閉じて小郡に移っていったとか、シーモールも客が少なすぎてテナントが次々と出て行くとか、駅前リピエも一階の輸入食料品店その他が撤退してオワコン化(終わったコンテンツと化している)しているとか、市街地を見渡すとあちこちで家屋やビルが解体されて歯抜けみたいな街並になっているとか、急速にゴーストタウン化していることがどこでも話題だ。悲しいかな「下関、終わってんな…」と。

 

  安倍晋三、林芳正、江島潔といった代議士の七光りたちの登場が90年代半ばからだが、その当時からずっと右肩下がりなのだ。前田晋太郎が4年前に「太いパイプ」と叫んで市長になったが、安倍晋三が首相だろうが自民党代議士の端くれだろうが、選挙区である下関や長門はとくに何も発展していないし、せいぜい巨大な道路群ができたり、行政が箱物をたくさん作った程度。代議士連中をトップにした縦系列で行政や議会も牛耳られてきたが、地方都市としての混迷状況を抜け出す術も知恵もなく、為すがままに右肩下がりが続いている。

 

  選挙である以上、下関の街をどうしていくのかが具体的に議論されなければならない。抽象的な美辞麗句を並べて「希望の街」とか叫んだところで冷め切った有権者は「安倍の操り人形が何か叫んでる」くらいにしか思わないだろうし、その逆に「反安倍」を叫ぶだけというのも上滑りするほかない。厳しい視線を向けている有権者の問題意識にかみ合えるかがポイントだ。宙に浮いた空中戦ではなく、地に足つけた地上戦をやってもらいたいものだ。

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