米軍ヘリ墜落炎上事件に抗議する宜野湾市民大会(主催・同実行委員会)が12日午後2時15分から沖縄国際大学のグラウンドで開かれ、同大学生、全自治会、婦人連合会、保育園園長会など71団体のほか、県内各地から自主的な参加があいつぎ、予定の1万人を大幅にこえた約3万人(主催者発表)が結集した。ヘリ墜落事件と、その後の対応に象徴される米軍による国家主権のじゅうりんと占領支配を糾弾。各界から「辺野古への移設でなく要求は米軍基地の撤去だ」との発言があいついだ。会場では原爆展全国キャラバン隊(長周新聞社後援)の原爆展が展示され強い共感を呼んだ。長周新聞のヘリ墜落事件関連の「論壇」や評論「沖縄を奪い基地にするため・沖縄戦は日本軍部責任の欺瞞」の載ったチラシも配布されよく読まれていた。
日本全国の共通の問題
市民大会は冒頭、主催者を代表して宜野湾市の伊波洋一市長があいさつ。伊波市長は「墜落事故の責任は普天間返還を遅らせてきた日米両政府にある」と切り出し、96年のSACO最終合意にふれ「普天間飛行場の返還合意の原点は、危険きわまりない欠陥飛行場をとり除き、県民の基地負担の軽減をはかることであった。返還期限の7年が経過しているのになにも変わっていない」とのべた。そのなかで「ラムズフェルド米国防長官も普天間は事故が起こらないのが不思議だ。3、4年後に閉鎖すべきだといった。訪米したときにSACOの関係者も欠陥基地でありいつ爆発してもおかしくない時限爆弾みたいなものだといっていた」「それなのに日本政府は県民に押しつけている」と、アメリカ政府を評価。「東アジアからトランスフォーメーションの対象で3万人の海兵隊を削減する方針だ。その残りで普天間の海兵隊を入れて削減すれば」日米「安保」の抑止力を維持したままで普天間基地が返ってくると、日米「安保」の容認・擁護を力説した。
ついで共催者の渡久地朝明沖国大学長は「沖国大の築いてきた業績を無にするような事故だ。米軍に大学の自治が侵された。心を一つにして米軍と日本政府に抗議する」とのべ普天間基地の即時撤去を要求した。
主権蹂りん占領状態だ
意見表明ではまず被災者を代表して沖国大事故対策本部(商学部長)の鎌田隆、宜野湾区自治会長の仲村清の両氏が発言した。
鎌田氏は「国家主権、大学の自治が侵害された」と強調。「基地の近くに大学を建てるのが悪いという意見もあるが、最初から基地が占有された状態ではやむをえない。そんなことをいえば沖縄はなにもできない。米軍基地の方が退くべきだ」とのべた。仲村氏は「事件は強い衝撃と恐怖を与えた。これまでは慣らされていたが、危険だということを見せつけられた。事故現場は戦場そのものだった」と切り出し、「米軍の対応が許せない。事故の現場検証もできない。ここは沖縄か、わたしたちの地域か! と目を疑った」と憤りをあらわし、「ヘリが落ちたのは志真志小学校の通学路だ。一歩まちがえば大惨事になるところだった。激しい怒りをこめて抗議し基地返還を要求する」とのべた。
ついで小・中・高校生と大学生が発言。志真志小6年の島袋洋将君は部活にむかう途中に「バーン」と大きな音がして現場に走ったことにふれ、「二度と事故が起こらないようにしたい。平和な未来をわたしたちの手でつくりたい」とのべた。嘉数中3年の内原理沙さんは「これまでヘリが飛ぶのをあたりまえと思っていた。でも今度の事件で死ぬこともあると思い出した」とのべ「これまで基地が守ってくれると思っていたが、もうそうは思わない」と強調。「今回、不幸中の幸いという言葉でごまかしてほしくない。沖縄に基地は必要ないと思った」とのべた。同じく嘉数中3年の木村なつみさんは道路が米軍に封鎖され逃げることもできなかったことを語り、「米軍関連の事件を見るとまた落ちると感じる。いままでは基地があるのがあたりまえと思ってきたが、いまは恐怖がある。日本の人が全国で運動してほしい」と訴えた。
中部商業高校2年の比嘉由梨恵さんは石川市宮森小学校での米軍機墜落事件にふれ「今回だけではない」と切り出し、あれだけの事故を起こしても表情を変えない事故現場の米軍に腹が立ったことを語った。そして「今後安全というがなにが安全なのか。沖縄を占領地と思っているのでしょうか」とのべ、「普天間の辺野古移設には反対です。移設ではなく撤去だ」と強調。「沖縄だけでなく日本全国の問題として日本政府は考えてほしい」と訴えた。
