米国流で研究費締め上げ
集団的自衛権の行使を含む安全保障関連法の強行採決や武器輸出を解禁する「防衛装備移転三原則」の閣議決定など、安倍政府が米国の下請として戦争まっしぐらの姿勢を強め、昨年から大学をはじめとする各種研究機関を軍事研究に組み込む動きが急速に進んでいる。2015年度から始まった「安全保障技術研究推進制度」では、初年度に3億円、今年度は6億円だったものが、来年度には110億円へと跳ね上がり、公然と軍事研究がおこなわれようとしている。こうした動きに対して、学者・知識人のあいだで危機意識が広がっており、科学者としての使命を貫き、戦争には協力しないとの立場にたった行動が始まっている。7日には九州大学箱崎文系キャンパスで日本科学者会議福岡支部主催の「“軍学共同”を考える講演会」が開かれ参加者が論議を深めた。
“学者が社会的発言強める時”
開会にあたって同会事務局長が、「一昨年度、防衛省が安全保障技術研究推進制度の公募の研究費を出すようになり、その案内が大学に来た。その動きに呼応するように日本学術会議では、これまでの“戦争を目的とする科学研究には絶対に従わない”という立場を考え直そうと検討が始まっている。これに対してなにもしないのは問題だ。科学者会議の仲間で勉強会を始めようとなった」と開催の経緯をのべた。その後、「科学の軍事利用と科学者の抵抗」と題して、佐賀大学名誉教授の豊島耕一氏が次のように講演をおこなった。
軍事費による大学支配 豊島氏の講演要旨
防衛省からの研究費の枠が広まり軍学共同の恐れがもたれている。日本では軍学共同は禁止ということで戦後スタートしているが、世界ではあたりまえになっている。アメリカなどはその最たるもので、大学費用は軍事化に組み込まれている。そのような経験を学ぶことは大事だ。軍事研究をしないだけでいいのか、民生用の研究や基礎研究であればいいのか、軍関係組織からお金をもらわなければいいのか、軍事利用に対してもっと積極的に行動する義務があるのではないか。
1950年の日本学術会議が出した「戦争のための科学に従わない声明」が初めて脚光を浴びたが、このような声明を日本の学会が決めていたということをほとんどの人が知らなかった。数年前までは学術会議のホームページにすら公開されていなかった。広く知られるようになったのはいいことだ。しかし、応募する大学や研究機関も今年は件数は減っているものの近年は増えてきており、ある伝聞情報によると来年四月の学術会議総会では軍事研究禁止の条項を撤廃することは規定事実になっているので予断を許さない。この半年ぐらいは非常に重要な時期になる。
2009年に出た雑誌「ネイチャー」の記事で、米軍から研究者に出る研究費について書かれたものがあった。そこには研究者を兵籍に入れるということが書いてある。一般の研究費をとるためにはものすごくたくさんの書類を書かなければならず、時間もかかるが、軍からの研究費なら電話一本でいいということが書いてある。そしてこれを利用している女性研究者の声として、「軍事転用されるかもしれないが、私の研究は民間向けでもあり、兵器研究ではないから問題ない」と紹介されている。
20年以上前の1993年に出版された「The Cold War and American Science」という本は、アメリカの理工系の一流大学であるマサチューセッツ工科大学(MIT)とスタンフォード大学がいかに軍事研究に組み込まれ、大きくなってきたかが詳細に記述されている。MITにはリンカーン研究所があるが、これは空軍がお金を出してつくった。
研究所の予算の内訳は、国防総省23%、空軍31%、ネイビー4%と多くが軍関係機関からだ。場所もハンスコム空軍基地のそばにあり、地理的に見てもいかに空軍と密接しているかがわかる。アメリカの軍事研究ではマンハッタン計画が有名だが、戦争でアメリカを勝利させたのはレーダー技術だ。レーダー技術を開発したのは、MIT内に設立されたラデーションラボラトリー(Radiation Laboratory)。1940年に設立され、4000人の人員と年間予算1300万㌦がつぎ込まれ、原爆製造のマンハッタン計画と同じような大規模な研究がおこなわれた。戦争が終わると用済みになったが、エレクトロニクス研究所として温存されている。
この当事者の一人が「戦争で本当にもうかったのはわれわれ研究者だ」とのべている。リンカーン研究所は、1949年のソ連の核実験のあと、アメリカは空からの攻撃に脆弱だという理由で防空ネットワーク構築研究を目的として1951年に設立された。10年間で80億㌦がつぎ込まれ、2015年度の収入900億~1000億円のスポンサー別内訳によると七九%が国防総省から出ている。
スタンフォード大学では航空工学科が戦争中には栄えたが、戦争が終わって斜陽化した。しかしその後ロッキードと結びついて、偵察衛星、ポラリスミサイルの開発で1956年以降に急拡大する。NACA(アメリカ航空諮問委員会)、産業界、航空工学科で大きく発展する。そのとき盛んにいわれたのが、「ソ連がミサイルを持っているがアメリカにはない」というもので、もっとミサイル開発をしないといけないということだった。それはまったくの嘘だったと後でわかるのだがスタンフォード大学の航空工学科はそのときに成長した。
ロッキードが成長してくるとロッキードの研究テーマがスタンフォードの研究と授業を支配するようになった。形としては栄えるが、成功にともなうコストについて、成功を成し遂げた学科主任のニコラス・ホフという人が、「政府や企業の資金依存が学問研究の理想を失わせることになるのではないか」と自問していた。しかし癒着関係が進んでいくと、そういうことも頭から消えていくのではないかと思う。この本の著者は、このような依存関係そのものが航空工学分野における「真の学問研究とはなにか」を定義し直してしまったと批判している。
