豪雨災害から1週間が経過したが、甚大な被害を受けた被災地はまだ復興の入口にも立てない状態が続いている。広島県内では、死者は100人を超え、今も安否不明者(15人)の捜索が続いている。国道や高速道路の復旧により、交通網の寸断や断水が徐徐に解消されつつあるが、道路は終日渋滞となっている。山間部や島嶼(しょ)部の孤立集落も数多く、山から押し寄せた土砂や瓦礫の撤去、住居の確保など生活を立て直す道筋はいぜんとして見通すことができない状況だ。
土砂崩れで寸断していた国道31号線の復旧により、「陸の孤島」となっていた呉市全域ではようやく物流が動き出した。断水も部分的に解消されてはいるが、今も水の出ない地域や「出たと思ったら泥水だった」という地域もある。各被災地で水の慢性的な不足は続いており、炎天下で作業をする住民やボランティアの熱中症があいついでいる。
大規模な土砂災害を受けた呉市天応地区では13日午後1時30分、集落の背後にそびえる山肌が崩落してため池の水位が上昇し、再び土砂崩れの危険性が高まったことから地域全域の1831世帯に避難指示が出された。携帯の緊急メールや防災放送で地域内は騒然とし、自衛隊や消防の「避難してください!」の掛け声のもとで、住民たちはとるものもとりあえず海側の小学校へ避難した。小学校にはエアコンも布団もなく、一夜を明かすにはあまりにも辛い。何も持たずに避難した高齢者も多く、「家の電気をつけたままだ」「明日から飲む薬がない」などと語られ、みな疲れ切った表情で、崩れた山裾を心配そうに見つめていた。
県内では、土砂崩れで砂防ダムやため池が決壊寸前にある地域が多くある。「避難」と「解除」がくり返されるたびに翻弄される住民からは「上流がどんな状態にあり、どの程度の被害が予測されるのか冷静に正確な情報を伝えて欲しい」との要望も強い。
三世代の家族9人で避難していた母親は「今は家で暮らせているが、断水しているため呉市焼山に何時間もかけて水をとりに行ったり、シャワーも浴びれないことが一番つらい。エアコンも室外機が1階にあったため浸水して壊れている。家族が多いので簡単に他の家にお世話になることもできず、避難指示が続くのなら別の場所に移らないと生きていけない。この地域に住むことができるのか判断できる情報がほしい」と話していた。
実家が被災した男性は、「母と夫婦で食事をした直後に上流から水が押し寄せて、最後は2階の天井を突き破って屋根裏に避難して難を逃れた。水は家の中で渦を巻いていて、今も軒先まで砂に埋まり、そこから水が流れ込んでいる」と、スマホで撮影した写真を見せながら語った。「個人の手で土砂の撤去は無理だが、身一つで逃げたので、すべてのものが土砂の下にある。川に水が戻らなければ家に近づくこともできない」と訴えた。
マスコミ報道が自衛隊による遺体捜索の続く地域などに偏っていることを指摘する声や、「途方に暮れていたら、呉市内から中高校生が自転車で駆けつけて手伝ってくれたおかげで数日かけて土砂を撤去して家の中に入ることができた」「この地域はほとんどが身内だけで作業しており、高齢者の家は手も着いていない」「国道が渋滞しているので、自宅のある矢野から徒歩で2時間かけて実家の片付けに通っている。1週間経ち、みんな体力的にも限界が来ている。巨大な岩や大木が押し寄せて重機を使わなければ撤去できない。全国の人の支援が必要だし、行政が本腰を入れてもらいたい」など、自治体への要望も強く語られる。
被災現場で見えるのは被災者の自助努力のみの復旧で、身内や知り合いの力を借りながら、収入がなくなることを覚悟で仕事を休み、汗だくの作業を続けている。国や行政の目に見えるバックアップなしには生活再建の見通しが立たないどころか、被災者の生きる道を閉ざすことになりかねない。
行政機能パンクも深刻
広域にわたる被災で、行政機能のパンクも深刻化している。呉市天応市民センター(支所)には高齢者を中心に約140人が避難しているが、職員は被災のため通常の11人から9人に減り、本庁からの応援はわずか2人。通常業務はいっさいできず、避難者と住民の対応に追われている。「ここでは罹災証明書の手続きしか受け付けられない。避難者の対応で精一杯で、隣の吉浦支所か本庁に行ってもらっている」と職員は語る。家の現状を確認できない住民も多く、罹災証明書の発行手続きすら滞っており、職員の補充は焦眉の課題だ。
また、救援物資が呉市役所本庁に届いても、輸送人員の不足と国道の渋滞により各地域まで行き渡らない。届いた水や物資も各家に届ける余裕はなく、各自が支所までとりに来てもらわなければならず、行政区の広域化と職員減少で、広範囲に及ぶ被災地をサポートすることができない現状を突きつけている。住民たちが、足腰が不自由な高齢者の孤立化を心配する由縁だ。
さらに復旧支援に来るボランティアも水や食料を必要とするため、「これ以上避難者が増えたら、避難所も食料や水が足りなくなる」と心配していた。「炎天下で熱中症を出すわけにはいかないのでできる限り提供するが、ボランティアに来るときは食料や水は持参してもらえるとありがたい」とも語られる。復旧はボランティアの力に頼るほかないが、1カ所に集合してバスで送迎するシステムも駐車場もなく、受け入れ体制もギリギリの状態であるため、応援に駆けつける側もその認識を共有することが求められている。
また「崩れた河川は県の管理で、これまで安全との判断しか伝えられてこなかった。以前から整備の要望をしていたが放置されてきた」「豪雨の日、東広島の郷原から早めに帰宅したが、警察の誘導に従っていったら道に迷った。かろうじて助かったが、定時まで仕事をして同じ道を帰った知人は土砂に巻き込まれた。ご主人との携帯で通話し“ギャー”という叫び声が最後だったという。土砂災害の危険がもっと早く察知され、避難ルートが周知されていたら…と思うと、検証すべきものがたくさんある」などとも語られている。
深刻な被災地はいずれも山裾の谷間にある集落であり、市町村合併や行政の広域化によって置き去りにされてきた地域といわれる。災害によって露呈した「孤立化」がそのことを物語っており、被災地域の拡大と災害対応の鈍さは人災の要素を多分に含んでいる。危機に瀕している被災地への早急な支援と同時に、国による予算措置や行政手続きを含む公的機能の抜本的な立て直しが求められている。