いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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名護市長選の全貌を解明 現地取材から見えてきたこと

名護市の街並み

 辺野古への米軍基地建設をめぐって日米政府との激突が続く沖縄県名護市(人口6万2000人)における市長選挙は、自民・公明与党をはじめとする政府がかつてなく金力・権力を注ぎ込み、新基地建設反対を掲げる現職市長の首をとっていくものになった。それほど熱を上げたのは、知事や名護市長が基地建設を決定づける許認可権を持っているからにほかならなかった。これまで「辺野古移転は一地方自治体の首長選に左右されない」といってきた自民党政府は、選挙が終わると「民意が示された」といい、メディアは「辺野古移転加速」「基地反対疲れ、現実路線」「あきらめ感漂う」と市民世論が覆ったかのようなキャンペーンに熱を入れている。本紙はこの間、名護市に赴いて、陣営を問わず支援者や一般市民、商工業者、選対関係者、議会や行政関係者などを取材してきた。名護市長選の実態を調査分析して明らかにするとともに、来る知事選に向けた教訓はどこにあるのか、島ぐるみ闘争の展望について記者座談会で論議した。

 

主権を奪い取った東京司令部 電通や創価学会がフル稼働

 

稲嶺前市長(左)と渡具知市長

  今回の市長選について名護市民に話を聞くと、「これまで経験したことのない選挙だった」「外に出たくなくなるほど異様な雰囲気だった」「気持ちが悪かった」と口を揃えて語っていた。商売や人間関係を気にして「選挙については語りたくない…」と口を閉ざす人も含めて、常軌を逸した選挙戦だったという評価だ。


  当初は、辺野古への移設阻止を掲げる現職の稲嶺進市長が3選する雰囲気が強く、市民の中でも「楽勝」のムードだったという。ところが告示前後には「拮抗」といわれるようになり、選挙戦では最後の3日間で一気に流れが変わったという。まるで何かにとり憑かれたように自民党が抱える渡具知陣営の盛り上がりが表面化し始め、フタを開けると3500票の差が付いていた。この結果については「予想外で驚いた」「なぜこんな結果になったのか」と多くの市民が実感を口にしていた。


 自民党は昨年10月まで候補者選びで二転三転し、早くに市議の渡具知氏が手を挙げたものの、東京の自民党本部から「役不足」として断られ、北部地区医師会副会長の宮里達也氏(医師会病院医師)が出ようとしたが「家族からの反対」もあり辞退していた。堂堂と「基地容認」を主張することができないほど、辺野古反対の世論は根強いからだ。首相官邸が主導する形で官僚を落下傘候補にする案も浮上したが、県議レベルの選考委員会で却下となり、最後は「くじ引きか」とまでいわれるなかでの渡具知擁立だったという。はじめから地元では「勝てる」という実感は乏しく、開票日に当確が出ても候補者本人がポカンとしていた。後援会長になった宮里氏も顔色が悪く、当選直後はバンザイもしなかったことが話題になっていた。


  選挙後、稲嶺氏の市長退任式には500人以上の市民が横断幕や花束をもって駆けつけ、端から見て「祝勝会か?」と思うほど熱気に満ちていた。一方で、それとは対照的に渡具知新市長の就任式にはほとんど市民はおらず、市長の椅子に座ってもまるで針のむしろに座ったように目が泳いでいた。当選したにもかかわらず辺野古問題には一切触れず、「政府とは距離を置く」「丁寧に説明していく」と同じ文言をくり返すばかりだった。本人には支持者の実体が見えているのだろうかと思うほど、選挙結果と現実が乖離しているような印象だ。

 

宗教団体の気持ち悪い暗躍

 

東京で指揮を執った菅官房長官

  自民党からすれば、反対が圧倒的な辺野古問題と市長選とをいかに切り離すかが焦点だった。菅官房長官、二階幹事長、塩谷選対委員長などが続続と現地に入り、「ステルス作戦」といわれる水面下や裏通りでの選挙活動に熱を上げていた。

