韓国の珍島沖で沈没した旅客船「セウォル号」の事故が連日のように報道されている。運航する会社のいかがわしさやデタラメが過ぎるという事情はあるにせよ、市場原理改革によって規制緩和がやられ、過当競争がますます激しさを増す社会のなかで、いつでもどこでも起こりうることや、その普遍性が各界で話題にされている。利潤追求のためには社会的利益や公共性を足蹴にしても構わないというイデオロギーが浸透するなかで、似たようなブラック企業がはびこり、目先の利潤拡大のために考えられないようなムチャをやる。社会全体を劣化させていく市場原理の犯罪性が暴露されている。
非正規雇用跋扈し技術力低下
セウォル号の沈没事故を受けて、海運関係者のなかでは「あり得ない」と、誰もが絶句している。航海の安全は厳格な規制によって担保されているが、こえてはならない一線をあまりにもこえすぎていると指摘される。
海運に携わる男性は、「客室を改造して増やしていたが、6000㌧だった船が7000㌧になったら日本ではうるさくいわれる。それがパスしていたのも論外だ。車も積載オーバーで、そのうえに荷物もたくさん積んでいた。日本では入港するときに検査がある。かりに検査をごまかして過積載していたとしても、喫水線が見えなければ海上保安庁に取り締まられる。1カ月前に舵が故障していたのを修理していなかったのも考えられない話だ。ありえないことが積み重なって今回の事故になった」と指摘していた。
とくに船長をはじめ半数以上の乗組員が契約社員だったという点について、「日本でも規制緩和されて、船長も契約社員(日本の場合は有期の正社員)でいいことになっているが、どんなことがあっても船長を契約社員にしてはいけない。あれほど乗客を乗せているならなおさらだ。結局船長が一番に逃げた。契約社員を雇う会社も会社だが、そのような体制が容認されること自体おかしい」といった。
船員の非正規雇用化は海運業界のなかで広がっており、船員を持たずに航海ごとに契約社員を雇ったり、ほしいときだけ雇う会社も少なくないという。「今回は濃霧で遅れているのをむりやり出港したり、男女2人の乗客が下ろしてほしいというのを拒否している。経営者の考え方が“金”だからだ」と話した。
石油タンカーの機関長を務めていた男性は、「荷物がどのように積んであるか把握するのは一等航海士の仕事だ。積みつけ計算機というのが船内にあり、それを見ながらハッチごとにバランスを考えながら積んでいく。荷物を固定しなかったのも問題だが、今みたいにもうけ第一で船員を極力減らしている状態のなかで、あれだけの荷物を固定しろといわれても、自分たちもしないかもしれない」と話した。長時間かけて目的地に着く外国航路と違い、内航船は各地に寄港する。「少ない人数で、大量の荷物を港につくたびに解除してクレーンで下ろす作業をやろうと思ったら寝る間もなくなる」といい、経営効率を求めた少人数体制にも目を向けていた。
関係者のなかで問題にされているのは、低運賃の過当競争のなかで、シーマンシップが破壊されてきたことだ。船長には事故の状況を把握して、臨時に船を止めたり、場合によっては危険を回避するために意図的に浅瀬に乗り上げたり、波が高いときにはあえて油をまいて海面を静めるなど、状況に応じて対処する超越的権限が持たされている。また船長になるにはそうした緊急時の対応についての知識を持っているはずだという。セウォル号の事故では、救助するのに十分な時間と方法があったにもかかわらず、船長や乗組員が真っ先に逃げ出す事態まで至ったことが深刻な問題として受け止められており、「乗客や乗組員の安全・命を守る」「安全な航海をする」という、船員のプライドが崩れてきていることへの懸念が語られている。低賃金を根底にした労働モラルの崩壊、非正規雇用という無責任体制が跋扈することへの危惧となっている。
ただ、韓国の海運事情もひどい状況であるが、日本国内の海運業界をとり巻く事情も同じように厳しい。大手荷主によって低運賃・用船料が押しつけられ、中小内航船になると船齢20~30年という老朽船を駆使しているところがほとんどで、新規造船に手をつけられないほど経営が苦しい。末端の船会社にとって、「利潤って何?」と思うほど徹底的に搾られている現実がある。船員の高齢化も進み、航海技術の伝承すら心配される状態で、海洋国家の明日を誰が担うのか心配しなければならないのが実態だ。