ついで米軍ヘリ墜落時大学内にいた沖国大2年の新膳祐治氏が発言。「生まれたときから基地がありそれが日常だった。だがヘリ墜落でその日常が簡単に壊されることをまのあたりにした。それから沖縄の立場はなんなのか考えてきた」とのべ、「この問題が沖縄の問題としてかたづけられることに憤りを感じる。辺野古に基地を移しても危険は消えない。いままでの沖縄の現状を断ち切り基地のない沖縄をつくりたい。その一歩を踏み出したい」と強調した。
子孫のため生命かけてたたかう
ついでPTAや婦人団体など各界が発言した。
宜野湾市PTA連合会の高江洲善勝会長は「小学校のほとんどが米軍基地に近く9000人の小学生がいる。平等な教育を受ける権利があるというが、爆音や事故の危険があって平等といえるのか」とのべ、「わたしたちは子どもたちの安全を守らないといけない立場。子どもたちのため安全な沖縄を返していただきたい」と強調した。
自治会長会の知念参雄会長は「これまで自治会長会は基地問題についてそれぞれの判断で動いてきた。しかし今回の事故で市民の生命を守る立場から一致して抗議することを決めた」とのべ、「腹の底から米軍に怒りがこみ上げてくる。沖縄県民を虫けらあつかいする日米政府に大きな声を上げ基地返還の行動を起こそう」と語った。
宜野湾市婦人連合会の本永静江会長は「みんなの願いは一つ。普天間基地の飛行を中止し閉鎖することだ」と切り出し、「子を産み育てる母親としてこれからも子や孫を危険にさらすことはできない」と強調。そして沖縄に日本の75%の基地が集中しそのうち35%が宜野湾に集中している現実にふれ、「そこから派生する事件や日常生活の不安はいつまでつづくのか。わたしたち宜野湾市民はずっと耐えてきた。いまこそ子や孫のためにも命をかけて行動を起こすときだ。それが沖縄を動かし、全国に伝わっていく」と強調した。
老人クラブ連合会の花城清英会長はテレビで小学生が基地撤去を訴えていたことにふれ、「大人がもっとがんばってくれといっているように感じた」とのべ「みなさんとともに基地撤去でがんばることを誓う」と語った。
最後に意見発表をした宜野湾市青年連合会の上里広幸会長は「事故が起きたのになぜ現場検証させないのか。それは米軍が支配しているというのを見せつける占領意識のあらわれだ。でもそのとき首相は夏休みだ。ほんとうにこれでいいのか。これは日本全国の問題だ。市民が望んでいるのは米軍の尻ぬぐいではなく即時返還だ」と強調。「この問題に真正面からたちむかいたい」とのべた。その後参加者全員で「がんばろう」と拳を上げ散会した。
関心呼んだ市民大会での原爆展
入り口近辺に展示された「原爆と峠三吉の詩」パネル展では「アメリカに謝罪を要求する署名」が大きな関心を呼んだ。
「あまりに酷すぎて言葉にならない」という40代の婦人は、「父親は兵隊で負傷している。子どものころ、いっしょに風呂に入ったとき、深い傷跡を見せてくれた。最近もテレビで戦争の映画を見たとき、昼寝をしていた父が“空襲だ!”と飛び起きた。戦争が終わって何十年もたって、まだ傷が消えていない。原爆も沖縄戦もひどすぎる」と語った。
2人連れで熱心に参観した70代の男性は「沖縄戦のときは高等科1年だった。米軍に追われ南部に逃げた。死人も毎日見ていると慣れるほどひどかった。イラクの人人の苦しみや悲しみが、わたしたちにはよくわかる。追いつめられ逃げるところがなくなり、しまいには米軍のいる方へもどらざるをえなかった。あの沖縄戦によって、沖縄はアメリカに占領された。いまだに植民地同然で、政府はアメリカにまったく頭が上がらない。弱腰で情けない」と語った。
「ほんとうにひどい。こういう展示を見ると沖縄戦を思い出す」という70代婦人は「父も姉も日本軍が助けてくれると最期まで信じていたが、広島と同じ地獄のなかで死んだ」と語った。
「“戦争終結のために原爆は必要なかった”という展示があるが、沖縄ではこれまでずっと、原爆で戦争を早く終わらせたかのように思わされてきた」という70代の男性は「“原爆は必要なかった”というパネルを3倍くらい大きくしたらいい」と語った。
原爆パネルを見た那覇市の50代の男性は「これだけのことをされて日本政府は、なんでアメリカについてゆくのか。なにもかもいまのままだったら、アメリカに右にならえでまた戦場になる」と語った。名護市辺野古から集団で来た婦人たちも原爆展を熱心に見入り「ぜひ辺野古にも来てください」と語った。