佐賀空港へのオスプレイ配備をめぐり地元・佐賀市川副町では根強い住民の反対運動がおこなわれている。17日には中川副公民館で「自衛隊・オスプレイ等配備反対第4回川副町民集会」が開催された。この町民集会は、オスプレイ反対運動を地元が結束し、町民自身がとりくむ運動にしていこうと、町内に4つある小学校区で開催されている。これまで南川副公民館、西川副公民会で開催され、今回で4回目となる。開催するごとに反対運動をとりくむ住民も増えており、集会を開くにあたって佐賀空港への自衛隊オスプレイ等配備反対地域住民の会のメンバーが一軒一軒住宅にチラシを配布して回り、住民に集会への参加を訴えた。
初めに主催者である地域住民の会の古賀初次会長が挨拶した。
「今年8月24日に山口祥義知事が小野寺防衛大臣との会談後、突如として受け入れを発表した。あまりにも突然のことで言葉にもならなかった。4年前、選挙に出たときには“佐賀のことは佐賀で決める”といった言葉は口から出任せだった。私たちを騙したこの言葉は今でも忘れることはできない。私はこのような汚い人間に期待を寄せ一票を投じたことが悔しくてならない。国は国防のためとか沖縄の基地負担の軽減のためなどというが、ただ軍備を増強し、戦争の準備を進めているだけだ」と怒りをのべた。
そして佐賀空港建設当時についても触れ、「当時、有明海は水銀の問題等があり、水質の環境に対する漁業者の不安は大きかった。筑後大堰や諫早干拓の問題など、有明海に影響を与える公共事業では漁業者の意見を聞かず一方的に事業が進められ、根強い行政不信もあった。そのため、協議のなかでは事あるごとに一筆入れるという習慣がその当時からできていた。空港建設にさいし、協定を結ぶうえで議論となったのは、環境と自衛隊基地問題だった。環境の問題は騒音、排水問題、その他多く問題があった。そこに住む人人の生活に密着した問題だ。自衛隊基地は、当時の組合長たちのなかには戦争経験者も多かった。“二度と戦争などするものではない”という組合長の言葉が私の耳に残っている。先人たちの思いは今も生きている。また協定を結んだのは漁業者や農協だけではない。平成2年には当時の県知事である香月熊雄氏と川副町長の吉武寛氏との間にも公害防止協定が締結されている。今は川副町は佐賀市との合併で佐賀市となったが、秀島市長はかたくなにそれを守って頑張っておられる。本日は私たち川副町民としてしっかりオスプレイ問題について勉強し、強い気持ちを皆さんと共有していきたい。ともに頑張りましょう」と呼びかけた。
次に佐賀県と合併前の川副町が交わした公害防止協定書を読み上げ、内容を確認した。
また県知事がオスプレイ受け入れを表明した直後におこなわれた佐賀市の9月議会において、佐賀空港の自衛隊オスプレイ配備に関する秀島市長の答弁の様子を公開した。
秀島市長は「知事が受け入れの意思表示をしたことで、今後佐賀市民が賛成派と反対派に引き裂かれ、お互いいがみ合うようなことにならないか、これまで一緒になって築き上げてきた一体感を損なうことにならないかを心配している。そうならないようにこれからは公害防止協定の変更を希望する佐賀県におもねることなく、いわゆる公害防止協定の立会人としての役割をきちんと果たさなくてはならないという思いを強くしたところだ」とのべた。そして、防衛省から佐賀空港へのオスプレイ配備等の正式要請がある以前に、佐賀県の側から防衛省に対し非公式に自衛隊の佐賀空港利用の要請がされていたとの新聞報道などを引用し、「首長が変わろうが約束事は約束事だ。私は県におもねることなく、立会人としての立場でしっかりと受け止め、役割を果たしていきたいと考えている」と強調した。
米軍との共用についても「当時の中谷防衛大臣から私も話を聞いたが、米海兵隊の利用について“今般は自衛隊機の配備とは切り離して、要請をまずとり下げる。ただし、引き続き全国の他の空港と横並びで佐賀空港の活用も検討する”とのことだった」とのべた。
空港建設時の約束守れ 有明海沿岸を脅かす基地化
次に住民の会が自衛隊オスプレイ配備に反対している理由を次のように説明した。
