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佐賀空港へのオスプレイ配備計画に反対する住民集会に1400人 佐賀市川副町 

 

 佐賀市川副町のスポーツパーク川副体育センターで1日、「佐賀の空にオスプレイはいらない!」決起集会が開かれた。佐賀空港への自衛隊オスプレイ等配備反対地域住民の会(古賀初次会長)が主催し、地元をはじめ市内外から1400人が参加して配備計画の白紙撤回を求めた。2014年に計画が浮上して以来、2年前から開催してきた住民集会は今回で3度目となる。沖縄での米軍機墜落に加え、佐賀県内でも自衛隊ヘリの墜落事故が起こるなかで、反対集会は漁業者、農業者、戦争体験者、周辺住民などが結束し、配備容認に転じる県知事、県議会、市議会を下から揺さぶる熱気に満ちたものとなった。

 

国策追い詰める住民の結束


 市民世論の高まりを示すように、会場には地元の農漁業者をはじめ、年配者、現役世代、親子連れなど幅広い世代の人人が詰めかけ、午後2時の集会開始時間には満員となった。
 壇上には、有明海の漁業者らが持ち寄った大漁旗が掲げられ、運営者として自治会長、老人クラブ連合会、農業者などの地域住民代表が列席するなかで集会はおこなわれた。
 冒頭には、去る3月27日、佐賀空港へのオスプレイ配備に反対する署名1万四292人分を山口祥義知事宛てに追加提出し、署名数は昨年の運動開始以来、12万6331人におよんだことが報告された。


 開会挨拶にたった古賀初次会長は、この間の経緯と反対運動をさらに広げる決意を以下のようにのべた。

 

あいさつする古賀初次会長

 一昨年12月、米軍オスプレイが沖縄県名護市沿岸に墜落して木っ端微塵になり、それを受けて開催した昨年の住民集会では、国に対して「佐賀空港への配備計画を撤回せよ」と要求し、山口祥義県知事にも反対を求めた。にもかかわらず、私たちの必死の願いを佐賀県議会の多数派は無視し、配備を認める意見書を採択し、知事もそれになびくような言動が目立ってきた。


 さらに昨年12月19日の佐賀市議会最終本会議では、自民党の多数派が配備容認の意見書を提出して20対15で可決した。だが、可決はされたものの、賛成した3会派はしどろもどろの討論に終始し、反対する8会派はすべて反対討論に立つという極めて異例なものだった。


 そこで注目されたのは、この計画の動向を左右する漁業者の対応だ。国が自衛隊基地の予定地としている佐賀空港西側33㌶の地権者である有明漁協の漁業者は、支店運営委員長をふくめた組合の総意として「自衛隊には土地を売らない」と断固としてはねつけている。30年前の佐賀空港の建設工事着工にあたり、当時の香月県知事と関係漁協が締結した公害防止協定では「自衛隊との共用は考えていない」との覚書きを明記しており、それが今日も立派に生きていることを漁業者の言動は示している。地権者が売らない以上、佐賀空港への自衛隊配備は進みようがないものだ。


 そして今年2月5日、目達原基地所属の対戦車戦闘ヘリAH64D(通称アパッチ)が神埼市千代田町の民家に墜落するという大惨事が起きた。墜落原因は、四枚ある羽根(ブレード)と回転軸をつなぐメインローターヘッドの破損とみられ、羽根はバラバラに吹き飛び、操縦不能になったヘリは真っ直ぐに民家に墜落した。乗っていた2人の自衛隊員は死亡し、2軒の民家が炎上して家にいた小学5年の女の子は驚いて逃げる途中で負傷をした。そのときの恐ろしさは言葉にいい表せないものだったと思われる。


 目達原基地に自衛隊ヘリが駐屯するようになって29年になるというが、初めてとはいえ現実に住民を巻き込む事故が起きた。防衛省以上に地元住民のショックは計り知れない。佐賀空港に移駐させる予定のヘリは50機にも及ぶ。これに加えて17機のオスプレイが配備されれば墜落事故が起こる危険は何倍にも増すことは間違いない。有明海に墜落・不時着すれば、日本一のノリ生産は大きな打撃を受けるだろう。


 ノリ漁民の一人としていえば、もし計画予定地に基地ができれば工事の期間中にセメント油などにより海水は汚染され、大量の排水によってバリカン症(低塩分海水や食害によってノリ葉体が消失する現象)がますます深刻化する。生活の激変が予想されるとともに、環境が破壊され、沿岸漁業は死活問題になる。


 国は「国防のため」というが、私たちは地域の住民の生命を守るのが仕事だ。これが地方自治体の使命ではないだろうか。私は昨年沖縄に行き、辺野古の基地反対運動を目の当たりにし、現地での交流を通じて沖縄県民の気持ちを肌身で感じてきた。相手があきらめるまで粘り強くたたかおう。それが私たちの生命と生活を守ることにつながっていくものだと確信している。


 佐賀空港にはオスプレイもヘリコプターも来るな! 平和な空と海を、私たちの暮らしを団結して守ろう!

