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シカの分布拡大と捕獲の課題 山口大学大学院准教授・細井栄嗣

 下関市をはじめとする山口県西部では、県内の他地域に比べて多くのシカが生息しているといわれており、農林業被害も深刻だ。人里に近い場所でも頻繁に出没するようになっており、人目につく機会も増えている。年々進むシカの分布拡大の実態や、これからの捕獲事業の課題について、山口大学大学院で動物生態学の研究をおこなっている細井栄嗣准教授に話を聞いた。

 

民家近くにエサを食べにきたシカの群れ(下関市菊川町)

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山口県内のシカの頭数

 

 数年前に全国的なシカの頭数調査がおこなわれた。その結果山口県では、それまで出していた推定生息頭数よりも倍近い数がいるという結果が出て、これを機に県内の捕獲目標頭数をかなり引き上げた。猟師さんたちは「これだけとるのは無理だ」と最初はいっていたが、頑張ってとっている。あくまで印象だが、シカの頭数は減ってきているのではないかと感じている。猟師さんが山で猟をしていくらでもとれるという状況であれば、シカが多くいるということになるが、「今までと同じように猟をしているのになかなか簡単にとれなくなってきた」というのが現状だ。「シカが賢くなった」という。たしかにそれもあるかもしれないが、急激にシカが賢くなるとも考えにくい。今までの何十年間と同じように猟をし、さらにシカの裏をかくような試行錯誤をこらしているにもかかわらず、ここ数年は多くとれないことから、数が減っていると考えることができる。国が出した生息頭数が正しいとするならば、当初の計画通りに捕獲が進んでいる。このままいけば減っていくだろう。

 

食べ物の変化

 

 少しずつシカの食べ物に変化が起きている。私が過去に動物たちの腹の中を調査していた頃、シカの腹からスイセンの球根と見られるものが出てきたことがある。スイセンは毒があるといわれる植物だ。その他にも従来なら食べないと思われていた植物を食べる傾向が見られる。

 

ウラジロの葉

 福岡県ではシダ類のウラジロという葉を正月の飾りに使う。飾りをつくって売りに出すのだが、最近はシカに食べられてしまい手に入らないほど減り、他県からとり寄せなければならない事態になっている。時を同じくして広島県の宮島ではシダ群落が部分的に壊滅状態になっている。私が聞いた話では、長門や萩などでもシカがウラジロを食べて減ったといわれていた。

 

 シカの好き・嫌いな植物を調べた本で、ウラジロは「嫌いなシダ植物」に分類されており、食べないことになっている。従来なら食べないと思われていたものを最近は食べるようになっており、驚いている。この変化はせいぜい過去10年以内の話で、毒があってもある程度なら食べられるということにシカが気付いたのだろう。おそらく新芽の頃に食べている。

 

 宮島の場合、シカが増えてかなり高密度化しており、エサ不足のため今まで食べなかった植物を食べるようになった。福岡でも爆発的に増えたことから、地域的に高密度化したシカがお腹を空かせて食べるようになったと推測される。ただ一方で、山口県では猟師さんが山に入って狩猟圧をかけているため、シカが増えているとは考えにくく、エサには困っていないはずだ。それなのに今まで食べなかった植物に手を出すようになっている。

 

 シカの頭数は減っていると見受けられるが、分布はどんどん拡大している。昔からシカがたくさんいるところでは長年猟師さんたちが狩猟圧をかけているので、その猟場では数が増えることはないが、周辺でシカが増えることでドーナツ化現象が起きている。シカが移動した先に居着いて子どもを産み、数を増やしていく。分布拡大の最前線地域で重点的に捕獲することを考えなければならない。

 

 かつて美祢市の秋吉台あたりにシカが出始めたといわれていた頃、「数が少ないうちに徹底的にとらなければ後から大変なことになる」といってきた。しかし美祢では当時、猟師さんたちはシカなどとったこともないし、食べる文化もない。「イノシシは美味しいがシカはとっても仕方がない」と猟師さんたちは本音で話されていた。そうこうしているうちに秋吉台をとり囲むようにシカが増え、今ではどうにもならない状態になっている。秋吉台には貴重な植物があるためシカが入ってきては困る。毎年山焼きをしているが、その時期にシカは秋吉台の外へ出て、山焼きが終わって新芽が出る時期になるとまたエサを食べに戻ってくる。

 

 私はもともと中国地方のシカの遺伝子の多様性を調べていた。島根県ではシカがいるのは出雲大社の裏山だけだといわれていた。しかし、10年以上前からあちこちで目撃情報や車との衝突事故が起きた。いるはずのないところにシカが出ていることを不思議に思った島根県の職員が、私にサンプルを送ってくれた。それらのシカの遺伝子は広島県や兵庫県のタイプだけだった。しかし、最近になって山口県のタイプが検出されている。山口県内ではかつて「華山の山奥にシカがいるそうだ」といわれ、人目に付くこと自体が珍しいとされていたが、いよいよ山口県のシカの分布拡大も県境をこえるまでになり、島根県まで達している。

