いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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12年で進行した岩国の軍事要塞化 市民から遊離した消化試合のような市長選 記者座談会

 極東最大規模の米軍基地を抱える山口県岩国市は、1月26日に市長選の投開票を迎える。現在のところ立候補予定者は、4選を目指す現職市長の福田良彦(自民・公明推薦)と新人の米重政彦(共産・社民推薦)の一騎討ちという構図だが、誰がどう見ても選挙戦は白けきっている。2008年、当時の安倍政府による補助金凍結という経済制裁で、厚木からの空母艦載機部隊移駐に否定的な市長の首をすげ替えて福田市政が生まれてから12年――岩国基地は沖合に1・5倍に拡張されただけでなく、新たに愛宕山も米軍住宅として奪われ、海側も山側も米軍に占拠される異様な変貌を遂げてきた。この間、岩国を舞台になにが進行してきたのか、そして政党政派をこえた全市民的なたたかいとして盛り上がった運動がなぜ衰退し、この局面を打開する課題はどこにあるのかについて記者座談会で論議した。

 

愛宕山に建設された262戸の米軍住宅

  今回の選挙戦そのものへの市民の関心は薄い。「消化試合」「事実上の無投票」といわれ、両陣営とも一部の政党関係者が動いているだけで積極的に市民に働きかけている様子もない。告示まで一週間を切っているのに政策チラシも見たことがないという市民も多く、かつてない白けムードが漂っている。双方とも相手にされておらず、市民から浮き上がっている印象だ。


 そもそも4選を目指す現職に対する反発は強い一方で、対抗馬が「共産」の党職員で、しかも広島から連れてきた人物であるため、市民からすれば「誰だ?」というレベルだ。似たような構図の前回も投票率47・49%(過去最低)という前代未聞の低調選挙だったが、今回はそれに輪を掛けた無風ぶりだ。岩国市長選といえば、これまで艦載機移駐や愛宕山への米軍住宅建設問題をめぐり「郷土を米軍に売り飛ばすな」という党派をこえた市民世論が地元代表者を押し立ててたたかわれてきたが、これらの運動に乗っかってきた一党一派が市民の運動を小集団の利害に収斂(しゅうれん)させて、市長選にかこつけて「我が党」の売り込みをやっているような印象だ。「これでは選挙になりようがない」「選挙の形になっただけで、せいぜい市議選の名簿集めレベルにしかならない」と市民は眉をひそめている。


  選挙構図だけを見ると話にならないという受け止めだが、このような右からの強権政治と「左」の裏切りという政治的な仕掛けのもとで、岩国では米軍による街の乗っとりが急速度で進行してきた。市民の問題意識は「どちらの候補を支持するか」といった政党レベルの争いに収斂されるようなものではないし、この市長選の結果云々でどうこうなるものとは誰も考えていない。岩国市政をめぐる経過と現状について全市民的な認識を共有して下から運動を立て直さなければ始まらないというのが多くの市民の実感だ。

 

市民を騙して「米軍ファースト」 愛宕山も米軍基地化

 

米軍住宅には新たなゲートが設置され一般車両は通行できない

  福田市政が登場して12年になるが、この間の岩国の変貌ぶりはすさまじいものがある。「騒音防止のための沖合移設」を口実に始めた基地の埋め立てによって米軍基地は1・5倍に拡張され、岸壁は空母も接岸可能な水深13㍍まで掘り返した。兵舎や格納庫、管制塔、学校、商業施設など基地内施設の約7割がリニューアルされ、総事業費は6000億円をこえ、被災地復興やオリンピック並みの国費が注がれてきた。返還予定だった敷地は返されず、基地面積は横田基地を上回る。


 原子力空母ロナルド・レーガンの艦載機60機の厚木からの移駐、最新鋭のF35Bステルス戦闘機16機の配備などがこの数年で急速に進み、戦力でも嘉手納基地をしのぐ極東最大規模となった。さらにステルス戦闘機F35B16機の追加配備を今年10月から開始することも明らかになっており、現在の配備機と合わせると32機へと増強される。地元への説明は一切なく、完全な頭越しだ。


 さらに、埋め立て土砂を削り出した愛宕山開発地につくる予定だった「病院や学校を兼ね備えたニュータウン」は赤字を理由に廃止し、「第二の夕張になる」と騒いだ挙げ句防衛省が買収し、現在は将校用の米軍住宅262戸が建ち並ぶ「Atago Hills(アタゴ・ヒルズ)」へと変貌した。一戸あたりの建設費は約9000万円といわれ、地下シェルターまで完備されているといわれる豪華なものだ。ゲートには警備員が配置され、周囲を囲むフェンスには「オフリミット(立ち入り禁止)」の看板がかけられた完全な米軍基地だ。


