動き出した沖縄県知事選
辺野古新基地建設を最大の争点としてたたかわれる沖縄県知事選(9月30日投開票)をめぐり、基地建設阻止を掲げて県政をリードした翁長知事の遺志を引き継いで立候補する衆議院議員の玉城デニー氏(58歳)が29日、那覇市内のホテルで出馬会見をおこなった。玉城氏は県の埋め立て承認撤回を支持し、「翁長知事の遺志を継ぎ、辺野古新基地建設阻止を貫徹する」との決意を表明した。1カ月後の投開票に向け、短期決戦の幕が切って落とされた。
会見には、玉城氏夫妻と並んで、翁長知事の次男・翁長雄治氏(那覇市議)、県知事職務代理者の謝花喜一郎副知事、城間幹子那覇市長、稲嶺進前名護市長をはじめ「オール沖縄会議」に結集する県議、市議、国会議員などが列席し、金秀グループの呉屋守將会長、照正組の照屋義実会長、オキハムの長濱徳松会長などの県内企業経営者たちも顔を揃えた。第一声を聞こうと周辺から支援者や市民も駆けつけ、会場は熱気に包まれた。
出馬の挨拶にたった玉城氏は決意表明【別掲】のなかで、翁長知事が県民とともに最期までたたかい続けたことに触れ、それに対して国は「地方自治を踏みにじり、県の再三の指導にも従わず、既成事実を積み上げることで県民の諦めを狙い」「基地と沖縄振興をあえて絡ませて揺さぶり、県民の中に対立と分断を持ち込もうとしている」と批判。「法令解釈を都合良く変えて、手続きを踏み倒すことに腐心するやり方は、果たして法治国家といえるのか。民主主義の姿だろうか」と強く投げかけた。
そのうえで、翁長知事が最重要課題としてきた「埋め立て承認撤回」を全面的に支持し、辺野古基地建設阻止を貫徹する立場を明確にしてたたかうことを宣言。さらに県民の命を脅かし続けている普天間基地の早期閉鎖・返還も同時に求めていくこと、3年後に迎える復帰50周年に向けて、若い世代に平和で誇りある沖縄の「新時代」を託せるよう奮闘することを表明した。
さらに質疑応答のなかで、争点については「翁長知事が進めていた沖縄のための経済政策を前進させていくと同時に、辺野古新基地建設の是非については絶対に避けて通れない争点」とし、「埋め立て承認撤回を支持し、その思いをしっかり伝えていきたい」と力を込めた。
また選挙戦をたたかう「オール沖縄」体制のあり方については、「オール沖縄会議には、保守・中道・リベラル、政党会派、経済界、労働界、市民団体などさまざまな立場にある人人が『建白書』の実現、辺野古新基地建設反対の一点で集まっている。その形は多様性を持っており、団体の集まりだけでなく、多くの県民が立ち上がった形としてもすでに認知されている。『島ぐるみ会議』は県内の全41市町村に結成されている。オール沖縄という形やとりくみは、これからも『建白書』の実現という目標に向かってしっかりと手をとり合って歩んでいけると確信している」とのべた。
また、「撤回後も、あらゆる手段を尽くして辺野古の新基地建設を断念させるという翁長知事の遺志を引き継いでいく。県民投票によって県民の思いも表出されると思う。“どうせ基地は作られる”とか“沖縄には基地は必要”などいろいろといわれる人がいるが、私は“いつまで沖縄なのか。県民にいつまで日米安保の過重な負担を押しつけ続けるのか”と国政の場でも訴えてきた。その姿勢は翁長知事と1㍉もぶれることはない」「この選挙は11月だった期日が知事の急逝によってくり上げになった。しかし、私たちには、県民の皆さんが翁長知事の遺志を引き継いで欲しいという固い思いを送り続けてくれている。国はいろんな手を使って私たちの選挙を潰しにくるだろうが、その県民の思いと一つになるなら必ず勝ち抜いていけると信じている」とのべた。
また、相手候補として自民・公明両党が推す佐喜真前宜野湾市長については「翁長知事とまったく違う考え方(辺野古新基地建設の推進)であるはずなのに、翁長知事の遺志を引き継ぐとおっしゃっている。(その違いを)選挙戦で明らかにしていきたい。ぜひ討論会に積極的に参加していただきたい」と呼びかけた。