公害防止協定が結ばれたのは、佐賀空港ができる前の平成2年3月のことで28年以上も昔のことである。また今から8年前の平成22年3月には佐賀県議会、佐賀市議会が、米軍普天間飛行場の佐賀空港への移設に反対する決議を満場一致で採択している。そのときには県も佐賀空港を自衛隊と共用する考えを持っていないという文言があることを引用していた。しかし、国や県はこの公害防止協定は昔のことで、今は国防のため、防災のためとか自分たちの都合のいい勝手な解釈で問答無用といわんばかりに押し切ろうとしている。絶対にそのようなことは許されることではない。
1、オスプレイはよく墜落する危険な飛行物体であること。最近ではオーストラリアでの事故、一昨年の沖縄の事故などがある。そのときに防衛省は不時着といって私たち国民を誤魔化そうとした。機体はバラバラになり死者が出たにもかかわらず、日本政府の対応は何もせぬままだ。原因究明もされぬまま日本各地の空に飛ばしており、その後もあちこちで緊急着陸があいついでいる。
2、騒音問題について。オスプレイの爆音にヘリコプターの音も加わる。騒音を嫌うのは私たち人間ばかりではなく、海の魚も騒音には敏感だ。農家の畜産にも大きな被害と影響が考えられる。またオスプレイから出る低周波は人や動物に悪影響があることは沖縄の人からも聞いている。
3、ノリ養殖への被害が大きくなること。有明海は日本一のノリ生産地である。今現在でも佐賀空港からの排水により、被害が発生している。加えて30㌶以上も面積が広くなれば被害はひどくなるばかりだ。防衛省は「調整池をつくって環境基準通りに海の方に流す」といっているが、まったく信用できない。オスプレイやヘリコプターがもし墜落でもしたら、その被害は風評被害も含めて甚大になる。
4、農業・農作物・農作業への被害。これまでにオスプレイは何度も墜落している。そんな危険な物の下で働くことになる。川副町はイチゴ、アスパラ、メロン、トマトの名産地だ。風圧によるビニールハウスの被害も考えられる。
5、有明海は全国でも最大の渡り鳥の飛来地であること。
6、佐賀平野はバルーンが飛ぶ平和の空であり、佐賀の空にオスプレイは似合わない。
7、公害防止協定において自衛隊との共用ははっきりと拒否している。これは佐賀空港開港の絶対条件である。反故にすることは許されない。
8、佐賀空港に自衛隊が配備されれば、オスプレイで米海兵隊を運び第一出撃部隊の出撃基地となり、私たちの郷土が戦場となりかねない。安倍内閣は国際緊張を高めるすべての好戦的な政策をやめて、近隣諸国との信頼関係を確立し、平和共存と相互繁栄の道を進んでいくよう求める。
9、自衛隊の後ろには必ず米軍がついてくる。米兵は今までも沖縄で事件や事故を起こしている。佐賀でも治安は悪くなりかねない。子や孫のためにも断固として平和の破壊や環境の破壊に対して反対していく。
住民との質疑応答のなかでは、「今日の新聞で政府は国内のオスプレイ配備を遅らせると発表していた。佐賀空港への配備計画が進んでいないためとのことだが、このオスプレイ反対運動が少しずつ実を結んできている。しかしまだまだ油断はできない。公害防止協定という先人が結んでくれていた約束がこのオスプレイ配備を進めないための楔になっている。この公害防止協定を末代まで受け継いでいかなければならない」という意見が上がった。
農業者の男性は「佐賀空港が開港されたときに一般公開があり、私も見学に行った。そのときに“これは将来自衛隊の基地になる”というと、一緒にいた人から“公害防止協定があるのをお前は知らないのか”といわれた。私は農家だから漁協が県と結んだ公害防止協定について知らなかったが、農家ももっとオスプレイ配備の問題について考えなければならない。私は実際に戦争を体験し、空襲にもあい、グラマンにも追われたことがある。空港に飛行機が降りてくるときに私の田んぼの上を通るが、今でも攻撃された当時のことを思い出す。もっと若い人たちにも自衛隊の基地ができることがどういうことなのか考えて欲しいと思う」とのべた。