東日本大震災で交通網が遮断され、救援物資が届かなかったとき、新潟回りでいち早く物資を被災地に届けたのは内航船だった。福島原発事故で放射能がまきちらされ、航海が規制される前に燃料を被災地に届けたことが、日本の海運マンの誇りとして語られている。その社会的役割は決して小さいものではない。日本沿岸の難所や海流の特質を知悉しているからこそ無事に航行できる関係だ。関門海峡で頻発する事故は外国船が多いことにもあらわれているように、専門知識や経験に裏付けされた技術がなければ安全は確保できないことを示している。低運賃を放置したまま海運業界全体が疲弊し、「契約社員の船長」どころか、規制緩和で外国人船員を内航船に導入しようとしていることに怒りが語られている。「航海技術を持った船員が育っていないので、セウォル号並でいこう」といっているのに等しい。
輸送業界では過当競争の激しさがどこも共通しており、トラックやタクシー、バスや飛行機にしても規制緩和で「格安」を売りにする企業が次次に参入してきた。格安を売りにした高速バスほど旅行会社が中小零細の新規参入組を酷使し、頻繁に事故を起こすことがとり上げられてきた。最近では飛行機も格安のピーチ航空が連日のように「危ない飛行機」として報道されている。
「格安」は危険と隣り合わせであることが社会的にも認知されてきた。企業にとっての経営効率がもっとも優先され、利益を上げるために人員削減で労働者に過密労働を強いていることが、事故の最大の温床となっている。労働者を犠牲にしているだけでなく、客の命を犠牲にする関係はセウォル号とも重なる。非正規や不安定雇用によって専門性が否定され、素人化することともかかわっている。
強欲な資本主義 社会発展の桎梏になる
富める者はますます富を蓄積し、一方に大量の貧乏人をつくる社会構造のもとで、高度に発展しながら社会全体は劣化し、106人を殺したJR西日本の脱線事故や、笹子トンネル崩落事故、福島第一原発事故など、考えられないような事件・事故を量産するようになった。大企業の利潤獲得、もっといえば大企業の株主である金融資本の利潤獲得のために徹底した搾取がやられ、その産物として社会的崩壊があらわれている。
経済大国といってきたのがいつの間にか貧困大国になり、労働者の3分の1は不安定な低賃金で非正規雇用にされてきた。本来は物を生産して販売することで利益を得ていたはずの製造業でも、株主から合理化を迫られるようになり、人員削減や安全無視がやられ、経費を削減して株主にばかり配当が回るようになった結果、工場は爆発事故を起こし、技術継承もできずリコールも後を絶たない。
そうして大企業や金融資本は膨大な内部留保を貯め込み、その傍らでは規制緩和の恩恵を受けてセウォル号オーナーとそっくりなブラック企業の成り上がりが「勝ち組」といってのさばるようになった。
6年前のリーマンショックから続く現在の世界の金融危機は、80年代からアメリカがすすめてきた新自由主義・グローバル化の破たんを暴露した。この新自由主義は、金融詐欺師を中心とする強欲な大資本が、一切の社会的な規制をとり払って、好き勝手に金もうけをする自由であり、世界中の働く者を人間生活ができない奴隷状態におき、首つりする自由を与えるものであった。
産業資本の上に金融資本が君臨し、利潤はモノを作り出して販売して得るというよりも、証券投資や株投機で荒稼ぎしていく構造ができあがり、労働力も含めた社会資本がみな食い物にされてきた。「社会のため」にある労働の有用性や役割を否定して、ひたすら私的な利潤を追い求める。市場原理が野放しになったおかげで、労働だけでなく医療や福祉、学問にいたるまで崩壊状況に直面することとなった。STAP騒動のように真理真実などどうでもよく、科学者が捏造天国に身を委ねるまでモラル崩壊は深刻である。
カネもうけのために、船が沈没するほど荷物を積み込む。同じようにもうけるためには辛抱が効かず、爆発事故を起こしてなお原発再稼働を叫ぶ者もいる。日本社会がどうなろうが知ったことではなく、海外移転して銭もうけに勤しむ大企業ばかりである。安倍晋三になるとTPPで米国外資企業の草刈り場にするだけでなく、「集団的自衛権の行使」を主張して米国本土防衛の盾に日本列島を差し出そうとする。沈没するとわかっていて号令をかけるのはセウォル号オーナーに限らない。
後は野となれで社会を劣化させる構造にメスを入れ、全社会的な世論と運動を強めて転換させることが待ったなしの情勢となっている。腐朽衰退する資本主義社会の矛盾が極点に達していること、社会発展の桎梏になっている者の存在を鮮明な形で浮き彫りにしている。