いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

全国ワースト4位の人口減少 寂れるばかりのお膝元・下関 急ピッチで進む学校統廃合

 下関市教育委員会の諮問機関「下関市立学校適正規模・適正配置検討委員会」が8月、小学校を現在の44校から33校へ、中学校は23校から22校に、小中一貫校への移行も含めて統廃合する案を答申した。第三期基本計画の策定に向けたものだ。少子化が進行し、児童生徒数がピーク時の4割ほどに減少するなかで学校規模の縮小が止まらず、統廃合の道を選択せざるを得ない地域も増えつつあり、下関は子どもがいない町、学校が消えていく町へと衰退の道をたどっている。「消滅可能性都市」といわれた中山間地域や小規模な自治体が地道な町づくりや産業振興によって人口増加に転じつつあるのと比較したとき、「歴代最長」の首相お膝元ではこの20年あまりのあいだ箱物投資や不動産開発、観光客誘致に力が注がれる一方、産業政策や地に足のついた町づくりが後手後手に回ってきたことが少子高齢化に歯止めをかけることができない状況を生み出しており、本当の意味での地方創生策をうち出すことが切実な課題となっている。

 

 下関市で市立小・中学校の「適正規模・適正配置計画」(=統廃合計画)が初めて策定されたのは2009(平成21)年。それ以降これまで、豊田東中・豊田西中学校の統合、殿居小・豊田中小の統合、神田(南)小と桜山小の統合がおこなわれ、豊北町内では神玉小・神田(北)小・二見小・田耕小・角島小・阿川小の6校が順次閉校して、豊北小学校一校に統合された。合併後の豊北町の人口減少の急激さを物語るものでもあるが、同様に旧市内でも少子高齢化が進み学校の小規模化が進んでいる。

 

 

 第三期基本計画(令和2~6年度)の策定に向けた今回の答申では、「適正規模」の基準である「12学級~24学級」に満たない小学校29校、中学校15校を検討対象とし、優先対象校として小学校は宇賀、室津、小串、豊田中(今年度いっぱいで閉校)、豊田下、楢崎、吉母、内日、吉田、関西、本村、名池、王江、桜山、養治の15校を、中学校では名陵、文洋、玄洋、向洋、内日、吉見、木屋川、豊田、豊洋、豊北の10校をあげている。

 

 統合モデルを12パターン示しており、再来年度に開校予定の王江小・名池小・名陵中の小中一貫校を皮切りに、市内で八つの小中一貫校を設置することなどを提案している。

 

 とくに小学校は、各地域コミュニティの核となっている側面も強く、統廃合が地域に与える影響は大きい。学校の歴史は地域の歴史そのものである場合も多々ある。しかし、産業の衰退のもとで少子化が進み、旧市内でも一クラスの人数が一ケタ台といった学校も出てきており、子どもたちの成長のためにも、友だちと切磋琢磨できる環境にしてほしいと望む保護者の声も強まっている。そうした保護者の声と子どもたちの成長を考え、やむなく統合の選択をする地域の人々からは悩ましい思いも語られている。

 

 

少子化で部活動も縮小

 

 小規模化が進むと、「入りたい部活動がない」という理由や、「人数の多い学校に行かせたい」という保護者の思いから校区外通学をするケースが増えていき、さらに小規模化が進むという悪循環に陥るのだと、学校関係者や地域の人々は語っており、母校が惨憺たる状況に陥る前に、区切りをつけて閉校する道を選んだ地域もある。

 

 旧市内のある地域住民は、「うちの地域(自治会の班)は子どもがゼロだ。登校する子どもの姿を見ることもなくなった。大半が一人暮らしの高齢女性で、夫婦で住んでいる高齢者すら少ない」と話す。隣の地域も子どもがいない。こうした「子どもがいない町」は全市的に拡大している。

 

 下関市は山口県下最大の都市でありながら、全国的に見ても突出して人口減少・少子高齢化が進んでいる。人口増加を続けたのは戦後から1980(昭和55)年までで、32万5478人をピークに減少に転じ、40年にわたり減少が続いている。豊浦郡四町との合併時(2005年)には「30万都市」をうたっていたものの、2010(平成22)年には28万947人となり、2015年の国勢調査では26万8517人に、そして2020年7月末現在では25万4244人となっており、25万人を割り込むのも時間の問題となっている。2015~2020年の5年間を見ると、平均して1年に2800人以上ずつ減少している計算になり、5年ごとに減少のスピードが上がっている。

 

 今年が国勢調査の年だが、前回(2015年)の国勢調査では、人口減少数の多い市町村で東日本大震災の被災地(石巻市、南相馬市)を除くと実質ワースト4位だった。

 

