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フードシステムがもたらす多重危機 地域の多様で自由な種を守る元年に OKシードプロジェクト事務局長・印鑰智哉

 気候危機や生物大量絶滅危機が想定を超えて進みつつある。これらの多重危機の同時進行は深刻な食料危機を生み出すことは確実だ。異常気象のために実をつけなかった作物が増え、病虫害もこれまでとは違う規模で発生する可能性が高くなる上に、自然災害は激甚化し、農業生産は大きな影響を受けざるをえないからだ。それに伴い社会紛争も頻発することが懸念される。これらの多重危機を緩和するためにも食料を保障することは最大の優先順位に置かなければならないことだが、現在の日本の政治はその真逆が進行している。

 

食が多重危機の根本原因

 

 この多重危機を生み出してきた根本原因の一つは食のシステムにある。化石燃料を大量に使う化学肥料や農薬使用により成立する工業型農業が世界規模に進められた結果、土壌を損ない、土壌に蓄えられた炭素が空中に放出され、気候変動を加速し、土壌の土壌微生物、そして農薬によって多様な生命を死に追いやってきたからだ。

 

 この工業型農業はタネ・化学肥料・農薬の3点セットを特徴とする。タネが独占され、化学肥料を入れないと十分な収穫が得られないタネしか得られなくなれば、化学肥料は必須になってしまう。化学肥料を入れれば作物は微生物による防御を得られなくなり、農薬に頼らざるを得なくなる。土壌微生物の助力を失った作物は十分に水を得ることもできなくなるので、灌漑がなければ作物は育たなくなる。タネを奪われた農民は作物を育てるためには化学肥料や農薬を求め、市場論理に引き込まれ、灌漑施設を作ることができる権力者に従順になっていく。

 

 つまり農民が持つタネを奪い、化学肥料を必要とするタネを買わせることができれば、社会を征することができる。タネを握るものが世界を征すると言うが、まさに近代史はそのタネの覇権をめぐる闘いであった。遺伝子組み換え企業は世界の種子企業の買収を進め、その結果、遺伝子組み換え品種以外のタネを買えない地域が出現した。インドではモンサントが遺伝子組み換えコットンを持ち込み、インドの農家はモンサントのタネ以外のタネを入手することができなくなった。しかし、インドには適さず満足に実をつけなかった。借金をしてタネや農薬を買ったが収穫が得られなくなったために自殺に追い込まれる農民が30万人を超える悲劇が生まれた。

 

タネの決定権を取り戻す「タネの自由運動」

 

 インドでの悲劇が生まれる前に、バンダナ・シバ氏はこの事態を予測して1990年代から「タネの自由運動」を提唱し、在来品種のタネを集め、農民に貸し出せる仕組みを整備した。灌漑のない畑でもデシというインドの気候にあった在来種のコットンがその後、インド各地で復活していく。今、インドのオーガニックコットンは大きく成長しているが、まさにタネを守ることは農民の命を守ることでもある。

 

 バンダナ・シバ氏が提唱した「タネの自由運動」はその後、世界中に広まった。種子主権、つまり農民のタネの決定権がなければ、食料主権、食の決定権は存在しえない。種子企業に食のシステムを独占される社会は、民主的社会にはなりえない。タネの決定権は基本的人権を支える基盤となる権利なのだ。この権利はその後、国際社会がその重要性を認識し、国連で食料・農業遺伝資源条約や小農および地方で働く人びとの権利宣言においても明記されることになる。多様な在来種を守るシードバンクは世界各地に急速に広まっている。

 

タネをグローバリゼーションに委ねる日本政府

 

 一方、日本はどうだろうか? 日本政府は種子メジャー企業が作った国際条約機構UPOVに1982年に加盟を決め、1998年には知的財産権を農民の種子の権利に優越させるUPOV1991年条約を批准し、タネの企業による私物化にいち早く舵を切った。2020年には世界でもっとも種子企業に都合のいい改正を行ってしまった。

 

印鑰氏の近著『日本の種苗政策とUPOV』(A4版、36㌻)

 この政策の下で、この約30年間にわたり、日本の種子のグローバリゼーションは大幅に進んだ。国内でタネを採る代わりに海外で安く採り、国内外で高く売ることが可能な大きな種子企業は少数残るが、地域の農業を支えてきた地域の小さな種子企業は次々と姿を消している。国内での種採り農家も急激に減少した。

 

 世界の多くの国や地方自治体が地域の在来種の保護を進める政策や法・条例などの整備を進める中、日本政府にはその意志が皆無であり、その結果、他国にタネを依存する国になってしまった。野菜では種子の9割が海外生産となっている一方で外国企業の日本進出が進み、日本で登録される新品種の4割近くを外国企業が占めるようになった。

 

 在来種のタネの保護には政府も地方自治体も関心を持たず、多数の在来種を集めていた広島県農業ジーンバンクも廃止され、各地で在来種を自力で守ってきた農家も消えつつあり、貴重な生きた遺伝資源が日本から急速に消滅しつつある。

 

 この政策によって、日本の食のシステムは輸入に強く依存した脆弱なものとなった。世界で貿易が止まったら2年で日本は人口の6割にあたる7000万人が餓死し、世界で餓死する人の3人に1人は日本居住者になると米国の研究は指摘する。このような指摘を受けて、日本政府はその政策の変更を検討するだろうか?

