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「豪雨被災地に人手を求む」 自助努力に委ねられる現状

なぜ国が動員しないのか

 

重機が使えない家屋内での作業は多くの時間と人手を要する(20日、坂町小屋浦)

 7月の集中豪雨によって甚大な被害に見舞われた被災地では、連日35度をこすような酷暑のなか、住民や全国各地からのボランティアをはじめ、多くの人人が復旧に向けて努力を続けてきた。しかし、その実態を知ろうにも日に日にメディア報道は影を潜め、情報量は減っている。被災から1カ月半が経過した現地は今どのような状況なのか、被災者は何を求めているのか取材した。

 

 広島県呉市天応地区では災害当日、街を流れている大小2本の川が両方とも土砂で埋まり、周囲一帯が大きな川のようになって集落全体が土砂に巻き込まれた。災害直後は行方不明者の捜索のために自衛隊や警察、消防なども大勢やってきて、重機を使って道路や河川の土砂撤去を急ピッチで進めた。現在、主要な道路や河川の土砂撤去は進んだものの、土砂の中から出てきた潰れた自動車や巨大な岩があちこちに転がっている状態だ。18日には、これまで被災地復旧にあたっていた自衛隊の派遣が終了したが、各家庭の敷地内は依然として大人の頭の高さまで土砂で埋まっている箇所もある。現場では、被災者やその親戚、全国各地からボランティアで集まってきた人人が家の泥かきを続けていた。

 

 被災から1カ月半が経ったが、圧倒的に人手が足りていないのが実情だ。道の土砂が除去され、重機が入れる場所は土砂の撤去が早く進んだが、とくに重機が入れないような高所や細い路地にある家では、いまだに玄関が見えなくなるほどの高さまで土砂で埋まっている。人の手でスコップを使って一杯ずつ泥をすくっては土嚢袋に詰め、一輪車に3、4個ずつ積み込んで指定された場所へ運ばなければならない。床上の土砂を掻き出すと、次は床板を剥がして床下の土砂までとり除く。被災直後の記録的な猛暑に比べると若干気温は下がってはいるものの、かなりの重労働だ。

 

床板をはがして土砂をかき出すボランティア(20日、坂町小屋浦)

 北九州から毎週1回の休みごとに被災地へやってきてボランティアを続けている男性は、「7月から来ている。初めて来たときからずっと家の泥かきをやっているが、1カ月以上経っても同じ作業しかしていない。家の中は人の手でしか作業ができないため、いくら人手があっても足りない。休みながら少しずつやっている。重機で作業ができる道路や川は、きれいになって見た目も変わったが、現場にはまだまだ人手が必要な作業が残っている。ぜひ“全然人手が足りていない”と書いてくれ」と語っていた。

 

 妹の家が被災したため広島市内から毎日泥かきをしに来ている男性は、「みんな仕事があるため、実家や自分の家が被災しても休みの日や夜中に作業するしかない。ボランティアで来てくれる人たちもずっと活動できる訳ではない。日中働けるのは自分のような退職者ばかりだ」と語っていた。

 

重機扱えるオペレーターの不足

 

軒下まできた土砂を土嚢に詰め搬出(19日、呉市天応)

 ボランティアの人員に加え、重機を操るオペレーターも不足している。天応地区では土砂が流入した家屋の解体作業が少しずつではあるが始まっており、市に申請があった家屋の解体を業者が請け負って進めている。他にも県、市、国土交通省の委託を受けて、道路や河川の改修工事に入っている業者もある。道路や河川の工事が優先して進められ、住宅の解体業務までは人手も重機も十分に投入できていないのが現状だ。解体業務の委託を受けた業者も、自社が所有する重機だけでは足りず、ダンプやユンボを他県の取引業者から借りて応急的な対応にあたっているという。

 