 人口減少が急激に進んでいるのは、長年にわたる若い世代の流出だ。社会減は70年代から一貫してマイナスが続いてきたが、78年まではそれを自然増でカバーできていた。だが、山口県内や北九州市などの近隣都市や都市部に若い世代が出ていく状況が積み重なり、出生数が低下して社会減をカバーできなくなった。2000年に高齢化率が21%をこえ、全国より10年早く超高齢化社会に突入している。

 

 旧四町のうち豊北町の高齢化率が54・6%と半数をこえているほか、豊田町48・3%、豊浦町43・0%、菊川町38・7%と、旧四町の高齢化率は深刻なものがあるが、同時に中心市街地である本庁地区も37・4%、工業地帯である彦島地区も39・0%にのぼるなど、中心市街地をはじめとする旧市内の少子高齢化も深刻で、これらを校区とする学校の小規模化が進んでいる。

 

 商業地域である唐戸や豊前田地区、オフィス街だった細江町など中心市街地を校区とする名陵中学校もその一つだ。同校は1948(昭和23)年に下関市立第三中学校として開校しておよそ70年の歴史を持ち、1955(昭和30)年のピーク時には1961人の生徒がいた。卒業アルバムをたどると、ピークから10年後の1965(昭和40)年の3年生は10クラスあり、部活動も17の文化部のほか、野球、バスケ(男女)、角力、バレー、サッカー、柔道、陸上、ダンス、卓球など12の運動部が活動していた。

 

 その後の経過をみると

 

 1984(昭和59)年…4クラス、文化部5、運動部9

 

 1995(平成7)年…3クラス、文化部4、運動部10と、1学年のクラス数の減少にともなって部活動も縮小してきたことがわかる。

 

 今年度は全校で6クラス(1学年2クラス)で生徒数は119人。ピーク時の10分の1以下にまで減少し、文化部は吹奏楽部と美術部の二つ、運動部は男子は野球部かテニス部、女子はバドミントンのみとなった。バスケットボール部も廃部の予定だ。同校は来年度いっぱいで閉校し、名池小学校・王江小学校と統廃合して小中一貫校としてスタートする準備が進み始めている。

 

 下関駅裏側の新地地区などを校区とする文洋中学校もピーク時(昭和37年)には2790人の生徒が在籍し、向洋中学校もピーク時(同年)は2304人といずれも2000~3000人規模のマンモス校だったのが、現在では100人台と10分の1以下の減少となっている。

 

 地価が高いことや、車が入ることができない高台が多いことなどから、若い世代が王司、清末、川中、伊倉、安岡など郊外に造成された住宅地へと出ていった側面もあるが、大規模校となったこれらの学校も児童・生徒数が増加し続けているわけではない。

 

 かつての中心市街地を知る住民は、「下関は水産都市として栄えていたこともあり、西日本の拠点として大手メーカーなどがたくさん支社を出していた。しかし、ある時期から次々撤退していき、今では福岡や広島に支社を置いて、営業マンが回ってくる程度の扱いの町になってしまった。郊外に住宅地が整備され、若い世代がそちらに流れたことも寂れた原因でもあるが、市全体として人口が減少しているのは産業の衰退が一番の原因だ」と指摘する。

 

産業衰退が一番の原因

 

 下関市の児童・生徒数のピークは、小学校では昭和56年の3万1539人、中学校では昭和61年の1万5629人で、それ以降は減少の一途をたどってきた。令和元年5月1日現在で、児童数1万2288人、生徒数5774人となっており、ピーク時と比較すると、児童数で39・0%、生徒数で36・9%と、いずれも半分以下まで落ち込んでいる【表参照】。

 

 

 学級数を見てみると、小学校はピークの昭和57年に856学級、中学校は昭和62年に385学級あったが、2019年5月1日現在は、小学校485学級、中学校196学級となっており、ピーク時と比較すると小学校で56・7%、中学校で50・9%と、半分ほどになっている。下関市は35人学級を推進しているため、児童・生徒数ほど減少していないものの、半分ほどまで減少している。

 

 検討委員会の資料によると、一校当りの平均児童生徒数は、平成30年5月1日現在で小学校253人、中学校261人で、中核市のなかでも下から5番目となっており、学校の小規模化が他自治体と比較しても顕著であることがわかる。今後の児童生徒数はひき続き減少が見込まれており、令和7年度で児童数1万655人、生徒数5258人と推計されている。今のところ増加する見通しはない。

 

 「地方創生」を叫ぶ歴代最長の首相のお膝元は、その出世とともに衰退の一途をたどっている。「8年間いったい何をしてきたのか」という思いがさめざめと語られている。現状では学校の統廃合もやむを得ない現状があるが、学校をつぶしてコストカットをするだけで、一方の地域振興策がなければ、さらなる地域の衰退をもたらすだけで終わることは明らかだ。現状を直視し、少子化の最大の要因である産業の振興にどうとりくむのか、若い世代が子どもを産み育てたいと思う町をどうつくるのかが問われている。

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。