いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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上関 裏切り反対派の正体を暴露 投機主義と決別し産業振興へ

 安倍政府が原発再稼働、輸出に舵を切ったなかで、新規立地の突破口として上関原発計画を巡っても推進手続きを前に進める動きがあらわれ、祝島の漁業補償金の配分をゴリ押しする策動が顕在化している。この間の祝島や上関町内での取材をもとに、30年来の上関の原発反対斗争の歴史的な総括もしながら、運動の展望はどこにあるのか、記者座談会をもって論議した。
 
 祝島の漁業権が最大の焦点

  補償金配分の会合は「台風4号」を理由に延期になったが、その後は音沙汰がない。祝島がひっくり返る見込みがないから、開催しても意味がないという判断なのだろう。この間、祝島に巣くってきた反対の顔をした推進派の正体を、いきさつも交えて紙面で暴露してきたが、まず反響から出し合ってみたい。
  祝島では具体名も出されながら、補償金の受けとり問題が論議になっている。無記名投票になると10人程度が反対派から崩れたり、正体をあらわさない形で裏切り行為がやられ、島民全体は悶々とした思いを抱えてきた。しかしだれがカネを欲しがっているかもわかっているから、紙面の内容が実感を伴って受け止められている。「30年上関に付き合っているから、長周新聞はこれくらいわかっていてあたりまえだな」と紙面を見て、しみじみと語る島民もいた。住民の一人は愛郷一心会(島民の会の前身組織)のリーダーだった金田が島を追い出された例を出していた。反対といっていたが実は推進で、最後は祝島で葬儀すらできない運命をたどった。島民の願いを踏みにじるということは、島で暮らしていけなくなることや、風当たりが強まることを懸念しないわけにはいかない。「補償金を受けとってはならない」というのは30年間の苦労や思いが詰まっているし、なにより福島の教訓をムダにしてはならないという思いが強い。
 補償金を受けとろうとしている側は「あんな記事を書かれると、もらおうとしていた人が“もらわない”と態度を変えるかもしれないじゃないか」「○○さんが嫌われるから、あんなことを書いてはいけない」と擁護する反応だった。思うようにいかず慌てている風だ。結局、台風が去って一週間たっても会合の招集はないし、まひしている。
 C 町内の推進派は相変わらず根拠のない楽観論が支配的。国や安倍晋三が原発を推進する気なのだと喜んでいる。ただ、「祝島は(補償金配分の会合を)次いつやるのか?」と同じことを聞いてくる。漁業権問題が未決着のままでは何も動かないのをわかっているから、鵜の目鷹の目で注目している。最大の懸案事項だからだ。
 祝島支店の総会を開こうと思えば1週間前に組合員に通知しなければならない。しかしその動きはない。というより、仮に配分案を過半数で可決したところで、そもそも漁業権放棄の3分の2同意などやっていないという根本問題がある。漁業補償交渉すらしていないのに、中電が一方的に振り込んできた補償金を配分してから、漁業権放棄の3分の2同意や書面同意をとり付けていくような手法は聞いたことがない。すべて後付けで手続きをごまかそうとしている。全国でも例がない強権的な漁業権剥奪の手法だ。
