その地に宿る微生物の力
日本の食生活で味噌、醤油はなくてはならない基本的な調味料である。味噌の起源は、古代中国の「醤」(しょう)といわれ、1000年の歴史を持つ調味料である。味噌には豊かな地域性があり、全国各地でさまざまな味や食感、色の違いを楽しむことができる。今年1月に茨城県でおこなわれた「アンコウ祭り」で、下関のアンコウ鍋が人気を呼んだ。白菜やネギ、エノキなどたくさんの野菜に、アンコウの肝や皮まで余すことなく使った白味噌仕立てのアンコウ鍋で、上品なアンコウの出汁を引きたてる甘みのある麦味噌が人気を呼ぶ一つの要因なのだという。味噌は地元の「彦島みそ」の麦味噌が使われた。下関人には、甘みのある白味噌の味わいになじみがあるが、塩気の多い米味噌を使うのが主流な関東人にとっては珍しいという。このように味噌は地域によって原料も味も大きく違い、長い歴史のなかで地域の味が育まれてきた。
今回、彦島みそをつくっている有限会社マルイチ彦島醸造工場の常務取締役の日下初美氏に味噌の魅力について話を聞いた。同社は今年で創業65周年を迎える。日下氏は、味噌づくりの原点について「味噌づくりに人間が携わるのは仕込みの3日間だけで、あとは微生物の力を借りて発酵熟成をくり返す。原料は大豆、麦、米、塩。私たちは自然の力、大地の恵みをいただいている。仏教用語に『身土不二』という言葉がある。『身』と『土』は切り離せないという意味で、地元の旬の食品や伝統食が身体に良いということだ。味噌はその土地の気候風土によって材料が同じでも味が違う。地域でつくられたものを食べることが健康につながることを幼いころから食生活を通して学んでほしい」と語る。
全国シェアは米味噌が圧倒
味噌の原材料は、麹、大豆、塩だ。味噌は米味噌、麦味噌、豆味噌の3つに分かれている。主原料は大豆で、その大豆を発酵させるために米・豆・麦のどの麹を使うかで種類が変わる。米麹と大豆・塩でつくられたものは「米味噌」、豆麹と大豆・塩でつくられたものは「豆味噌」、麦麹と大豆・塩でつくられたものは「麦味噌」だ。
『食は県民性では語れない』(角川新書)によると、現在全国で製造される味噌は、米味噌が約8割を占め、麦味噌と豆味噌がそれぞれ5%ずつ、そして調合味噌が1割とするデータがある。麦味噌は実は全国でも九州と山口県と四国の一部しかなく、米味噌が圧倒的なシェアを占めている。
麦味噌が生まれたのは平安時代になってからといわれている。各地で稲作が盛んになると、米麹を使った米味噌が全国各地でつくられるようになった。しかし、九州地方は米がとれにくく、かわりに麦の生産が盛んだったため、麦を麹にした麦味噌がつくられるようになったと伝えられている。
麹の状態見極める職人の技
彦島みその原点は、今から800有余年前、壇ノ浦で破れた平家の落人が彦島に逃げのびて、恵まれた天然の地形と湧き出る清水によってつくられたといういい伝えがある。その味をひき継いできた「彦島の一二苗祖(彦島を開拓した人)」の末裔から、日下氏の祖父・一義氏(故人)が家に伝わる味噌づくりを習い、1949(昭和29)年に始めた。
大麦と裸麦と二種類の麦を使用しており、麦麹の割合が高く甘口で、麦特有の香りと旨み、舌ざわりがあるのが特徴だ。味噌製造工程を簡単に聞くと、まず大麦と裸麦を水に浸し、それを大釜で蒸して36度から40度に冷まし、そこに麹菌をまく。この温度が大事で、冷やしすぎても熱すぎても麹が働かない。約36時間かけて製麹し、一度ひっくり返して3日目には麦麹ができあがる。このさい、水温・浸漬の時間、温度や湿度、麹の状態などを見極めるのに職人の長年の経験による勘や技術が生きてくるという。
その麦麹と大豆、塩と種水を混ぜて2~3カ月の発酵熟成期間を経て、商品として出荷される。「彦島みそ」は本州の西の端の関門海峡に浮かぶ彦島という風土から生み出される味で、その甘みのある味噌は、あさりの味噌汁や豚汁と相性が抜群だという。「昔はみな自家製で味噌をつくっておりその家の味があった。家族にとって居間が居心地がいい場所だったように、味噌も居間に置いておけば居心地がよくなり美味しい味噌ができるといわれていた。味噌や醤油づくりは、醸造工場に棲み着いたその地の微生物の力を借りなければできない。だから同じ原料を使っても味が変わる」という。麦味噌は色も白や淡色であるが、北日本の寒い地域の米味噌は塩分を多く含み、熟成期間は1年と長いため色も黒っぽいのが特徴だ。
医者いらず―発酵食品の力
古くから日本では「味噌は医者いらず」といわれてきた。最近ではコレステロールの抑制、がんや胃潰瘍の予防、整腸作用とそれにともなう老化防止や美肌効果など、さまざまな働きが研究されている。日下氏は「戦後日本は、学校給食にパン食が入り食生活が欧米化してきた。今、食生活は乱れ、どこでも食べ物は買えるが添加物が多く含まれ、それによって健康にも悪く免疫力も弱まっている。私たちの生活のなかには味噌だけでなく醤油、納豆、キムチ、ワイン、ヨーグルトなど、人間がなしえることができない微生物の力によってできる発酵食品が数多くある。私たち人間は、生き物の力をいただいて生きているということを学んでほしいと、学校に出向いて子どもたちと伝統食材の味噌づくりもしている」と語った。また「カレーにはバターを入れるよりも、味噌の方がコクが出るし、チキンラーメンに味噌を少し入れたら味が劇的に変わる」という。味噌の可能性は広く、使い道は味噌汁だけにとどまらない。
普段、何気なく食べている「味噌」の物語から、日本の食文化の豊かさと奥深さ、また地産地消の大切さを学ぶことができる。