 この米軍住宅から岩国基地へ直結する道路はいち早く整備されたが、市街地全域にアクセスしやすい立地のよさを売りにして新設された国立岩国医療センター、消防防災センターなどの緊急車両は米軍住宅内の道路を走ることはできない。「市民のため」といって税金でつくられた宅地も道路もみな米軍が接収した。


  その他、愛宕山には艦載機受け入れの見返りとしてつくられた野球場「キズナスタジアム」やサッカー場などもすべて米軍施設であり、愛宕山一帯ははじめから米軍の街にすることを前提に開発したものだった。「騒音軽減」といって基地を沖合拡張し、「夢のニュータウン建設」といって愛宕山開発をやったが、その後から米軍再編による厚木からの艦載機部隊の移駐計画が浮上し、戦闘機だけで130機以上に増えて騒音は増加したあげく、愛宕山まで米軍用地として奪われた。基地人口は、軍人・軍属を含めて1万人規模に膨れあがり、旧市内人口の1割をこえる。「はじめから米軍の計画があり、すべては市民を騙すための仕掛けだった」というのが市民の共通認識だ。


  最近でいえば、愛宕山にあったゴミ焼却場を米軍基地北側に隣接する日の出地区に移転させた。焼却施設は築20年にも満たず、まだまだ使えるものだったが、米軍住宅の建設にともなって「米軍がゴミ焼却場の煙を嫌がる」ということで「施設の老朽化」といい始めた。新施設は岩国市の北端で立地の面からも利便性とはほど遠いうえに、高台にあったものをわざわざ海抜の低い海岸端に移すため水害や台風などの災害時には近づけなくなることが市民の多くから指摘されていたが、隣接する米軍基地から出る膨大なゴミを一手に引き受けるには都合がいいのだ。事業費280億円の75%を防衛省の補助金で賄い、残りが市の負担となったが、総合評価方式でおこなわれた入札では市幹部のテコ入れで競合した業者よりも30億円高い横浜の業者に落札させるなどして物議を醸した。


 市政もまちづくりも中心は米軍であり、市民の頭越しですべてが決まる。「基地の街」ではなく「街を基地」にする要塞都市化だ。そのうまみを吸い上げていくのが防衛省絡みのゼネコンや県外資本というのも定着している。

 

   
  基地周辺の川下地区では、南バイパスから住宅地のど真ん中を抜けて米軍基地正門に一直線に抜ける都市計画道路「楠中津線」を整備するために多くの住民を立ち退かせた。幅22㍍の道路で川下地区は南北に分断されることになる。それに連結して愛宕山の下を通る南バイパスは由宇まで伸ばし、東は大竹までつなげて高速道路と連結させる計画だ。これらの道路網は有事の際には、国道188号線の混雑を避けて移動するための米軍専用道路に簡単に変わる。


  立ち退きをめぐって「家が古いため補償金もわずかで、新たに家を買うこともできない」と頭を抱える住民も多い。「当初は救急車や消防車などを通すためといっていたが、なぜ人口が減っている地域にこれほど大規模な道路が必要なのか。すべて米軍のための道路だ」と語られる。基地に隣接する川下地区は歴史的に基地への反発の強い地域だが、高齢化や貧困化につけ込んで一気に進めている印象だ。


  また基地南側の通津には、防衛装備庁が艦艇装備研究所を新たに建設している。艦船や潜水艦の高速化や耐衝撃性の強化、海中での音波受信の研究などを進めるもので、わざわざ東京から移設する。岩国では海中の環境を再現する1万1550立方㍍の大型タンクをつくり、シミュレーション装置を使って官民が連携して水中ドローンの研究開発をおこなうという。他国を攻撃する新型兵器開発の拠点であり、これも岩国の軍事要塞化の一環だ。


  滑走路の時間外運用についての情報公開の方法も、米軍と海上自衛隊のどちらが飛行したのか区別できない形式となった。これまでは時間外飛行する場合は米軍と海上自衛隊それぞれが市に通知していたが、2018年9月からは、自衛隊が使う場合も米軍が通知する形に変え、運用期間も「およそ一週間」「しばらくの間」など適当なものになった。無通告の時間外飛行も増え、昨年5月、FCLP(陸上空母離着陸訓練)を硫黄島でおこなったさいには、岩国基地でも光学着陸誘導装置を使ってタッチアンドゴーをおこなうなど訓練も実戦さながらのものになっている。