  上関原発計画については30年来一貫して祝島の漁業権問題が焦点だった。地先の漁業権、ないしは共同漁業権に関係する漁協のなかでは7対1で、祝島だけが反対している構図は30年前から変わっていない。これを2000年に7漁協の同意だけで「漁業補償交渉が妥結」したと騒いで、2008年に最高裁が下した「祝島も管理委員会の契約に拘束される」というあいまいな判決をもって、「祝島の漁業権はなくなった」「反対しても意味はないから諦めろ」と大騒ぎした。しかし祝島の漁業権放棄が決定できるのは最高裁でもなければ、107共同漁業権管理委員会でもない。祝島の漁業者自身だ。だから最高裁も「祝島の漁業権はなくなった」とはいえない。祝島漁協の総会で、3分の2の議決がなければだれも漁業権に手を出すことはできない。この漁業権を剥奪しなければ田ノ浦地先に手を付けることができないし、原発建設などメドが立たない。だからなんとしても崩そうとしている。最大の問題が漁業権問題だから敵も執念深いのだ。
  漁業権問題以外に原発敷地内の未買収地の問題などあるにせよ、それほど手続き上の支障はない。個人個人の権利者なら、中電はオセロの駒をひっくり返すようにやっていく。手続き上の県知事の同意や行政的な許可程度なら、向こうが握っている手続きなのだからいくらでも判子を押す。
 祝島を崩すために県政や中電がどれほどのことをやってきたか。九四年の漁業権書き換えも県水産部が仕掛けてやったものだ。漁協合併も県水産部が直接祝島に乗り込んで、漁協経営の粗探しをしてゴリ押しした。その後に県漁協が乗り込んで、「補償金を受けとれ」としつこいのも、漁協合併が導線になっている。今は県漁協が代行して漁業権放棄の手続きを迫っている。その背後にいるのが県当局で、彼らが司令部になってやらせているのは目に見えている。
 県漁協は信漁連の借金帳消しで補助金をもらっている関係だけ見ても県当局のいいなり。だいたい森友(旧室津漁協組合長)みたいな男が組合長になれること自体が普通ではない。県が背後で指示しなければ、海賊みたいな潜りの密漁専門家がどうして全県下の漁協組織のトップになれるのか、説明がつかない。外海のあれほどの漁業の規模やそれに対応した知識や見識などないし、それどころか隣接漁協の生け簀に潜るのが専門で釣りもできないのに、使い勝手がいいからトップの座に据えられている。
  祝島を締め上げる県漁協の手口としては、経営上も圧迫させてカネをむしりとっていく構造がある。毎年のように祝島支店は赤字経営で、そのために組合員が何万円と負担させられている。昨年度の赤字補填も組合員1人当り13万円を支払わされている。漁師たちが魚を出荷すると二束三文で漁協が買いとり、出荷した市場でいくらで競られたのかは組合員には教えられない。祝島の天然鯛がキロ200~300円というバカみたいな価格で買い叩かれて、漁師たちは食っていけない。
 しかし、浜で仕入れた魚を漁協がわざわざ福山の水産市場まで出荷している。そんなに安い魚なら岩国市場でも、広島市場でも運送料のかからない近場に出荷すればいいものを、わざわざ岡山県境近くまで出荷している。そして現地では重宝されているのだから、だれが中間マージンを得て笑っているのか、そのもうけはどこに消えているのか不思議だ。ブラックボックスになっている。これは山戸が組合長だった頃からの方法だが、会計検査で引っかかって内情は県当局も知り抜いているくせに、なにがおこなわれていたのか公表されず、県のいいなりになるよう取引材料にされた節がある。県漁協になってからはもっと浜値が安くなったといわれている。意図的に漁協つぶしがやられた結果、2000年に101人いた組合員が10年程度のあいだで53人まで半減した。この構図も解決しなければいけない。わざと祝島漁民が屈服するように誘導している。
 