 

地元住民代表らが発言

 

 つづいて住民を代表し、江口広樹(川副町農政協議会会長)、古賀一彦(西川副校区老人クラブ連合会会長)、江口善己(元川副町長)の地元3氏に加え、柳川市民や地元小学校の教師が意見をのべた【別掲】。干拓地の大半を占める農業者の立ち上がりや地域を支える住民、教師らの切実な思いに連帯する周辺住民の熱意溢れる発言に参加者から大きな拍手が送られた。


 ゲストとして沖縄から招かれた琉球新報社の滝本匠記者(政治部県政班長)が講演し、沖縄の現実から見たオスプレイの危険性について解説。オスプレイが構造上の欠陥を抱えていることはメーカーの検査技師さえ指摘しており、みずから巻き上げる砂埃によって故障したり、名護での墜落は事故率の高い空中給油によるものであるが何一つ改善もされないこと、日米合意である「住宅地の上空を飛ばない」「夜間飛行はしない」という禁止事項も、米軍の運用上必要である場合は除外されており、地元自治体による抗議も無視して日常的に危険な飛行がくり返されている実態を報告した。


 また、「沖縄での防衛省のやり方は、反対運動によって計画遂行に障害が生じれば、別の手段を使ってでも進めようとするのが常だ。土地取得が行き詰まればそれ以外の手を展開してくる可能性があり、簡単にあきらめることはない。暮らしや環境、人権を守るという共通の願いで結束して運動していくことが重要だ」とのべた。


 閉会の挨拶にたった地元の川崎直幸市議は、佐賀空港の建設当時、戦争を体験した親世代の漁業者たちが「必ずこの空港は自衛隊基地にされる」という先見の明をもって自衛隊との共用を認めない協定を結んだ経緯をのべ、「昨年、有明漁協南川副支店では、防衛省の地権者説明会での運営委員長の冒頭挨拶で“私たちは反対する”と売却拒否を明言しており、今後は協議にも応じないことを明言している。いくら県議会や市議会が容認決議をしようとも、漁業者が結束して対抗するなら計画は一歩も進まない。だが0・1%の可能性を求めて国、県などが切り崩しに力を入れてきたときは、今度は漁民も市民も一体となって1万人規模の決議行動を起こしたい」と呼びかけると、会場からは大きな拍手が起きた。


 最後に、参加者全員がプラカードを掲げ、「佐賀空港の自衛隊との共用を許すな!」「豊かな大地、宝の海を守ろう!」「オスプレイ来るな!」とシュプレヒコールを唱和して集会を締めくくった。

 

【住民集会の発言から】

 

■農業者も配備反対を決議  川副町農政協議会会長 江口広樹

 

 西川副で農業をしている。昨年、ここで1600人ほどの人が集まり反対の決議をあげた。その後、古賀会長をはじめ、みなさんが地道に活動を続けられ本当に頭が下がる思いだ。先日27日には県庁に署名を持って行かれた。行政というのは、1回目は部屋で署名を受けとったが、次は廊下で最終的にはロビーと、だんだん市民運動とは距離を置くような傾向がある。


 実は漁協の公害防止協定だけでなく、農協団体も平成2年3月30日に公害防止協定を結んでいる。その文言には「この協定の締結を空港施設の増設、及び空港運営の変更等を使用するときはあらかじめ協議する」と書いてある。

 そういった関係もあり、農政協議会としても県の担当者に話を聞きたいと要求しているが、なかなか来ない。
 オスプレイの事故率は平成24年くらいには1・65、地元に説明があった平成28年には2・62となり「これは軽微であるから大丈夫だ」といっていた。しかし1年たたないうちに3・27になっている。これに対し県庁の人にたずねても答えない。「それは防衛省が答えるべきだ」という。われわれは公害防止協定を結んだ当事者であり、相手は香月知事(当時)だった。それに対して県がなんの返答もしないというのは不思議な感覚だ。


 神埼市の事故などを見て、このような状態では農業団体としてもとても賛成はできないということで農政協議会としてオスプレイに関しては反対ということで地元で決議をあげた。
 オスプレイは一機200億円もする。国が高齢者の自立支援をおこなっている自治体に補助するお金が全国で200億円だ。全国の老人が元気になるためのお金がオスプレイ一機分だ。
 われわれも漁業者の方、住民の方と一体になってこの問題に対処していきたい。