軍・産・学共同を推進したのはアメリカ大統領のアイゼンハワーだが、このアイゼンハワー大統領は退任するとき、軍産複合体による不当な影響力の恐れについてのべている(軍産複合体演説)。
「連邦政府によるプロジェクトの資源配分、および財政力によるわが国の学者層への支配の可能性は常に存在しており、このことは深刻に受けとめられる。しかしまた、科学研究と発見を当然敬意をもって扱うが、その際に公共の政策それ自体がエリートの虜となるかもしれないという逆の同等の危険性も警戒しなくてはならない」とのべている。
つまり学者は企業から注文をうけて軍事研究をして開発するが、逆に学者たちが思いついたアイディアで売り込んでいくということも当然ありうるということだ。これはあたっている。例えば核抑止論は核兵器を持続的に持ち続けるために役立つものであるし、日本の場合は原発でこれを維持していく原動力の一つに原子力ムラと呼ばれる学者層がいるのではないか。
問われる科学者の使命 被爆の経験原点に
日本の学会の出発点は、「科学は人類の平和のためにある」というものだ。1950年には日本学術会議が「戦争のための科学に従わない声明」をうち出し、戦争を目的とする科学の発展には、今後絶対に従わないと表明している。今問題になっているのは、この見直しをするといっていることだ。世界の中でもこのような声明を出したのは稀だ。第2次世界大戦の戦勝国にとっては、「正義のためにしたのだ」とプラスイメージになっている。原爆をつくったアメリカの科学者も断罪されなければならないが、そうされることはない。その罪を葬ってしまってはいけない。
物理学会ではさらに厳しいルールを決めている。半導体学会に米軍資金が投入されたときに議論が起き、一九六七年に「今後、内外を問わずいっさいの軍隊からの援助、その他いっさいの協力関係をもたない」と決議しており、今でも軍との関係は持たないと維持している。
歴史的には科学者はどんな抵抗をしてきたのか。有名なものとして、戦中では核分裂の発見者であるユダヤ人のリーゼ・マイトナーや、マンハッタン計画に参加したイギリスの物理学者ジョセフ・ロートブラットが挙げられる。
また、原爆ができあがったあとの終戦直前、原爆開発にかかわった物理学者たちが原爆使用をやめろと政府に提言した。これが「フランク報告」(1945年6月)で、日本に原爆を使ってはならない、無人島で実験するべきだといっている。冒頭で、「われわれは原理や真理を発見しただけではない。それが兵器に転用されたのは兵器に転用した者の責任であると分離するのが理にかなっているようだが、そうではない」と重要な指摘をしている。基礎研究なら関係ないということはないといっている。同じようなことを湯川秀樹もいっており、核廃絶運動を推進した。
日本や世界の研究者も核廃絶運動をすすめ、それはパグウォッシュ会議になり、1955年のラッセル・アインシュタイン宣言、日本で1975年に広島で開かれたパグウォッシュ会議で「湯川・朝永宣言」が採択された。当時学者のあいだでは、核戦争を止めるためにはお互いがバランスをとれるような核兵器をもっていなければならないという「核抑止論」がいわれていたが、それに対して「湯川・朝永宣言」は公然とこれを否定する。そのときの様子がNHKで報じられたが、自国の利害で署名に応じない参加者に広島・長崎の原爆投下直後の映像が未編集で流された。物理学が生み出した原爆によって傷つけられた人人の姿を見て、多くが言葉を失った。その後ほとんどの参加者が「核兵器をなくさなくてはならない」と署名に応じたという。
アメリカと同じ道をたどらないためにはどうしたらいいのかを真剣に考えなければならない。まず、研究費が絞られる「貧困化」に抵抗しなければならない。研究者が動員されるのも「経済的徴兵制」だ。防衛省の研究費を頼らなくてもいいように、毎年1%ずつ研究費が削られることをやめさせないといけない。お金の形でつながりができることは、彼らが「人間関係資本」を蓄積するということだ。依存しきっては抜け出せない。研究の自由はあっても、もっとも研究者にとって大事な社会的発言ができなくなる。軍組織とはつながるべきではない。
分野超え結束し抵抗を 全国に呼びかけ
以上のような豊島氏の講演があった後、論議に移った。
九州大学名誉教授の中山正敏教授(物理学者)は、軍学共同を考えるには現状の正確な理解が不可欠であるとして、各国の国防研究予算の位置づけをデータをもとに紹介した。日本の国防研究費(2013年)は1669億円であるのに対して、アメリカは6兆8148億円と突出している。またアメリカでは大学の自己資金をはるかに上回る研究費が政府から投じられ、同じく産業界にも莫大な研究費が流れており「産・官・学のコンプレックス」ができあがり、軍需産業が発達する温床となっていることを指摘した。
同会会員の元大学教授は、「安全保障技術研究推進制度で、2015年に3億、今年は6億円、来年度は100億をこえる予算となっていることが大きな問題になっている。あの制度は公募という形をとっているので、研究者は最低限これに応募しないことだ。今の状況を考えれば“できるだけ応募するな”というのが一番だ。池内了先生などは各大学に働きかけている。それが影響したのか、今年度は応募が減っている。そういう行動が大事ではないか」とのべた。
また、9月30日に東京で結成会を開いたばかりの「軍学共同反対連絡会」への呼びかけもおこなわれた。最後に事務局が、このような会を市民、若者、学生のあいだに広げながら論議を深めていくことを提起して閉会した。