 自宅の泥かきをしていた男性は「重機がやる仕事は人間の何百倍かと思うほど早い。一つ一つ土嚢袋に土砂を詰めて運ばなければならない作業も、ショベルですくってダンプで運べばあっという間で、この災害で改めてその威力を知った。だが、だんだん日が経つにつれて自衛隊や消防なども帰ってしまって、動いている重機は減っている。最初の頃は重機が集まらないといわれていたが、今は重機を動かすオペレーターが足りていない。自分の家の周辺で作業している業者も3人のオペレーターそれぞれが複数のユンボを担当して現場を回している。今の被災地の状況といえば、とにかく人手が足りないということを知ってほしい。今はこれからの生活や住居のことよりも、この土砂をどうやって片付けるかしか考えられない。気が遠くなる」と語っていた。

 

一輪車に土嚢を積み、何度も現場と集積地を往復しなければならない(20日、坂町小屋浦)

いまだ電気がこない地域も

 

 1カ月半経ったこの日、ようやくボランティアの手が入った家もある。川の上流付近の山手にある住居にはこれまで、「危険だから」ということでボランティアセンターが人員を派遣することができなかった。この家に住む男性は3回もボランティアの要請を出しながら支援を受けることができなかったという。男性は小学校の体育館で避難生活を続けながら、毎日午前中に1人で家の周辺の泥かきを続けてきたという。

 

 山手の地域ほど被害が大きく、重機や車両が通るまでに時間がかかったため、復旧も遅れている。天応地区では大量の土砂や鉄砲水によって電柱が流され、電気は来ず、あちこちの水道管も寸断された。被災後、水道は半月ほどで復旧したが、山手の地域を中心に電気の復旧が遅れ、19日にようやく電気が届いた地域もあった。この地域一帯の水道はくみ上げ式であり、せっかく水道が復旧しても電気が使えなければモーターを回せないため、実質断水状態が続いていた。直接被害を受けていなくても電気、水道が使えないため、これまで避難していた人たちも電気の復旧を機にようやく生活基盤を家へ戻すことができるようになるという。

 

 呉市の隣にある坂町小屋浦地区では、川沿いの電柱が根こそぎ流されたまま、いまだに電気が通っていない地域もある。ようやく土砂を掻き出し、家屋の改修工事を業者に依頼して見てもらったものの、「電気が通っていないと作業ができない」といわれ、すぐには作業にとりかかることができないもどかしさが語られていた。

 

 家に帰れない住民もおり、天応地区では小学校の体育館で13人、市役所の支所があるふれあいセンターで51人が避難生活を送っていた。家の中に土砂が入ってしまい、個人の力ではどうしようもない状況から家をあきらめ、市が業者に委託する解体作業の順番が回ってくるまで待つという高齢者も多い。

 

 市の職員は「避難者の多くが高齢者だ。災害のショックに加え、長い避難生活や罹災証明などの手続きなど負担も大きく、心身ともに疲労感が日に日に増している」と話していた。被災した天応地区の住民らの仮設住宅は、申請42件に対し40軒が9月に開設される予定だ。中学校の校庭は裏の山が崩れて使える状況ではないため、2学期からは小学校の校舎を使って授業を再開する。

 

 一度土砂に覆われた道路も、地域の人人が歩いたり工事用車両が通行するには問題がないくらいには土砂が撤去された。工事用車両や一般車両が通れるようにするための対応で、一見すると被災直後とはまるで印象が異なる。しかし側溝は壊れたり土砂が詰まったままになっているところがほとんどで、再び雨が降れば雨水の逃げ場がなくなる。苦労して土砂を掻き出し、ファンを回して乾燥させた家の中や床下に、逃げ場を失った泥混じりの雨水が流れ込んだ箇所がいくつもある。地域では次の雨や台風に備えて一度集積地へ出した土嚢袋をまたとりに行き、家の前に積み上げている人も少なくない。元の木阿弥になりかねないからだ。

 

 掻き出した泥を詰めた土嚢袋の集積地では、雨が降ると破れたり口が開いた土嚢袋から土砂が流れ出してしまうため、近所に住む人人が積み上げられた土嚢の周りにさらに土嚢を積み上げて、土砂が周囲へ流れ出ないよう作業をしていた。

 

校庭は土嚢や土砂の集積地になっている(坂町小屋浦)

