世界的にセクハラ告発の流れが強まり、日本でも国会内で黒いドレスを着た女性議員が「#Me Too(私も)」のポスターを掲げるまでになっている。こうしたなかで、真の婦人解放の道筋をめぐる論議が発展しつつある。
フランスでは今年に入って、著名な作家、ジャーナリスト、女優、心理学者、医師ら100人の女性が『ル・モンド』紙に連名で、「セクハラ反対」が度をこして、新たな「ピューリタニズム(清教徒的な過剰な潔癖主義)」の波が起きていると警告する公開書簡を寄稿した。
書簡は「女性に対する性的暴力が、とりわけ、権力を悪用する男性がいたりする職場環境における、女性への性的暴力が、正当に意識されるようになりました。こうした問題が意識されるようになったこと自体は、必要なことでした」と、「女性への性的暴力」、つまり女性を男性の享楽物と見る考え方への社会的な批判の高まりを歓迎したうえで、次のようにのべている。
「しかし、自由に発言できるようになった女性たちの矛先が、いまや逆方向に向かいはじめました。わたしたち女性は、しかるべく話し、女性たちの気分を害することはいわないように命じられ、この厳命に従わない女性は、裏切り者であり、男たちの共犯者とみなされてしまうのです」
さらに、こうした社会的な根拠を踏まえず男女間の対立を一面的に煽る潮流の根底には、「女性を保護し、解放するという口実を持ち出すことによって、彼女たちをよりいっそう永遠の犠牲者の状態に鎖でつなぎとめようとすること、かつての魔女狩りの時代のような、男尊女卑の悪魔たちによって支配されたか弱い者の状態に、鎖でつなぎとめようとする」傾向があると指摘。「これこそがピューリタニズムの特性なのです」と訴えている。
フランスでは「豚野郎を告発せよ」という「セクハラ糾弾」の運動が起こっている。書簡はこれに対しても、「“豚ども”を屠殺場送りにしようとするこの熱病は、女たちを自立させるどころか、実際には、性的に自由な敵たちを、宗教的な過激主義者たちを、最悪の反動主義者たちを、さらには、善の根幹をなす概念とそれに似合うヴィクトリア時代のモラルの名のもとに、女は“別の”存在であり、大人の顔をした子どもであり、保護されるべき存在であると考える者たちを、利するだけなのです」と批判するとともに、「ときに耐え難いものであったとしても、それが必然的に女性を永遠の犠牲者としてしまうことがあってはならないのです」とのべている。
書簡ではまた、女性作家のなかには編集者から、男性の登場人物の「性差別主義」の度合いを弱めて書いたり、「女性の登場人物が受けた心的外傷」についてもっとあからさまに書くよう求められる事態になっていることも暴露し、表現の自由を抑圧する「全体主義的な社会の空気」を問題にしている。
この書簡に、女優のカトリーヌ・ドヌーブが名を連ねていることもあって、フランスやイタリアなどのフェミニズム団体が、ドヌーブを引き合いに出して、署名女性たちは「レイプの擁護者」でありハラスメントの被害者たちを「侮辱する」行為であると非難を浴びせている。これを受けて、ドヌーブが書簡の文章上の弱点とかかわって、被害者に謝罪したうえで「基本的な考えは誤っていない」と書簡に署名したことの正しさを主張し、「この問題では、今後いっさいコメントしない」と弁明した。
この問題は日本にも伝わり、「セクハラ反対」に熱心な活動家たちやメディアは、ドヌーブら公開書簡に署名した者に対して「女性解放の流れに逆らう保守派」「セクハラ男性を免罪するのか」などと怒りを強め、あるいは冷ややかな目を向けている。
日本国内における歴史的論争 平塚らいてうらの婦人運動
こうしたことは、日本における婦人解放運動をめぐる歴史的な論争を思い起こさせる。戦前、日本キリスト教矯風会がおこなった「公娼廃止」や「一夫一婦制の法制化」の誓願運動をめぐって、平塚らいてうら婦人運動の担い手たちが「宗教的な観念上の潔癖主義」と批判したこともその一つである。