選挙戦を迎え撃つ熱気
知事選は、「オール沖縄」が擁立した玉城氏と、自民・公明両党が推薦する佐喜真氏との事実上の一騎打ちの構図となった。4年前の選挙との違いを見てみると、前回は「自主投票」だった公明党が、公然と自民党が擁立する佐喜真候補を推薦して「全面支援」に乗り出しているほか、前回は辺野古基地建設について「即時中止、撤回を政府と交渉する」といって下地幹事長みずからが出馬した「日本維新の会」も今回は自民党と歩調を合わせる動きをみせていることだ。今年2月の名護市長選と同様に、「平和の党」や野党的立場を自称してきた勢力が、欺瞞の仮面を脱いで辺野古基地建設のために県民世論に襲いかかる構図になっている。
県民の中では、翁長知事が体現した辺野古新基地建設を阻止し、沖縄のアイデンティティを貫く地方自治の精神を受け継ぎ、この選挙戦を迎え撃つ決意が語られている。
沖縄戦で多くの同級生を失った男性は、沖縄戦で犠牲になった1974人の学徒の慰霊碑建立を進めてきたことに触れ、「多くの若者が国策として学徒に動員されて亡くなったにもかかわらず、その慰霊碑を建てることには行政に圧力がかかって実現できなかった。しかし、生き残った私たちの世代が一つになって交渉を続けてきた結果、建立にこぎ着けた。沖縄の歴史は、常に異民族支配とたたかってきた歴史であり、オール沖縄は、その歴史に立ってあらゆるイデオロギーの違いをこえて、米軍基地建設を阻止する一点で結集した島ぐるみの民意を象徴する運動体だ。名護市長選を見ても安倍政府はあの手この手を使って県民を分断してくるだろうが、玉城デニー氏を勝たせるだけでなく、大差をつけて圧勝することを目標にして頑張らなければいけない」と語気を強めた。
同じく沖縄戦で兄弟を亡くした女性は「沖縄にある米軍基地は、みずから提供したものは一坪たりともない。すべて占領した米軍がブルドーザーと銃剣で強制的に接収したものだ。沖縄の側から基地のために土地を提供することはできないし、それは振興策という金で解決されるものではない。目先のことで自分を見失うことなく、ウチナーンチュの魂を見せつける結果にしなければいけない。翁長知事に圧勝を報告できるような選挙にしたい」と意気込みを語った。
◇玉城デニー氏の決意表明(全文)
本日、ここに沖縄県知事選出馬への決意を表明したい。期せずして県知事選が早まることとなり、今私自身がここにみずからの意志を示すことの意味を重く深く考えている。
沖縄が歩んできた、歩まされてきた道は厳しく、険しいものだった。この島に生まれた1人のウチナーンチュとして、先人たちの血と汗がにじむこの島の太陽と風を身体いっぱいに受けて育った者として、今たじろがずに前を向いて踏み出すときがきたことをしっかりと受け止めている。
なによりこの決意が県民とともにあるものと確信している。「ウチナーンチュが心一つにしてたたかうときには、想像よりもはるかに大きな力になる」--8月11日に奥武山陸上競技場で開かれた県民大会で、翁長雄治さんは父である翁長雄志県知事がくり返し語った言葉を紹介してくれた。県民が心を一つにすることを深く望み、県民が持つ力を誰よりも信じ、揺らぐことのないみずからの決意が、いつも県民とともにあることを最期の瞬間まで命懸けで私たちに発信し続けた知事の強さ、その思いは、県民の胸の奥に、確かに、静かに刻まれている。この知事の強さ、優しさ、沖縄への愛情は、ここにいる私の背中を押し、決意と覚悟をもたらしてくれていると感じている。
その一方で、知事が誰よりも望んでいた「心を一つにする」ことへの心ない攻撃があることを強く指摘しなければならない。それは民意を、地方自治を踏みにじる形で辺野古基地建設を強行するこの国の姿だ。県の再三の指導にも従わず、既成事実を積み上げることで県民の諦めを狙い、一方で基地と沖縄振興をあえて絡ませて揺さぶり、県民の中に対立と分断を持ち込もうとする。法令解釈を都合よく変えて、手続きを踏み倒すことに腐心する国のやり方は法治国家といえるのだろうか。故郷の海を守ろうと声を上げる人々を実力で排除するやり方は、果たして民主主義の姿なのだろうか。