 

 前回市長選との大きな違いは、「辺野古移設反対」「海兵隊の県外・国外への移転」という立場から「自主投票」としてきた公明党(創価学会)が、自民党候補を推薦し、総力戦を展開したことだ。創価学会トップの原田会長が告示前から沖縄入りして檄を飛ばし、ナンバー2の佐藤副会長が名護現地に常駐して陣頭指揮を執るなど、「平和の党」を標榜する宗教勢力が相当に前のめりでかかわった。全県・全国から学会員を総動員し、渡具知陣営の全面支援に乗り出した。市議2人の得票を合わせて2000~2500票といわれる公明票の投票先は、これまで7~8割が稲嶺側だったといわれるが、今回は現地の学会員1人につき2人体制で、5000人規模の学会員を説得要員として県内外から投入して締め上げたという。県内の創価学会は婦人部を中心に辺野古反対の声が根強いといわれ、この宗教票をもらうために自民党は公約に「海兵隊の県外・国外への移転」を盛り込むなど欺瞞した。


  市民からは、「何十年も会っていない東京にいる同級生(学会員)から突然電話がかかってきた」「マイクロバスで集団で乗り込み、2~3人ずつの組になって民家や店をくまなく個別訪問し、“現市政のせいで市が寂れた”と説得していた。“よそからきて何が分かるのか!”と叱ると二度と来なくなった。反応を見てどの家がどちらの支援者なのかをチェックしているようだった」「電話による世論調査で“どちらに投票しますか”と聞かれ、決めていないと答えると学会員が3人組で戸別訪問に来た」「選挙のことなどひと言もいわず“保育料と給食費が無償になるから”といわれ署名すると、その後に公明党から電話がかかってきた。本当に気持ち悪かった」などと語られ、数千人による調査で市内全2万7000世帯の情報をくまなく調べ上げたとみられる。さながらローラー作戦だ。そうして両陣営の固定票の所在を把握したうえで、とり込める浮動票のありかを調べてピンポイントで切り崩したのだろう。「投票日前日のチラシの配り方もかなり精密だった」と選対関係者は話していた。


  期日前投票が始まると200台ものレンタカーを借り切って、1人は運転手、1人は介助者の2人組でお年寄りなどを投票所にピストンで運んでいたという。ピストン便は高校前や大学前にもあったといわれる。活動拠点の学会平和会館に1人ずつ呼び出し、「今日はあの人とあの人を投票につれていくように」と担当を決め、本人が応じるまで説得する徹底ぶりだったと語られていた。企業の動員も含めて、期日前投票が全体の44%にものぼったのはそのためだ。「平和の党」といいながら、辺野古基地建設を進めるために自民党にはできない芸当をやってのけた。なんだか平和のために呻吟(しんぎん)しているような素振りをしていたが、蓋を開けてみたら実働部隊の投入も含めて、相当に凶暴じゃないかというのが名護市民の実感のようだ。

 

誹謗中傷のビラ数十万枚

 

 

 A 一般宣伝では、発行元不明なものも含めて数十万枚に及ぶビラによる徹底的な現市政に対するネガティブ・キャンペーン(誹謗中傷)をやった。「革新市政、8年間で135億円の損失―基地再編交付金を政府との対立を理由に受けとらず」「名護市民1人当たり所得、県内30位―8年間の結末、積極的に所得を増やす政策なかった」「市財政、57億円も借金増大」「名護市営球場の危機―改築の判断が遅れ、日本ハムキャンプが米国アリゾナへ移動」などというものだ。日本会議などの宗教団体が、若者が多い大学周辺で集中的に撒いたという。