 

改訂食料・農業・農村基本法でもグローバリゼーション強化

 

 昨年、農業の憲法とも言われる食料・農業・農村基本法が25年ぶりに改訂された。しかし、そこでも外国での新たなタネの産地の獲得のために予算が確保されるだけで、国内にタネ採り基盤を作る施策は皆無で、むしろタネのグローバリゼーションをさらに強化する内容となっている。

 

 日本政府は「みどりの食料システム戦略」で2050年までに有機農業の割合を25%にまで引き上げる(現在は約0・6%)ことを目標に掲げた。当然ながら有機農業には有機のタネが必要となる。しかし、日本は国も地方自治体も有機のタネを作っていない(例外的に滋賀県が試み始めている)。野口種苗など数少ない在来種の種苗を手掛ける団体がわずかな種苗農家といっしょに有機農業に適した種苗を手掛けているが、その市場規模はわずかなものであり、しかも種採り農家の高齢化という現状の中で、到底、25%に拡大する余力はない。拡大させるためには種採り農家の養成支援など政策的支援が不可欠だ。でも、「みどりの食料システム戦略」にはそのことは一言も書かれていない。戦略に書かれているのは「ゲノム編集」を使って、官民一体で新品種を作るという構想だが、そんなタネは地域の循環型農業では使い物にならず、有機農業では当然排除されなければならず、こんな戦略では有機農業はすぐに立ちゆかなくなること必至である。

 

 日本は世界で唯一「ゲノム編集」食品がスーパーで売られている「ゲノム編集」に前のめりの国だが、それがさらに今後、強化されようとしている。

 

お米を重イオンビーム放射線育種品種に

 

稲刈りを控えた秋田県の水田

 中でも近年の農水省の方針でもっとも問題だと思われることが重イオンビーム放射線によって遺伝子を損なった稲を日本の主力品種としようとすることである。

 

 2025年から秋田県は県の7割以上を占める「あきたこまち」を「あきたこまちR」に全量転換する。この「あきたこまちR」は重イオンビーム放射線によってカドミウムを吸う遺伝子の一部を破壊した「コシヒカリ環1号」の遺伝子を受け継ぐ。

 

 この重イオンビーム放射線育種によって作られた稲にはさまざまな問題が指摘されているが、ここではその一つを指摘しておきたい。壊された遺伝子OsNramp5はカドミウムを吸収する上で機能することがわかっているが、この一部を破壊することで必須ミネラルのマンガンも3分の1未満になってしまうことがわかっている。

 

 マンガンは、光合成をする上でも、また植物の免疫の中核となるファイトケミカルを作る上でも不可欠な役割を果たす。マンガン不足の水田で出穂期に高温が続くと、光合成に問題が生じて、収穫が2割~3割減ることが指摘されている。また、病原菌や害虫に影響を受けやすく、開発した農研機構もごま葉枯れ病になりやすいことを認めている。つまり元の品種よりも、遺伝子を操作することで、高温にはさらに弱く、病気になりやすい、収穫も減る危険がある品種になっているのだ。

 

 農水省は2030年までに「コシヒカリ環1号」系品種を5割の都道府県に導入することを目標に掲げている。内閣府食品安全委員会は2023年12月にカドミウムが健康被害に大きな影響を与える可能性は低いと断じているにも関わらず、すべての品種が置き換えられようとしている。

 

2025年は種子主権の元年に

 

 タネなくして食はなく、食がなければ社会も存在しえない。タネはこの多重危機を切り抜けるための鍵である。しかし、日本の政治ではタネは無視し続けられている。それに加え、世界最大の遺伝子組み換え企業バイエルが「ゲノム編集」作物の販売に2025年から本格的に乗り出そうとしている。日本が実質唯一自給できるタネは米だが、その米も重イオンビーム放射線育種米が増えるのを止められなければ、やがてそれらは「ゲノム編集」米に代わっていくだろう。このままでは多重危機に対処できる生命力のあるタネは日本では得られなくなる。

 

 この流れを変えるためには地域にまだ存在する多様なタネを守り、種採りを支援する体制を構築することが不可欠な課題となる。条例などで在来種を守り、それを学校給食や病院などで生かす仕組みを地域で作り出すことが有効な対抗策となりうる。自由なタネが失われようとしている今、その意味を再認識して、多重危機を克服できる頑丈な地域の食のシステムを構築する必要がある。2025年をそんな動きを開始する元年としたい。

 

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 いんやく・ともや アジア太平洋資料センター(PARC)、ブラジル社会経済分析研究所(IBASE)、Greenpeace、オルター・トレード・ジャパン政策室室長を経て、現在はフリーの立場で世界の食と農の問題を追う。OKシードプロジェクト事務局長。著書に「日本の種苗政策とUPOV 種子法廃止・種苗法改正、『ゲノム編集』から重イオンビーム放射線育種まで」、共著『エコロジーからの抵抗―支配と抑圧を乗り越える』(大月書店)で「インタビュー・食料危機をどう乗り越えるか」。その他ドキュメンタリー映画の監訳や記事多数。

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