 町廃虚にする性質 福島事故の深刻な教訓 国策の残酷な姿

  福島事故も起きているなかで、すべてを捉え直さなければならない。今になってカネが欲しいといって反対派を裏切っていく者についても、その性質について考えなければならない。それこそ祝島の全島民、全町民、周辺の数十㌔圏内の住民を福島のような難民・棄民にしてでも自分たちだけがカネをもらいたいというのなら、それはひどい話だ。従来の推進派も「そんなつもりで推進してきたのではない」と転換しなければいけない。自宅や財産を捨てて難民になってそれこそ避難しているあいだに1000人以上も難民疲れで死ななければならないような状況はたまったものではないし、相談もなく進められてたまるか、というのがあっておかしくない。
 「地元」といっても少なくとも100㌔圏内の了解なしにはムリだ。上関の柏原町長が伊方原発の再稼働問題について「上関は地元ではないので…」と発言したが、30㌔圏内に八島が含まれて、上関町も地元に含まれていると見なしてもおかしくないのに、電力会社に気を遣ってあんなバカみたいなことをいう。伊方が爆発しても逃げなければならないが、その逆に上関が事故を起こせば三十数㌔先の愛媛県にも影響が及びうる関係だ。
  天気の良い日には上関大橋から伊方原発が目視できるほど近い。福島の経験からしても30㌔圏内はみんなが難民になってしまう。17万人もの住民が追い出されたのだから少々ではない。上関に置き換えると平生、田布施、柳井、大島、光市など軒並み含まれる。それほど広大な土地から人人が生活を奪われた。取材に行った際、山を越えても越えても線量計が鳴り続けて、双葉町や大熊町など立地町に近づけば近づくほど、静まりかえった町や村しかなかった。まさにゴーストタウンで、上関で同じ事態が起きればどうなるのか考えるだけでゾッとする。
  地元承認といっても従来のまま進められるわけがない。あれだけ犠牲を出して、100㌔以上離れている所でも被害を被って東電社員が頭を下げて回っている。上関につくるなら、山口県内もだが、風向きによっては大分県、愛媛県に至るまで棄民になりかねない。上関が承認するかしないかで進められるものではない。「地元」と見なされるべき範囲が広がっているのは明確だ。それにしても、福島であれほどの状況を作り出しておいて再稼働を進めるのだから、国なり電力というのは残酷だ。第2次大戦とも似ている。いくら国民が飢えて死んでもやめないし、どれだけ犠牲が出ようが知ったことかという姿とそっくりだ。国策の残酷な正体をあらわしている。
 福島ではパニック対策で当初は意図的に住民を逃げられないようにした。ヨウ素が降り注いでいる最中にSPEEDI情報などいっさい教えなかった。そして事故後は逆に規制ばかりして、今度は戻れないようにした。住めないような状況ではないし、直後から復興に動くべきなのに、核廃棄物の処分施設を建設する目的を実行するために住民を締め出して、復興のメドがなくなった今頃になって、除染はしないし個人に線量計を渡すから帰りたい者は帰れ、というような政策をやっている。インフラなど整備されていないから戻れない。帰れないことがわかったうえで「勝手に帰れ」という。これも残酷だ。東電はろくに住民生活の補償すらせず、書類の山を送りつけて混乱させている。原発を推進する国や電力会社は、国民の生命とか安全など屁とも思っていない。
  再稼働にしても米国の命令で、「原発ゼロ」もすぐに反古にした。米国のいいなりで地震列島に54基もつくるから、今回のような事故が起きた。そして前代未聞の爆発事故を起こしておきながら、なお米国にいわれて日本列島を原発輸出拠点にするし、核廃棄物の拠点にしようとしている。福島事故は収束もしていないし、まだ爆発するかもしれない。その対応策もなければ避難対策もないのに再稼働をやり、新規立地まで道を開こうとしている。なんということか。
  福島の経験を当てはめたら広島に至るまで承認が必要だ。全瀬戸内漁民の承認もいる。死の海にしてしまう行為だ。上関と周辺地域を廃虚にしてしまう。推進するなら「廃虚になってもいい」とはっきりさせなければならない。その覚悟はあるのかだ。「郷土を廃虚にする原発」というと以前は笑っていたが、福島はまさに廃虚になっている。福島第一原発やその周辺自治体がどうなったのか、今こそ視察旅行に行かなければならない。地震・津波直後から放置され、荒んだ町に人っ子一人いない状態や、道路縁に横たわった牛や豚の死体、避難民が何万人と難民状態になり、体育館で辛抱しながら段ボール暮らしを強いられていた姿についても、しっかりと目に焼き付けたうえで、「それでもカネが欲しいから上関に原発をつくる」のか問われなければならない。
 上関では初期の頃に商工会が発頭になって推進していたが、結局、カネにならなかった。一部のボスを除くと商売人など一銭の得にもならずに推進運動でかり出されてきた。その行き着く先が難民ではたまったものではない。
  昨年商工会長には右田町議が就任した。室津の旅館経営者と激しい選挙だったという。60対40で競り勝ったうちの20票は、外部から町内に入り込んでプレハブを置いている業者の票だった。商工会も中電関連企業が完全に牛耳ったし、支配下に置いたことを意味している。町内の商売人がもうけるために原発推進などといっていたら、「オマエなにいってるんだ?」とつぶされる関係で、わがもの顔で威張っているのは中電の準社員みたいな者ばかりになっている。原発ができる前から、中電傀儡の町政なり、がんじがらめの支配構図が出来上がっている。
 
