山口県で、全県の漁業者の反対を押し切って山口県漁協を発足させてから10年余りが経過した。信漁連が抱えていた100億円超の負債を解消すると称して、当時58あった沿岸の漁業協同組合を一つにまとめ、浜から「協同組合」を剥奪するものだったが、案の定、10年たってみて山口県の水産業は衰退を極めるものとなった。そのなかで最近、豊北町では合併時に冒した無理がたたって、支店関係者が飛び上がる金銭トラブルが発覚している。あの合併がどのようにして実行されたのか内幕を暴露するものとして関心を呼んでいる。
今になって動かせぬ事態に
山口県漁協豊浦統括支店(豊北町漁協と豊浦町内の漁協が合併)で昨年末、豊北町漁協時代に組合長(県漁連副会長)を務め、その後は山口県漁協の理事にも就いてきた男性が突然「漁協と手を切る!」と腹を立てて役員を降り、今年3月で漁協を脱退すると宣言して物議を醸した。「どうしたのか?」「組合までやめなくてもいいのに、なにがあったのだろうか?」と周囲は驚いたが、すでに脱退届も提出していた。関係者に取材したところ、男性と豊浦統括支店とのあいだで金銭トラブルが起きており、腹を立てた男性側が「漁協とは縁を切る」といっていることがわかった。以前は豊浦統括支店のトップをしていた男性が、その支店との間に難しい金銭トラブルを抱えているのである。
騒動の発端となったのは、2008年11月、豊浦統括支店(旧豊北町漁協)の女性職員が合併前から8年以上にわたって組合員の預金や積立金など計7300万円を横領していたのが発覚したことだった。これをめぐって、山口県漁協と豊浦統括支店に監督責任が問われ、豊浦統括支店には3000万円の返済義務が生じた。当時の支店運営委員長たちや豊北町漁協時代の役員たちはみな驚き、3000万円をどのように処理するのかが注目された。しかしごく少数のなかで粛粛と処理は進み、多くの人人は誰がどのように3000万円を負担したのか知らないままだった。当時の役員の1人は「役員だった自分たちも、一定の額は出さなければならなくなるだろうと覚悟はしていた。しかし話しあいもなく、結局どうなったのかわからない」と語っていた。
ところがこの間明らかになったのは、その3000万円の大半を合併前の豊北町漁協の組合長だった男性が個人借り入れをする形で返済に充てていたこと、そして豊浦統括支店が男性に対して返済していく体裁をとって“解決”としていたことだった。男性は責任者だった立場から県1合併に際しても破格の増資に応じて1500万円もの漁協出資金を持っており、それに加えて預金なども含めてみな担保にして3000万円に届くほどの金額を借り入れていた。しかし支店経営の悪化から返済が滞り、本来自身の蓄えであるはずの預金も自由に動かせないなかで今回のトラブルになったようだ。
合併後は支店ごとの独立採算となり、赤字については支店で解決しなければならず、黒字は県漁協に吸い上げられる体制になった。統括支店が返済資金をひねり出すのが困難であることは歴然としていた。出資金を担保にするという行為は本来、水協法でも禁じられている。しかし、禁じ手とわかったうえで欠損金の穴埋めをやり、目先の困難を先送りにした。そして、老い先どれだけあるかわからない老後の資金までが人質になって、どうにもし難い状況になっているのである。統括支店でこのような資金繰りがおこなわれていることについて、監督官庁である県水産行政が知らないはずはなく、いったいどのような指導をしていたのか? も問われている。
破綻わかった上で強行 組合員6割が脱退
山口県内の各浜で合併問題が大騒ぎになった2005年、豊北町でも圧倒的多数の漁師たちが合併に反対した。自民党林派が焦げつかせた信漁連の203億円もの負債の尻ぬぐいを全県の漁師に押しつけるものだったからだ。
この合併に不参加を表明する漁協があいつぐなかで、豊北町漁協では組合員の反対を押し切って参加を表明したのが当時組合長だった男性だった。
その結果、豊北町では811人いた正組合員のうち6割が脱退して351人にまで減少する前代未聞の事態となった。特牛は56人いた正組合員はわずか10人になり、島戸でも121人いたのが30人足らずとなり、粟野も126人いたのが50人足らずと、「漁村崩壊」を示す出来事だった。
