今月14日から大規模な地震が連続して発生している熊本県内は、未曾有の事態に陥っている。熊本市をはじめ、宇土市、宇城市、益城町、御船町から南阿蘇村、阿蘇市など県央をまたぐように広範囲に激しい揺れが続いており、避難者は確認できるだけで19万人をこえている(17日現在)。本紙は17日、震源地となった益城町、熊本市に入り、被災現地の実情を取材した。
熊本県益城町 避難施設にも入れず
14日、マグニチュード(M)6・5、震度7の地震にみまわれた益城町(3万5000人)では、町の中心部は度重なる地震で倒壊した家屋が道をふさぎ、主要道路もアスファルトが大きく波打ち、亀裂が入ったり、陥没するなど壊滅的な様相を呈していた。上から叩きつぶされたように潰れて道路に散乱している家や、今にも崩れ落ちてきそうな家家の軒が道路に張り出し、無傷といえる建物は見当たらない。とても「屋内退避」などできる状態ではなく、体育館などの避難施設に入れない多くの町民は、駐車場、公園、空き地などでの車中泊や、雨が降らなければ地べたに敷いた段ボールの上での生活を余儀なくされていた。
役場や避難所の前では、自衛隊の炊き出しのおにぎりをもらうため早朝から長蛇の列ができていた。子どもを抱えた親からお年寄りまで、地震から3日目の朝を迎えた顔には疲れの色がにじんでいる。上下水道も電気も断絶したままで、風呂どころか毎日の飲み水も、決まった場所にくる自衛隊の給水車に頼る他はないが、掲示板にはどの場所も「時間未定」の文字が並ぶ。圧倒的に量が足りず、「風呂に溜めた水を飲んでしのいでいる」という声も聞かれた。
配給される食料は、朝と夕方に1人あたり1~2個のおにぎり。それも2時間も立って並ばなければならず、お年寄りは体力が持たない。お菓子などが救援物資で配られるものの、コンビニもスーパーも閉店しているため「この3日間、おにぎりしか食べていない」という人も多く、避難施設とともに、水不足、食料不足が深刻な問題になっていた。
小学生と幼児の子どもを持つ母親は、「着の身着のままで家を飛び出したが、避難所の体育館も福祉センターも満杯で入れない。家は半壊して住める状態ではないので、家族4人が2台の車で寝泊まりしている」という。「毎日のように起きる地震で瓦は落ち、昨夜の雨で家の中はびしょ濡れ。なんとか使える家財道具を運び出したいが保管する場所はない。子どもの着替えだけはなんとか確保したが、水道がないので洗濯もできず、お風呂にも入れない。毎日、夜になるとひどい地震が起こるので、保育園児の息子は精神的に落ち着かなくなる。一番困るのはトイレがないことだ。衛生的にもよくない状態が続いている」という。救援物資の受け渡し所では使い捨ての携帯トイレが配られていたが、「せめて避難所には仮設トイレを置いて欲しい」と切実に訴えていた。
70代の夫婦も、「家が潰れたが行き場所がなくて、車で寝泊まりしている。小さな児童公園さえも50台くらいの車で一杯になっている。そこにもトイレがなく、離れた場所で提供されているコンビニのトイレまでいくが水が流れないから衛生的に悪い。家は瓦が屋根を突き破って落ちてくる状態で、なんとか家財道具を守ろうとブルーシートを確保したが、病気がちの体でできる仕事ではない。業者に頼んでも道路が寸断されて来れないといわれ、とうとう昨日の雨で家の中は使い物にならなくなってしまった。ぜいたくはいわないが、今はせめて水の確保と、雨露のしのげる場所がほしい」と疲労困憊の表情で語っていた。
1000人を収容する町総合体育館は、玄関入り口まで段ボールや毛布を敷いて町民の避難生活の場となっている。車での生活ができない子ども連れの家族や高齢者などが多く見られるが、救援物資の段ボールが詰まれ、携帯電話の充電サービス、健康相談などがひしめきあい、すべてが騒然として心の休まる雰囲気はない。なかには炊き出しにさえもありつけない住民もいる。タクシー運転手の男性は「2日間おにぎり2つで生活している。今日はお客さんがカレーパンを一つくれたが、それで乗り切ろうと思っている」と話していた。
保育園児と乳児を連れて避難していた母親は、「赤ちゃんをお風呂に入れてあげられないのがつらい。食事も足りず、1人に最大で2食分と決まっていて家族全員分がもらえるわけではない。整理券も先着順で、食事が配られるずいぶん前から長蛇の列になるから1時間以上は待たないと食事がもらえない。だから足が悪いお年寄りまで食事がまわってこないこともある」と話した。バックアップ体制が足りないなかでお年寄りや乳児など弱者ほど、長引く避難生活のなかで体力を失って、健康を崩していくことが心配されていた。
そのなかで町外の親戚から届けられたおにぎりを近所の住民に配る住民や、駐車場を避難所として解放したり、無事だった商品をかき集めて無償で提供する店主など、住民同士の横のつながりで、励まし合い助け合って乗り越えていくため懸命な努力が続けられている。
熊本市 品薄の商店に長蛇の列