  厚木や横田よりもより北朝鮮や中国に近い場所にこのような最前線の出撃拠点ができたということだ。普天間基地の「辺野古移設」といって国民の目を釘付けにする一方で、岩国の大増強計画は米軍の要求通りにノンストップで進んできた。市長も市議会も「アメリカ・ファースト」の追認機関となり、米軍は岩国まるごと「自分たちのもの」と見なしている。

 

米軍正門につながる楠中津線を整備するための立ち退きが進む(川下地区)

ミサイル標的が現実的に 人口は著しく減少

 

  基地が大改造される一方で、市内は寂れて人口減少もすさまじい。10年前までは15万人いた人口は今年1月時点で13万1590人になり、近年は年間約2000人ペースで減少している。若年層が市外に流出するなかで高齢化率も10年前の27%から35%と拡大し、いまや3人に1人が65歳以上の街となった。福田市政は「子育て日本一」といって米軍再編交付金による給食費や児童医療費の無料化を「アメ」としてバラ撒いてきたが、若年層の雇用の受け皿である産業の衰退が進み、「そもそも子育て世代が地元に残ることができない」といわれる。


  基地内の民間空港や駅舎が新築されたが、駅前商店街はシャッター通りで閑散としている。商店主の間でも「いくら米軍関係者の人口が増えても、円高のうえに基地内にスーパー(PX)から飲食店、ボーリングなどの娯楽施設まで何でもあるので、市内にお金が落ちることはほぼない」「多額の交付金が注がれながら、これほど貧乏な街はない。商店やスーパーが減り、市街地でも買い物難民が生まれている」「商店街にも県外チェーンの居酒屋が増え、わずかな利益も県外へ吸い上げられていく。道路工事をしている業者も作業員は県外、市外から来てビジネスホテルに宿泊している。地元タクシー会社はどこも運転手不足が深刻で、電話予約もままならなくなった」「駅前再開発も出資元をめぐって二転三転したが、開発が終わるころには商店街が生き残っているのかも危うい」と語られる。期限付き、ヒモ付きの基地交付金と引き換えに失ったものは大きい。


  岩国は昔から日本製紙、東洋紡、帝人、三井化学などの工場が建ち並ぶ工業地帯だったが、米軍基地増強と要塞都市化が進むなかで工場閉鎖や縮小があいついできた。米軍機飛行のための高度制限で帝人の煙突が切られたのは有名な話だが、岩国港も軍港として米軍事物資の搬入に使い始め、商業港としての性格は薄れつつある。かつて6000人いた帝人は数百人規模になり、「山陽パルプ」時代から市内最大の企業だった日本製紙は家庭紙工場を閉鎖した。市のもっとも有益な土地を米軍基地が占拠し、街全体が軍事基地としての性格を強めるなかで、いつミサイルが飛んでくるかわからないような物騒な場所で安心してものづくりなどできるわけがない。基地と産業の「共存」など不可能であることを物語っている。


 B 最近は基地の大規模化にともなって基地内の仕事を受注する業者が増えたといわれ、市内でも「基地内従業員募集」の看板を目にするようになった。「年齢を問わず雇ってもらえるので年金暮らしのお年寄りでもベースに働きに行く人が増えたが、基地内では英語ができるフィリピン人の方が待遇がよく昇級していくのに比べ、日本人は掃除の仕事が多く、なかなか正規の従業員にはなれない」「基地内では学校でも掃除をする習慣がなく、子どもが食べ物をこぼしたり、汚したりするとすぐに呼び出される」「米軍施設は夏は冷房、冬は暖房を24時間付けっぱなしだ。すべて税金だと考えると頭にくる」と語られている。軍事的にだけでなく経済的にも基地に縛り付け、基地の労働人口を確保している関係だ。


 また川下地区では、基地外に住居を求める米兵のために家を貸し出す業者が増えており、「上級クラスの米兵は家賃補助が出るので月15~20万円でも家を借りる。この税金つかみどりを狙って住宅メーカーなどが土地を買いあさり、米兵相手の不動産ビジネスを始めている」「数億円かけて整備した愛宕山の米軍住宅は、周辺に商業施設もないため入居率が低い。そのためアクセス道路をつけ、近くの西岩国駅周辺を再開発している。米軍住宅の住環境を整えるためだ」と語られていた。