矯風会は明治中期、アメリカのプロテスタントが設立した万国矯風会の日本支部として、矢島楫子が起こした会である。当初、南北戦争後の米軍の酒乱や性的びん乱を許せぬとして起こした禁酒・純潔運動を日本に導入しようとしたが、うまくいかず「男女の貞操問題ほど大切なものはない、これが国家の根底である」というキリスト教的道徳運動に切り替えた。
平塚らいてうは「矢島楫子氏と婦人矯風会の事業を論ず」(1917年)で、矯風会の「一夫一婦制」や「公娼廃止」の誓願運動について、形式的外面的な要求に終始し問題を女性問題に切り縮め、フランス革命以来の人類解放を目的とした婦人運動ではないと批判した。日本における事実上の一夫多妻や公娼制度は、婦人が自立できない経済生活に置かれている日本特有の社会制度を根拠にしたものであり、婦人が自立できない社会の変革と結びつかないかぎり、隠然たる一夫多妻や売春をなくすことはできないと主張した。
こうした批判に対して、婦人運動家の青山(山川)菊枝が「男子の身勝手を看過し」て「公娼廃止」に反対するのかと詰問したことがあった。当時、らいてうと同じ『青鞜』のメンバーであった伊藤野枝はこれを受けて、現実の生活やものごとの本質を歴史的社会的に見極めようとせず、ただ「許せない」という上ずった潔癖主義で突っ走る現実離れを批判した。そのうえで、形式的に「公娼廃止」ができたとしても「売淫を生み出すこの変則な社会制度」が続くかぎり隠然公然の売春はなくならないこと、そのような運動なくして「売淫と云ふ侮辱から多くの婦人を救う」ことは不可能だと指摘していた。
矯風会は、1939年には国民精神総動員の一環として純潔報国運動の推進に一役買ったことでも知られる。
作家の宮本百合子は、昭和恐慌以来の農村の疲弊のもとで娘の身売りが日常化するなかで、矯風会が「農民が道徳をさえわきまえぬ者で娘を売るように口やかましくほんの一部の身売り防止事業などに世人の注意をあつめ」ようとしていることを批判して、次のように論じていた。
「今日娘の身売りは、道徳的な方面からだけ問題を見る方向へそらされて、徳川時代から引つづいたそのような風習の根源である、東北の農民の歴史的窮乏の経済的原因は、後の方へ引とめられている。もし愛国婦人会や矯風会が本当にそういう事を防止するために一般婦人の力を糾合するのであるなら、それらの婦人に先ず第一、小作制度の本質をつきとめさせ、農民の負うている負債の性質について実際を理解させなければならないのであろう。そのような根本的な点にふれぬために現代の社会機構について知識のうすい婦人の層を動員しての身売防止運動であることは、既にしれわたった事実であると思われる」(1935年「村からの娘」)
「政府は東北局というものを新しくつくらなければならない程度に、日本の農村は貧困化している。売られて都会に来る娘の数は年を追うて増加して来ている。矯風会の廃娼運動は、娘が娼妓に売られて来る根源の社会悪を殲滅し得ない」(1937年「若き世代への恋愛論」)
現在、会社や官庁などでは秘書や窓口の人事にいたるまで、婦人を男の享楽の対象として見ていることは公然の秘密である。婦人が人間としてではなく、性を商品化してのみ使用価値があり、婦人がその方法以外にまともな賃金の獲得ができにくいという事態こそ、女性に対する最大の侮べつである。
「男女平等」は経済的な生活の基礎がなければ問題にもならない。だが戦後、婦人参政権をたたかいとり、「女性参画」が叫ばれる現在においても、男女の賃金格差は埋まることなく、とりわけ女性のワーキングプアや母子家庭の困窮はきわまっている。また、それが男子労働者の労働条件を引き下げ、家庭生活を困難に追いやっている。こうした「男尊女卑」を生み出す社会制度を正面から批判し、女性を「か弱い被害者」意識に閉じ込めるのではなく、男子とともに新時代の建設者としてたたかう運動の登場こそ求められている。