 小学2年と6年の子どもを持つ母親は、「9月から2学期が始まるが、雨が降るたびに道路に水がたまる状況を早く解決してほしい。呉市が児童のための“あんぜん道”に指定している道も先日の1時間ほどの雨で、流れた土砂が混ざって沼のようになった。近くの家は床下まで浸水した。災害から1カ月後までは崩れた山肌から水が噴き出していたし、地盤も緩んで道路を車が通るたびに家が揺れ、周辺の住人がみな外へ飛び出してきたこともあった。これから10月くらいまでは台風が連続する可能性もあるが、地域に住んでいる高齢者の避難勧告はメールだけではうまく伝達できない。動ける住民が直接声を掛け合って避難している。住民やとくに子どもたちの安全を保障できる対応を第一にやってほしい」と話していた。

 

メディアは何を伝えるべきか

 

 この最近になって道路や鉄道の復旧、自衛隊の派遣終了などが報じられるようになった。一方で、住民の生活環境や実情にスポットが当たることは少なくなっている。

 

 広島県内からボランティア作業に来ていた女性は「盆に実家の山口に帰っていたが、中国地方のニュースですら被災地の状況はまったく伝えられない。隣の県ですらこうなのかとショックだった。報道して全国に現地のことを知らせて、1人でも2人でもボランティアで手助けしてくれる人が増えてほしい」と語っていた。

 

 富山県から1人で来た男性も「ずっと被災地の手助けに行きたいと思っていた。仕事の休みがとれたのでいざ行こうと思っても、実際にどこが被災して、今どの地域が大変な状況なのか、関心がある人が自分でSNSなどで調べなければ何も分からないのが現実だ。ボランティアで現地にいる人やボランティアセンターなどが全国に向けて情報を発信しているが、そういう役割をメディアにやってほしい」と話していた。

 

 天応地区を取材した日、山口県周防大島で行方不明になっていた2歳児を発見した78歳の男性がボランティアでちょうどこの地域にやってきていた。これを聞きつけた様様なメディアが天応地区へやってきて、現場へ向かう男性を5、6人の記者やカメラマンが取り囲んでいる姿は異様なものがあった。近くで見ていた現地の人も「昨日は1社しか取材に来ていなかったのに…」と苦笑いしていた。

 

 住民からは行政対応への物足りなさも語られている。呉市の一番端の天応地区では、支所に職員が配置され、土日も休日返上で災害対応をおこなっているが手一杯で、通常の業務はほとんど手つかずだという。天応地区に住む女性は「今後の復旧工事の説明会を呉市が開いたが、住民からの要望や意見、質問に対してすべて“持ち帰ります”という対応ばかりでその場で会話にならない。説明も道路にかんする話ばかりで、肝心の住居のことなどほとんど聞くことができなかった。職員が現場を歩いて、普段から地元の声を聞いていれば自ずと何が求められているか分かるはず。何の答えも用意していなかったことはショックだった」と話していた。

 

 道路、鉄道、河川などの工事が優先され、住民が生活していくために必要な個別住居には手が回っていないのが現状だ。このなかで被災者みずからの手と足で懸命に復旧へ向けた努力を続けており、それを全国各地から集まったボランティアが支えている。

 

 自助努力、ボランティア依存では限界があるのは当然で、なぜマンパワーをフル動員しないのか、統治の在り方が問われている。東北しかり、熊本しかりで、いつも人間の暮らしの復興が後回しにされるか自助努力に委ねられ、報道の機会が減っていくうちに世間の関心も薄れ、時折思い出したように24時間テレビのダシにされるというような事が続いている。前代未聞の広範囲に及ぶ豪雨災害であり、心配するボランティアの善意に丸投げするのではなく、行政機構をして必要な人員や業者への動員をかけ、相応の日当を支給するなりしてマンパワーを確保することが求められている。

 

 再び豪雨や台風に見舞われて被害が拡大する可能性も十分にあり、被災地では油断できないという危機感が強まっている。

 

川の上流地域ほど被害が大きく、人の手が入りにくい(坂町小屋浦)

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