 ところが議員や行政関係者を取材して検証すると、基地再編交付金は8年前に国が「米軍再編に協力する条件を満たしていない」との理由でFAX1枚で打ち切っており、「受けとりを断った」事実はなかった。そのため名護市は再編交付金に頼らないまちづくりを目指し、その姿勢に共感する全国からのふるさと納税が増え、クラウド・ファンディング事業を含む納税額は3億8600万円に達するなど自主財源は拡大していた。失業率も05年度の12・5%から5・1%へと改善し、建設事業費の予算も再編交付金をもらっていた島袋・前市政時代(65億円)を大幅にこえる89億円(那覇市に次ぐ規模)に達している。国が8年としていた学校耐震化も3年で完了し、そのための起債57億円は76億円の基金の積み立てで十分返済可能であり、財政の健全さ(借金の少なさ)を示す実質公債費率は6・3%(県平均8・7%)で県内11市でトップだ。国の経済制裁を跳ね返し、予算額も交付金をもらっていた時代よりも増加している。


  「ゴミの16分別で袋も高い」とか「公共事業が一切なくなった」というのもあったが、ゴミ16分別は「基地容認」の島袋市政が決めたもので、当時与党市議だった渡具知氏が賛成した案件であったことや、公共事業について稲嶺市政は分割発注による地元企業の入札を拡大させ、容認市政の頃に比べて仕事が増えたことは中小土建業者もみんな知っている。誹謗中傷のほとんどが人心を惑わせるためのフェイク(虚偽)だった。


  そもそも県民を苦しめているのは、沖縄戦でのおぞましい殺戮のうえに沖縄に侵略し、銃剣とブルドーザーで土地を奪って70年以上にわたって占領支配してきた米軍だ。そして、奴隷根性を丸出しにして米軍基地を提供するために県民を翻弄してきた日本政府だ。その責任のすべてを現市政に転嫁するため、6万人の小さな町に数千人の工作員と10万枚をこえる大量のビラ、インターネットまで使った物量作戦で、「嘘も100回いえば真実になる」(ヒトラー)を実行した。中東などでの政権転覆に介入するCIAのやり方と重なる。なにがなんだかわからないように有権者の脳味噌を攪乱して、いっきに持っていくやり方だった。

 

渡具知陣営の政策ビラ

  ビラ作成には大手広告代理店・電通がかかわったのだと幾人もの選対関係者が指摘していた。「ビラの質が途中からガラッと変わった」といわれ、明らかにプロの手が加わっていた。ハワイのようにきらびやかに開発された海岸線のイメージ図を大きく載せた渡具知陣営の政策ビラには、リゾートホテル、映画館・屋内アミューズメントパーク、国立保養施設、Free Wi-Fi (無線LAN)の整備…等等、若者が喜びそうな都市型イメージをちりばめている。
 あくまですべてイメージなのだが、雰囲気を煽るには十分なものだ。「高校生までの医療費、学校給食、教材費の完全無料化」などのワンフレーズを強調しているが、これも実現の根拠などなにもない。


  そして演説では「辺野古のへの字もいわない」との取り決めを徹底させ、絶対に基地問題には触れなかった。4年前の市長選では、石破幹事長が「辺野古容認の見返り」として「500億円規模の振興基金創設」をぶち上げながら敗北したからだ。候補者本人は、「完全無償化」などのワンフレーズを連呼するだけで主張や政策を語らない。「本人の声を聞いていない」という人も多く、その代わりに小泉進次郎などが「名護市長選は国との代理戦争の場ではない。まちづくりの政策論争をしよう。こんなにすばらしい名護がどうして栄えていないのか? 観光客がハワイをこえた那覇の好景気の波が必ず名護にもやってくる! 分断や対立を終わらせて新しい街づくりを!」と、わざわざ東京から2回も来て演説していた。国との対決ではないのなら、どうしてオマエは2回も名護にやってきてムキになっているのか? という単純な話なのだが、名護高校前など若年層を意識した場所で演説をして、持っていける票はみな持っていくというものだった。