 加納派の分断支配 反対運動ねじまげ 全町団結を破壊

  祝島では、島民全体を犠牲にして、自分たちだけカネをもらう者の姿が暴露されてきた。島の実権を握って、みなを散々銭ボイトといって攻撃した者がもっとも銭ボイトだったのだから、島民の怒りは相当なものだ。
 C 「今になってもらうくらいなら30年前に推進しとけ!」と思いを語る長島側の住民も多い。30年も反対してきてそれが福島事故まできたこの期に及んで受けとるというから、神経を疑うと話題になっている。
  「推進派」といわれて攻撃されてきた島民にとっても、今補償金を欲しがっている元反対派とは感情的な隔たりが大きい。山戸やその背後勢力など、本当の銭ボイトがあれだけ島民を組織して人を攻撃してきて、今になってカネ欲しさがこらえきれないのだから。島内では婦人たちが一生懸命に反対運動を支えてきたが、「推進派」といわれてきた部分に説得に回ったり、働きかけることが必要ではないか。これまでけんかばかりだったし怪しげなリーダーに乗せられていたけど、みんなが仲良くしないといけないし、カネが欲しいという者についても「それはいけないよ」「祝島に住めなくなるでしょ」としっかり話をして改めさせる工作がいる。「出ていけ!」というような攻撃は懲り懲りだし、もうしないけれども、みんなと暮らしていけるように改めるべきだと説得にあたる必要がある。大論議を島内全体で起こしていくことが重要だ。
 豊北原発反対斗争の漁民リーダーは、推進で動いている住民についても絶対に攻撃しなかった。「みんな団結せぇ」と呼びかけていた。島の人間だからみんなが団結しないといけないし、「そんなにカネで転ぶようなことをしたら、あんたらも不幸になるではないか」と全島的に働きかけて仲間に獲得したり、せめて、補償金についても福島事故があった今、受けとり云々をやるのは時期尚早であるし「態度未定」のような事で話をつけるとかするべきだろう。全島団結が要だ。
 B 推進派といわれてきたのは、加納派が中心になって冤罪をでっち上げたり、すごく残酷なやり方で追いやられてきたのが特徴だ。人の家に押しかけては「銭ボイトー! 銭ボイトー!」と叫ぶから逆効果で、やられた側は腹を立てるし、推進派に追いやっていく効果しかなかった。仲間を増やして原発とたたかおうと考えている者がする行為ではない。こんなことは二度と繰り返してはならないし、もう一度団結する方向に進むべきだ。そもそも島民の一割が推進派というならとり込めばよいだけで、それをさせなかったのはなぜか? だ。そこに運動路線の大きな問題があるし、上関の反対運動に潜り込んだ中電の手先が、運動を意図的にねじ曲げた結果として、あのような残酷な分断攻撃がやられた。