これらの意見に対し、古賀会長は「公害防止協定は全国でも佐賀空港にしかないような重みのあるものだ。われわれ川副町に生まれ育ってきた者が一番感じているのはこの自然の素晴らしさだ。この自然と共存共栄しながら農業者も漁業者も商工業者も生きてきた。国は自衛隊を、国を守るものだといって国民を騙そうとしているが、今自衛隊は海外にまで出て行って戦争する時代になっている。戦争で私の叔父も戦死しているが、下っ端の若者が殺された。そういうことをもう二度とさせないために自衛隊との共用をあのような文言で先輩たちが否定している。この公害防止協定を絶対に守らなくてはならない」と語った。そして「若い人のなかには危機感がない人も多い。私の息子も一緒にノリの養殖をやっているが、オスプレイが墜落したときには全部だめになる。有明海は日本一のノリの漁場だ。子どもたちにもそれだけの自信とプライドを持たせて仕事をさせたい。オスプレイの問題や自衛隊の問題も教えていくことが親の責任だ。一度自衛隊が来てしまえば後に戻すことはできない」と、生産者としての思いをのべた。
西古賀に住む男性は「私は農業者でも漁業者でもなく一般住民だが、このオスプレイ問題はみんなが危機感を持たないとだめだと思う。こんな大変なことが上の偉い人たちだけで決められてしまうのは本当に腹立たしい。だから住民のみなさんに怒りをもってもらいたい。一人でも多くの人に反対運動に参加してもらいたい」とのべた。
用地買収のメドはなし 県知事だけが先走り
オスプレイ配備の計画地となっている空港西側の土地についても説明があった。「計画地の土地は90㌶あり、南川副漁協が60町歩、早津江が10町歩、西川副が10町歩、大詑間が10町歩管理している。今のところ南川副の60町歩については個人配分をせずに漁協で管理運営委員会をつくって管理している。そのなかの33㌶が今度の計画予定地になっているが、60町歩管理運営委員会がこれからも土地を守っていく所存だ。組合長もほかの役員もあの土地は一坪も売らないといって結束している。だから佐賀県知事がいくら受け入れを表明しても一坪も売らないといっているのにどうするつもりなのかと思う。他人の土地に勝手に自衛隊基地をつくるつもりなのか」と怒りが語られた。
江口元川副町長も発言に立ち、「山口知事が当時の小野寺防衛大臣と会談し、わずか3時間後に自衛隊及びオスプレイの佐賀空港への受け入れを表明した。考えられない出来事だ」と批判した。佐賀空港は建設計画が持ち上がった当時、漁業者の大反対によって2度挫折している。「佐賀県は反対する漁業者に対して、自衛隊との共用は絶対にありえない、県を信用してほしいと再三のべていた。そこで漁業者が書面で確約しろということになり、平成2年3月に協定が結ばれた。それを佐賀県は蔑ろにしている。佐賀県と川副町の協定のなかでも事前協議について明記されている。万が一自衛隊との共用の話が出たとしてもこれは事前協議の対象であって一方的に県がこれを決めることはありえない。また事前協議すれば自衛隊との共用が認められるというものではない。ところが今回知事は事前協議の前に受託をした。国に受託あるいは拒否するという報告をする前に、佐賀の方でみなさんと相談して方向を出すのが事前協議だ。今回のは『事後協議』だ。今回の県知事の受託表明は知事選も関係している。4年前は佐賀のことは佐賀で決めるといっていたが、今度は佐賀のことは佐賀で決められなくなっている。また県の方は防衛省とやりとりしたなかで、十分説明を聞いたので不合理な点はもうないとしているが、米軍との使用について絶対にあり得ないという確証もない。日米安保や日米地位協定があるなかで、事故が起きてもその調査の情報さえも日本側には伝わらない。事故があれば少なくとも同じ機種は原因がはっきりするまで飛ばさないというのが常識だがそれすらない。日米地位協定があるのに、自衛隊はオーケーをして米軍にノーと誰がいえるのか。知事がいうのか、県議会がいうのか。現実的には無理だ。佐賀空港をつくるときには住民説明会は100回以上おこなった。それを説明会はなしにして答えを先にだすというのは地元を無視している。順序が違うのではないか。佐賀空港は平和のための空港でなければならない。開港時に苦労した方方の苦労が忘れ去られ風化している」とのべた。
最後にこれからも地元を中心とした運動を続けていくことを確認した。