  渡具知陣営は有権者やマスコミなど7団体から求められた公開討論への出席には一切応じず、「質問は文書で」とか「新聞紙上で」といい、その回答文は裏選対が作成するという文字通りの代理戦だった。とくに自民党がターゲットにしたのは今回初めて市長選の投票権をもつ18~19歳世代だったという。沖縄戦とその後の占領支配を経験している年配層は基地反対で揺るがない。事実、稲嶺票は前回から1000票程度しか切り崩されていない。戦争体験のない若年層なら取り込めるという狙いだったようだ。高校生では渡具知候補の娘も「大活躍」したといわれるほか、スマホで簡単に情報がやりとりできる会員制交流サイト(SNS)のグループで仲間を募り、「市長がかわればスタバができる」「映画館もできる」との談義を盛り上げた。力を入れたのが反対運動へのネガティブ・キャンペーンで、辺野古ゲート前での反対運動と住民とのいざこざを逐一拡散し、辺野古がそのような事態になっている根源には触れることなく、「あんな反対運動はいやだ」という同調圧力を強めた。「イメージが先行して基地問題は二の次になり、高校生のなかでも“稲嶺さんに投票するとはとてもいえない雰囲気”がつくられた」と語られていた。

 

辺野古基地予定地の護岸工事

 B 「知事や市長が反対しても工事は止まらない」というのも国側が力を入れた印象操作だ。沖縄二紙も含め、全メディアが「今日はトラック300台が入った」「石材が投下された」などと毎日のように報じている。だが実際の工事の進捗率は、着工から3年半たっても全体の1%にも満たない。「工事は進んでいる」というポーズを補完する程度のものだ。トラックが何百台入ろうが、市長が権限を持つ河川の水流変更や土砂搬出のための漁港使用の許可が下りなければ、護岸までは触れても土砂投入はできない。知事には、埋立承認の「撤回」だけでなく、施行順序や埋立用地の変更、期間の伸張の許可、岩礁破砕許可、特別採捕許可など数多くの権限がある。最近では、基地建設予定地に活断層の存在が明らかになり、海底地盤のボーリング調査を五年間も続けており、海底地盤に何らかの問題があることが指摘されている。まだまだ多くの難題を抱えており、基地建設は入口にも入れないのが現実だ。そもそも本当に「自治体の認可が工事に関係ない」のなら、これほど全力をあげて国が市長ポストをとりにいく必要などないのだ。


 A 名護市長選の構図は、空母艦載機部隊の移駐をめぐってたたかわれた2006年の岩国市長選とそっくりだった。岩国では、当時の市長が移駐に反対したため、安倍政府は約束していた補助金を凍結し、それを財源にした市役所の建て替え工事が中断となった。市議会は予算案を何度も否決して、出直し市長選にもちこんだ。
 自民党は地元選出の代議士をかついで「市民党」「容認はしない」と偽装し、選挙戦では創価学会が2~3人のグループをつくって街角や商店、病院などで「このままでは夕張(財政破綻)になる」「市営バスもなくなる」「国立病院も移転する」「現市長は共産党」などの口コミ作戦を展開した。
 あのときも学会員が大量に動員されて、街角で周囲に聞こえるように敵対陣営のデマを会話形式(学会員同士)で放言したり異様だった。そうして僅差で市長ポストをもぎとった。まるでテロ選挙ではないかと話題になったが、基地の町ではこのようなCIA仕込みかと思うような謀略選挙で地方自治体から主権を剥奪していくのが共通している。

 

「機密費5億」による買収 

 

  自民党政府は今回の市長選を見越して、凍結した再編交付金(年間約20億円)を再開する意向をちらつかせていた。建設予定地の地元辺野古の久辺3区には、「移設に前向き」との理由で15年度から市を通さずに年間数千万~1億円の補助金を直接投下するなど「アメとムチ」を使い分けて地域の分断を煽ってきた。