 歴史的な総括が不可欠 戦後町政とも関わり

 A 戦後の上関町政ともかかわった歴史的な総括がいる。上関では加納派が反対派の実権を握っていったからわかりにくくなった。しかし結局、これらが反対運動をぶっつぶす役割を負っていたことがわかる。上関地区や長島側の反対派にしても、祝島で最近暴露されている加納派の実権派にしても同じだ。一見すると反対派なのだが、欺瞞的だからわかりにくい。妖怪変化のお化けみたいな特徴を持っている。情報の集中センターになる某邸宅もお化け屋敷みたいなもので、中電の小池にせよさまざまな人間が出入りする。そしていつも陰謀が動いていく。
 上関原発計画が浮上した当初は加納新が町長をしていた。ここまできて、加納が代表している戦後の共産党崩れの裏切り者町政が作り出した廃町政治を問題にしないわけにいかない。原発誘致にあたっては前段でとくに漁協をズタズタに破壊した。それで廃村だと騒いで原発を引っ張ってきたのが加納だった。そしてやったことは、反対派のなかに加納派を配置して反対運動をつぶしていった。これは祝島がそうであるし、上関地区もそうだ。白浜地区でも共産党もどきの子分が役割を果たした。反対派の主要部分を抑え、それが祝島でも最後的に売り飛ばしの勝負をかけてきている。だからこそ、歴史的な流れについて無視できない。共産党崩れというのは、反対派のような顔をして人を欺いていくのに長けている。加納派といったとき、共産党勢力と自民党勢力の二刀流だ。上関共産党というのは歴史的に加納自民党の子分としてきている。だから反対運動でこれらが旗を振ったときには、町民は実態をよく知っているからついていかなかった。
  上関そのものは貧乏なところで、戦後は共産党が強かった。室津は河本共産党村長だったし、上関もシベリア帰りの加納共産党が漁協組合長になって力を持ち、町長にまでなった。ところが、信用していたら裏切って、漁協にしてもボロボロになるまで食い物にされた。加納組合長時代にやった養殖事業は、魚が陸を泳いで身内を中心に抜き放題なものだから破綻。信用事業も破綻させてしまって、みんなが預金を引き出して散散な状態にしてしまった。そして経営に行き詰まったといって、砂船を始めたのが岩木県議の一族やその親戚一族。つまり加納一派だった。自分たちが漁協を食いつぶしておいて、もっけの幸いで仲間にカネもうけさせる手法。砂をとるから漁場は荒れ、他の漁師たちは難儀な思いをした。
 A 漁協としてのまとまりがなく、抵抗力がない状態にしておいて、八二年に原発計画が持ち込まれる。あの当時の上関漁協というのは体を為していなかった。福祉センターの横にボロボロの施設があったが、漁協は存在感などなかった。出荷にしても各グループが個別出荷で、「漁協を通じて出荷したら騙される」と思われているような状態だ。
 反対派町議でいえば上関地区の「日共」小柳も加納の子分だった。反対派の主要な部分はみな加納派やその一族が抑えて、「いつでも推進に転びますよ」の体制が施されていた。それで祝島で非人道的なことをやるから、なおさら町民は離れる。「祝島みたいな真似はできない」と全県的にも世論になっていたし、豊北でも住民たちは「あの反対運動はなにか?」とぶったまげていた。反対派つぶしで配置されていたのだ。
 原発計画が浮上すると、加納は降板させられて片山に町長を交替した。引っ込んだように見えるが、実は一人で二刀流をやるような者は原発ほどの大事業ではすぐに暴露されるから、国や中電からすると都合が悪かった。「どっちとも加納派じゃないか」となると露骨だからだ。それで単純突っ走りで憎まれ役の片山を町長にした。片山も叩かれ役をわかった上でやっていた。反対派側の片山叩きは徹底していて、「ハゲ!」と叫ぶとき、加納派からすると「私たちが本当は推進派の中心なのに!」という恨みがこもっていた。片山に利権だけ持って行かれたという怨念のような感情が加納一族には強かった。
 2000年代に入って、片山が中電から切り捨てられた際の町長選では、三つ巴の末に統一候補になった加納簾香も就任から3日で選挙違反が摘発されて降板し、今の柏原町長体制になった。前面に立つのが加納では困るのが中電なり背後勢力なのだ。原発は大事業だから、「オマエみたいな町内ボスが仕切るような代物ではない」という意味だろう。しかし加納は反対派を崩すために必要だから利用もされる。