  だがこの間のイランとの緊張激化を受けて、基地ゲート入口でのチェックは厳しくなり、日本人は「テロ対策」の対象として身体検査や手荷物の検査などが入念におこなわれるようになったという。9・11テロ事件後も警備の兵隊が銃口を市民に向けて威嚇していたことが話題となったが、「同盟国といいながら市民は信用されていない」「占領者意識の本性丸出しだ」と語られていた。福田市長は「基地との共存」「隣人とのフレンドシップ」などといっているが、そもそも相手にそんなつもりはない。軍事力で奪いとった基地であり植民地なのだ。有事には米軍の軍事拠点として市民も含めてミサイルの標的にされる危険性があり、きな臭くなると米軍家族の本国帰還訓練を頻繁にやっている。市民などはじめから守る対象ではないのだ。


 川下地区の男性は「イラクも日本も同じ境遇だ。用心棒を名乗るならず者が、一番いいところを陣どり、危険を煽って緊張感をつくり出すたびに軍需産業を潤わせるために高い買い物や負担金をせびられる。挙げ句の果ては軍事要塞として標的になる。岩国だけでなく日本全体が喉元にピストルを突きつけられている状態だ」と語っていた。

 

米軍支配vs全市民 重要な沖縄の教訓

 

艦載機部隊の移駐阻止を掲げて開かれた1万人集会(2007年12月、岩国市)

  岩国では2006 年、艦載機移駐の是非を問う住民投票(投票率58・68%)がおこなわれ、約9割が反対に投票するなど米軍支配に対する市民の頑強な意志を突きつけてきた。2007年には、艦載機移転の容認を迫り、建設中の市庁舎補助金を凍結した国に対して市内各地から一万人の市民が錦川河畔に集まって怒りの声を上げた。当日は街中の家々から歩いてくる人たちが群衆となって押し寄せるほどの一体感に満ちていた。


 2009年には愛宕山の米軍基地化に反対する署名が10万人をこえて集まった。その運動は、日本全土の植民地化を強める米軍の横暴に対する全国の怒りを共有したものであったし、郷土を好き勝手に蹂躙する米軍支配の民主主義破壊に抗う固い決意にもとづいたものだ。既存の政党・党派の枠にとらわれたものではなく、むしろ動きの鈍い政治家や政党を市民の力で突き上げて引きずってきた関係だ。国政選挙でも幾度となく自民党候補を叩き落としてきた。


 この市民の下からの世論の高まりが、当時の井原市長をして「艦載機受け入れ反対」を表明させ、米軍支配vs全市民ともいえる一大運動を形づくっていた。岩国の軍事拠点化は、この運動をつぶすこととセットで進行してきた。


 B 岩国では歴史的に、敗戦後の米軍の土地とりあげに対して川下の農民と労働者や教師が団結してたたかったし、全国から米兵相手の娼婦が集められ植民地的退廃の子どもへの影響が深刻になると、教師や父母たちの子どもを守り平和の担い手に育てる教育運動が発展した。盆踊りに乱入して女性に乱暴しようとした酔っぱらい米兵たちを青年団の若者たちがボコボコに殴り倒して制裁を加えたり、弾圧に駆けつけた米軍は住民全員が立ちはだかって追い返すなど、はじめから「ご無理ごもっとも」で米軍のやりたい放題を開けて通してきたわけではない。沖縄と同じように軍事支配に抵抗してきた歴史があり、いうといわずと市民のなかに誇りとして脈々と受け継がれている。


  だが、その積年の怒りを結集した運動に押し上げられて政権をとった民主党が「艦載機移転容認」の大裏切りをやり、さらに「日共」集団などが「我が党」の旗を振り回して運動に政党利害を持ち込み、多くの市民を運動から追い散らしたのがこの間の経過だ。基地反対がそのまま政党支持者になどならないのは当たり前で、政治的立場の違いをこえて結束してきたところへ運動に党派の利害代表者が指揮棒を振るって前面で号令をかけ始めたらぶち壊しになる。それがわかっていて「わが党の運動」にしてしまい、全市的にたたかってきた基地反対運動を愛宕山の座り込みや「騒音訴訟」など利害関係者だけの運動に切り縮め、誰もついていかないものに変質させた。そのあげく前々回の市長選では別に票割り候補を立てて福田市長の再選を助けるなど、極めて悪質であり、市民のなかではすっかりその裏切り体質が見抜かれている。