  選挙過程では、官房機密費など5億円が投じられたといわれ、「1人10万円もらった」などの話題が市内あちこちで飛び交っている。飲み食いなども含めると、高校生も含めてほとんどの市民が知っているほど派手な買収がやられた。「官房機密費から5億円」など真相を解明しようにも機密を公表させるしか術はないが、名護現地で議会関係者や選対関係者が「知り合いの県警関係者からの情報」として真顔で語っていたことだ。学会員をあれほどフル動員できるのもカネがあるからだ。学会が身銭をはたいて全国から信者を連れてくる組織だとは誰も思わない。あるいは電通がボランティアで渡具知氏を応援したのだといっても誰も信用しない。金力と権力を持っているからこそなせる技だ。


 ある土建業者は、「名護では、自民党が投下する機密費の胴元になるのは、埋め立て工事を独占している(株)東開発の仲泊弘次会長(沖縄県防衛協会北部支部会長)と決まっていて、自民党の実質的な地元選対もここにある。業者は期日前投票に何人行かせたかを毎日ここに報告しなければいけなかった。仲泊会長は県砂利採取事業協同組合のトップでもあり、今も周囲の山を買い漁っているともっぱらの噂だ。地元ボスとして自民党が頼りにする存在だ。これまでの基地容認派の市長はこの人の“操り人形”といっても過言ではない。だが“市長など俺のいうことを聞く者なら誰でもいいんだ”と放言するような人物であり、市民の反発も強い。渡具知市長も“仲泊の人形”と見なされたら1期で終わるだろう」と話していた。「仲泊の子飼い」といわれた島袋市政の時代には、市の公共事業を東開発グループが独占したため、業者間では「(最低制限価格を)知っている業者には勝てない」が語りぐさだったという。


  「再編交付金が入っても、そのカネは一部の利権関係者に流れていくし、ゼネコンが小さい工事にも手を伸ばしたため市内では中堅企業がバタバタと潰れた。その結果、島袋が市民から見放され、稲嶺市長になってからは大きな工事も分割で地元に発注したので、まんべんなく仕事が回るようになり、今では人手不足で入札不調になるくらい仕事はある。自民党がいう“元気がない”“閉塞感”という感じは正直ない」といわれていた。


 年配の業者は、「中古車組合、飲食組合などのすべての企業団体に本土から上の人が来て指示を出した。だから渡具知をやらざるをえなかった人も多い。そのなかには基地反対の人もたくさんいる。再編交付金でハコモノをつくっても維持費はどうするのか。これからの市政は問題を山ほど抱えている。もともと保守の人間だが、基地に関しては絶対に反対だ」と話していた。他にも「東京のゼネコンから“名簿を出してくれ”と要求された」「那覇や中南部の取引先企業も訪ねてきて“負けたら今ある仕事もできなくなる”といわれた」という話や、中小企業の社長にまで菅官房長官から直に電話がかかってくるなど、締め付けは異常だったことが語られていた。


  渡具知氏に投票した人たちも、熱狂から冷めてわれに返ってみると「これで本当によかったのか?」と自問自答している人が多い。「知りあいだったので応援していたが、途中から宗教じみた気持ちの悪い熱狂になって身を引いた」「どうせ現職が勝つと思っていたから投票したが、これほど差がつくとは思っていなかった」「地元代表として国と交渉するといっていたが、結局、国に操られただけだった。知事選で知事までかわったらブレーキがきかなくなる」と今後を心配している人も少なくない。「米軍に新基地を提供するために犠牲になる名護市の住民同士が対立して争わされる。それを上からアメリカが笑ってみていると思うと素直に喜べない」という意見もあった。

 

名護市役所

  「国とは一定の距離を置く」という渡具知市長だが、今週にも自民党市議団と一緒にさっそく上京する予定で、今後の人事で副市長なり、政策調整官なりのポストに国から官僚を迎えるという話が広がっている。自民党丸抱えの選挙をやったため、自分ではなに一つ決められない関係に縛られている。「国を動かす!」といいながら、国に動かされていく市政になるのは明らかだ。要するに名護の主権を首相官邸及び東京の外部勢力が奪いとっていったのだ。ただ、渡具知氏が「容認ではない」「海兵隊の県外・国外移転」の公約を放棄して、辺野古容認に傾けば市民は黙っていない。「選挙のために有権者を欺した」となれば、これまで以上に反対運動は熱を帯びる。公明・創価学会などは袋叩きになりかねない。工事を進めるうえでの市長権限をどのように行使するかについても鋭い視線が注がれており、好き勝手にはできない圧力に包囲されている。