人口74万人を抱える県都・熊本市でも、食料と水不足が深刻化している。地震の影響で市内の32万世帯が断水し、いまだに復旧のメドは立っておらず、市内の255カ所の避難所に11万750人(17日現在)が避難している。施設の整備が間に合わず、車中泊がほとんどだ。さらに、セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートなどのコンビニやチェーン店は軒並み閉店や品薄による営業時間の短縮で、ドラッグストアも、イオン、ゆめタウン、ハローデイといった大手スーパーも閉店し、飲食店もデパートも開いていない。「お弁当が入った」「水が入った」という情報に人人が集まり、長蛇の列を作る光景が各所で見られた。
セブンイレブンの店主によると、「閉店が多いのはオーナーの判断と本社判断の二つがあるが、最大問題は商品が届かないということだ。弁当や惣菜などは工場側がフル稼働でやってくれているが、交通網が遮断されて市内まで届くには通常より5~6時間遅れる。そして、入ったとたんお客さんが押し寄せてあっという間に棚は空になってしまう。市内ほとんどの店が閉店しているので、ツイッターなどで“あそこの店が開いている!”という情報が流れるとそこに人が殺到する。朝九時に入った商品はすぐに売り切れ、もう夕方までなにもない状態だ」と話した。どの店も住民の要請で開店するものの、水などの飲料、パンやおにぎり、お菓子類など食料といえるもののほとんどが商品棚から姿を消していた。
3日目の午後になってようやく開店するというスーパー前に座り込んでいた高齢婦人(熊本市西区)は、「朝、避難所でパンが一つ配られただけでほかに何も食べていない。それでもパンがもらえただけまだ恵まれているほうだ」という。「マンションに一人暮らしだが、震度六強の地震ですべての棚が倒れて、食器はすべて割れてしまった。電気がくるが、水が出ないので煮炊きもできない。毎夜の地震で一人暮らしでは生きた心地もしないから、寒くても人がいる体育館で寝泊まりしている。せめておにぎり1個でもいいから、1日3回出してもらえないものだろうか」と訴えていた。偶然出会った知人におにぎりを一つわけてもらい、「ほんとうにありがたい…」と丁寧にお礼をいっていた。
県立総合体育館に段ボールと毛布を敷いて休んでいた20代の女性は「食べ物がないことと、水がないことが一番つらい。熊本市内では今日からスーパーやコンビニが営業を始めているがどこも長蛇の列で開店直後すぐに食料も飲みものも売り切れてほとんど手に入らない」といっていた。
同施設の管理者の男性は「救援物資の要請はおこなっているが、いつ来るのか、何が来るのか、量はどれくらいなのか、来てみないと分からない状態」と話した。
市内では現在、空港も閉鎖され、JR在来線も新幹線も運行再開のメドが立っておらず、高速道路も崩落して県北部の植木ICまでいかなければ乗れないため、市内は終日慢性的な大渋滞が起きている。それでも若い人がいる家庭は県外まで遠出できるが、移動手段のない高齢者はとり残される。飽食の時代といわれながら、災害時には74万人が移動もできず、食料さえ得られないという現実を突きつけている。
避難所の整備も間にあっておらず、市役所本庁舎も市民が押し寄せて「緊急避難所」となり、1階のロビー全体を避難者が埋め尽くしていた。熊本市の指定避難所となっている「アクアドームくまもと」(運動施設)には最大で2000人が避難してきたが、ほとんどが駐車場に車を止め、夜を明かした。市の避難施設だが、指定管理となっているため委託業者の職員が現場を切り盛りしている。
職員の女性は「M7を超える本震があった16日が一番避難民が多かったが、自衛隊の炊き出しは17日の朝に始まった。同時に給水もおこなわれたが、水を入れる容器のない人には給水できなかった。とにかく水が足りない。職員の数も足りず、避難者にボランティアとして食事の配布や給水などを手伝ってもらった。最初から避難場所として指定されているから災害時のマニュアルもあるが、こんな大地震がまさか熊本であるとはだれも想定していなかったのではないか」と話した。17日からは市の職員数人がアクアドームにも常駐し、避難者の対応に当たっていくという。
すでに全国各地から消防や行政担当者などが災害対応車両を連ねて県内入りし、車中泊をしながら援助に入ったり、被災者でもある地元の消防団などがボランティアで給水活動などの支援に回っているが、必要な情報の伝達や救援物資の配給、ライフラインが途絶えて切迫する現場の実情にかみあったバックアップ態勢を組み立てるのに苦心していることが現場担当者たちからは語られていた。あまりにも国なり政府の対応が鈍く、行政機能がフル回転して実情を把握したり、必要な食料や水を届けるといった対応が後手後手になってしまっている。そのなかで被災者自身が食料や水など必要な物を分けあったり、互いに心配しあって困難を乗り切ろうとしている。