 

 山口県内におけるシカの分布は、日本海側では完全に海沿いにまで達しており、最近は岩国市でも広島方面から来るシカが出ているといわれている。山口市でも最近は少しずつ出始めているようだ。山口県では江戸時代から全域にいたが、狩猟圧が加わり絶滅寸前まで減った。それが徐徐に分布を拡大して元に戻ろうとしている。

 

 分布拡大の最前線にいる猟師さんたちは、これまでシカをとったこともなければ食べることもしてこなかった人たちだ。モチベーションがないなかでシカをとるのはなかなか難しい。その間に分布拡大が続き、これまで出てこなかった場所に出るようになることが予測される。これからが大変になる。

 

下関のシカの栄養状態

 

 毎週、下関市の豊田町と豊北町の捕獲隊の解体場に学生たちと行き、サンプルをもらっている。最近はシカの脂肪の付き方をより詳しく調査し、栄養状態を調べている。脂肪が付くということは栄養状態が良いということだ。山口のシカは全体的に猟師さんたちが狩猟圧をかけているので、地域に密集してエサ不足になることはない。

 

 腎臓の周りに付いている脂肪の量から太り具合を判定するが、それだけではなく、大腿骨の骨髄の中を調べている。骨髄は脂肪の貯蔵庫で、栄養失調になると脂肪が抜けて髄液が水っぽくなり、栄養状態が良いと脂肪が充満して真っ白になり、ローソクのような状態になる。下関からもらってくるサンプルの中で栄養失調になっている個体はまったくいない。骨髄を調べても脂肪が混ざって生クリーム状の真っ白い髄液だ。

 

 「シカは夏に脂が乗って冬は美味しくない」といわれている。だが雄と雌で脂が乗る時期が異なる。雄は秋に発情期を迎えると、雄同士でたたかい体力を消耗する。そのため夏までに脂を蓄えて体力を付けておかないと、冬をこすことができない。だから夏に一番脂が乗る。雌の場合は大人のうちの9割が妊娠し、出産のピークを5~6月に迎える。それ以降は子どもに乳をやらなければならないので母親のシカは自分の体に栄養を蓄えられない。そして子どもが乳離れする晩秋頃から雌は太り出すので、真冬に一番脂が乗る。

 

 ちなみに、通常シカは雄と雌がそれぞれ別の群を形成して行動している。そして発情期を迎えたときだけ雄と雌の群が交わる。

 

 イノシシの場合は雄雌どちらも晩秋から脂が乗る。イノシシは美味しいので学生も自分たちで調理して食べるが、「シカ肉はくさい」といっていた。しかしある学生がシカ肉を丹念に血抜きしてから調理してみたら、まったく臭みがなく美味しく食べることができた。

 

今後の捕獲作業について

 

 シカが減っているという印象はあるが、民家に近い場所で頻繁に目撃されるようになっており、人になれていてすぐには逃げようとしない。人目に触れる機会が格段に増えており、地域の人人の実感として「増えた」といわれる要因でもあると思う。市街地に近い場所は、銃の扱いに注意が必要で猟が難しい。そのためシカたちは、人里に近い場所の方が安全だと認識しているのかもしれない。

 

 山口県内で最近、ドローンを飛ばして赤外線センサーカメラでシカの群を追う研究がおこなわれた。田に出てきてエサを食べていた群が逃げていくときに、一列に並んで同じ場所を走っていったそうだ。山の中には獣道があり、彼らはそれを厳密に守りながら移動していることが分かった。詳しく解明することができれば、もっと効率良く猟をできるのではないかと期待している。あとはこうした研究結果と猟師さんの長年の経験とをすりあわせた検証が必要だ。

 

シカを駆除する捕獲隊メンバー(下関市)

 現時点では、猟師さんたちがプライドや責任感で毎週土曜日曜の猟を頑張っている状態が続いている。猟師さんたちは本業の農業の手を休めたり、会社勤めの人は土日休みを潰して猟をしている。単に好きでやっているわけではない。最近になって30代、40代の若い猟師が増えているし、ベテランの猟師さんたちも親身になって技術を伝承している。とったらとっただけ「楽しい」「美味しい」「もうかる」など何らかの見返りがあるようにしなければ、今後も体制を長続きさせることは難しい。新しい猟師さんが加わる動機付けにも結びつけにくいのではないか。

 

 行政が有害獣の駆除を進めるなかでシカがだんだん数が減ってくると、猟師さんの努力量に対して捕獲量が減り、猟の効率が悪くなる。このような状況が続くと、1頭あたり何円と決めて補助金を出していても、やがて猟師さんのモチベーションは下がってしまう。猟師さんもどんどん高齢化しているなかで、今のまま捕獲を続けることができるのか。単価を上げるなどの対応を考えていかなければならないと思う。

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