 それが名護における力関係なのだと実感した。一度の選挙で負けたからといって、それで敗北になるわけではない。国策とのたたかいとはそんなものなのだと沖縄の人人に教えられた。

 

「反対」の顔した裏切者の役割

 

  確かにイメージ選挙はすさまじいものがあったが、「地獄の沙汰もカネ次第」の基地容認・経済振興論は、沖縄ではとっくに破綻している。基地があるからこそ危険が増し、経済も疲弊してきたことは、屈辱的な米軍支配を強いられた70年余の全経験から結論が出ており、だからこそ翁長知事を筆頭にこれまで保守層といわれてきた人たちがたちあがってオール沖縄で結束した。この流れがふたたび「基地マネーに依存しよう」とはなりようがない。むしろ反対運動への打撃として見過ごせないのは、稲嶺陣営にも選対が麻痺するほど外部勢力が介入していた事実だ。「自民党も官邸主導だったが、反対陣営も東京主導だった」といわれていた。


  市民からは「稲嶺さんの応援にくる人はほとんどが県外からくる人たちで、地元支援者の顔が見えなかった」「辺野古反対のプラカードをもって道路を歩いたり、稲嶺応援の旗をもって道路端にずらっと並んでいる人の8割が本土の人だった」「共産党が県内外から大動員をかけて一日に何度もピンポンを押され、面会を拒否してもしつこく説教をしてきた。地元のことをなにも知らないのに自己主張するばかりだった」「“共産党”の国会議員が何人も演説にきたが、稲嶺さんの支持基盤はもともと保守層で、共産党支持者ではない。すごく違和感があった」「与野党どちらも名護を舞台にした政党間論争になっていた」「表で動き回るのが地元ではなく、政党代表などの東京勢力ばかりだったことが一番の敗因ではないか」など、批判が多く聞かれた。


 稲嶺陣営の選対は、「共産」、民主系、社民、社大、勝手連などの政党・団体が寄り集まり、選対関係者によれば本土から一日100~150人の「応援団」がマイクロバスに乗って小さな事務所に押し寄せていたという。その大量の外人部隊の世話をするため地元の実働部隊が裏方に回らなくてはならず、市議たちも「前回までは市内の55地区をくまなく回って住民と直接対話をしてきたが、今回は選対が忙しくて、地元をほとんど回れなかった…」「洪水のようなデマ宣伝を覆すだけの説明責任が果たせなかった」と悔やんでいた。いつもなら即座に貼り出されるポスター掲示も遅れるなど、組織的な動きが手薄になった。

 

 あいついで「応援演説」に乗り込んできた野党党首や国会議員の訪問も、選対と別のところで日程や時間が決まり、そのたびに地元選対が場所の確保や人集めに走り回る。名護は「地元出身者でなければ市長にはなれない」というほど土着意識が強い地域といわれるが、そこに地元と縁もゆかりもない国会議員や政党団体が顔を売るためだけに押し寄せるというのは逆効果にしかなりえない。選対を担った市議団は、稲嶺前市長と同じく保守や革新をこえて辺野古反対の一点で結束してきた議員が多く、特に野党の支援者が多いわけではない。「誰がやっているのかわからないようなお祭り騒ぎでは勝負にならない。保守、革新を問わずしっかり足場を固める地域密着の選挙をやるべきだった」と総括していた。地元の意に反した選挙戦だったということだ。