しかし、これら政府が作り出す印象操作に私たち県民はひるむことなく団結し一つ一つ乗りこえてきた。最新の世論調査において、辺野古移設を「不支持」とする人たちが全国で44%にのぼり、「支持」を上回った。保守政治家であった翁長知事が、みずから先頭に立って、沖縄の過重な基地負担のありようを国民に問い、全国知事会で日米地位協定の不平等を知らせ、この先何十年もこれで良いのかと、主権国家としてこれで良いのかと、この国はこれで良いのかと、発信し続けてきたことがやっと浸透し始めてきたのではないかと思う。政権の冷ややかな仕打ちに直面しようともたじろがず、ウチナーンチュの誇りを持って臨んだ、その知事の勇気と行動が、少しずつ国民の関心を呼び覚ましている。数の力を頼みにした、そんな政権の手法が次第にほころびつつあることを、国民、有権者は気付き始めている。今回の世論調査に、その意識の表れを共感として私たちも感じとることができる。
その中において、知事の最たる遺志であり、手続きの中にある「埋め立て承認の撤回」を、私、玉城デニーは全面的に支持していく。行政判断を待つ中ではあるが、来る県政において、私はしっかりと翁長知事の遺志を引き継ぎ、辺野古新基地建設阻止を貫徹する立場であることをここに表明する。やりたい放題に飛ぶヘリの下で、子どもたちは怯えながら授業し、校庭につくったシェルターに避難させられている。そんな日常の風景を放置することは、もはや許されない。「いい正月を迎えられる」といって埋め立て承認をした仲井真弘多元知事に政府が約束した「普天間基地の運用停止」は、来年2月で「5年の期限」を迎える。
これまで何ら実効性あるとりくみを示さず、あげく返還が進まない責任を翁長知事になすりつける。「世界一危険」と認めながら、その危険を放置し続けているのは、いったい誰なのか。こんな「政治の堕落」を認めて良いはずがない。1日でも1秒でも速やかに普天間飛行場を閉鎖し、返還をなすよう国に強く要求する。
次の知事は、その任期中に復帰50年を迎えることになる。新しい沖縄の姿を、どうやって県知事選挙でしっかりと県民の皆さんに示していけるか。従来の東京とのパイプを強調した時代から、沖縄の存在感と可能性は、今や格段に上がっている。アジアをはじめ世界に開かれた沖縄へと力強く羽ばたいている。翁長知事は、21世紀ビジョン、アジア経済戦略構想を強力に推進した。遠い目標と思われた観光客数はもう1000万人を目の前にしている。国税への沖縄の貢献は3000億円をこえている。また、子どもの貧困対策は、翁長県政が柱として肝いりで進めた政策だった。全国初の実態調査を実施し、子どもたちをとりまく困難さを具体的に把握できたことで、官民あげてのとりくみが格段に広がった。
「県民の生活が第一」この言葉は、私の政治活動における最も大事な理念であり、「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉は、翁長知事から受け継いだ大切な理念だ。私は、子どもや女性、若い人たちにうんと力を注いでいきたいと思う。人材育成にも力を入れたい。沖縄で育まれた文化を、芸能を、世界へ向けてもっともっと発信したい。地元の企業を大切にし、働く皆さんの笑顔を増やし、ユイマール(相互扶助)の精神で自立と共生の沖縄を目指していく。「翁長カラー」に「デニーカラー」をプラスしながら、すべての県民が、自分の夢を持てるよう、その方向性を支えていけるよう、みなさんと協力して政策を練り上げていく。今、翁長知事の政策を点検している段階だ。私の思いと、県民が求めている政治への思いをそこへ結んで、皆さんとともに歩いていければと思っている。
このかけがえのない島の未来を、誰でもなく自分たちの手でつくりだしていく。生まれてくる子どもたち、明日を担う若者たちに、平和で真に豊かな沖縄、誇りある沖縄、「新時代・沖縄」を託せるよう全力疾走で頑張る。