  片山降板の際は、次は祝島崩しだと鼻息が荒かった。祝島を崩せるのは私だといって名乗りを上げたのが加納一派だった。右田は白浜を応援部隊につけて飛び跳ねていた。山戸だって加納一派で柏原町長の親戚だ。一連の反対派ないしは子分たちがズラッと加納派で勢揃いしている。
 B だらしがないのが反対派町議の岩木基展(加納簾香の甥)。だいたい戦前からのボスだった岩木県議の本家は岩木基展方で、オヤジが岩木家の跡取りだった。ところが妹の簾香が加納新の嫁に行って、完全にお株を奪われている。
 シベリア帰りの加納が戦後に戻ってきて、漁協参事をやり組合長をやって随分と鳴らした。唐戸市場の出資金の最高額は当時上関漁協が最高額だったという。それが町長になった。本来は本家が原発推進をはってもおかしくないのに、加納側が推進をはり、岩木家は落ちぶれた。町議とか反対派のかすりで食って生きていくし、漁業補償金の配分でも真っ先に判子を持って漁協玄関に並んでいるのだから、惨めというか言葉がない。
 A 現在の漁協ボスになっている大西組合長も片山と仲良しだったのが、片山降板になると加納側についた。やはり加納体制が町内支配の柱だからだ。片山、あるいは商工会長だった田中側の方が降板後は肩身が狭い感じすら受ける。加納派の勢力には敵わないし、対抗する力がないからおとなしくしている印象だ。
 共産党の裏切り者が全般的にそうだが、加納政治の特徴は敗北主義を基調にしている。高度成長に対する敗北主義。企業優先、工業優先、都市優先に対する敗北主義。だから地域の振興策をやる意志がまるでない。町政時代にも自分の地位を守るために役場も側近で固め、直系の子分連中は可愛がっていたと年配の人たちは語る。しかも町民の利益を犠牲にして可愛がる。そこに共産党系列の子分たちが与党をなしていた。今の補償金騒動にも通じている。側近だけ世話するのは柏原町長になってからも同じで、役場でも加納一派というか柏原一族が出世したり、身内ばかり職員採用したりしてひんしゅくを買っている。
  30年たってみて、大概、「反対派」を標榜していた者がひっくり返っている。欺瞞していたのが正体をあらわしている。みんなを推進に追いやってから、自分たちも推進に身を移していった。嫌らしいのは中電で、反対派住民に甘言で誘いを掛けて推進派町議に抜擢したり身内を崩したり、外側からも内側からも推進に駆り立てていく。片山を降ろして柏原体制を作るときに「反対派崩しの専門家」といわれる中電の小池(元副所長)が大活躍した。上関の選挙で手柄をあげて中電社内で表彰され、オーストラリア旅行をプレゼントされたり、凄腕の立地マンとして知られている。柏原も頭が上がらないし、町議連中でも楯突いたらひどい目にあうから恐れている。小池も反対派崩しの使命を任せられて飛び回ったがうまくいかず、中電のアルバイト社員としてのこのこ出てきている。中電退職後は奥村組に天下っていたが辞め、今は上関工作のブローカーみたいな存在だ。退職までにやり遂げられなかった反対派崩し、祝島崩しの宿題を60歳過ぎてもやっている。
  推進派はすでにやることがない。反対派を崩す者が一番の功労者になるわけだ。修正主義に依拠して敵はやってきた。豊北で敗北して上関に転じていくときの国および電力会社の最大の手口は、反対派の指導部に推進派を配置して、反対運動を崩していくことだった。推進の活動はせいぜいタダ酒を飲ませて遊ばせておけばよかった。一番の問題は反対派を崩すこと。加納派を軸にして、外部勢力のインチキも引っ張ってきてその体制を作っていった。
 98年に新聞で山戸の正体を暴露した時、片山(町長)は平井知事と山戸が酒を酌み交わしている風刺漫画を見て、「オレは平井と飲んだことはない」と話していた。推進勢力からしたら片山より山戸の方が格上扱いなのだ。県知事と酒を酌み交わすような者は町長にも推進派町議にもいない。当時、徳山のスナック「○○○」で密会していたのは自民党関係者のなかでは有名な話だ。山戸の正体を暴露すると、推進派幹部たちが慌てて山戸を擁護し始めて、本音が出ていた。片山も「山戸のことをこんなに書いたらいけない」とかばっていた。本当のことだけど、書いたらいけないという調子。散散町民に対して銭ボイト攻撃をしていた者が銭ボイトだったというのだから、これはちょっとひどすぎる。しかし、こうした構造に対する頑強なたたかいを30年やってきた。そして反対派に潜んだインチキ勢力を暴いてひっくり返すところまできた。それにしても加納派については、ちょっとひどすぎやしないか? といわないといけない。