  選挙になるとどこからともなくやってくる応援団にも頭を抱えていた。稲嶺陣営が演説している横で、「ススム」(稲嶺氏の名前)の旗をもって歌ったり、踊ったりする。選対が「迷惑だからやめてくれ」といってもいうことをきかない。また、「学生の会」なる団体の「渡具知氏に公開討論会への参加を要求する!」などと書いた横断幕が、一夜のうちに市内数カ所に掲示されたが、選対関係者や支援する学生たちに聞いても誰も知らない。稲嶺選対では「公選法に引っかかるような過剰宣伝はやらない」と一致していたのに、稲嶺陣営カラーの青を基調にした横断幕で、あたかも陣営関係者がやっているかのような印象を振りまきつつ、「稲嶺陣営は品がない」「得体が知れない」とアピールする効果になった。「相当にお金がかかっているが、誰がやったのか?」と不信がられていた。


 どうも味方のような顔をして、実は選対をぶっつぶしにきたのではないかと疑うレベルだ。選挙では有権者への配慮を陣営はもっとも気にするのに、飛び跳ねたり、人から嫌われる自己主張型が抱きつき心中しに来たような印象だ。本土からやってきて現地選対を裏方で支えるならまだしも、オマエたちが主人公になってどうするのかと思う。それで名護市民が興ざめするのだから、足を引っ張ったと断罪していい。選挙で陣営に貢献するとは、街頭で旗を振り回したり、歌ったり踊ったりすることではない。一票一票を確実にとってくることだ。勘違いしてはならない。


  集票活動といっても「稲嶺応援」と称して「子どもたちがどうなってもいいんですか」と市民に説教したり、平気で喧嘩をする。その市民からの苦情は選対に来るため、その対応に追われて大変だったようだ。公明顔もあれば、共産顔もあり、市民は忌み嫌っている。辺野古反対の市民にも「あんな運動は支持できない」と眉をひそめさせる効果を生み、「工事は止められない」という欺瞞宣伝と繋がって人人を冷めさせる構図になっている。


  決起集会などをすると、1500とか3000人という規模の人が集まるが「そのうち地元は3分の1程度だった」というのが選対関係者のリアルな実感だった。「どこからともなく集まって数だけは多いが、それがどれだけの票になるのか読めなくなる。見かけだけ圧勝のような空気になっていたことも、選挙戦への引き締めを弱める効果になった」と振り返っていた。側から見て「共産党やよそものばかりじゃないか」と自民党側が突っ込む要素にもなった。


  稲嶺氏の地元に住む年配の支援者は「選挙戦は、外部から明らかに共産党の見た目をした人たちがどんどん入ってきてイメージが悪かった。私は現役時代は保守で選挙をたたかっていたから、“共産党帰れ!”とやっていた側だ。だから稲嶺さんの1期目も2期目も、よくこの体制で勝てたなと思っていたが、今回は勝てなかった。1期目に稲嶺さんが出馬を決めたときに、共産党が出馬をとりやめて稲嶺さんに一本化したため、党派からの要求を断れないという事情が絡んでいるのではないか」といっていた。上からの権力でガチガチに縛られた米軍支配のなかで、住民がこれと正面からたたかって勝利するというのは生半可なものではない。正面の敵ができないことを内部に潜り込んだ破壊者が実行するというのは常套手段だ。運動を自分たちの政党利権の具にしてかき回して潰していくというのは、共産党がぶっつぶした岩国しかり、原水禁と原水協が政争をくり広げてつぶしていった原水爆禁止運動しかりだ。

 

空き家や廃屋がめだつ辺野古の社交街

  全国から反対運動の活動家などが移り住んでいる辺野古を含む久辺3区では、開発を見越して本土や市外から「空き家を売ってくれ」「店を出したいから貸してくれ」という依頼が多くくるようになり、それをめぐる喧嘩やトラブルによる自殺も起きるなど悲惨な状況が語られていた。自治会に数億円の補助金が下りているというが、社交街は2年前と比べて店も減り、廃屋も増えている。「補助金の恩恵など住民には何の関係もない」と語られていた。狭い町の複雑なしがらみのなかで住民が対立することなど誰も望んでいないが、両派の対立が絶えないこと、「毎日のように戸別訪問や電話をしてきてみんな嫌気がさしている」と話していた。


