社会インフラの重要性を実感
山口県上関町の本土側と長島側を結ぶ唯一の陸路である上関大橋で14日夜8時頃、県道と橋のつなぎ目に生じた段差に自動車が衝突する事故が起きた。この事故によって橋に約20㌢の段差ができていることが発覚し、17日現在まで上関大橋は通行止めとなっている。橋を管理する山口県は18日午後を目処に片側交互通行での仮復旧を目指しているが、現時点では両岸の往来手段は海上を船で渡る以外にない状態となっている。通行止め直後から町が室津港と上関港間で臨時連絡船を手配しているが、橋の通行止めによって通勤、通学、通院、買い物などのために海を渡らなければならない住民たちの日常生活に大きな影響が出ている。
上関大橋では、室津側から長島側に渡るさいの橋の入り口付近で、手前の道路に対して橋が浮き上がるようにして約20㌢(幅8・8㍍)の段差ができた。
本土と長島側を結ぶ唯一の陸路が断たれたため、上関町は直後から室津~上関の両岸を結ぶ連絡船を手配し、15日からは午前6時から午後10時まで30分おきの運航を開始した。さらに柳井港と祝島を結ぶ定期船「いわい」や上関港と八島を結ぶ「かみのせき丸」についても、室津~上関間だけは無料で誰でも乗船可能とし、できるだけ待ち時間が少なく移動できるよう手配した。
15日午後6時からは約2時間、長島側に釣りなどに来ていて橋が渡れなくなり足止めされていた人や、長島側に住んでいて車で橋を渡って出勤している人などのために一時的に橋の通行止めが解除された。その後、橋の片側の段差を埋め、緊急車両だけは走行できるようになっている。
連絡船の運航は引き続き16日もおこなった。同日は月曜日ということもあり、長島側と本土側をまたいで出勤・通学する人々全員が連絡船を利用して海峡を渡る以外に手段がないため、朝から港は混み合っていた。
通行止めによって、長島側で陸路での唯一の公共交通機関である町営バスの大津~中ノ浦線と四代~道の駅線が運休(長島側全線)となっていたが、17日からは運行を再開している。
橋がなぜずれたのかについて、原因はわかっていない。だが、専門家や国交省が橋のつなぎ目や内部を目視で点検した結果、ひび割れなど異常は確認されていない。現時点では重大な欠陥は見つからないとして、県は18日午後までに片側交互通行で、重量や台数などを規制したうえで通行止めの解除を目指している。
高齢者は買物も困難に 通勤・通学にも支障
長島には11月1日現在、768世帯、1357人が暮らしている。本土側に一番近い上関から島の奥に向かって戸津、白井田、蒲井、四代などの集落がある。上関町の高齢化率53・7%(2015年)が示すように、島内で暮らす町民の多くが高齢者だ。島内の個人商店なども閉店があいつぎ、島から出なければなかなか日用品も揃わない。
このような島で、本土との唯一の陸路が断たれて住民の生活は一変し、日常生活に直接的な影響が出た。
自家用車を使って出勤する人や、路線バスを使って通勤・通学している会社員や学生などは、橋を利用すれば本来ならばものの数分で対岸へ移動できるのだが、30分おきに運行する連絡船に乗って移動しなければならなくなった。
15日の夜に2時間だけ橋の通行止めが解除されたため、長島側から車を室津港の広場に移動させて停めておいて、朝の出勤時には別の車で上関港まで移動し、船で対岸に移動して室津から自家用車で出勤する人もいた。室津港の広場では町職員が朝から夜まで駐車場の誘導をおこない、地元の人も「こんなに車が止まっているのは見たことがない」というほど多くの車が停まっている。だが、一家に車が一台しかない家庭も多く、長島側と本土側の両方で自家用車を利用できる人は限られているのが現状だ。そのため、家に車を置いて、室津港に停めたバイクで本土側の勤務地に通勤する人や、連絡船で室津まで来てバスに乗ったり、職場の同僚に迎えに来てもらって通勤する人など、早朝からこれまでとは異なる手段での移動をよぎなくされている。
また、本土側からスクールバスに乗って島に渡り小学校に通っていた児童たちは、16日からは室津の漁港に集合してみんなで連絡船に乗り込み、上関港で下船して小学校まで約20分徒歩で登校している。中学生はもともと船で本土側から長島側に渡って登校していたため変化はない。だが、下校時にはスクールバスで本土側に帰っていた生徒もいたため、この生徒たちは今後は連絡船で本土側に帰ることになる。