 

■平和な郷土を孫たちに     西川副校区老人クラブ連合会会長 古賀一彦

 

 私は昭和一ケタ生まれで、第2次世界大戦の敗戦を迎えたのは小学校6年生だった。戦争の恐ろしさはこの目と心、足元で経験している。
 父親の転勤にともなって台湾の嘉義市にいたときのことだ。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で日米の大戦が勃発した。昭和17年後半から18年には、台湾でも朝8時半になると米軍のグラマン機が30機ほどの大編隊を組んで南から北上していき、それに続いてB29が20機ほど、毎朝決まった時間にまるでサラリーマンの勤務のように飛んでいく。唯一の情報機関だったラジオではなにも伝えられず、日本の駐屯部隊の人から「あれは沖縄の爆撃に行く飛行機だ」と聞いた。


 日本軍はバナナの葉っぱをかぶせて隠していた高射砲で、届きもしないのにポポンと弾を撃ち上げた。すると、そのB29のうち2、3機が引き返してきて爆弾を落とした。それから毎日のように、沖縄爆撃から帰ってくるB29が嘉義飛行場の周辺に爆弾を落とすようになった。航空隊の軍用トラックが爆薬を輸送するために、道路にずらっと並んでホロで隠してあったが、それらが弾薬庫に入ったころに、情報が漏れて米軍の爆撃を受け、自分たちが運んだ爆薬で街は三日三晩燃え続けた。これが軍用基地の現実だ。


 平成28年4月の防衛省の発表によると、佐賀空港に予定している配備規模は、オスプレイ17機、軍用ヘリ50機、人員は700~800名程度というものだ。まさに軍用基地をつくる目的であり、こんなものを平成の世の遺産として子や孫に残して、私たちは死ぬことはできない。「国防のため」といっても、ミサイルを撃ち合う時代に、我が愛する川副の町に軍用基地をつくることは戦争を体験した世代として大いに反対する。目先のことではなく、町の将来を長い目でじっくり考えて行動しなければならない。自衛隊に続いて米軍が進駐し、兵隊の数も非公開のうちに1000人、2000人と膨れあがり、川副は人口1割が外国人の町になってしまう可能性さえある。一歩譲ればズルズルと拡大していく。すべての住民がこぞって反対行動に立ち上がらなければならない。

 

■曲げられぬ地元との約束       元川副町長 江口善己


 「オスプレイくるな」「オスプレイは必要ない」というみなさんの集まりではあるが、その前にオスプレイどころか「佐賀空港は自衛隊と共用しない」、これが先決であると思う。


 川副町が佐賀市と合併してから12年目を迎える。それまで縁あって2万人の川副町町長を務めたので、佐賀空港には人以上に思い入れがある。


 今から半世紀、50年ほど前に川副干拓に佐賀空港をつくりたいという構想が発表された。川副町に佐賀空港が開港したのはちょうど20年前の平成10年7月28日だった。佐賀空港が構想以来、開港まで30年もかかったのはなぜなのか。当時、熊本の水銀汚染、飛行機の墜落事故などが多発していた。それで川副町のみなさんが、この日本一の有明海のノリが、万一事故などあれば大変なことになるということで役場の周りでたくさん反対運動をされた。


 そのなかで、みなさんが何度となく県の担当者に「佐賀空港を自衛隊に使わせるという話があるがどうなのか」と確認した。県の担当者は「県を信頼して欲しい。絶対にそんなことはありえない」といい、ならば一筆書いてそれを未来永劫に、いうなれば憲法のようにしようではないかということで決まったのが、「佐賀県佐賀空港建設に関する公害防止協定」だった。これが県と川副町、県と漁業者、県と農業者で決まった。


 だから私はオスプレイを論ずる前に「佐賀空港は自衛隊と一緒にはしない」ということをいいたい。オスプレイではなく、自衛隊そのものが佐賀空港には不要だと約束しているではないか。まず県は地元と約束したことについて守るべきだ。


 また県は「万一のときには事前協議をする」としているが、これは事前協議をすればいいというものではない。協議するというのはブレーキであってアクセルではない。事前協議すれば前向きに進めるというものではなく、絶対にあり得ないから念のために書いたのが事前協議である。


 佐賀県は論点整理ということで20項目を整理した結果、そのうち16項目はある程度納得できるということで前向きのように捉えているが、残った方はどうなるのか。「オスプレイ来るなの前に自衛隊来るな!」と川副町民を代表していいたい。

 

発言に聞き入る参加者(1日、佐賀市川副町)

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