  4年前の知事選でも、自民党・仲井真陣営が力点を置いたのは「共産・革新県政で衰退させるな!」「共産党支配のオール沖縄!」というイメージ宣伝だった。いわゆる「共産党」が沖縄で嫌われているからにほかならない。それが分かっていて「翁長知事を応援しています!」と党派を前面に出した大宣伝をやる。そのような「保守vs革新」という構図をつくれば、オール沖縄の母体である保守層が動きにくくなる。自民党側の派手な宣伝の方に目が行きがちだが、「応援団」「仲間」という顔をして運動母体を内側から壊してしまうのはそれ以上に打撃が大きい。


  権力が国策を進めるうえで、推進の顔をした推進派以上に、「反対」の仮面を被った裏切り者を頼りにするというのは、全国どこでも経験していることで、山口県では岩国や上関原発阻止の運動でも暴露されてきた。先ほども話になったが、岩国では住民投票では九割が反対の意志を示し、数万人規模の集会や、米軍住宅反対の10万人署名が集まるまで盛り上がった全市民的な運動を、「日共」集団などが「わが党の運動だ」と主導することによって雲散霧消させてしまった。強権でゴリ押しすることと反対運動を内部から瓦解させることはいつもセットだ。このような嫌われものの抱きつきには警戒が必要で、名護に限らず、全国的にも大きな教訓だ。

 

県知事選に県民の力結集を 

 

6万5000人が結集した海兵隊の撤退を求める沖縄県民集会(2016年6月、那覇市)

  今回の市長選の結果だけで、すぐに辺野古移設が前に進むというものではないし、名護市民の基地撤去世論が消滅したわけでもなければ、オール沖縄の力がゼロになるというものではない。メディアは「諦め」へと誘導しているが、もともと20万人をこえる沖縄県民を虐殺して乗り込み、銃剣とブルドーザーで土地を奪いとり、県民の命や主権を奪ってきたのが米軍だ。その屈辱的な占領支配と70年も対峙してきたのが沖縄県民だ。長年にわたって権力の欺瞞や圧力とたたかって今日まできているし、これからもたたかうしかない。選挙後、稲嶺氏も「私たちははじめから“諦めない限り負けはない”ということでやってきた。権力を持たない国民が国策とたたかうということはそういうことだ」と極めて意気軒昂だった。やられたらやり返すだけの話で、「諦める」もへったくれもない。


  4年前には「いい正月を迎えられる」といって県民を裏切った前知事を大差で叩き落としたし、国政選挙では自民党候補の全敗が続いている。県民を愚弄する振る舞いをした政治家や為政者は、それ相応のしっぺ返しを覚悟しなければならない。「テロ選挙」で襲いかかった名護市でもその力関係は健在だ。
 オスプレイのあいつぐ墜落、小学校への部品落下などの県民の命を無視した米軍の横暴に加え、ふたたび沖縄を核戦争の前線にされるという情勢のなかで、沖縄の全県世論は、辺野古基地建設阻止にとどまらず、海兵隊の撤退を要求している。国による恫喝や甘言をむしろ着火剤にして発展してきたし、それは沖縄戦から続く県民の苦難の経験に根ざした決意をともなって、自民党政府を追い詰めてきた。11月に予定されている県知事選は、名護を上回る物量と、このような右「左」を使い分けた仕掛けを駆使してくることが予想される。全県世論を統一して結束を強めていくことが求められる。教訓を克服して進むなら、結束した力はより頑強なものになり、本土との連帯を広げながら全国的な対米従属打開の世論に火を付けることは疑いない。本土が沖縄に連帯するとは、沖縄に行って叫んだり旗を振り回すことではなく、自分の地元で自民党をたたきつぶす努力をすることだ。対米従属構造を断ち切らなければ終わりなどないのだから。それが沖縄の島ぐるみ闘争を援護射撃することにもなる。冷静に考えてみて基地闘争は沖縄だけの課題ではない。全国共通の課題だ。

 

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