 この期に及んで、上から「野党共闘」「市民との共闘」などというが、その野党がそもそも市民から完全に信頼を失っている。「市民の味方」のような面をして、全市的に盛り上がった市民の運動を鎮静化させた功労者として、福田市政にとっては他に類のないパートナーとみなされている。「草の根ネットワーク」をやっていた井原元市長も今では影を潜め、存在感を失って久しい。


  同じく米軍基地支配と対峙する沖縄でも同じような苦難をくぐって現在の「オール沖縄」のたたかいにたどりついている。いわゆる「革新」系の縄張り争いのような運動ではなく、経済界や保守層を巻き込んで「イデオロギーよりアイデンティティ」を合言葉に島ぐるみのたたかいを挑んでいる。もともと自民党県連会長だった故翁長知事もだが、呉屋守将会長をはじめとする経済界の重鎮が舵をとり、政治的立場をこえて「県民が主人公」という立場で是々非々で対応する。


 近年の沖縄の島ぐるみの運動では、唯我独尊の自己主張で市民を説教したり、政党の主義主張を押しつけるような古い体質を排し、選挙戦での街頭集会や決起集会でも国政野党の代表者などの演説はやらせず、政党や団体の旗は立たせないように徹底している。選挙ビラなどの宣伝物も政党色の強いものは排除して、県民組織である「うまんちゅの会」で統一した。先の知事選の県民大会でも、どんな政党の幹部であろうが特別扱いはしなかったし、外部からの応援部隊は水面下に撤するよう徹底するなど、基地反対で結束する県民のたたかいを「保守vs革新」や「与党vs野党」などの構図にして有権者をカヤの外に置きざりにするようなことをしなかった。だからこそみんなが安心して参加できるし、圧倒的な民意を結集しうるものになる。


  名護市長選や沖縄県知事選、そして岩国市長選にしても、米軍基地支配と絡む選挙はいつも「東京司令部vs県民、市民」のたたかいだ。しのぎを削る厳しいたたかいになればなるほど、金融機関、各種業界団体などの集票組織を上から締め付け、創価学会などの宗教団体が暗躍し、電通までかかわったデマ宣伝や誹謗中傷によるCIAばりの情報戦、さらに現ナマまで露骨に飛び交う熾烈なものになる。岩国では首相が米軍再編に従わない地元に経済制裁まで加えて、従順な市長へと首をすげ替えたが、そのえげつなさは岩国でも沖縄でもみんなが経験していることだ。


 このような金力・権力をフル動員した圧力に勝利するためには、県民・市民が主人公であるという運動の質を保証しなければならないし、運動主体が政党や集団の党利党略を捨てて全市民の利益を代表し、利害や私心を捨てて市民のために奉仕する立場に立たなければ機能しない。自分たちが主人公になって「我が党についてこい」の自己宣伝をくり広げ、有権者の頭越しの空中戦をやるなら簡単に足元をすくわれてしまう。これは国政についてもいえることで、これほど国政与党への国民的な憤激が渦巻いているのに、選挙になれば野党がいつも風前の灯火であることとも関係している。


  沖縄の教訓に学ぶことは「オール○○」とか「○○共闘」とかの飾り文句を真似ればいいというような小手先の話ではない。辺野古新基地建設をめぐっても、名護市長選で敗北し、翁長知事が逝去し、裁判所が国策判決を出すなどオール沖縄勢力が劣勢に立たされるなかで、一部の革新系だけの運動にするのではなく、県民投票を仕掛け、運動の舵を県民の手に委ねながら島ぐるみの世論を喚起して知事選に向けた新しい局面を切り拓いていった。上からの圧力が強まれば強まるほど、諦めるのではなく、より深く県民のなかに入り、県民の力に依拠して情勢を転換するように導いてきたことも教訓的だ。


 岩国市民の怒りはかつてなく充満しているが、運動として表面化させていくためには党派党略による妨害や市民を結束させない仕掛けを乗りこえて、幅広い市民世論を束ねて導いていく政治勢力なり、新たな運動のシンボルを押し立てることが求められている。諦めたら街全体が米軍の要塞にされ、ミサイルの標的にされるという境遇は沖縄と同じだ。岩国の現状を「日本全国の縮図」として発信していく必要があるし、下から地に足の着いた運動が始まるなら、沖縄をはじめとする全国、同じ保守王国の山口県内で生活基盤に根を下ろして「郷土をミサイルの標的にするな」とたたかっているイージス・アショア配備計画に反対する阿武町民など全県民の思いと響きあって、新しい局面が切り拓かれることは疑いない。

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