 漁業が中心の上関 共同事業発展に活路

 C
 原発をやめさせて上関が発展する方向は漁業しかない。海運もつぶれてしまって、時代は変わってしまった。結局守るのは漁業しかない。今頃企業誘致といっても「バカじゃないか」といわれるのが落ちだ。製造業にせよみな海外移転だ。企業がないことをコンプレックスにして、「最大の企業誘致が原発だ」といってきたがそんな時代ではない。
 漁業も共同事業を発展させることしか活路はない。震災後に岩手を取材していて感じたのだが、復興の大きな原動力になっていたのが共同体のパワーだった。宮古の重茂や田老などは上関以上に田舎で自然条件としても厳しいのだが、助けあったり、協力しあって立ち上がっていくし、昆布やワカメ、サケなどが主力なのだが、漁業者一人当りの水揚げも1000万~3000万円などざらだった。
 「連帯と団結」がスローガンで、漁協が出荷から加工に至るまで責任を負うし、地域の雇用も生み出す。そして付加価値をつけて収入を安定させていた。
  漁協は共同事業が必要だ。漁場管理にしても共同であたらなければどうにもならない。共同事業が漁民にとって必要だから漁協の価値がある。合併してから祝島では漁場管理もいい加減になり、密漁されてもとり締まれないようになっている。県の原発推進の道具になって、本来しなければならない協同組合としての任務を投げ捨てている。
  漁場管理でも単独漁協の角島では灯台から夜の見張りもやっているし、自前の高速船を走らせて警戒にあたっている。そのような漁場管理をやらないから、松山あたりの海賊船も含めて祝島周辺海域はやりたい放題になっている。あと、獲るばかりではなくて、自然に働きかけてワカメや昆布を地道に植えていくなど、磯を丁寧に管理しつつ育てるようなとりくみも大切だ。全国的にその重要性が注目されはじめている。
  漁獲や漁期についても徹底して管理しなければ資源が枯渇するのはわかりきっている。しかし、みんなが協力してやるためには、人の犠牲のうえに自分だけがイイ事をしてやろうとか加納派のような投機的なのは規制しないといけない。これとたたかって共同体の団結を強めれば展望が出てくる。投機主義を原発推進で動員し、国、県なりが支えていることが障害になっている。

 祝島には全国的な信頼 ブランド力は絶大

 この間、祝島でも敵と友の関係がはっきりしてきた。県は敵だし、安倍も敵だ。国、県が国策として進めるものに対して、祝島だけでなくみんなが団結していくし、全国的な利害を代表したたたかいだ。だからこそ、「祝島は反原発の島で頑張っている」という全国的な信頼や権威がある。今から経済面で発展していくにしても重要なブランド力だ。30年頑張ったことが大切な財産になっている。経済波及効果としても大きい。これが補償金を受けとってひっくり返った日には、180度評価が転じて散散なことになる。「裏切った祝島」になる。ここは考えないといけない。ヒジキでも枇杷でも、一夜干しでも作って小綺麗な包装紙にでも包めば売れる。祝島産というネームバリューがある。上関町内も同じだ。上関産のブランド力は大きい。
  広島の中通りで各地から産物を出店してくる、期間限定のアンテナショップがはやっている。試しに出店してみれば大歓迎されると思う。室津の若手漁師たちが田布施などのスーパーに出店して好評を得ていたり、上関地区の漁師グループのなかでも広島に料亭を持って連携しながら上手に商売をしている人たちもいる。共同化すればもっとおもしろいことになる。アンテナショップで評判を呼んでおいて、広島市内の料亭などとも関係を結んだり、直接の取引を開始したり、戦略を持ってやればそのなかで活路も見えてくる。集団でとりくめば魚も揃うし、安定出荷のために畜養技術を研究してもいいと思う。産業化できるし、雇用も生まれる。ハモでも捨て値で取引されているが、素人がなかなか手が出しにくい魚なら、捌くのが上手な漁師の婦人たちが捌いて骨切りも済ませ、湯引きにしてから店に出せばいい。1㌔100~200円とかで買い叩かれているハモを、加工した後に500㌘パック300~400円で販売しても客から怒られるようなことはない。むしろ都市部の消費者からは喜ばれる。付加価値のうま味はすごいものだ。
 以前、上関の漁師に勧められて食べたけど、ハモしゃぶは最高に美味しかった。しゃぶしゃぶした後も上品なだし汁が出るから、豆腐やネギを刻んで入れて、塩で味を調えるだけで最高に旨いすましになった。雑炊にしても美味しかった。ウニでも瀬戸内海産だからか味が濃厚で、いわゆるカボチャ粉末入りの高級ウニ(ブラジル産ウニ)よりも旨い。
  一度でいいからやってみたら、田布施のスーパーどころでない大反響だろう。広島開拓はもっとも実現性が高い。アンテナショップで一日経過したものは天ぷらに加工して弁当販売でもすれば、ビジネス街から喜んで買いに来るだろう。魚を買い叩かれて終わるのではなくて、手間をかければ利益も出てくる。都会人がうらやましがるくらい味が違うのだから、もっと自信を持っていい。