もともと島の住民の多くが橋を渡って室津にある道の駅や、柳井市や平生町の大型店で食品や日用品を購入したり、柳井や平生の病院に通院していたが、こうした日常生活にも支障が出ている。
高齢者の場合、船で室津まで渡って買い物をしたとしても、その荷物を運ぶことが困難だ。そのため本土側の知人に買い出しをしてもらい、室津まで車で持ってきてもらって船で上関港まで運び、手押し車に荷物を乗せて歩く高齢者の姿も目立った。
80代の女性は「橋ができて50年以上経つが、橋が通れなくなっていかに便利な生活ができていたのかが身にしみてわかった。こんなことになって昔、橋がない時代に連絡船で行き来していたことを思い出す。だが、当時と比べると長島側に食べ物を買う店がほとんどなくなってしまっている。この2日ほどは家にある物でなんとか食べられているので、まだ一度も島から出なくても済んでいるが、いずれ通院や買い物のために島を出なければならない。早く橋の片側だけでも通れるようになるといいが、橋に段差ができた原因がまだわからないということで、今後もいつなにが起きるかわからないという怖さもある。それでも橋がなければ生活ができない」と話していた。
島内にはスーパーなどはなく個人商店も数店だけとなっているため、コープの宅配便を利用している人が多い。会員は1週間に1度注文し、食材を自宅まで届けてもらっているが、橋に近い上関から島内の一番奥地にある集落の四代まで移動するとなると車で約20分はかかる。奥地の集落ほどこうした宅配便がライフラインとして機能しており、頼みの綱となっている。16日はコープの宅配が島内で約20件、60人分あり、コープ職員は食材を対岸の室津から船で運び、島内に住む会員から軽バンを借りて宅配して回った。職員の男性は「島内には宅配便がないと生活に困るお年寄りがたくさんいるので、なんとか全員に無事届けられてよかった。しかし18日には今日の3倍ほどの配達量になるため、もしもこのまま通行止めが続けば、室津までトラックで荷物を運んだ後、船で3~4往復しなければすべての荷物を島内に持ち込むことができない。それからまた車に積み込んで配達するとなるとかなり大変で時間もかかるので、きちんと届けられるか不安だ。何とか早く橋が通行できるようにならないかと思っている」と心配していた。
食材の調達が困難になっているのは個人宅だけではない。島には保育園や小・中学校、特別養護老人ホームがあり、毎日給食を提供しなければならない。上関小学校と上関中学校は隣接しており、上関小学校にある給食調理場で小・中学校の給食を作っている。しかし橋の通行止めによってトラックで食材を調理場まで搬入することができないため、業者が室津まで食材を運び、連絡船に食材を積みかえて上関で船から降ろした後、教育委員会が準備した軽トラで小学校の調理場まで運び込んだ。島内の特養施設でも、同じように職員が船を使って食材を運び、車に積み込んで運搬していた。
農漁業の出荷にも影響 燃料補給への懸念も
燃料補給への懸念もある。島内にはガソリンスタンドが1カ所しかない。そのため休み明けの16日は、上関港前にあるガソリンスタンドに朝から灯油やガソリンを補給しにくる島民が多かった。ガソリンスタンドの店員は「普段、タンクローリーが橋を渡って島に来てスタンドの燃料を補給しているが、橋が通行できなくなったため、現時点ではスタンドへの補給手段がない。幸い、先週の金曜日にスタンドへの補給をおこなったばかりだったので、今週いっぱいはなんとか大丈夫そうだが、もしもスタンドのストックがないときに橋が通行止めになっていたらと思うとゾッとする。これから寒くなる時期なのでストーブなど灯油を使って暖をとる家庭も多く、とくに年配者が灯油の補給に来る。また、漁船や定期船“いわい”への軽油の補給もうちのガソリンスタンドがおこなっている。漁師さんの仕事や町民の移動の足にもかかわることなので、責任重大だ。早く橋の通行ができるようにと願っている。橋が通れるようになれば、島外のスタンドも利用できるようになるので、私としても安心できる。橋がなければ島民が生活に困る。上関大橋は建設されて50年以上経っているので当然老朽化もしているだろう」と話していた。