そして脱退者続出にともなって狂ったのが、合併にともなう負担金・協力金で、残された若手や現業者に法外な割り当てが押しつけられた。豊北町漁協に課せられた増資割当額は約2億6000万円超、協力金割当額は約7300万円だった。さらに豊北町漁協は2億円余りの欠損金も抱えていた。この補填のために平均約30万円の出資金を半額(約15万円)に減資し、正組合員であり続けるためには新たに45五万円プラスアルファ、総額にして約60万円を組合員は増資なり協力金として負担しなければならなかった。それでも、お金は足りないと見られていたが、代表者が個人として1500万円もの出資金増資に応じて切り抜けていたことも、今回の一件でわかった。
男性はその後、功労者として山口県漁協でも理事の役職を得ていたが、多額の出資金にたいする論功行賞だったのか? という疑問にもつながっている。被害者であるか否かという問題よりも、破綻することがわかっておきながら突っ走った結果、起こるべくして起きた悲劇といえる。組合員が六割も脱退して経営基盤はいっきに崩壊し、貸借対照表の右左を差し繰って“解決済み”としていた「返済」計画までもが宙に浮いてしまい、いまになって代表者にブーメランの如く跳ね返ってきたのだった。個人借り入れは本人の意向で本人自身がやったというのが建前であり、かといって豊浦統括支店のトップの座を追われた現在、2700万円ものカネを人質にされる義理はないという関係のようだ。
今回の騒動が動き始めた昨年11月、男性とともに長い間役員を務めてきた豊北町内の運営委員長の1人が、何かを恐れるようにして慌てて運営委員長を辞めていった。この支店では運営委員長を通じて他の支店よりもたくさんの補助金事業を手がけており、それらを投げ出してまで辞めなければならない理由が何なのか、周囲は首を傾げた。わけがわからないまま事業を引き継がなければならない周囲も困惑気味で、何が起きているのか? と話題になっている。今回の騒動と無関係ではないと見られている。真相をみなに明らかにして解決すべき問題であり、浜の代表者らが組合員が知らない内部事情をこっそり抱えたまま、連鎖反応で放り投げしたのではたまらないと語られている。
借金押付け漁業を破壊 投機の具にする本店
2005年の合併以後、山口県の漁業は異常なまでに衰退してきた。1万756人でスタートした山口県漁協の組合員数は減少の一途をたどっている。5年後の2010年の1万4人からは一気に減少し2014年度には8274人(昨年度末現在)となっている。2006年と比較すると3000人以上の減少だ。これにともなって水揚げも減少し、苦境に置かれた多くの支店で効率化・受益者負担の緊縮政策がとられ、職員の削減やATM化、市場の口銭の値上げ、さらには補助金をあてにして国の事業を導入したり補償金に目がくらんだ海の切り売りがひどいものになった。
二井県政が県1漁協合併をゴリ押しして、信漁連欠損金の尻拭いを漁民に押しつけた結果、山口県内沿岸は常識では考えられないような漁業破壊が進行してきた。豊浦統括支店で今起きているようなことは氷山の一角でしかない。
県漁協幹部だった男性は、個人資産を1500万円もつぎ込んで出資金増資に協力した。この増資は他ならぬ信漁連の負債を穴埋めするためのものであり、男性が率先して肩代わりしたことになる。そして、その後は相応の地位も与えられたが、最後にはひどい目にあっている。信漁連問題の悲劇は続いているのである。
漁協合併というのが、たんに信漁連の欠損金を末端漁民に押しつけるだけではなく、それを利用して漁協をつぶし、とりわけ漁業権を奪って、漁業者の首をはね、沿岸漁業をつぶすものであったことは、祝島の漁業権剥奪問題、さらに響灘において県漁協幹部が洋上風力への売り飛ばしで旗を振っている姿を見ても歴然としている。漁業の外側から、つぶしてしまえという圧力が働き、後がどうなろうが知ったことではないという力によって押しつけられたものだった。
北浦はじめ各地で国の補助金を利用して高度衛生化市場を作る動きもあらわれているが、肝心要の魚をとってくる漁師が激減し、そのことによって水揚げが減少するだけでなく漁協経営も基盤崩壊で汲汲としたものになり、残された組合員に一層困難を押しつけるという悪循環に陥っている。そして、山口県漁協本店は投機的な者が支配的な地位に居座り、上関原発建設でも響灘の洋上風力発電でも、積極的に海の売り飛ばしをやっている。
こうした状況下にあって、水産業振興の展望を切り開くために下から組合員の力を結集して漁業破壊とたたかうこと、怪しげな経営体質の真相を暴いてまともな協同組合機能をとり戻すことが切望されている。