 震災復興も共同体の力 長い海岸線は宝庫

 C 気仙沼に取材に行ったとき、水揚げされた後の加工などで付加価値をつけたら水揚高の2倍、3倍の経済効果に膨らむことや、そのようにして地元経済を潤している仕組みを市場関係者が説明してくれた。加工こそよそに持って行かれたらマイナスなのだと。獲ってきて、仲買のいい値で買い叩かれるだけでは展望がないが、いわゆる六次産業化のような仕組みを作れば違ってくるはずだ。岩手の重茂や田老は六次産業化が漁協内で完結しているから、田舎であっても高給とりが多い。そのかわりよく働いている。
  力を発揮できるような状態ができて、知恵を出したり発言できるようになれば、状況は違ってくるだろう。広島から見たら上関とか祝島はもっとも好漁場で、だからわざわざ遊漁にやってくる。いろんな可能性があるということだ。インチキな分断支配を突き破って、地域の団結をとり戻さなければならないし、共同体の力で立て直すことがいる。上関は漁業が中心の町だ。漁業を基盤にした加納が実権を持ったということは漁業が中心的な産業だからにほかならない。投機主義をとり除いて立て直していけば可能性はいくらでもある。大きなカネもうけはできなくても、年寄りがあれだけ多くても住みやすいのだ。海と山があればやっていける。
  あれほどの海岸線があるのだから、磯を大切に管理してやればいい。ワカメとかヒジキ、昆布など植えたりすると、アワビや貝類も成長して小魚も増える。磯が発達することは沿岸にとっては大きい。こういう共同化をいつも邪魔してきたのが投機主義で、中電とつながり、国策とつながって漁協なり組織が動いて妨害し、共同事業を破壊してきている。この投機主義支配を打ち破って、共同体機能を復活させれば、可能性はある。

 全国を励ます祝島 漁業権守り抜き原発強行を粉砕

 C
 漁業権さえ売り飛ばさなければ、推進勢力は手も足も出ない。祝島や上関の斗争は全国を励ます位置にある。何が再稼働かだ。新潟県知事などが再稼働は認められないと頑張っているが、今の安倍再稼働路線、原発輸出路線、新規立地もやるのだという流れを粉砕する最前線に上関は位置している。現地を基盤にしてひっくり返す。その典型をやりうるのが上関だ。
 A 一方で尖閣問題など大騒ぎして、歴史認識とか慰安婦問題など揉ませている。戦争が現実的で、武力によってしか解決しない方向に向かっている。それでどうして原発なのかだ。54基もあるうえに国土は廃墟になる。ダイナマイトを身体に巻き付けて火だるまになろうとしているのと同じだ。バカさ加減がひどすぎる。米国の指図だからといって許されるものではない。第2次大戦であれだけ撃ち殺して原爆を投げつけて日本を占領し、属国にした者が、原発の墓場にする政治を強いている。この残虐さについて問題にしなければならない。日本占領に際して、サルか虫けらと同じで“撃ち殺せ”と指示していたのとなにも変わっていない。その尻馬に乗っているのが安倍晋三であるし、山本繁太郎だ。
 安倍晋三は総理大臣なのだから、しゃしゃり出て新規立地をやることなどないし、有効性のない埋立許可についてもズルズルとルール違反しないで、正規にやり直させなければいけない。県農林水産部には祝島の切り崩しなどやめさせればいいではないか。山本繁太郎にも公約通り公有水面埋立許可は失効させて、上関原発計画を振り出しに戻させればいいのだ。しかしそれはやらせない。つまり安倍が首相お膝元でやらせているのだ。
 再稼働、原発輸出、新規立地を粉砕する最先端が上関で、反対派内部から崩す化け物の正体が暴露され、運動を再編してより強固なものにするところへきた。

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