島内で農漁業を営む生産者の出荷にも影響が出ている。山口県漁協上関支店では普段、漁協に集荷トラックが来て、漁業者たちはそのトラックにとってきた魚を積み込んで市場に出荷している。しかしトラックが島内に入れないため、対岸の室津で待機し、漁業者は漁船で室津まで行って積み込み作業をおこなった。ある漁業者は「出荷するために室津まで行かなければならず時間がかかるため、今日は漁をいつもより1時間早く切り上げた。私たちは船で移動して出荷できるからいいが、農家は不便な人も多いのではないか。周防大島で2年前に大島大橋に貨物船が衝突して橋が通れなくなったことがあったが、あのとき“自分たちももし上関大橋が通れなくなったら…”と考えた。しかしまさか本当にこんなことになるとは思っていなかった。うちは車が一家に1台しかないので、室津側に車を置くと漁のための準備や浜と家との行き来に支障が出る。今は町営バスも走っていないので、とにかく年配者の移動の足がないことが心配だ」と話した。
また、室津にある道の駅には上関町内の農漁業者が野菜や魚を出荷しているが、出荷作業もこれまで通りとはいかないようだ。漁業者は漁船で室津まで来て荷を持ち込めるが、農業者は車でなければ野菜などを運ぶことができない。そのため通行止めが開始された翌日の15日は、長島側からの農産物の出荷がなかった。だが、16日には長島側から連絡船を使って出荷する農業者も増えているという。
郵便物の配達にも支障が出ている。本来なら配達員が室津にある上関郵便局で配達物を仕分けしてバイクに積み込み、橋を渡って長島側の配達をしている。しかし橋が通れないため、朝一番でバイクを船で長島側に運んで配達をする。追加の配達物がある場合は、配達員が室津の郵便局まで戻って配達物を船に積み込んで長島側まで運び、再び配達をおこなっていた。
突如発生した緊急事態に対し、町民の生活をサポートするため、両岸では町職員が早朝から夜まで奔走している。臨時連絡船は朝6時から運行を開始するため、その前から職員が複数人で波止場で案内をおこなっている。そして30分おきに港に到着する連絡船の係船作業なども担い、夜10時までの連絡船の安全運行をサポートしている。また、室津港の広場の駐車場の交通整理なども朝から夜まで交代で町職員が対応している。その他にも連絡船を30分間隔で運航する船員もほぼ休みなく町民の安全な移動をサポートし、港で船から降ろす荷物が多いときは、下船した町民たちが自然と荷物運びを買って出るなど、全員で支え合いながらこの急場を乗り切ろうとしている。
全国の橋、9年後には建設後50年が5割超に
橋がなぜ20㌢も突然ずれたのかについては原因がわかっていない。橋本体にひび割れなどの重篤な損傷は見られず、県も「橋そのものの強度は保たれている」としているものの、専門家も「初めて見るケース」と指摘しており「このままで本当に大丈夫なのか」という心配の声もある。しかしそれでも島内では「とにかく片側でも通れるようにしてほしい」という声が強く、改めて島内に暮らす人々にとって上関大橋が重要な生活インフラであることが再認識されている。
上関大橋は、1966年に着工し、1969年に完成。延長220㍍、歩道も含めた幅員は8・8㍍となっている。2006年に最初の補強工事がおこなわれ、以来6回の補強工事と、5回の補修工事がおこなわれている。直近では2012年に桁の表面保護(補修)と、桁のコンクリート増厚・繊維シートの貼り付け(補強)をおこなっている。
また、国交省が全国72万ある橋梁について5年に1回の近接目視による点検を道路管理者に義務づけていることから、上関大橋では2011年と2017年に点検をおこなっており、健全性についての評価は「構造物の機能に支障が生じてないが、予防保全の観点から措置を講ずることが望ましい状態」である「予防保全段階(Ⅱ)」とされていた。
国交省の発表資料によると、全国に約72万ある橋のうち、建設後50年を経過した橋の割合は2019年時点で27%だが、9年後の2029年には52%となる。また、約72万橋のうちの7割以上となる約51万橋が市町村道にある。市区町村が管理する橋で、老朽化などが原因の通行規制等の推移を見てみると、全国で862カ所だった2008年に比べ、10年後の2018年には2645カ所とその数は3倍にまで急増している。
今回の上関大橋の通行止めによって大混乱となっている長島のように、一本の橋で住民生活がつなぎとめられている地域が全国各地に存在する。このようなトラブルをくり返さないためにも、住民の生活にかかわる重要なライフラインとしての橋やトンネルなどの公共インフラの保全・維持が全国的に重要な課題となっている。